二人の悪役
とあるセリフを言わせてみたいがために、初めて書いてみた悪役令嬢ネタです。
6/13追記
はじめて日間のランキングに入りました。
たくさんの評価とブックマークありがとうございます!!
「アンジェリカ・サザーランド、君との婚約は破棄させてもらう」
高らかに言い放ったのはアンジェリカの婚約者であるオズワルド・マーティンソンだった。彼の腕には華奢で小柄な少女がすがりついている。
豊かな胸を強調するように、彼の腕に密着させた体は小刻みに震えているが、頬は薔薇色で口元はごく僅かに弧を描いていた。怯えているように見せてはいるが、彼女がこの状況に喜びを覚えているのは明らかだ。
それに一切気づかず、彼女を労るように抱き寄せながらこちらを睨みつけるオズワルドには、もはや呆れしかない。
(情はあったはずなのですが……私って自分で思っている以上に薄情でしたのね)
射るようなオズワルドの視線などものともせず、アンジェリカはそっとため息をついた。いつの間にか誇りと矜持をどこかに捨ててしまった婚約者と、彼に対して冷めた想いしか抱けない自分に向けて。
「婚約破棄とのことですが、お話はもう少し落ち着いた場所でなさいませんこと? ここでは、他の皆様の昼食時間を奪ってしまいますわ」
アンジェリカの言葉通り、周囲では突然始まった騒動に気を取られて、食事の手が完全に止まってしまった生徒が多くいた。仮に皆が食事を続けていたとしても、昼時の学生食堂では落ち着いた話などできるはずがない。
「そもそもオズワルド様と私の結婚は両家の当主が決めたものです。いくら当事者とはいえ、オズワルド様の一存で破棄して良いものではございませんわ」
オズワルドとアンジェリカの婚約は、マーティンソン侯爵家の当主であるオズワルドの父と、サザーランド伯爵家当主であるアンジェリカの父が決めたいわば政略結婚である。当主の命で決められたものを一方的に覆すことなど、いくら次期侯爵といえどできるはずがない。
「父は説得する! 俺はリリアナを愛しているんだ! 彼女以外との結婚など受け入れられるはずがない!」
「オズワルド様……! 私もお慕いしております」
「リリアナ!」
「オズワルド様!」
目の前で抱き合う二人にアンジェリカの中に残っていた、なけなしの情が流れて消えていく。
これ以上馬鹿に付き合うのは時間の無駄だ。
「わかりました。私からも父に伝えておきますわ。マーティンソン侯爵様の説得が終わられましたら、我が家宛に正式な書状をお送りくださいませ」
くるりと踵を返す動作に合わせて、丁寧に手入れをしたプラチナブロンドの巻き毛が優雅に揺れた。食堂に差し込む日光に照らされて美しく輝く様子に、周囲の生徒たちの目線がアンジェリカに集中する。
そのまま立ち去ろうと思ったのだが、これだけの注目を浴びた状態で一方的に言われっぱなしのまま立ち去るのも良くない気がした。何より、彼らの振る舞いは貴族子弟としてあまりにも目に余る。
「最後になるかもしれませんが、ご忠告申し上げますわ。こんな人目のある場所で男女が抱きあうなんて、あなたがたには恥じらいや常識というものがないのですか? それと、リリアナ男爵令嬢。正式な婚約破棄の書状が我が家に届くまではオズワルド様は私の婚約者です。人の婚約者にそのように抱きつくなど、慎みがなさすぎます。貴女も貴族令嬢なら、己の身分に合った振る舞いをなさったらいかが? 今まで何度も申し上げておりますわよ?」
声を荒げるわけではなく、ただ淡々と事実を述べていった。
年頃の男女が人前で抱き合うなど、慎みがなさすぎる。破廉恥とみなされても仕方がない。
そして、もはや未練のかけらもないが、オズワルドがまだアンジェリカの婚約者であることも、今までも同じようにオズワルドに近づいていたリリアナにアンジェリカが忠告を繰り返していたことも、すべてが客観的な事実でしかない。
そのはずなのだが、ようやくオズワルドから体を離したリリアナの体が、先ほどとは比べ物にならないほど大きく震えていた。どこかで見たような仕草だと、アンジェリカは内心首をかしげた。
「私のことがお気に召さないことはわかります。でも、そんなに酷いことを仰るなんて……!! 私……私……!!」
大げさに首を振ると、涙をこぼしながらオズワルドにすがりつく。華奢な肩が小動物のように震え、チョコレートブラウンの髪から覗く頬には涙が光っていた。
(ああ……いつか見た演劇に似ているのだわ)
数ヶ月ほど前に両親と共に観劇した舞台では、身分違いによって引き裂かれる恋人たちの悲劇が演じられていた。いよいよ二人が離れ離れになるという場面で恋人にすがっていたヒロインは、華奢な肩を大きく震わせ、涙で頬を濡らしていた。
いささか過剰とも言える動きは舞台上であれば違和感がないが、昼時の学生食堂で見ると、逆に違和感しかない。
「悲劇に酔っていらっしゃるのね」
嘲るような声音になってしまったのも仕方がないだろう。両親と鑑賞した演劇は非常に素晴らしいものだったが、目の前で繰り広げられているものは正しく茶番だ。
しかも役者は三流以下となれば、これ以上は見るに耐えない。
「私という悪役が恋人との間に立ちふさがる、悲劇のヒロイン。貴女はご自分のことをそう思っていらっしゃるのではなくて? ちょうど、市井で流行の物語は、身分違いの恋に落ちた身分の低い女性が、男性側の本来の婚約者にいじめられながらも、愛を貫く物語と聞いておりますわ。まるで、オズワルド様とリリアナ様、そして私のようだと」
リリアナも男爵令嬢であり、れっきとした貴族なのだが、あえて身分の低い女性という表現をした。実際流行している物語では貴族の屋敷で下働きを務める平民の女性なのだから、間違いではない。それに、アンジェリカから見れば彼女はただの小娘。伯爵家令嬢として誇り高く育てられたアンジェリカからすれば、知識も教養もない、自分よりも低位の女性にしか見えなかった。
「お前はリリアナをいじめていたのか!?」
「物のたとえですわ、オズワルド様。彼女の貴族らしからぬ振る舞いに忠告は申し上げましたが、まさか私がリリアナ様をいじめるなんて。そんなこと、するわけないではないですか」
こんな小娘をいじめる価値もない、と言わんばかりに、アンジェリカは穏やかな微笑みを浮かべた。リリアナにつられて芝居がかった仕草になってしまったことに少し反省する。
「貴女にとっては、ご自身が悲劇のヒロインなのでしょう。ですが、私の人生は私が主役。私から見れば、貴女こそが定められた婚約を破棄させようとする悪役ですわ」
「アンジェリカ……お前、そこまで俺のことを……」
「いえ、オズワルド様との婚約に未練があるわけではございません。婚約破棄の書状をお待ちしておりますわ」
ごきげんよう、と制服のスカートをつまんで優雅に挨拶をした。言葉を無くしたまま抱き合う二人を最後に一瞥してから、今度こそ踵を返す。父に説明をするために午後の授業は休もうと考えながら歩くアンジェリカを追うように、周囲で様子を伺っていた生徒たちからは控えめな拍手が響き始めた。
その様子はまるで、出番を終えて舞台を降りる女優を見送る劇場の一幕のようだった。
本当は
「私から婚約者を取るなんて……私から見たら貴女のほうが悪役令嬢よ!」
と目いっぱい怒鳴らせたかったのに、どうしてこうなった。