四日目 ――悪戯計画――
今日はバイトが休みで一日暇だ。俺はどうしようか考えていた。稲垣さんはあれからみないし、大家さんに再び聞いても、バイクの事も騒音も知らぬ存ぜぬだ。警察に通報する事も考えたが、また都合よくあのバイクは消え去るかもしれない。
どうやらバイク野郎は吹かすのをやめる気はないらしい。週に数回ならまだいいが、毎日当たり前のように続けているのは、悪意があるとしか思えない。こうなったら自分でなんとかするしかないだろう。
そうだよ、どうせここの住人の物じゃないんだ。違法駐車なんだ。気にせずにやってしまおう。
かなりイライラしてたのかもしれない。寝不足なのに六時には目が覚めてしまっていた。日曜日だから寝ていたかったのだが、二度寝も出来そうにない。俺は布団に入りながらショボつく目を瞑りあるイタズラ計画を考えていた。そして一人の男を思い出した。
高校時代に知り合った田沼は、仲良くなって少し経った頃にある動画を見せてくれた。それは二分間くらいの携帯で撮った物だった。マスクを付けた男がどこのご家庭にもある道具一つで手際よく400CCを盗んでいる。本当に鮮やかだった、たぶん1分30秒もかかっていない。動画の中で田沼は後半ほぼ謎の記念撮影をしていた。
動画を俺に見せたあと、田沼は自慢げに言った。
「このようにだな、単車を盗むのは簡単なわけです」
「なんか講義始まったところ悪いんだが、あのだな、俺の親父警察官なんだが」
俺がおずおずと言うと、あいつはひっくり返らんばかりに驚いていた。
「えっ?! まじで!?」
「うん」
「じゃぁこれウソ!」
と、かなり無理やりな言い訳をしていた。マスクをしていたが動画の主人公は明らかにあいつだった。
そいつがバイクへのイタズラについて話していた事がある。
そのひとつが『エンジンに砂糖』というやつだ。簡単に言えばガソリンタンクに砂糖を入れると『不完全燃焼』を起こしてエンジンが焼きついてしまうのだ。オイルタンクでも同様だった気がするが、そのへんはよく覚えていない。確か『スラッジ』がどうとか言っていた。うろ覚えだが、まぁエンジンに致命的なダメージを与えるのは確かだ。
でもこれはさすがにやりすぎだよな。エンジンの修理は金がかかるし。
一番最初に思いついた計画ではあるが、これはタンクを開けるのも面倒くさいし、なによりバイク自体に恨みはない。
別に壊したい訳じゃないし……。却下だな。
ちなみにこれを教えてくれたバイク窃盗の匠は、高校在学中に問題を起こし少年院にプリズンインした。
だけどもうとっくに外に出ているはず、今度久しぶりに連絡でも取ってみるか。まともにやってるといいけど。
もう一つ思いついたのはバイクのハンドルロックを外して、バイクそのものを移動してしまう事だ。ハンドルロックを外すやり方はいくつかある。しかも割と簡単に短時間で出来る。しかしこれは俺の目的とはちょっと違うのでやはり却下だ。俺はライダーをどうにかしたいのだ。動かしたら窃盗になりそうだし。
やっぱこれしかないか。
最後の計画、それはダイヤル式チェーンロックを前輪に着けてしまう事だ。そうすればバイクはもう動かせないはずだし、とりあえず大家さんにバイクが存在する証拠として見せる事が出来る。それから警察に通報すればいいし、やはりこれしかないだろう。準備も簡単ですぐに済む。
これだな、よし、ホームセンターでチェーンロックを買ってくるか。
夜。俺はチェーンロックを持って玄関を出た。軋む階段を迷惑にならないように静かに降りる。アパートの正面を通り『103号室』横の細い道に入った。細い道ではあったが奇跡的に街頭の明かりが差し込み真っ暗闇では無かった。
そして当然のようにシートをかけられた塊が鎮座していた。ここに居るのが当然とでも言う様に、ドンと居座っている。
俺は念のため、バイクの写メを撮っておく事にした。バイクの全体を撮れるようにかけられたシートをはずした。それから携帯を取り出し『カシャッ』と撮影する。
チェーンロックだろうと、外そうと思えば外せるしな。また朝になって消えてたら困る。この写メを見せて、明日また大家さんにもでも相談しよう。
俺は持ってきた5ケタのダイヤル式チェーンロックを、スポークとホイールに通し、『カチッ』とロックした。そしてダイヤルを適当にずらし、外れないのを確認して準備を終えた。
おし、セット完了。寝るか。
睡魔が俺の瞼を刺激し、あくびをかみ殺す。踵を返し帰ろうとした瞬間、妙に肌寒くなってきた気がした。もう夏だというのに、何故か吐く息が白かった。
その刹那、何かの気配を感じて背後を振りかえる。
だれも……いない――――よな。
何かが体の上を通る、撫でられたような感覚があった。しかし周囲には何も見当たらなかった。
俺は妙な寒気にブルッと震えると、急ぎ足で自分の部屋に戻った。
部屋に戻って玄関に鍵をかける。そして走りこむように布団に包まった。俺は寝ながら布団の中で撮影した写メを確認した。
よし、ちゃんと写ってる……。 あれ? なんだろうこれ……。
写真には黒い塊がちゃんと写っていた。しかしなぜかバイクを取り囲むように白い雲のようなものが纏わり付いている。それに心なしか背景も歪んで見える。全体的にボヤけた写真が携帯に映し出されていた。何より気になったのは、赤いビー玉のような小さくて丸い物が空中を飛んでいる事だった。
奇妙な写真に首筋あたりがビリビリと振動する。震えるように首を小刻みに振った。
「なんか……ヘン……だな」
不思議と部屋が異常に寒い。もはやエアコンいらずだ。
俺は布団を頭までかぶって寝ることにした。
しかしいくら目をつぶっても俺は眠る事が出来なかった。
そして――――――。
唐突に誰かが階段を上がって来る音がした。
『カンッ……カンッ』と、ボロアパートの腐食した鉄骨階段が鳴り響く。『カンッ』やけにゆっくりだ、『カンッ』しかし確実に上がって来る。『カンッ』近い……、『カンッ』
俺はイヤな予感がして、青ざめた。そして布団を被ってもなお微かに寒気を感じる。
こんな夜中に、なんだ……? 『201号室』の木村さん夫婦……か? いやいや、こんな夜中に? 無い事も無いだろうけど、でも誰か……上がって来てるよ……な?
『カンッ……カンッ』音は近づき続けている。そして大きくなっていく『……カンッ……カンッ……』
もしかして……あの黒いライダーが来たのか? まさか俺がチェーンロックを仕掛けるのを見ていた?! それで…………来た?!
そして足音は廊下に到着した。今度は『コツ……コツ……』と近づいてくる。廊下を踏む音が高く響き渡る。
『コツ……コツ』201はとっくに過ぎた。『……コツ……コツ……』202は空き部屋だ。誰も尋ねて来る訳がない。
心臓の鼓動が体中に響くくらい早く強くなる。そして完全に冷気を感じる、明らかに寒すぎる。興奮しているのに……肌がヒリヒリと痛みだす。
止まらない……っ! 隣じゃない! ……なら……っ!
どんどん近く、すぐそばに……。ゆっくりとした足取りで確実に近づいてくる。
『コツ……コツ』『……コツ……コツ……』『コツ……コツ』
脂汗が体中から滲み出る。興奮で頭は熱いのに、体温はどんどん奪われる。
この足音の目的地……、目的地は…………っ!
――靴音の――――目的地は――――――俺の――――――――部屋だ。
足音は俺の部屋に向かっている。
俺はドアを確認しようと、布団から頭をだした、異常は特にない。だけど明らかにおかしい、冷凍庫の中にいるように、吐く息が真っ白なのに気付いた。まるでタバコを吸っているかのように、はっきりとソコにある。そして煙のように空中に残る。そして漂っている。フワフワ……フワフワ……と。
おいおい! 煙草の煙にしてもなんかおかしいぞ……っ!
俺は空中に漂う謎のモヤに目を奪われた。これはまるで……、そうエクトプラズムだ。体から自分の魂が抜けているような感覚に俺は背筋は背筋を凍らせた。
そして――――。
足音は俺の部屋の前で止まった。
俺は恐る恐る布団から目だけを出してドアの方向を凝視する。。そして薄明かりに照らされた玄関を見る。玄関の下、ドアの隙間を。そこには――――――何も見えなかった。
しかし――――次の瞬間『ドンッ!!』と入口にあるドアの真ん中が強い力で叩かれた。ハンマーか何かを使って、壊すくらいの勢いで叩いているとしか思えない。木造のドアは殴られた瞬間、内側へ少しへこんだ。それに何かが入って来ようとしているように変形して見えた。
俺は急激に鳴った音に驚いてまともに呼吸が出来なくなった。息が――――詰まる。
そして静寂が戻った。打って変わって無音。世界が変わったように静かになった。
一発ドアを叩いて、俺が頗るビビッたのがわかったのか? だから満足して帰ったのか? 帰ってくれたのか?
違う……。気配がある。後ろ。背中の方に。何かの……気配が……すぐ近くにっ!!
俺は布団に入りながら、右後方を見上げた。
そこには――――真っ黒のライダースーツを着た何者かが立っていた。ゴツゴツした体つきからして男だ。180センチ以上あるだろう、大男がただ静かにそこに居る。フルフェイスのヘルメットを被り、枕元に静かに立っている。
ヘルメットの隙間から眼が見える。限界まで見開いた血走った真っ赤な眼。何時の間に家に入ったのか、静かに俺を見下ろしている。恐ろしい眼つきで俺を睨んでいる。
男の首のあたりが動いているのに気づいた。それは上から下へ流れていた。薄明かりの中で赤黒いそれは――血だった。謎のライダーは首から血を流していた。
男の首には横一文字に切り裂かれた様な傷口があった。そこからナイアガラの滝のように血を流している。大量の血を流し続けている。
そしてライダーの首から流れ落ちた雫が、見上げる俺の顔に『ぴちゃっ』という音を立て着地した。液体が顔を広がっていく感覚に、俺は思わず声にならない悲鳴を上げた。そして落ちて来た液体を振り払おうと手で顔を拭う。
そして――――。
ライダーは口を開いた。一言、『……オマエ……カ』と。
深い穴の底から聞こえるようなくぐもった声。背筋を凍らすような声に体が硬直しゾッとした。そして喉が詰まった様な感覚に声を上げる事も出来ない。声を出しているのに、音にならない。『助けて!』と叫んでいるつもりなのに、なにも出ない。悲鳴を上げて助けを呼ぶ事が出来ない。
その刹那、突然俺の首が閉まった様に、息が出来なくなってしまった。苦しい……っ!息を吸う事も吐く事も出来ない。
俺は自然と首に手をやり、確認する。そして掻き毟る。皮が破けるほどに、普段ならそんなに力を入れられないハズなのに、力を加減してしまうハズなのに、全力で掻き毟る。
すると手が何かにぶつかるのに気づいた。何かが俺の首に巻きついている。それは……。これは……。この感触は!
俺がホームセンターで買ってきたダイヤル式チェーンロックだった。
な、なんで?! なんでここに!?
しかしそんな事考えている暇はなかった。とにかく外そうと、息苦しさに耐え、ダイヤルが目の前に見える位置になんとか回す。すぐさま俺は必死にダイヤルを回す。買った時に付いていた紙の番号を思い出す。そしてパスワードを入れた。
しかし――。
は、外れないっ! マズイっ! 息が! ――――――そうだっ!
俺は買ってきてすぐに、ダイヤルの暗証番号を変えたのを思い出した。最初のパスワードが00000だったから変更したのだ。
なんだっけ! 番号は! 番号を! 俺は番号を何番に変えた?! やべぇ! 適当に変えた気がする! でも何か! 何か自分に由来があって絶対に外せる番号のはずだ!
息苦しい最中、俺はなんとか落ち着こうと考える。
そうだ! 俺の生まれた年と誕生月だ!
俺は急いでダイヤルを回す。
ヤバイ――もう――限界――――っ!
そしていよいよ苦しくなり、意識を失う直前――――、チェーンロックは外れた。
フウウゥゥゥっーー!! ハァアアァアッーーー!! と、今まで得られなかった分の空気を取り戻すかの様に、全力で呼吸した。ぺちゃんこになっていた肺が膨らむのが分る。
心臓がドクンドクンと飛び出すかのように暴れ始めた。胸を抑え、荒い呼吸をなんとか抑えようとする。
そして喉がカラッカラに渇いた。体中の水分が消えうせたかのように、口の中には唾液すらも残っていない。
水でも何でもいい、すぐに飲みたいっ!
俺はキッチンに急ぐと、コップを取り蛇口を全開にして水を注ぐ。待ってられないとばかりに水を出しっぱなしで一気に飲み干した。
世界が夏を思い出したかのように、部屋の温度が急激に熱くなった気がした。水を飲んだ途端に汗が大量に噴き出した。今飲んだ分の水が全て汗として出てしまったかのように。再び水をコップに入れ、一気に飲み干す。温い水なのに人生でトップクラスのうまさだった。
体の欲求を満たし、少しずつ冷静さと、呼吸を取り戻していく。
あぁ……っ!! あの謎のライダーはっ!
俺はパニクッて完全に失念していた事を思い出した。俺は急いで振り返り確認する――と。
ライダーはかき消えるように、俺の部屋からいなくなっていた。窓が開く音もドアの音も全く立てずに、まるで夢だったかのように消え去っていた。
夢……だったのか? でも夢にしてはすげぇ苦しかったぞ……。
俺はさっき起こったもう一つの出来事を思い出した。そしてそれが現実だったのかを確認した。
さっき……ライダーから血が落ちたよな……? 俺はそれをは右手の袖で確かに拭った。
顔に落下した血液、それを振り払うように拭った袖を恐る恐る見た。そこに血は――付いていなかった。ただぐっしょりと水に濡れている。
やっぱ幻覚だった? それともリアルな夢だったのか?
絞められた首を触りながら、俺はソワソワとした気持ちになった。
しかしその刹那、
えっ?! コレって……。
今起きた事が現実だったと報せるモノが、俺の視界に入って来た。そして俺の眼はソレに釘つけになる。
布団の傍にチェーンロックが落ちていた。
コレが俺の首に巻いてあったのか……。でもどうやってバイクから外した……? あのライダー……暗証番号を知っていたのか? 俺が設定したパスワードを……。あれ?
良く見るとチェーンロックの異変に気付いた。買った時と明らかに形状が変わっている。鎖の部分が変形している。まるで人間の手で握りつぶしたように、手形が――付いていた――。