その言葉、低く見せすぎてやしませんか~予防線のはずが思わぬ評価~
特定の作者様に対するエッセイではありません。
いつも通りのタイトルから察せられる文章となります。
さて、私も当てはまるのですが世の中にはついつい予防線を張ってしまう人がいます。
毎回、毎回ゲームの例えというのもどうかと思うので他の例えで
大学のゼミ仲間で何かと自分自身を下に見るような男がいまして、彼的には自虐ネタだったのだと思います。
しかし、あまりにも自分をバカ扱いしていた彼は徐々に周りからバカにされる様になりました。
そして、他人にそういう風に見られ続けた彼は徐々に自信をなくし、離れていきました。
確かに自虐ネタは最初のほうはウケている人も多く、彼の人気もありましたが、扱いも少しずつ悪くなっていきました。
私は別段彼と親しいわけではありませんでしたし、関わる事も多くはなかったです。
しかし、大勢の人間の前で自虐ネタを平気で言い続ける彼を私も最終的に下に見ていました。
言葉と言うのは不思議なもので彼が自分は馬鹿だからとか、
不器用だとか、無能だとか、とにかくそうやって自分を下に見せる毎に本当にそういう風に見えてくる様になりました。
もちろん、自虐ネタは私も使いますし、心の中で自分は不器用と思う事もあります。しかし、そういう言葉は自分や自分を分かってくれていると思う友人に使うべきではないのでしょうか?
マイナスな言動は本人が思っている以上に周りは影響を受けます。
Twitterや他の媒体と併用して、このサイトを使っている方は
分かりませんが、私のようにサイトだけで作者様を判断する人間にとっての基準点なんていうのは残念ながら、
綴られる文字やそれによって生み出される文章しかありません。
その二つのみが現実で言うところの外見であったり、履歴書であったりします。
外見で初対面の人が判断するように、言葉、文だけを重要視するサイトでマイナスな言葉を多様すると言うのは申し訳ないのですが、第一印象は他の作者様より低いと思います。
もちろん、自分を相手より低く見せ相手の懐に入りやすくする術もあるのかも知れませんが多くはそうはなりません。
相手より無理に上に立とうとする人が嫌われるのは当然です。
ただ、その逆はバカにされます。
その位置で俺は良いなんて人も知り合いにいましたが、不満なんて周りは分かります。
「なんで俺が…」
となりますが、そうなるのも当たり前です。
どんなグループでも役割があります。自分から下になってくれるなら有り難いものです。
しかし、この方々は縁の下の力持ちとは当然ながら根本的に違います。
そういった人達には労いをかけられますが、役割で下になっただけの人と本当の意味で下になってしまった人は周りの評価が違いますよね?
私が書きたいのはこれぐらいです。
自信がなく予防線を張りたくなる時は誰だってあります。
しかし、その予防線が原因となり思わぬ評価を周りがしている可能性があります。
これは、このサイトだけではなくリアルでも同じです。
投稿する前に、何かを言う前にほんの少しだけ考えてください。
この言葉でどう思われるか。ということを