1.嫁ぐのはお姉様(前編)
「わがクラヴェル家とド・ブロイ公爵家の縁談が決まった」
「嫌よ!!! あたし!!! あんな人たちの家に嫁ぐなんて!!!」
クラヴェル伯爵の沈んだ声と、悲鳴のようなイサベラの声は、ほとんど同時だった。
「嫁ぐのはお姉様!! お姉様にして!! あたしは絶対に嫌だから!!」
キンキンと耳に響く喚き声をあげながらイサベラは首を振る。ゆるくウェーブがかった金髪は乱れ、目には涙が浮かんでいる。
「あの人たちは爵位を盾にして横暴だというじゃない。お父様、お父様……嫌よ、あたし……」
イサベラはモーリスの首に腕をまわして縋りつき、その頬を涙で濡らす。
いかにも哀れっぽい様相に、父モーリス・クラヴェル伯爵はマルグリットを見た。
イサベラを見る目から一転して、その視線は温度を失ったように冷たい。
「そういうことだ、マルグリット」
「……はい」
妹のようにゆたかな金髪も泣き落としのできる演技力も持ち合わせていないマルグリットは、くすんだ亜麻色の髪を揺らし、ただ静かに頷いた。
「ルシアン・ド・ブロイに嫁ぐのは、お前の役目だ」
*
クラヴェル伯爵家とド・ブロイ公爵家は、領地を接し、長年の天敵であった。
もとはといえば、伯爵家も公爵家も、武勲で功績を立てた家柄である。両家は南の国境沿いにそれぞれ広大な領地を持ち、隣国の侵略からリネーシュ王国を護ってきた。
だがそれだけに、互いをライバル視する意識も強く、ふたつの領地のあいだでは小競り合いが絶えない。
「だいたい二代前まではド・ブロイのやつらも伯爵位だった。それをうまいこと王族に取り入って、第四王子を婿に迎え、持参金がわりに追加の領地と爵位を得たのだ」
酔ったモーリスがこぼすのはいつもその話だった。
「ド・ブロイの連中は、王家のほうばかり向きおって、実際に戦にでもなればどちらが役に立つかよほど知れように」
血気盛んに憎みあう二つの家は、互いに領の境の村や都市を襲っては、相手の領民たちが自領を侵略していると王家に訴えていたのであった。
そういった状況に王家もついに我慢の限界を迎えたらしい。
ある日、両家の屋敷に王家からの使者が訪ねたかと思いきや、
「ド・ブロイ公爵家とクラヴェル伯爵家の結びつきを強め、親交を深めるべく、ひと月以内に両家の縁談を調えること」
という命令を宣ったのであった。
*
命じたのは王家きってのやり手と噂のエミレンヌ・フィリエ王妃で、いまやその権勢は国王をしのぐと言われる。逆らえばどうなるかわからない。
クラヴェル家には娘が二人いるだけだ。
見た目の派手さはないが優秀で、父親の補佐として領地の経営も問題なくこなす姉・マルグリット。
豪華なドレスや宝石を身にまとい、亡き母親譲りの美貌で社交界に浮き名を流しているが、国内の地理もおぼつかない妹・イサベラ。
どちらかが家を継ぎ、どちらかをド・ブロイ家に嫁がせなければならない。
こうして、クラヴェル伯爵家当主モーリスは、苦渋の決断を強いられた――と、いうわけではなかった。
「そうだな。イサベラをド・ブロイ家にやるなんて、考えただけでもぞっとする。どんな扱いを受けるかわかったものではない」
美しい妹を抱きよせ、モーリスは首を振った。
「イサベラ、お前はまだわしの――お父様のもとにいればよい。いずれ婿をとり、この家を継がせよう」
「ええ、そうしてくださいな、お父様」
「そうと決まれば、さっさと用意をしろ、マルグリット」
睨みつけるようにマルグリットを見据え、モーリスがかけた言葉はそれだけだった。
「はい、承知しました」
頭をさげるマルグリットにイサベラは嘲る笑みを浮かべ、モーリスは眉をひそめた。
「ほら、お姉様は嫌がっておられませんわ。あのひとには感情というものがないのかしら」
「まったくだ。敵の家に嫁ぐというのに……イサベラのように泣いて嫌がれば可愛げもあるものを」
(泣いて嫌がれば、口答えをするなと罵るでしょうに)
心の中の呟きを表には出さず、マルグリットは部屋を出た。背後ではまだ父と妹がマルグリットをくさしているが、気にしてはいない。
母が亡くなってからというもの、父は母の美貌を受け継いだイサベラをことさらに可愛がるようになり、対して外見は母にあまり似るところのない――それでいて娘のくせに自分よりも優秀であることがうかがえるマルグリットを、疎むようになった。
その態度は使用人全員に伝わり、彼女は常にお荷物扱いされ、物置のような部屋に寝かされ、食事を与えられないこともしばしばあった。
いまだって、マルグリットが着ているのはサイズの合わない薄手のドレスだけだ。
幸いだったのは、母が生きているあいだに、マルグリットにきちんとした教育を受けさせてくれたことだ。
(この家を出られるのはチャンスかもしれない)
降ってわいた天敵との縁談話がなければ、おそらくモーリスはマルグリットに嫁ぎ先など用意しなかったであろうから。