15.困惑は続く(後編)
図書室の隣に与えられた自室では、マルグリットが読書に没頭中だった。
マルグリットにとって現在の暮らしは最高である。父や妹は使用人がするような些細なことまでマルグリットにさせては難癖をつけていたため、一人の時間などほとんどとれなかった。
ド・ブロイ家には膨大な蔵書と一人の時間、その両方がある。
巷で人気の冒険小説を読み耽り、亡国の王女の不遇な人生に感情移入して号泣したとしても、誰からも咎められない。
(つらい旅の果てにようやく愛する人を見つけたのね……ああ、なんてすばらしいの……)
マルグリットがそんな幸福な時間に浸りきっていたところへ、ルシアンは現れてしまった。
ノックの音にマルグリットは飛びあがると涙を拭う。
「俺だ」
「は、はい、ただいま!」
いつものドレスにショールを羽織り、ドアを開ける。
「ルシアン様。なんの御用でしょうか」
「……」
ルシアンは答えない。眉を寄せ、こわばった顔つきでマルグリットの部屋を眺めている。
(こんな部屋に住まわされていたのか……まるきり使用人の部屋ではないか)
マルグリットの部屋を離れに作ったということはユミラから聞いていた。住み込みの管理人が使っていた粗末な部屋だということも一応は聞いた。
使用人にも身分の上下があり、執事などの上級使用人であれば家具付きの広い部屋が与えられる。図書室以外にあまり用のないルシアンは北の離れにどのような部屋があるのかを知らず、それなりのものになるよう改装でも施したのだろうと納得していた。
だが、自分の目で見たマルグリットの部屋は、それだけで全体が見渡せてしまえるほど小さな一間だけの部屋で、そこにベッドと机、クローゼットがあるだけ。
ついでマルグリットに視線を移すと、困ったようにルシアンを見返す彼女の目にはうっすらと涙が浮かび、鼻の頭が不自然に赤らんでいる。
「……泣いていたのか」
「えっ、ああ、はい。本を読んでおりまして」
マルグリットは机に置かれた小説を示すが、ルシアンには咄嗟の嘘にしか思えない。
(やはり本当はつらいのだ)
当たり前だ、と自責の念に駆られる。
クラヴェル伯爵や彼女の妹のように、明らかに敵対する態度をとるのならばこれほどの扱いを受けていたとしても自業自得だと突き放すことができただろう。
(だが彼女はなにもしていない。ド・ブロイ家を貶めるようなことはなにも)
むしろ王妃にとりなしてくれた。
ルシアンにはマルグリットの善心がはっきりとわかっている。
そしてまた、晩餐会で着飾ったマルグリットの芯のある優雅さを見たルシアンには、いまのボロきれのような姿は不憫さを誘うものであった。
「本当のことを言ってくれ」
(どうしたのかしら、ルシアン様……??)
部屋に入ろうともせずうなだれるルシアンに、マルグリットの頭上にはハテナがたくさん浮かんでいる。
彼の早合点を、マルグリットもまた理解できない。
「俺に言いたいことがあるだろう?」
顔をあげ、ルシアンは問う。
はじまりは互いに不本意な王家の命令であったが、彼女は考えうる限り最大の寛容さをもってそれに従った。なのにド・ブロイ家の誰もが彼女を手ひどく扱ったのだ。
どんな非難も受け入れる。
そう覚悟をして正面からむきあったマルグリットは、不審げな表情をしていた。
(俺を信じてもいないのに、言えるわけがないか)
ルシアンは心の中で嘆息する。
だが、徐々にマルグリットの表情は、想定外に明るいものになり、
「どうして知っているのですか!? わたしが、言えなかったこと……」
「考えればわかることだ。エミレンヌ王妃にはああ言ってくれたが、俺はこれまで君の意見に耳を傾けてこなかった」
「いいえ、そんな……では、言わせていただきますが」
マルグリットはもじもじと頬を染める。
「わたし、ド・ブロイ領で、海が見たいのです!!」
「……は?」
「え?」
放たれた願いに思わず胡乱な声をあげてしまったルシアンを、こちらも驚いた顔でマルグリットが見つめていた。






