目覚めのよくない
今年で45年。人生は戦いの日々の連続であったと言える。
多忙にかまけ、独り身で過ぎてきた。愛しいと思える存在は居なかった訳ではないが、その方が都合がよいを言い分に、そうして生きてきた。だが、今や無為に流れていくばかりの劣勢の時。変わりゆく風景に目をやることもなく、社会の人々の機微にも疎く。無残な灰色のコンクリートに囲まれ、渇き閉じ籠った毎日、遠からず終わると思えていた。
しかし、ふと便りに聞いて、また、気なしにだが外の空気に触れて。目に映る、色付き出す草木の息吹き、光眩い太陽の輝き。そこかしこに感じられる訪れ、45年の春。
何やらふわふわして、どきどきした。湧き出ること、跳ねること。
足元が落ち着かないのは、身の回り、大きく周囲が崩れそうになっているからでも。八方塞がりの状況が全体図、尚一層のことだからでも。
あるが、今さらでも迎えた春の時節。
眠りは終わり、自身の男子たるものが昂る。誰が止められよう、誰も止められはしない。論理的ではない。そう、無謀と蔑む者も居よう。理屈でもない。そう、泥濘にまみれるだけと罵る者も居よう。
だが、春は訪れたのだ。最後の攻勢になろうとも。
待たせた彼女にも伝えなければならない。この作戦が成功した暁には。
『春の目覚め』
45年3月某日、発動。
ハイル、ヒュウラー