14.困惑は続く(前編)
これまでが嘘のように、日々はのんびりと穏やかに進んだ。
……と、思っているのは、マルグリットだけである。
晩餐会の終わったマルグリットは持参した粗末なドレスに戻り、使用人とともに食事をとっていた。
いまでは使用人たちも精いっぱいマルグリットを罵るようになっていたが、
「貴族の令嬢とは思えない間抜け面!」
(ナット、そういえば先日へそくりがバレて奥さんに怒られたって言ってたけど、大丈夫だったかしら)
「あなたにお似合いなのはルシアン様ではなくて床磨きよ!」
(フェリスのお菓子はおいしいってドレアが言っていたわ。わたしもいつか食べてみたい)
「食事が終わったら這いつくばって床を磨くことね!」
怒鳴り声に耐性のあるマルグリットには気にならない。
同じテーブルで食事をとっていたことで使用人たちの顔と名前は一致するようになっていたし、主人のいない場所で彼らがうっかりとこぼす会話も耳に入っていた。
だから、彼らがよい意味で平凡な使用人であり、たあいもないことを同僚とぼやきあいながら暮らしていることを知っている。
(クラヴェル家も、昔はそうだったのよね……でもわたしを庇った使用人たちは次々と辞めさせられて)
魔窟のような場所になってしまった。
「……ちょっと!! 聞いているの!?」
「え? ああ、うん、床磨きね。道具を貸してちょうだい」
バンッとアンナにテーブルを叩かれ、マルグリットは顔をあげた。
床磨きなら実家でやらされていた。この家には磨いた端から泥を撒き散らかしていく人間はいないだろうからすぐに終わるだろう。
「ごめんなさい。怒鳴られると別のことを考える癖がついていて。で、道具はどこかしら?」
「……!!」
真っ赤になったアンナが肩をいからせてキッチンを出ていく。
「……床掃除はしなくていいのかしら?」
周囲の使用人たちをふりむき尋ねれば、彼らも視線を逸らしてそそくさと逃げ出した。
ぽつんとひとりになってしまったマルグリットは首をかしげ、食べ終わった器を片付けると北の離れに戻っていく。
そんなマルグリットを見つめる視線があった。
ルシアンだ。
***
晩餐会を終えてからのち、ルシアンはマルグリットの様子を窺っていた。
そして、到底信じがたいことではあるが、
(彼女はド・ブロイ家からの集中攻撃に頓着していないのでは?)
という疑念に達した。
幼いころからド・ブロイ公爵家の跡取りとして厳しく育てられ、人々の上に立つ人間であれと教えられたルシアンには、使用人たちからぞんざいな扱いを受けて笑っていられるマルグリットが理解できない。
一方で、彼の冷静な思考は、マルグリットの意図を推測してもいた。
王家からド・ブロイ家とクラヴェル家に課せられた期待は、両家が婚姻によってこれまでの軋轢を解消し、力を合わせて国境の確固たる砦となること。
その期待を忠実に遂行するためには、いがみあい続ける現状は欠点にしかならない。
自分を犠牲にし、王妃には理想的な待遇を報告することで、マルグリットはド・ブロイ家になにも生みださない虚しさを訴えているのではないだろうか――。
マルグリットからすれば虚しいのは実家のクラヴェル家なのだが、ルシアンは知らない。
――ルシアン様はわたくしとお話をしてくださいます。
エミレンヌに語ったマルグリットの弾んだ声が、自信をもって「そうだ」と言えないルシアンの心を締めつける。
ルシアンからすれば、今のままでは王家に嘘をついたことになってしまう。
(――彼女の言葉が真実になるよう、彼女と話をしなくては)
そんな決意を胸に、ルシアンは北の離れへ向かった。