13
ソフィー王女の寝室の扉の前に椅子を置いて座る。
でも、じっとしてるのも暇ね。
腕立てしてレナを起こすのも悪いし。
ダガーを振り回すのはもっとまずいわよね。
練習用の錠前でも持ってくればよかったかな?
でも、そっちの方がさわぎそうな気がするし……
うーん。
暇な時間をどうするか考えていると、ソフィーの寝室から扉を開けるような音がした。
「ん? 何の音だろう?」
思わずつぶやいた言葉が、静かな室内に響く。
慌てて口を閉じて考える。
でも、この扉の向こうがどうなっているかわたし知らないのよね。
もし別に入り口があって、誰か入って来てたとしたらまずいわよね。
音を立てない様に立ち上がると、ゆっくりと扉を開ける。
中を覗き込むと思った通りベッドと、クローゼット。
「バルコニー?」
大きなガラスのはめ込まれた窓が少し開き、カーテンが風でなびいている。
そっと近づくと、予想通りバルコニーになっていて、そこに月明かりに照らされたソフィーの姿があった。
ソフィーに何も無かった事にほっとして、わざと音を立てて近づく。
「どなた?」
ソフィーが振り返り声を掛けてきた。
「わたしよ」
返事をすると、ソフィーがほっとしたのが伝わってくる。
「こんな夜更けにどうしたのですか?」
バルコニーに出ながら答える。
「物音がしたから心配になって見に来たの。ごめんなさい、勝手に部屋に入って」
ソフィーは少し横にずれてわたしの立つ場所を開けてくれた。
「ありがとうございます。それと、部屋に入った事は気にしてません。いつでも遊びに来てください」
ソフィーにお礼を言いつつ、隣で彼女の顔色を伺う。
「体調は平気? エルザさんが大丈夫だと言ってたけど、夕食も食べられない位だって聞いたから……」
ソフィーが笑う。
「もう大丈夫です。ごめんなさい、心配をかけて」
「良かった。でも何で笑ってるの?」
「ごめんなさい。クリスらしいと思って」
どういう意味よ?
まあ、元気ならいいんだけどね。
「お城のバルコニーっていいわね。月が近く見える」
空を見上げながらつぶやくと、ソフィーも月に視線を向けた。
「今日は月が綺麗ですね」
青白い光に照らされているからか、ソフィーが消えてしまいそうなほど儚く見える。
「今日なにがあったの?」
わたしは思わず彼女に尋ねていた。
ちょっと驚いた様子でわたしを見た後、とつとつと話してくれた。
「お父様と貴族の方達が統一際のお話をするというので、ご挨拶に行きその時に街の外れの子供達への食事の件を話したのです」
ここに来た時にソフィーが言ってた話ね。
「それでどうだったの?」
聞きながら、ソフィーの顔色を考えればいい答えが帰ってこなかったのは分かるけど……
「お優しい王女の言う事もわかりますが、もう少し世の中の事が分かってから言ったらどうかと言われました」
「なにそれ!?」
「私は、私達が我慢する事で、この国に住む方の負担が少しでも軽減され、皆が食事に困ることなく生活できればと考えたのですが、女子供が政治の事に口出しするのは感心しないと……」
「……」
「ですが、自国の民が苦しんでいるのに、私は何一つ不自由のない生活をしています。そんな私が言ったところで、説得力などありませんよね」
寂しそうに言うソフィーの目には涙が浮かんでいた。
「そんな事無いよ! ソフィーはわたし達の事をちゃんと考えてくれてるよ! わたし達の訓練所に差し入れしてくれるし、みんな喜んでるよ! だって、わたし達は……」
そう、誰からも必要とされなかったんだから……
両親にさえも必要とされなかったんだから……
「クリス、泣かないでください」
わたしの手を両手で包みながらソフィーが言う。
泣く?
誰が?
「……っ、わたし……」
あ、わたし泣いてるんだ……
自分で泣いている事を理解すると、もう止められなかった。
「大丈夫ですよ」
ソフィーに抱きしめられながら、わたしは家を離れてから初めて声を上げて泣いた。
「……もう大丈夫よ、ソフィー」
長い時間泣いていたわたしを、ソフィーは抱きしめていてくれた。
ただ泣きじゃくっていた事に恥ずかしさを感じながら、ソフィーから離れる。
「安心しました」
「?」
「クリスでも、辛い事があるんですね」
「もちろんあるわよ」
「私は、クリスだったらどんな事でも簡単に乗り越えられると思っていました」
「そんな訳無いじゃん。わたしだって辛いこと沢山あるわよ」
「だったら、私も、がんばらなければなりませんね。クリス、私が大きくなったら力を貸していただけますか?」
「力?」
ソフィーが何を言っているか分からずに聞き返す。
「私は、弱い存在です。ですが、クリス。あなたが傍にいてくれたら頑張れると思います」
「わたしが? ソフィーの手助けを? 無理よ。だって、わたしは戦う事しかできないのよ」
「私にとっては、クリスが傍にいてくれる事が何より心強いのです。ですが、クリスが戦う事しかできないというのなら、私と一緒に戦ってください」
「戦うって、何と?」
「この国の、民たちから搾取を行う者達とです」
「搾取を行う者達?」
「そうです。国は民のためにあると私思います。その民達が苦しむのに、それを顧みない者達です」
「だけど……」
ソフィーあなたは王族じゃない。
「今、私には何の力もありません。ですが、民の声を聞き、民の為の政を行えるようになりたい。その為に障害となるなら、そんな者達はこの国に必要ないと思います」
多分、ソフィーの言った事に反対した貴族達の事を言ってるんだろう。
「でも、ソフィーのお父さんだって……」
反対したんでしょって言葉を飲み込む。
だって、それは……
「お父様は話せば分って頂けると思います。ですが、それが無理でしたら、私が女王になります」
「……」
彼女の言葉に唖然とする。
「私は、クリス達の様に、年端もゆかない子供達に戦う術を教え、自分達はぬくぬくと過ごす者達を軽蔑します。私は、この国の民の為に生きたいのです。お願いです。私に力を貸してください。今は私も、その者達と同じかもしれません。ですが、いつの日か必ずこの国を変えてみます」
「わたし達のような子供がいなくなるようにできるの?」
「はい」
「みんなが笑って過ごせるような日が来るの?」
「はい」
「夜、辛くて、悲しくて、でも泣く事が出来ないような日が来なくなるの?」
「はい」
もしそんな日が来るなら、わたしが生きた証が残せる。
アメリアみたいな死に方じゃなくて、意味のある死に方ができる。
真っ直ぐわたしの目を見つめるソフィーに、気付けば跪いて頭を垂れていた。
「わしたはソフィーがこの国の子供達のために戦う限り、あなたの力となります」
「ありがとう」
薄汚いアサシンは、この日王女を守る。そう、まるで騎士のような誓いを立てた。
「おはよう、クリス。そろそろ食事の時間だよ」
「ん~ぁ」
優しく揺らされて目を覚ました。
そっか、途中でレナと護衛当番を交代したんだっけ。
「おはよう、レナ。あの後何も無かった?」
「うん。特には無かったよ」
「そっか。あれ? ソフィーは?」
窓から差し込む光で太陽が大分高くなってるのを感じた。
昨日遅くまで起きてたし、ソフィーまだ寝てるのかな?
「クリスが起きるより大分早くエルザと一緒に出て行ったよ」
「えっ! ソフィー怒ってなかった? 護衛が居眠りしてて」
「私が起こそうとしたら、ソフィーが寝かせてあげてって言ったんだよ」
「ソフィーが?」
「うん。昨日一生懸命警護してくれたからって」
「そうなんだ・・・・・・」
「何かあったの?」
レナがわたしの顔を覗き込む。
「なんにもないわよ」
「ふ~ん」
レナは納得いかないような顔をするけど、昨日ソフィーと話した内容を言う訳にはいかないよね。
なにより恥ずかしいし。
「それより、みんなご飯食べちゃった?」
「もう少ししたらアーダが来るんじゃないかな? クリスが良く寝てたから朝食の時間遅くしてもらったから」
「レナ、ありがとう!」
思わずレナに抱きつく。
「大げさだよ」
「そんな事無いよ。夜起きてたから、レナと交代する前にはおなか減ってたし。朝食抜きなんて言われたら死んじゃうわよ」
「クリスらしいね」
おっ、笑ったわね。
わたしがにやにやすると、レナは表情を緩める。
ちょうどその時扉がノックされた。
「どうぞ」
わたしが答えると、アーダが朝食を載せたワゴンを押して部屋に入ってきた。
「おはようござます。朝食の準備を始めていいですか?」
「アーダ、待ってたわよ~」
「お嬢様はお腹ぺこぺこです。早く用意してください」
レナがふざけると、アーダが笑いながら答える。
「かしこまりました。腹ペコお嬢様のために、急いで用意いたします」
「ちょっと、誰が腹ペコお嬢様よ」
わたしが言うと、二人が同時に指差す。
「やめてよアーダまで」
「すみません。でも、レナさんからクリスさんの事いろいろ聞いて……」
レナを見ると、笑ってるじゃん。
「だって、せっかく朝食を運んで来てくれたアーダに出直してもらうんだもん。ちゃんと説明しないとね。それに、途中からソフィーも一緒になって説明してくれたから」
ソフィーまでなにやってるのよ。
「もう、いいわ……」
「でも、おかげでアーダが普通に接してくれるようになったよね」
言われてみればそうね。
「すみません。クリスさんの話を聞いてるとおかしくて」
なんか引っかかるけど……
「まあいいわ。それより朝ごはん用意してくれるのよね」
「はい! すぐ用意しますね!」
元気に答えたアーダがテキパキとテーブルに食事を並べる。
アーダにお礼をすると、レナと一緒にお食事タイムを満喫する。
「お肉おいひぃ」
やっぱりお城の食事は最高ね。
「それよりクリス。そろそろ時間じゃないかな?」
「時間?」
ちょと驚いた顔をするレナ。
「ここに来る途中、教官長に言われた事覚えてない?」
ん? 髭何か言ってたかしら?
わかしが首を傾げると、レナが説明してくれた。
「一日一回お城の外に誰かやるから、一日の事を報告するように言われたじゃない」
「そうだっけ?」
「レナはソフィーに会えるのがうれしくて、話聞いてなさそうだったもんね」
「そんな事無いわよ」
クスっとレナが笑う。
「それで、私とクリス。どっちが報告に行く?」
うーん。そうね……
「ずっと部屋にいると息が詰まっちゃうから、わたしが行っていい?」
レナはうなずき返してくれた。
「あれ? ジョンじゃない」
お城の裏口から出てぐるっと正門に向かうと、きょろきょろと落ち着きのない様子で辺りを見るジョンがいた。
わたしが近づくと、気付いたジョンがほっとした表情で手を上げる。
「どうしたのこんな所で? もしかして脱走!?」
「んなわけあるかい!」
「急に大きな声出さないでよ。分かってるわよ、そんな事」
「俺が悪いのか?」
不満そうな顔で何かぶつぶつ言ってたけど、気を取り直してわたしを見る。
「昨日有った事を報告してくれ」
「そうね~。ご飯はとっても美味しかったわよ。特に肉料理が最高ね」
ジョンががっくり肩を落としてつぶやく。
「誰だよ、クリスなんかを護衛役にした奴は……」
「あ、わたしを呼んだのはソフィーだから、ソフィーにジョンが文句を言ってたって言っといてあげるわね」
「勘弁してくれ」
「まあ、冗談はこの位にして、特に何もなかったわよ」
「何も?」
「うん。昼間の警護は騎士団の人達がやってるし、わたしとレナは夜の見張りだけだしね」
「そうか。じゃあ教官長には異常なしって言っとくな」
「よろしく。それで、そっちは変わった事ない?」
「ん~、特には無いな。そういえば、リベットの奴の顔をあまり見なかったな。クリスがいなくて張り合いが無いからかな」
「どっかでさぼってるんでしょ。わたしが帰っても訓練の時に来なきゃいいのに」
「それは無理だな。リベットはクリスをいびるのを生きがいにしてるからな」
「ちょっとやめてよ」
考えただけでげんなりしてきた。
「まあ、今のうちに羽を伸ばしとくんだな」
さっきまでとは打って変わって嬉しそうなジョン。
「そういえば、ジョンはここまで一人で来たの?」
「んな訳ねえだろ。教官長と一緒だよ」
「なんだ、てっきり一人で好き勝手やってると思ったのに」
「だったら良いんだけどな。きっと俺達に分からない様に様子を伺ってると思うぜ」
「そうよね。せいぜい外に出られたからって浮かれないようにしなさい」
「なに言ってんだおまえ。浮かれるに決まってるだろ。クリスとレナと違って、俺は外に出るの何年ぶりだと思ってるんだよ」
ジョンの言葉に小さく笑う。
「なんだよ?」
「大した事じゃないわよ。多分、髭はワザとわたし達に見えない所にいるんだと思ってね」
「どういう意味だ?」
「自分が煙たがられると思ってるのよ」
「?」
髭が一緒にいたら、嫌でも組織の命令で動いてるって意識しちゃうもんね。
「まあいいわ。じゃあ今日の報告は終わりね。明日もジョンが来るの?」
「ああ、そうみたいだ」
「そ、じゃあ気を付けて帰ってね」
「ああ、じゃあな」
手を振ってジョンと別れる。
「さて、今日もお仕事しないとね」
気合を入れてソフィーの部屋に戻る。