字が読める一日
もしも私が
字を読めたなら
お気に入りの詩集と
クロワッサンを持って
麦わら帽子をかぶり
日が高くなる頃
出かけるだろう
しばらく歩くと
海に着くから
砂浜に寝そべって
太陽のぬくもりと
波を感じた後
やわらかい気持ちで
詩集を読むだろう
近くの木にもたれ
たまにじっと海を見つめ
木漏れ日がやけに
くすぐったいなと
思いながら
一人の時間を
楽しむだろう
気が付くと人も消えて
暗くなってくる
まだ途中だけど
クロワッサンをかじると
帰らなくちゃと
読みかけの詩集を
閉じるだろう
もしも私が
字を読めたなら…
詩の読み方は自由です。
主人公は少女かもしれないし、大人の女性かもしれない。もちろん男性だってありうる。少しかしこまった風なら、一人称が「私」でも違和感はないかもしれない。それに、別に一般的な違和感とかは関係なく、自分にとって自然ならそれが答えになる。不自然だって、かまわない。
そしてこの人は、果たして盲目なのか? 何らかの事情で、勉強ができなかったのか? 他国の言語? 大昔の環境設定? 幼子が将来を夢想している? 解釈は自由です。書かれている言葉が、詩なのですから。作者があえて明白にしなかった部分は、読者の想像で補うことができます。これは無責任ではなく、そういうのも楽しみ方の一つだと思います。もちろんテキトーに考えなしに書いてもいい、ということではありません。(そうだぞ、潮風よ!汗)
活動報告に詩論を、偉そうに語らせてもらってますが、付け加えるなら、詩とは「読者が読んで完成する芸術」です。空白も用いて、行間を読ませる。同じ詩でも、読む人一人ひとり、想像するものは当然違うでしょう。ですが、魂で書かれた良質の詩歌なら、万人の心にきっと響くはずです。
と、長くなってしまいましたが、潮風の基本スタンスは「普遍かつ不変」です。ある特定の人々にだけ向けたようなメッセージは、まずないと思って下さい。っていうとなんか逆にあれですけど、別に政治や宗教のようなデリケートな話をしているわけではないですよっ。ただ単に"誰が読んでも楽しめる詩"を書きたいだけです! そういう意味では「子供が読めるように」書くのも大切ですね。大人の余計なしがらみに無縁で、純粋な真実の想いに満ち満ちていますから。夢・自由・愛なんて特に、老若男女・万国共通だと思います!! というわけで、、、本当に長くなってしまった(汗) ここまで読んで下さって、ありがとうございますm(__)m