五日目 ――語られる真実――
あのあと日の光が部屋に差し込むまで俺は眠る事が出来なかった。そのぶん昼日中までぐっすりと眠ってしまった。
昨日の事は全部あったんだよな? 妙な形に歪んだチェーンロックが残ってるし、バイクの写真も撮ったし――――そうだ携帯で撮った写真だ!
俺は携帯を開くと、撮影した画像を確認した。すると、写っている場所はたしかに同じだが、撮影直後に見た時とはまた違った印象を受けた。
あれ? こんな写真だったっけ? ――あっ!
やはりライダーは知っていたのだ。俺がチェーンロックを付けた事を、すぐ近くで見ていたのだ。昨日はモヤのような物がバイクを覆っていたが、今見るとそれは完全に消えていた。
霧のようなヴェールが消えたそこには、あの黒いライダースーツを着た大男がハッキリと写っていた。仁王立ちして写真を撮る俺を凝視している。正面から、それもすぐにも触れられそうな間近で、あの血走った赤い眼をして。
俺は飯を食うのも忘れて、すぐさま大家さんに写真を見せようと、『102号室』に向かった。
軋む階段を駆け下り大家さんの部屋に着くとドアをノックした。早く写真を見せたかった俺は、興奮のあまりかなり強めにドアを叩いてしまった。
やば、強く叩きすぎたこれじゃヤクザの取りたてだ。
「は~い、いますよ~」
部屋の中から何事だ? という感じの声が聞こえた。
小走りでかけてくる音がすると、ドアが開いて大家さんが出た。
「こんにちは、お騒がせしてすみません、強くノックしすぎました」
「いえ、いいですけど、また何かありました?」
大家さんは少しうんざりしたような顔を見せた。
「これなんですけど、見て下さい」
俺はそう言って携帯の画面を見せた。
「あっ! このバイク……。――――――どうやら草凪さんの言っている事はウソじゃなさそうですね……」大家さんは急にしおらしくなると、続けた「騙すつもりはなかったのですが、申しわけありません。なにぶん悪い噂が広がると困るものですから……。それにあんな事二度とおきないと思っていたんです。――――全てお話します。」
大家さんが言うには、俺の前の前に『203号室』に住んでいた人がバイク事故を起こして亡くなったらしい。まさしくこのバイクに乗っていたと、俺の携帯を指さし青ざめた顔で教えてくれた。そしてその次にここに引っ越して来た人も行方不明だと言う。それが恐らく俺のバイト先の前任者だろう。
俺の前に住んでいた人も、やっぱ何かトラブルがあったのかもな。
バイク事故はイタズラによるものらしかった。事故現場は深夜で、この浦野ハイツ前の直線道路で起きた。道路に沿って植えられた二本の街路樹に何者かがワイヤーが仕掛けたのだ。道路を隔てて張られたワイヤーに気づかず、バイクで突っ込み首が飛んでしまったのだと言う。
暗闇で細いワイヤーじゃ気づきようもないよな……。速度次第かもしれないけど首なんか簡単に飛んだだろう。
俺はその痛々しさに顔をしかめた。
それに――。
俺はバイクに乗っている時にカナブンとぶつかったのを思い出した。あの時は60キロ前後で走っていたと思うが、まるでブン殴られた様な衝撃だった。その当時俺は半帽を被っていた。しかしその事があってからフルフェイスタイプのヘルメットを被るようになった。
当時を思い出し俺はカナブンがぶつかった胸をさすった。あれが顔面だったらと思うと、今でもゾッとする。
だけど、ある意味運がよかったのかもしれない、それがワイヤーなら……。あれがカナブンじゃなく仕掛けられたワイヤーだったなら、首なんか簡単に切断されて吹っ飛び俺はここに存在していない。俺は想像してゾッとした。
そうか! だからあのライダー首から血を……。
俺はふと自分の203号室を見上げ、冥福を祈った。
帰り際、大家さんが俺に、
「あまり変な噂立てられたくないんだ」
と俺に何か封筒のような物を渡そうとしたが、いりませんと断った。
「すみません、引っ越して来てすぐですが実家にかえります」
そう言うと、俺は203号室に戻り、家に帰る支度を始めた。
大家さんには実家に帰ると告げたが、どうにも親父に会うのが嫌だった。
荷物をまとめた俺は浦野ハイツを出ると、それから数日間は、知り合いの家を転々として過ごした。しかしテレビに映ったある映像を見て実家に帰る事にした。
「やっぱりダメだったか、お前もまだまだだな」
親父は新聞から顔を上げず、目だけを俺に寄こして言った。
しかしどこかホッとした表情をしてるのは何故だろう?
「うっせーな。今回は物件が微妙だったんだよ。次から本気だすから」
「フン、減らず口を叩きおって」
親父は新聞をパンッと鳴らすと再び読み始めた。
「なぁ、親父。俺の住んでたとこで何か事件あったらしいな」
知り合いの家で見たニュースを思い出す。見覚えのある浦野ハイツが映ったのを見てビックリした。あの大家さんが浦野ハイツをバックに、何やらインタビューに答えていたのだ。俺は浦野ハイツで何があったのか、どうしても気になった。だから恥を忍んで帰って来たのだ。親父なら何か知っている気がした。
「ん? あぁ、そうだな。俺も現場に行ったよ」
そういうと親父は苦み走った顔になった。
「なにがあったんだよ」
親父は俺を睨むと、
「そんな事素人のお前に話せるわけないだろうが、バカ者め」
「んだよ! ちょっとの間だけど俺が住んでたトコだぞ? まったくの無関係でもないだろうが!」
「お前が直接かかわった訳じゃないだろう!」
鬼のような形相にかわり怒鳴り付けた。
しかし俺は引き下がらず、喧嘩を覚悟でしつこく聞いた。
「なぁ~頼むよ! 絶対誰にもいわないから!」
「まったくしつこいぞ! いい加減に――――!」親父はいいかけて、少し考えると呟いた。「わかった。だが絶対に誰にも言うなよ。いいな!」
「うん、てか言える訳ねぇし!」
親父は深くため息をつくと、
「まぁ結論から言って自殺だろう、どうやったかはわからんがな。現場は異臭が漂うまで誰にも発見されなくてな。完全な密室だったんだ。だから自殺として処理されたよ」親父は現場を思い出したのか、顔を歪めてから再び話し始めた。「何かで体を固定してそこを強い力で無理やり回転させたような感じだな。ほら、ワニが食らいついた獲物にやってるのあるだろ。あんな感じに強引にねじられてたんだよ」
ワニは食らいつき捕えた獲物を水中に引きずり込むと、デスロールと呼ばれる行動をする。獲物に噛みついたままで体を回転させて食いちぎるのだ。そして溺死した所を美味しく頂くのである。なんとも残酷だが、ワニの口は横に動かす事は出来ないので仕方ないのだ。
エアコンの効いた涼しい部屋なのに、俺は聞いている途中に大量に脂汗を掻いていた。体が冷たくなり不安感が足元から這い上がって来る。
「死体はほんとに奇妙でな。なんと言うか引っ張ったようなもの凄い力でねじられた遺体だった。首が四回転ほどねじれて……縦にのびきっていたよ、千切れそうなほどにな。――もう二十数年刑事をやってるが、ゾッとしたよ、あの口の伸び切った壮絶な死に顔には」
あんな遺体見た事ないよ、そう付け加えて親父は黙祷するように口を閉じた。
俺は想像して生唾を飲み込んだ。そして稲垣さんの死に顔を想像すると、喉の奥からこみ上げてくる物を感じた。
俺は急いでトイレに飛び込み、こみ上げる物をすべて吐き出した。
現場は俺の部屋の真下、103号室で起きていた。俺が住んでいる時に。
あのライダーがイタズラを仕掛けた相手を殺したのだろうか? それとも――――。
あの事件は終わった。そう思っていた。しかし――――。
それから再び浦野ハイツがニュースに映った。現場は別の場所らしいが、大家さんがまたインタビューに答えていた、現場は浦野ハイツの近所で今度も変死らしかった。死んだのはバイト先の店長だった。
この事件以来、俺はバイクの排気音を聞くとつい振り返って確認してしまう。あの黒いライダーが俺を見ていないかと――――。
まだ復讐は終わってないのかもしれないと――――――。