18.とりあえずの決着か、あるいは――
夜の北部荒野は、非常に危険である。
西部の森にも同じ事が言えるのだが、得てして魔物は夜行性の物ほど強くやっかいなのだ。
そんな夜の荒野を動けるのは、よほどの実力を持つ者だけだ。例えば――教師とか。
「……魔物があれを食っていたら少々面倒だな」
来ているのは10人ほど。全員が軽武装で身を固めている。
「あ、あの……本当に大丈夫なんでしょうか?」
その中の一人が、声を上げる。
「何がだ? ナッキネーヴ家ご令嬢の派閥を怖がっているなら、今頃結界修復の詰めに入っている。問題ない」
一番先頭を歩く教師は、エマこそ最も警戒するべき存在だと考えていた。
強大な権力を求めて、学生たちがまとまった派閥のほとんど――いや、全ては、私利私欲の集まりだ。
数の暴力で反対意見をねじ伏せ、力を高め、他の派閥を下そうと膨張し続ける。
そんな中で、数少ない――いや、唯一といっていい派閥がエマの派閥だ。
他者に利用され、骨の髄までしゃぶられそうになる学生を――たまに教師まで拾い上げるという徒労を好んで行う変わり者。
(そんな事に割く労力を別の事に使えば、今より上のポジションにだって居れただろうに)
惜しい存在だ。彼はそう思った。
だが、彼女は弱者の味方であることを選択肢、結果、弱者に祭り上げられ、反面実力のある者達には睨まれる存在になった。
実際、今この場にいる教師の全員が、エマを邪魔な存在と認識していた。
「いえ、そっちじゃなくて……ゲイリーの方です」
「……誰だ?」
その教師は、おもに中央エリアで活動する人間だ。エマの派閥があるとはいえ、それ以外は平凡なエリア15の事など知る由もない。
「例の、パルフェを抱え込んだクランのリーダーです」
「青田買いが上手くいったというだけの話だろう?」
「えぇ、まぁ……そうなんですが……」
大規模な派閥抗争の引き金となりつつある藍色の髪の少女を教師は思い出す。思い出すその過程で、ようやく顔と名前が一致した。
ゲイリー。偶然、派閥抗争の鍵に成りかねない少女を掴んでしまった、哀れな学生。
「最近、変な噂が流れていて……その、ゲイリーについて」
「噂って……それこそ学生じゃあるまいし」
「ですが……実際、ナッキネーヴ家の令嬢も彼を気にしていますし……何度も勧誘していたっていう情報も……」
その教師は、最近彼――ゲイリー周りの動きが活発になっている事に、恐れを感じていた。
たまに、出るのだ。
それまで大した事がなかった学生が、突如として街に影響を与える存在になる事が。
そういう学生は2パターン。誰かの影響を受けて変異するか、あるいは――なんらかの理由で能力を隠していたか。
「それに、そもそも今回の捜索依頼がなぜ外に流れたのか、未だに不明じゃないですか。我々の下にいる派閥にやらせる筈だった仕事が――」
それを引き受けたのが、あのエマと友好関係にあるゲイリーだ。
裏を疑ってしまうのは仕方がないといえる。
「……気にならない点がないわけじゃない。が、そこまでにしておけ。今は先にやらなければならない事がある」
積み荷の回収、あるいは痕跡の抹消。クエストとして情報が表に周り、しかもエマや彼女の影響を受けた教師達がそれに関連する事態に関わってしまったのだ。念には念を入れて全ての処分を終わらせる。それが彼らが受けた任務だ。
「さて……森に入ったのはここだな」
木々がなぎ倒されている、ある意味で入口に見えなくもない場所にたどり着いた。
あの時、ゲイリー達が見つけた侵入口だ。
そして、教師の一人が懐から何かを布で包んだ物を取り出す。あの大怪我をした商人の足に刺さっていた、血に濡れた枝だ。
「おい、犬を使うぞ。念のためにあいつらの服の一部と薬も持って来たんだ。さっさと――」
「――臭いを辿らせて、取引するハズだった物を回収。証拠隠滅といった所かしら?」
一斉に辺りが一気に明るくなる。魔術による炎の明りだ。それが大量に――彼らを囲むように揺らめいている。
森の中から一斉に飛び出した武装した学生部隊が、瞬く間に彼らを包囲する。
教師達も咄嗟に応戦しようとしたが、想像以上の数と、一人一人の動きの良さからそのレベルの高さを察し、二の足を踏む。
その学生達の中心にいるのが――
「エマ……エマ=ノエル=フォン=ナッキネーヴ!!」
「お望み通り、来てあげたわよ」
彼女の後ろには、馬車の荷車――その残骸が転がっている。教師たちが探し求めていた物だ。
その周辺を固めている武装集団は、学生ではない。統一されたアーマーに統一された武器――捕縛用のミリタリー・フォーク――対人装備で身を固めた警備員の一団だ。
「さて、どこから問いただしましょうか? 黒幕、仕入先、実行犯、他の密売人の存在……」
エマがバルディッシュで『ゴンッ』と荷車を殴りつけると、積み荷の袋から少し、サラサラっと薄緑の粉が零れる。
あの街では――いや、この国では御禁制となっている物――麻薬が。
「全て、吐いてもらうわよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
カランッと音を立てて、ナイフが落ちる。それでも、ゲイリーはエリーから手を離さない。
「……どうして、ここに」
「お前、魔物じゃなくて商人の方を警戒してただろ。そりゃあ気になって当然だ。お前も、商人共も――おい、それよりも手を離してやれ。もうソイツ漏らして気ぃ失ってんぞ」
え? とエリーが下を見ると、僅かなアンモニア臭が漂う。完全に目を剥いて、ピクリとも動かなくなっていた。
エリーは舌打ちして手を放し、立ち上がる。
「まぁ、それにな。細かい出費を嫌がって迂回する連中ってのは確かに多いんだが、同時に知られたくない物を運ぼうとする奴らってのもいるのさ」
「こいつらみたいに?」
エリーはペッと商人の顔に唾を吐きかける。普段の彼女から想像も出来ない姿に、ゲイリーは特に気にせず肩をすくめ、
「あぁ、ただ、そういう場合はそもそも捜索クエストを依頼する奴なんていないから今回のはレアケースだった」
実際の所、裏では色々とあるんだろうけどな、とゲイリーが言うと、エリーもだろうね、と肯定する。
「……アタシの事は?」
「戦えないって言ってた割には、森に入ってからの周辺の警戒が的確だったからな。ラヴィにしがみつこうとしていたパルフェを俺に誘導しただろ? 前衛を務めるアイツの邪魔をしない様にさ」
ゲイリーがそう指摘すると、エリーは「バレてたかー」っと少し舌舐めずりをして照れを隠すような笑みを浮かべる。少しずつ、普段の彼女に戻りつつある。
「聞かないの? アタシの事」
エリーはそう聞くが、ゲイリーは特に気にした様子を見せないまま、
「お前が話したいと思った時でいいさ。今はそれよりも対処が先だ」
エリーは、落ちたナイフを拾い上げる。
そして、今まで見せた事のない雰囲気で、器用にクルクルとナイフを回しながら、
「アイツらを捕まえるの?」
殺さないの? とは聞かなかった。ゲイリーという男がそういう人間じゃないのは、共に数日を過ごし、そしてさっきのやりとりでもう分かっている。
「ん? あ、いや、それはもう大丈夫」
「大丈夫?」
「ほれ」
そういってゲイリーは、全く何も気にせず、やや乱暴に扉を開ける。
扉の向こうに広がるのは、変わり映えのしないごくごく普通の倉庫。
だが、床にはなぜか、4,5人の男や女が倒れている。
その中心には――
「ん、やっぱり口封じに来たか。ラヴィ、御苦労さん。怪我はしてないか?」
「大丈夫。弱かった」
ラヴィは、鞘を付けたままの剣を腰に下げ直す。
なお、休憩室にいる商人の二人は、部屋の隅で怯えている。殺されかかったのだから当然である。
「……この街にも、こういう人はいるんですね」
「まぁ、豊かな場所には悪事ってのが集まるものだろう?」
「豊かさと悪事ってどっちが先なんですかね?」
豊かだから悪事が生まれるのか、悪事、悪徳が集まるから豊かになるのか。
顔に似合わず哲学的な事を言いだすエリー。
「どうした。体調が悪いなら先にベースに戻ってていいぞ?」
「……良く分かりませんけど、先輩今アタシを馬鹿にしましたよね?」
ぶーたれるエリーを横目に、ゲイリーは商人の無事と暗殺に来た人間の確保を直接目で確認する。
完全に動けなくなっているのを確かめると、もう一度外に出て、発煙筒をくくりつけた矢を上空に向けて発射する。
「うし、これで受付嬢が部隊引き連れてくるだろ」
ゲイリーは、事前に受付嬢に手紙を送っていた。
『ひょっとしたら違法取引を行っている連中を一網打尽に出来るかもしれないから、こっそりエマと連携して信頼できる警備員を動かしてくれ。』という内容だ。
「……先輩、アタシも……自首って言うのかな。名乗り出るよ。こっそり人殺そうとしたし、出自も無くなった農村の出だって偽ってたし」
エリーは、自分の村が度し難い悪人の村だと知っていた。そして、自分も悪人だと。
村の命令で、何回も行商を襲っている。――彼女自身に良くしてくれた人達を襲った事も。
「……今回の作戦は、治安の低下を憂いた警備員有志による極秘作戦。お前は俺の命令で潜入調査を実地。その報告を受けて俺とラヴィで制圧。こういう流れだ」
早い話が、作り話である。エリーの行動は全て、予定されていたものだというわけだ。
「……あの、アタシ、人も結構殺してるよ? 先輩達なら分かると思うけど、それに実質アタシ盗賊ってか暗殺――」
「構わん」
エリーの疑念を、バッサリ一刀両断するゲイリー。
「俺たちには人手がいる。パルフェの件もあるし、今回はやっかいな事に巻き込まれた。本当に嫌だが……ほんっとうぅぅぅぅぅぅに嫌だが、俺たちは急いで様々な圧力に対抗できるだけの力を得るまでは働かなくてはならない」
とっさに、エリーはナイフを握りしめる。
「事務やらなんやらはパルフェ一人じゃ片付くレベルじゃなくなる事確定だし、こうなったからには手を出せる方向には色々手を出さなきゃならん」
「色々……」
エリーは、やはりそうか。と思った。
自分の特技は、こっそり笑顔で近づいて喉を掻っ斬る事だ。
それが一番役に立つのは――
「他のクランやギルドとの連携、教師や警備員との繋がりの強化、有力な商人とのパイプも欲しい。だから、お前には期待している」
だが、ゲイリーは気安く――いや、気軽にポンッとエリーの肩を叩く。
「頼んだぞ、エリー」
多分、エリーが今まで聞いた中で、一番優しい声だった。
「ゲイリー・クラン所属商人……の、見習い? いや、候補?」
「……卵?」
「そう、それ!」
いつもと全く変わらない。ゲイリーは、ラヴィは、全く変わらない。
きっと、これから先も、この人達は早々変わったりしないのだろう。
エリーはそう感じて、
「先輩」
「ん?」
エリーの口元が、普段の柔らかさを取り戻す。
「……これからも、よろしくお願いします」
「――あぁ……よろしく、な」
「と、いうわけで事務仕事さっそくよろしくな。俺もう二月分くらい働いたからしばらく休息タイムに入るわ」
「先輩、少しくらいカッコつけたまま終わらせてくんないの!?」
「……ゲー君……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(おかしい)
手元の照明魔具の明りを頼りに、レティ=ハーシェルは誰もいないアドミニで一枚の書類をずっと眺めていた。
(今回のクエスト、一体どうやってチェックをすり抜けてたの?)
本来ならば、こういう捜索依頼が入ったクエストは、相手側の情報も一緒になってなければならない。
そのチェックをした痕跡がない。
それについてなければならないはずの印鑑のいくつかが、偽装された物だった。
詳しく調べてみないと分からないけど、ひょっとしたらこの書類全て――
そもそも、ゲイリーに渡したクエストリストは全部目を通したはず。だが、こんな物は知らない。
(確かに荒野の依頼はあったけど、それは結界に影響がないかがメインの調査。誰かが、依頼書を偽装して混ぜた? それとも――書き加えた?)
たまに、何者かが自分達の不始末を消すために、詳細を偽造して高報酬で、顔の知らない学生に処理させることは、残念ながら良くある。
だが、今回はなんというか――
(少なくとも、今回捕まった商人や、その後ろにいる人ではない)
なにせ、今回はクエストが切っ掛けでボロを出したのだ。
となると考えられるのは、敵対者。
(いや、でも……それならそれで杜撰すぎる)
万が一、ゲイリー達でなければ、あるいは積み荷だけを持ち帰ったかもしれない。
そして、その中身を知った時に、学生達がそれをどうするのか、確実性がない。
真っ当な学生ならばアドミニに提出するだろうが、そういう学生ばかりではない。
こっそり中身を着服する者もいれば、さらに売りさばく者もいる。
ゲイリーだからこそ。
あのぐーたらで、怠け者で、本の虫で、でもこの街の中で間違いなく善性の方に入る弓使い。
彼だからこそ、こういう結末になった。
「ゲイリーさんならこれを受けるだろうと確信して混ぜた? でも、それなら――」
もしそうなら、答えは一つしかなくなる。
偽造した犯人は、ゲイリーを良く知る者だ。
――本当に、良く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「やってくれたわね」
投降した教師たちの身体検査、拘束、そして連行までを一通り済ませたエマは、深いため息をついてからそう呟いた。
「? 今回の密輸騒動の黒幕、ですか?」
「違うわよ」
まだ不透明だが、恐らく今回の一件では黒幕までは辿りつかないだろうとエマは考えていた。
どうせ捕まったのは全員トカゲのしっぽ切り。
チャンスがあるとすれば、今回一つルートを失った黒幕が新しいルートを作るその瞬間だが――それは警備員やアドミニ、教師達の役目だ。
「私達を利用してくれた野郎よ」
「利用?」
「えぇ……。レティ=ハーシェルから来た緊急要請で、一通りの流れは聞いたわ。ゲイリーが受けたクエスト。偽造された物だった様よ」
「……偽造」
執事が眉をひそめる。当然だ、グレイ・マターに住む者にとって、クエストという物は非常に大切なものだ。依頼をする側も、受ける側も。
「一石二鳥を狙ったのよ。ゲイリーが受ける事を見越して」
「二鳥……一つは密輸ルートの壊滅ですか?」
「……どうかしらね。そっちは、恐らくどうでも良かったのよ」
「本命は――ゲイリーよ」
エマがもっとも悔やんでいるのはこの事だった。
今回の件で、ゲイリーは裏に関わってしまった。もう、無関係ではいられない。
ただでさえパルフェという、抗争の火種に成り得る――いや、なるだろう存在がいるのに。
「……彼には監視の目がつくでしょう。それは避けられない。そして私が迂闊に接触すれば、彼は私の傘下に入ったと見られて、更に危険な目に合わせかねない」
パルフェの件で、タイミングが悪かったというのもある。
「……ゲイリー様を、利用しようとしている存在がいると?」
「えぇ。彼の近くにいて、彼をよく知り、彼の周囲の状況も理解している者」
エマは、知らず知らずのうちに拳を握りしめた。悔しさと、わずかな怒りと、それと――
「やってくれる。……ノア。ノア=フィメルゲイル!」
エマは確信を持って、ある意味での黒幕の名を吐き捨てた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
男は、自室で酒を飲んでいた。事が上手くいった時に開けようと買った、結構高い麦酒。
―― 美味いもんたらふく食って綺麗な姉ちゃんの横っ面札束で引っ叩いて侍らすような生活してーんだよ!!
少し前に、その男が自身の『お気に入り』の生徒に向けて言った言葉だ。
「まぁ、約束の一つは守ってくれたかな」
保冷魔具で冷やしておいたグラスに、同じく冷やしたそのエールを注いで一気に二口ほど飲む。――前に、軽く宙で揺らす。
「ゲイリー。……ゲイリー=マニュ=クラーゼ=フォン=エリックス卿に乾杯」
恐らく、この街では片手で数える程の人間しか知らない、彼の名前――貴族位を捨てる前の彼のフルネームを口にし、グラスに口を付けた。
「ノア教諭」
いつの間にか、その部屋には男が立っていた。
ノアとは違う学校の所属だが、彼も教師だ。
「どうだ?」
「連中の目は、上手い事ゲイリー君とナッキネーヴ嬢の派閥に向いています。彼らが張っている網に隙が出来たと報告が」
その報告に、ノアは出来のいい生徒を褒める時と同じ笑顔になる。
(やっぱり、アイツは誰かと一緒だといい仕事をする)
そして、ゲイリーを動かすのに一番いいのは、ラヴィニアという最高のパートナーの存在。そして、ゲイリー自身が守ろうと思う人間がいれば、なんだかんだで『動かざるを得なくなる』。全てノアの計画通りだった。
ゲイリーが、他人と自ら関わろうとする環境が整った。その時点でノアにとっては大成功だった。
「この街は、全部が歪だ。どいつもこいつも私利私欲。一見まともそうな奴が裏で弱い人間を食い物にし、弱い人間は耐えきれずこの街を抜け出し、気が付けば盗賊になっている」
傍らに立つ男は、何も言葉にしない。ただ、続きを待っている。
「守りたい奴を守れない。守れる人間が守らない。守ってる奴が墜ちていく。選択肢が目の前に合った時に低い方に選択してしまう」
ノアは、グラスを傾ける。
「水が必ず下に落ちるように」
まだ残っている中身が、トットットッと机の上に落ちて、泡立った水たまりを作っていく。
そうして空になったグラスを持つ手に、力が入る。ピシッと、罅が入る。
少なくとも、ノアは本気だった。言っている事全て。
「変えるぞ。ここから」
「ええ、全て変えましょう。――貴方の、ノア=フィメルゲイルの掲げる『新たな派閥』の元に」