表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/20

1

わたしは乱れる呼吸を必死になだめながら、目の前の敵を見る。

敵の瞳には、黒髪の華奢な少女が映っているというのに、髪の毛一本ほどの隙も見つけられない。

全く慢心の無い仕事熱心な敵に、心の中で舌打ちしながら、女の子の手でもなんとか扱う事の出来るダガーを握り直す。

敵の持つショートソードに比べれば見劣りする武器だったが、これが今のわたしの持つ唯一の牙だった。

お互い相手の出方を覗っていたが、わたしの呼吸が整いつつある事に気付いた敵は、体力の回復する時間を与えまいと一気に攻め立ててきた。

何度目かになる敵の果敢な攻めを、わたしは紙一重で避け続ける。

敵の無精ひげの間から漏れる息が荒くなり、お世辞にもハンサムとは言えない顔が疲労により歪みだす。

段々攻撃に鋭さが無くなり、焦りからか大振りの攻撃が来た瞬間、わたしが攻撃に転ずる。

ダガーの様な武器では、上手く敵の急所に当たらなければ殺す事は出来ない。

わたしの様なか弱い女の子なら余計だ。

敵の急所を狙い連続で突く。

突然のわたしの連続攻撃に、敵は防戦一方に追い込まれる。

そして、敵が致命的な隙を作った瞬間、わたしはダガーを腰だめに構えながら体ごとぶつかる。

勝った!

だが、わたしがそう思った瞬間、敵はそれを待っていたかのように、今までの疲れを感じさせないステップで避けると、わたしの背中を蹴り飛ばす。

自分の踏み込む勢いに、更に敵の蹴りを受けたわたしは無様に地面を転がる。

敵は、仰向けになったわたしが立ち上がるより早く駆け寄ると、切っ先をわたしの喉元に突きつける。

その瞬間わたしは悟った。

敵の攻撃が雑になったのは疲れのためなどではなく、わたしの隙を作るためだったのだ。


「殺しなさい」


「……」


わたしの言葉を聞いた敵は、唇を吊り上げる。

その表情には獲物をいたぶる猫科に通ずるものがあった。

わたしをいたぶるつもり?

負けた悔しさを隠すために敵を強く睨みつけると、今までだんまりを決め込んでいた敵が黄色い歯を見せながら口を開く。


「ただの訓練で何を言ってるんだ、お前は?」


刃の潰したショートソードを鞘にしまいながら、教官長が呆れたような表情をする。


「だって、今日の晩御飯のスープを賭けていたのよ! コルト教官長に負けたせいで晩御飯が固いパンだけなんて……、死んだ方がマシよ!」


教官に攻撃がガツンと当たれば仲間からスープを貰えたのに。

だいたい今日の戦闘訓練の担当は、あんたじゃなかったはずでしょ!

なんで直前におなか壊すのよ、ずっとトイレで暮らせばいいのよ、リベットの奴。

わたしが心の中で戦闘訓練が苦手な教官の事を罵っていると、コルト教官長がため息をついていた。


「……お前、教官との訓練で仲間と賭けをするな。それと、訓練中俺に失礼な事を考えてなかったか?」


げっ! もしかして口に出してた?

思わずわたしが口ごもると、コルト教官長は何かを察したのだろう。


「……もういい、お前はそこで少し休んでいろ」


心底疲れた様に言う。

ふん、休んでて良いならしっかり休ませて貰うから。

辺りで仲間達が必死に訓練している広場で、わたしは大の字で横になって空を見る。

汗で額に張り付いた前髪を払い、どこまでも青く澄み渡る空を見て、わたしがここに来た時もこんな空の色だったな~と、ぼんやり考えていた。




◆◆ ◆ 




3年前―――




「ふぁ~」


大きく伸びをしながらお父さんの手作りのベッドから体を起す。

家の隙間から吹き込む冬の冷たい空気に、思わず暖かいベッドに戻りたくなったけど、がまんがまん。

一緒に寝ていた妹に薄い毛織物をしっかり掛けてあげると、日課の水汲みをするために寝巻きから着替える。


「おはよう」


目隠しの板で囲まれた寝所から出ると、そこには、お父さんとお母さんが向かい合ってテーブルに座っていた。

あれ、普段ならこの時間には、お父さんは地主さんの所で畑仕事をしているはずなのに、どうしたんだろう?

珍しい光景にわたしが戸惑っていると、お父さんが笑いかけてくれた。


「おはよう、クリス」


この所ずっと難しい顔をしていたお父さんだったけど、今日はいつもみたいに優しい声をしていた。


「今日はお仕事に行かないの?」


「ああ、今日は久しぶりに休みを貰ったんだ」


子供扱いされたくないから、浮かびそうになる笑みをこらえようとする。

妹がいるんだもん、お姉ちゃんがにやにやしてたらかっこ悪いじゃない。


「そうなんだ。じゃあ、エイミーが起きたら一緒に遊べるの?」


「もちろんだよ」


「それなら、水汲みすぐにすませてくるね」


妹のエイミーが目を覚ますまでに仕事を終わらせなきゃ。

急いで桶を持って家を出ようとすると、お父さんが一緒に桶のつり紐を持った。


「?」


きっとわたしが不思議そうな顔をしていたんだろう、お父さんは頭をかきながらせき払いをした。


「今日は一緒に水汲みをしようか」


今度こそわたしは笑みを浮かべてしまった。

だって、お父さんも笑顔だったんだもん。

だからその時気付かなかったんだ、お母さんがずっと下を向いていたことに。




水汲みを終えたわたし達は、エイミーが起きるのを待って村の外れに向かった。


「お父さんこっちだよ!」


「違うよ、こっちだよ!」


目隠しをしたお父さんに、わたしとエイミーが声を上げる。

ただの鬼ごっこだと、わたし達はお父さんに勝てないから、鬼は目隠しをする事にした。

もちろん最初の鬼はお父さんだ。

お父さんに捕まると、今度はわたし達が目隠しをして鬼にならなければならない。

だから必死だ。

わたしもエイミーも一生懸命に走り回る。

結局最後まで鬼はお父さんのままだった。

三人とも疲れて走れなくなると、たくさんお話をした。

お父さんは、いつもお仕事でなかなか話す時間が無いんだ。

エイミーも嬉しそうに今まであった事を話している。

そして、もうすぐ日が暮れる時間になりそうになると、三人で手をつないで家に帰る事にした。




「お母さん、まだ~?」


一日遊んで、すっかりお腹の減ったエイミーがテーブルで足をぶらぶらさせながらご飯を催促する。


「今出来たわよ」


お母さんが、困った子ねといった表情をしながらスープの入った器を並べる。


「あっ! 今日はスープにお肉が入ってる!」


我慢出来ずに自分のスープを覗き込んだエイミーが上げた声に、わたしも驚いて器を手に取る。

そこには、しばらく見ていなかったお肉が入っていた。

しかも、すごく大きいやつが!

そして、その後に置かれたパンを見て更に驚く。

だって、大きなパンが一人一つ出されたんだもん。

流石にわたしが驚きに固まっていると、お父さんがいつもの様に手を組み、神様に祈りを捧げる。


「今日の食事を与えていただきました事を感謝いたします」


わたし達も慌てて祈りの言葉を捧げる。


「それじゃ、食べようか」


お父さんの言葉を待ち構えていたエイミーは、パンに必死にかぶりつく。

だけど、わたしは食事に手を伸ばさずに、両親を見る。

それはそうだろう、突然こんなご馳走が目の前に出されたら不安にもなる。

だって、わたしの家は裕福じゃない。

お父さんとお母さんは、わたし達にご飯を食べさせるために、自分達は何も食べない日だってある。

スープだって、普段は野草が入っているだけだ。

わたし達の誕生日だって、良くて少しの豆の入ったスープと、半分にしたパンがせいぜいだった。

もちろん着ている服だって、もうボロボロだ。


「どうしたんだい、クリス。せっかくのスープが冷めてしまうよ」


「だけど……」


わたしが口ごもると、お父さんがスープを一口飲む。


「うん、今日のスープはとても美味しいよ!」


お父さんが微笑む。

わたしはお父さんと目の前に置かれた食事とを何度か見た後、スープに口を付ける。


「おいしい!」


お肉のうまみと、ほんの少しの塩気にわたしは思わず声を上げた。


「おいひいね、お姉ちゃん」


口に食べ物を詰め込んだままエイミーが満面の笑みを浮かべながら言う。

普段なら注意するところだけど、わたしだってそれどころじゃない。

お父さんとお母さんには言わないようにしていたけど、最近は背が伸びてきたからか、いつもお腹がすいていた。

ずっと我慢してたけど、今日の食事は一心不乱に口に運ぶ。

全部食べ終えると、本当に、すごく久しぶりにお腹一杯になった。

目の前では、お腹一杯になったエイミーがこっくりこっくりしている。


「エイミーを寝かせてくるわね」


お母さんがエイミーを抱き上げると、家の隅に置かれたベッドに向かった。

運ばれる最中、エイミーが食べかけのパンを離さないように、ぎゅっと握り締めているのを見て、わたしは可笑しくて笑い出しそうになるのをこらえる。

お父さんにも教えてあげようと隣を見ると、お父さんは怖い顔をしてわたしを見ていた。


「どうしたの、お父さん?」


「クリス、落ち着いて聞いて欲しい事がある」


「えっ? 何?」


「明日の朝、国の人がお前を迎えに来る」


「えっ!」


突然の事に頭の中が真っ白になる。


「今のままだと、食べ物が足りなくてみんな餓死してしまうんだ。丁度、国が使用人として働ける子供を捜していた。それで、お前を迎えに来てくれるように頼んだんだ」


「やだよ! わたしお父さんとお母さんと離れたくないよ!」


「分かってくれ、クリス。このままだと、エイミーも食べ物が無くて死んでしまう。お前も、いつもお腹を空かしているだろう? 使用人として働きに行けば、食べ物の心配は無くなるんだ。分かってくれ!」


「……」


わたしは唇をかみ締める。

いやだよ!

そう言いたい。

だけど、もうお父さんの言っている事が理解できる。

これからエイミーも大きくなる。

きっと、お父さんとお母さんの食べる分が無くなっちゃう。

だから、お姉ちゃんのわたしが我慢しなくちゃならないんだ。

わたしがこの家から出て行けば、エイミーの食べる分は有るはずだ。

お父さんと、お母さんもご飯を食べる事が出来るんだ。

わたしだってうすうす気づいていた、この村の子供が時々いなくなっている事に。

大人達は親戚の所に行ったって言うけど、みんな帰ってこない。

きっと売られちゃったんだ。

この歳まで家にいられたわたしは、きっと幸せなんだね。

どれくらい考えていたんだろう?

うつむいているお父さんに、しぼり出すように言う。


「……わかったよ、お父さん……」




「すまない、クリス。ありがとう……」


それっきり黙りこんだお父さんを残して、ベッドに向かう。

辛そうにしているお父さんを見ていたくなかったから。

すやすや寝息を立てているエイミーを起さないように、そっとベッドに入る。

だけど、頭の中にはお父さんのいった言葉がぐるぐると回っていた。




結局一晩中寝付けなかったわたしは、日が昇ると同時にベッドを出た。

しばらくエイミーの寝顔を見つめた後、目隠しのために立てかけられている木の板の合間から出る。


「おはよう、クリス」


そこには、昨日と同じ椅子に座っていたお父さんがいた。


「おはよう、お父さん。……もしかして寝てないの?」


真っ赤な目でわたしを見つめるお父さん。


「いや、少し寝たよ」


弱々しい笑顔を浮かべる。


「迎えはいつ来るの?」


「もうそろそろだよ」


きっとエイミーがいれば、別れるのが辛くなる。

だから、エイミーが起きる前の時間にしたんだ。


「お母さんは?」


「ミルクを貰いに行ってる。もう少ししたら帰ってくるよ」


わたしは頷くと椅子に座る。


「クリス、本当に……」


何か言いかけるお父さんの言葉をわたしは遮る。

だって、お父さんの苦しそうな顔なんか見たくなかったから。


「お父さん、今までありがとう」


わたしが言うと、お父さんは俯いたまま口を開く事はなかった。








気付けばわたしは、ガラガラ音を立てながら馬が引くぼろぼろの荷台に座っていた。

抜けるような青空に目を向ければ鷲が飛び、遠くに目を凝らせば野生の鹿が見える。

村からあまり出た事のないわたしには、どちらもほとんど目にしたことが無い。

だが、それらを見てもわたしの心は浮き立つ事はなかった。

それもそのはず、だってわたしは、今日親に売られたのだから……




それからいくつかの村を回ったわたしの乗る馬車には、いつの間にか7人の子供が乗っていた。

最後に寄った村を出発する時に、馬車を操っていた御者の人が「帰る」と小さく言った。

これからわたしが仕える主人の下に向かうのだろう。

あらためて荷台を見渡してみると、わたし位の子供ばかりだ。

子供ばかりこれだけの人数を必要とする家など無いだろう。

なにせ子供だ、出来る事も限られる。

ならば、ばらばらの家に降ろされるのかな?

考えても仕方が無いので、みんなの邪魔にならないようになるべく隅で横になっていよう。




「おい、起きろ!」


わたしが目を開けると、不機嫌そうに睨みつける髭面の男の顔が目に飛び込む。


うそ!?

わたし寝てたの!?


周りに他の子供の姿が無い所を見ると、そうなのだろう。

くっ、こんな所で熟睡するほど無神経だったかしら。

落ち込むわたしの事なんか考えずに男が話しかける。


「まったく、今までここに来た子供の中で、熟睡してたのなんてお前ぐらいだ。俺が気付かなかったら、馬小屋で馬と一緒に寝る事になってたぞ」



「別に好きで来た訳じゃないし、馬小屋でも構わないよ、わたしは。寝る子は育つって言うし」


目を白黒させた男は、今度はため息を付くと大げさに肩をすくめる。


「何でも良いから早く来い。先に降りたみんなが待ってるぞ」


えっ、そうなの?

てっきりバラバラの所に降ろされると思ってたのに。

だったら、早く降りないと。

わたしがいそいそと荷台から足を下ろすと、男はまたため息を付く。


「何?」


「結構図太い神経してるんだって思ってな」


むぅ、そんな事初めて言われた。

そんな事より、みんなの所に早く行かなきゃ。

男を無視して歩き始めると……


「おい、そっちじゃない」


分かってるわよ、馬車が邪魔だったから遠回りしただけよ。

わたしがずんずん進んでいくと、後ろから男が右だ左だ言って来る。

そうして、いくつかある建物の中でも大きな建物の前に辿り着いた。

わたしの家みたいに木で作られたのでは無く、石作りだ。

こんなお屋敷に住んでるのは、どんなお金持ちなんだろう。

うちの村の村長だって、木で出来た家に住んでるのに。

もちろん、わたしの家より数段良い家だけど。

わたしが建物を見上げていると、後ろにいた男が扉を開けて振り返る。


「勝手に中へ入ると思ったが、怖くなったのか?」


「そんな訳無いでしょ? 招待された訳じゃないのに、勝手に人の家の中に入ったら失礼じゃない」


何当たり前の事聞いてるのかしら?

その上人の顔見て笑ってるし、本当失礼ね。


「まあ、招待されている訳ではないが、入ってくれないか? これが終わらないと、俺は家に帰れないんだ」


ふん、あんたが家に帰れなかろうが知らないけど、この様子だと中でみんなが待ってる感じね。

入ればいいんでしょ。


わたしがニヤニヤ笑う男の脇を通って中に入ると、広いエントランスで二人の男が待ち構えていた。


「早くこっちに来い!」


イライラした様子で怒鳴る男達に、ほんの少し驚く。


「ああ、こいつは犬でいい」


髭の男(男ばっかりで分かりづらいので、髭の男と呼ぶ事にしてみた)が二人に手を振りながら言う。


「ですが、コルトさん。女の子供は……」


髭の男に下手に出る男達。

なに? この髭の男は、もしかして偉い人?

しかも、微妙にわたしを庇う位置に立ってるし、せっかく付けたあだなだったけど、コルトさんって呼ぼうかしら?

そのコルトさんは、見上げるわたしをチラ見して男達に言う。


「こいつは猫なんて無理だ。出された手に直ぐに噛み付く性悪猫にしかならない。図太い神経しているから、立派な犬になれる」


二人の男は顔を見合わせた後、しぶしぶといった様子で言う。


「分かりました。コルトさんがそう言うなら……」


「悪いな。あまり遅くなると、また泊り込みになるだろ? こいつが最後の子供だ、お前達はもう帰っていいぞ」


男達の顔が輝く。


「ありがとうございます!」


そう言ってそそくさとこの場を後にする。


「さて、お前はこちっだ」


さっさと歩き出す髭に遅れないように、わたしも歩く。

えっ、呼び方?

こんな奴、髭でいいわよ。

性悪猫とか、図太い神経とか、何なのよ!

ずんずん歩く男の背中に馬事雑言を投げつける。


「……何か言いたそうにしているな?」


髭が急に立ち止まる。


「滅相もございません。レディが殿方の悪口を言うなんて、ありえませんから」


「口には出さなくても、心では言いたい放題だもんな?」


げっ、もしかして口に出てた?


「図星か。一応俺は感謝されても……」


「?」


途中で言いよどむ髭を見ると、困ったような顔をしていた。


「ここだ、みんながいる」


急に真面目な表情になった後、髭が目の前の扉を開け部屋に入る。

ちょっと、気になるじゃない。

男が途中で言いかけた言葉を引っ込めるんじゃないわよ。

おっと、置いてかれちゃう。

慌ててわたしが入ると、そこは思ったより広い部屋だった。

中を見渡すと、一緒に馬車に乗っていた子供の姿も見える。

だけど、何より目を引いたのは、辺りに散らばる髪の毛と、大きな桶に満たされた真っ黒な水だった。

思わず手を握り締めると、わたしに気付いた熊の様な男がやってきた。


「コルトさん、この娘が最後ですか?」


「ああ、そうだ」


髭が答えると、男はわたしの腕を掴む。


「ちょっと、痛い!」


見るからに力だけが取り柄といった感じの男にわたしが抗議すると、突然頬を殴られる。

体重が軽かったわたしは、そのまま床を転がり扉にぶつかった。

突然の事にパニックになりつつも、わたしを殴った男を睨みつける。


「何だ、その目は!」


わたしの態度に怒った男が大きな足音を立てながら向かってくる。

怖い。

だけど、歯を食いしばりながらわたしは視線を逸らさない。

目の前で立ち止まった男が拳を振り上げる。

なんだかよく分からないけど、あんたみたいに力で相手を従えるような奴になんか負けないから!

殴られても、目は閉じないで睨もうと覚悟を決める。


「やめろ」


だけど、男の振り上げた拳は髭の言葉で遮られた。


「ですが、コルトさん」


文句を言う男を手で押しのけて、髭がわたしの前に立つ。


「手間をかけさせるな。意地を張っても痛い思いをするだけだぞ」


「あんな力でつかまれたら、誰だって痛いわよ」


「そうだな。その事は謝る」


髭の言葉に男は不満の声を上げるが、髭に睨まれるともごもごと口ごもった。


「だがな……、お前は売られて来たんだ。意地を張ってもいい事は無いぞ」



少し視線を逸らしながら言った髭の言葉が、わたしの胸に突き刺さる。


「そんな事分かってるわよ。だけど、わたしは使用人として連れてこられたんでしょ? こんな事しなくてもいいじゃない」


頬に手を当てながら言う。

わたしの目には、悔しさからか、痛みからか分からないけど、涙が浮かんでいた。

わたしを見ていた髭が、つぶやく様に言う。


「……お前は、お前達は使用人になるために来たんじゃない。アサシンになるためにここに来たんだ」


「えっ、何それ?」


「本当はみんなそろった所で話す予定だったが、このまま暴れられても困るからな」


アサシン?

どこかで聞き覚えの有る言葉を思い出す。

えっと、それってたしか誰かの後ろから近づいて、人を殺す職業だよね。

流石わたし、記憶力にはちょっと自信あるんだ。

って、そんな事はどうでもいい!


「何それ! そんなのわたし嫌だよ!」


「嫌だというのなら、死んでもらうしかない」


髭がわたしに向ける目には、まぎれも無い殺気があった。

先程までの、どこと無く愛嬌のあった表情からの急変に、わたしは口を開く事が出来なかった。


「最初に、この部屋で髪を切り、黒く染めてもらう」


髭が無表情で告げる言葉に、わたしはいやいやをするように首を振る。

黙ってわたしを見下ろす髭に、一人の男が話しかける。


「コルトさん。向こうに……」


髭が視線を向けた先を、わたしもつられて見る。

そこには、短く切られた髪から黒い液体を滴らせながらうずくまる子供がいた。


「どうしたんだ?」


髭が聞くと、困った様に答える男。


「ロケットを首にしていたので、取ろうとしたら……」


そう言いながら男達は、手に握り締めた物を守るために、亀のようにうずくまる女の子を見下ろす。

男が無理やりにそれを奪おうとするが、女の子はどこにそんな力が有るのか、なんとか奪われないように守っていた、

だけど、いつかは取られてしまう。

あれだけ必死に守ろうとする物なんだもん、きっと、とても大切なものなんだろう。

そう思ったら、自分でも気付かずに髭に話しかけていた。


「あれだけ嫌がってるのよ、取り上げないで」


「お前達はこれから新たな生活を送る。決して楽な日々ではない。だから、今まで有った事、過去の事を思い出すような物は処分する。昨日までの自分は死んだと思え。でなければ、本当に死ぬ事になる」


「でも、大切なものを無理やり取られたら、そっちのほうが辛いと思う。それこそ、明日からの生活に絶望するくらい」


髭は黙ってわたしを見る。

正直、怖い。

だけど、大切なものを奪われるのも、奪われるのを見るのも嫌だった。

わたしと同じく、家族を奪われたあの子の、最後に残った大切なものなんだから。

だから、ありったけの勇気をかき集める。


「大切にしてたものが奪われた事が切っ掛けで、女の子が無気力になったら困らない? だって、わたし達をアサシンにするのが仕事なんでしょ? 最初から脱落する子がいたら、怒られるんじゃないの?」


必死に話すわたしを髭が黙って見つめる。

もう一押しと、自分自身に言い聞かせる。


「もし、その子の大切なものを取り上げないって約束するなら、わたしの髪を切って黒く染めても良いから。そうすれば、脱落する子供が二人減るよ。そっちの方がいいんじゃない?」


言いたい事は全て言った。

後は髭の答えを待つだけ。

震える拳を握り締めながら待っていると、髭が溜め息を吐く。


「さっき言った事に追加して、お前がその子供の面倒を見ろ。泣こうがわめこうが、これからの訓練に必ず連れ出せ」


やった!

わたしは髭に頷く。


「おい、誰かこいつの髪を切って染めてやれ。それと、腕はつかむなよ、騒ぐからな」


ふん、髪を切るって約束したんだもん。

騒いだりしないよ。

わたしは、髪を切るために用意された短剣をつかむと、自分で髪を切り落とす。

折角伸ばした髪だったけど、仕方が無い。


「髪の長さこんな感じで良かったら、さっさと染めて。なんだか、これに触ったら手が荒れそうだから」


黒い液体の注がれた桶の隣に立つ。

だけど、男達はなぜかわたしを見るだけで、誰も近づいて来ない。

えっ、これも自分でやらなきゃだめなの?

恐る恐る桶に手を伸ばそうとすると、髭が止める。


「俺が染めてやる。そこに座れ」


よかった。

ほっとしてわたしが座ると、頭に染液を塗りながら髭が話しかけてきた。


「あの子供のために、なんでここまでする?」


「もう嫌なの、奪われるのも、奪われる人を見るのも」


「そうか……」


それっきり髭は喋らなかった。

ただ、わたしの髪の毛をすく手は、とても優しかった。


わたしの髪全部が黒くなると、髭はうずくまったままの女の子を指差す。


「無理やり連れて行くのと、自分の足で歩かせるのと、どっちがいい?」


そんな事、決まってるでしょ。

女の子の横に座ると、背中をさする。


「もう大丈夫よ。あなたの大切なものは取られたりしないから」


背中をゆっくりさすりながら何度も同じ言葉を繰り返す。

しばらくすると、少女がほんの少しだけわたしを見る。


「わたしはクリス。もう平気だから。あなたのものを取ろうとする大人達は近くにいないから」


少女が不安そうに辺りを見回すと、部屋の中にはわたし達しかいなかった。

髭の奴、みんな連れて部屋から出て行ってくれたんだ。

やるじゃん。

わたしは髭の評価を、心の中で若干修正する。


「名前は何ていうの? 教えてくれないかな?」


「……レナ」


「そう! レナって言うのね! いい名前ね!」


ここでわたしは精一杯の笑みを作り、レナの不安を少しでも減らそうとする。

あまり遅くなると、男達がしびれを切らして入ってくるかもしれないから。


「本当に取られたりしない?」


レナの不安そうな瞳を見ながら、大きく頷く。

ここでわたしがしっかりしないと、レナが安心できない。


「コルトと約束したから。レナの大切なものは取らないって。あっ、コルトって言うのは、髭を生やしていて、ここにいた男達の親分だよ」


「本当?」


「うん本当」


わたしの言った事を信じてくれたみたいで、レナは恐る恐るといった様子で座り直す。


「ありがとう」


安心からか、解かれた緊張からか、レナの瞳に涙が浮かんでいた。


「いいよ、別に大した事したわけじゃないし」


レナは大切な物を胸に抱きかかえながら、首を振る。


「本当にありがとう……」


「いいって言ってるのに。それより、他の部屋に行かなきゃいけないみたい。行きましょ」


立ち上がってレナに手を差し出す。

恐る恐る差し出したレナの手を力いっぱい握って立たせる。

そして、レナが怖くならないように手をつないだまま部屋を出ると、廊下の壁にもたれかかり、目を瞑っていた髭がいた。


「終わったのか?」


レナの体が一瞬強張る。

わたしは手を強く握り締めると、髭に答える。


「ちょっと、もう少し愛想よく出来ないの? レディには、やさしくしないとね」


「レディ? 誰がだ? ガキは厳しく躾けないとな」


「ふん。すごい美人になって、絶対後悔させてやるから」


髭はジロジロわたしを見た後、肩をすくめ歩き出す。


「期待しないで待っている」


ぐっ、失礼な。

確かに今は胸も無いし、ガリガリだけど、きっといい女になって見返してやる。

心に誓うと、髭の後について行く。

隣を歩くレナを見ると、髭とわたしのやり取りに、多少は残っているけど上手く緊張がほぐれたみたいだ。




廊下を少し進み、扉の前で立ち止まると髭が振り返る。


「中にお前達の仲間がいる。少ししたらこれからの事を説明するから、中で待っていろ」


「分かったわよ」


髭に答えて部屋に入る。

そこは大きな部屋で、髭の言ったとおりここに連れて来られた子供がみんないるみたい。

上はわたし位の子、下は大体エイミー位の子がいるから、三歳くらい年下かな。

軽く人数を数えてみると30人位で、その内8割近くが男の子だった。

レナが不安そうに辺りを見回しているから、大丈夫と声をかけて部屋の片隅に固まっている女の子達の所へ向かう。


「こんばんは。ここに座っていい?」


女の子達の半数は泣いていて、残りの半分はじっと床を見つめている。

誰も返事をしてくれないけど、まあいいか。

空いている場所に座ると、レナにも座るように床を叩く。


「お腹減ったね」


誰も答えてくれない。

あ、レナだけは反応してくれた。

えっ? 減ってない?

お腹減ったの、わたしだけ?

髭の図太いっていう声が聞こえた気がする。

なんか、髪も濡れてるから気が滅入ってくる。

男の子達も静かだし。

仕方が無い、疲れたし、少し横になってるか……




ゆさゆさ体が揺すられる。

ちょっと待って、今ご飯食べてるんだから。

目の前にあるパンを取ろうとすると、パンが転がり逃げ出す。

ちょっと待ちなさい!

わたしが追いかけると、右に左に転がって上手く取れない。

だけど、このわたしから逃げられると思うな、パンのくせに!

お父さんとした鬼ごっこや、年上の男の子とした鬼ごっこの時だって、わたしはつかまった事が無いんだから。

わたしから逃げたいんだったら、空でも飛んでみる事ね。

ほら、捕まえた!

口を空けると、思いっきり噛み付く。


「痛っ! おい、お前寝ぼけてないで起きろ!」


「なひぃ? 生意気、このパン喋る」


「馬鹿! これはパンじゃない、俺の手だ!」


あれ? わたし目瞑ってる。


「げっ! 髭!」


慌ててごつい手を吐き出すと、口を拭う。


「お前……。ここまでいくと、図太いんじゃなくて単なる無神経だな……、早く立って後ろへ並べ」


髭は手をさすりながら前のほうへ行った。

あれ、みんな立ち上がってわたしを見てる。

あ、隣にレナがいるから、わたし達か。

レナも恨めしそうにわたしを見てる。

えっ、起そうとしたけど起きなかった?

そりゃそうよ、今まで寝相の悪いエイミーと一緒に寝てたんだもん。

やさしく揺すられたって、起きるわけないじゃん。

さて、髭に怒られる前にさっさっと並ぶよ。

あくびを我慢しながらわたし達が並ぶと、前の方でこちらを向いた髭が話しだす。


「急にこんな所に連れて来られて、不安に思っている者もいるだろう。親元に帰りたいと思っている者もいるだろう。だが、ここにいる君達は、それぞれ連れてこられた事情は違うだろうが、全員売られてきた者達だ。君達に帰るべき場所はもう無い。そう、今日からここが、この組織が君達の家になる。そして、君達は組織に敵対する者を誅する事が課せられる」


ここで言葉を切った髭はみんなを見渡す。

自分達が売られて来た事はみんな分かっていると思う。

だけど、その後に言っている事が理解できないから、どう反応していいかわからないんだ。

一瞬髭と視線が合う。


「君達は、明日から訓練を積み、暗殺者となる。拒む事は許されない。この組織から出る時は、死体となった時だけだ。もちろん、逃げ出した者は、追っ手によって死が与えられる」


回りから悲鳴が上がる。


「今日から君達の過去は捨ててもらう。もちろん名前もだ。君達が訓練を終了した暁には、組織に敵対する者達は、黒髪の子供に怯え恐怖するようになるだろう。君達の活躍に期待する」


泣く子供、叫ぶ子供、そして、髭の言っている事が理解できない子供がぽかんとしている。

だけど、ここにいる子供達はみんな混乱していた。

レナは平気かな?

心配して見ると、レナは取り乱す事も無くじっと髭を見ていた。


「レナ?」


「?」


レナがキョトンとした瞳でわたしを見る。

何だろう?

なんか違和感があった気がしたんだけど……

まあ、いっか。

騒がしい部屋の中でなぜか見つめあうレナとわたし。

すると突然、髭の後ろに並んで男が前に出ると怒鳴る。



「静かにしろ!!」


子供たちの声が徐々に小さくなる。


「いつまでも騒ぐな! 舌を切り取られたいのか!」


そんな事出来ないくせに、顔を真っ赤にしながら男が叫ぶ。

だけど男の言葉に、部屋の中は静まり返っていた。


「後ろの奴から一人ずつ隣の部屋に行け」


男が押し殺した声で言うが、みんなその場所から動けなかった。


「一人ずつ連れて行け!」


男の言葉を合図に、一人ずつ無理やり隣の部屋に連れて行かれる。

そして、わたしの番がやってきた。


「自分で行くよ」


腕をつかもうとする男に言うと、レナに笑いかけて隣の部屋に向かう。



「きゃっ! 急に何よ!」


部屋に入った瞬間、引きずり倒された。

無理やりうつ伏せに押さえつけられたまま、右腕の服をたくし上げられる。

必死に振りほどこうとするけど、男二人がかりだから、ぴくりとも動かない。

顔を上げると、鉄の棒を持った男がいやらしい笑みを浮かべている。

なにこれ? 嫌な予感しかしないんだけど。

大体、こういう予感は当たるものだ。

鉄の棒を肩に押し当てられると、肉の焼ける音と同時に激痛が走る。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!」


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

逃げようとするけど、押さえつけられてるから体が動かない。

しばらくして焼きごてを離される頃には、汗だくになっていた。

荒い息を繰り返していると、男は違う棒を持って目の前に立つ。


「止めて! お願いだから!」


きっと涙を浮かべていただろう。

だけど、男は薄笑いを浮かべてまた肩に熱した鉄の棒を押し当てる。


「いやぁぁぁぁぁっ!」


わたしはこの時浮かべていた男の顔を忘れないだろう。

子供が苦しむのを見て喜ぶ男の顔を。

気を失いそうになる位の痛みの中、不幸にも意識を失わなかったわたしは、廊下にたたき出される。

そこには髭が腕組みをしてわたしを見下ろしていた。


「気を失わなかったのか……」


声には哀れみを含んでいた。


「どうしてこんな事をするの!?」


頬から落ちる涙を拭う事も出来ないわたし。


「今日からお前は名前を失った。その肩に刻まれた番号がお前の名前になる」


恐る恐る肩を見ると、『13』と刻まれていた。


「ひどいよ! ひどいよ……」


ただ繰り返すわたしを、髭はずっと見ている。

その横を、男達が意識を失った子供を物の様に運び、部屋に投げ入れていた。

そして、いつの間にかわたしは意識を手放していた。

この日の夜、なぜかわたしは、お父さんに抱きかかえられてベッドに運ばれた夢を見た。

そんな事あるはず無いのに……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ