三日目 ――発生源の正体――
翌朝、目が覚めた俺は、少し寝不足な目を覚ますついでにシャワーを浴びて寝汗を落とした。緑茶でパンを流し込んで食事を済ませた後、昨日バイクが出て来たアパートの横を見に行った。
まぁバイクの持ち主が夜勤とかだったらまだ帰って来て無いかもだけど。
誰かが掃除したのだろうか、103号室横の小道は綺麗に清掃されていた。そしてそこには黒いシートに覆われたバイクらしき固まりが置いてあった。よく見るとシートの下、隙間からタイヤが見える。
やっぱりバイクだな。しかし一体だれのだよ。
シートの中を確認しようと近づこうとした時、アパートのドアが開く音がした。
小道を戻りアパートの正面に行くと、中から出て来たのは引越し初日に居なかった部屋の住人だった。俺より少し年上くらいだろう、神経質そうなメガネの青年だ。
この人は毎夜すぐ隣で空ぶかしされて平気なのか? まぁバイクの持ち主で騒音の主かもしれんが。
俺は203号室の部屋の下に住む住人に挨拶しようと近づいた。
「こんにちは、上の203号室に引っ越してきた者です。草凪と申します。よろしくお願いします」
「ん? あぁそうなんだ。僕は103の稲垣と言います。よろしくね」
「挨拶が遅れてすみません」俺は迷ったが、聞いてみる事にした「あの、失礼ですけど、そこのバイクは……」
「えっ?!」
稲垣さんは目を見開き驚いたように声を上げた。明らかに挙動が不自然になる。そして首をゆっくりとアパートの裏手、黒い塊が置いてある方向に向けようとする。
なにか尋常じゃない驚きぶりだけど、どうしたんだろう?
「あのぉ――」
「し……知らないよ! わ、悪いけど急いでるんだ!」
そう言うと、稲垣さんは急ぎ足で歩いて行ってしまった。
なんだろう? 俺が悪いのか? まぁまた今度、菓子折りでも持って挨拶ついでに謝りに行こう。なんか腑に落ちないけど。
俺はそのまま『102号室』大家さんの部屋へバイクの事を聞きに言った。
ドアをノックすると、恰幅の良い50代の男性が玄関口に出て来た。
「おはようございます」
「あぁ草凪さん、おはようございます。どうかしました?」
「えと、103号室の横に細い道ありますよね?」
「えぇ、それが何か?」
「そこに止めてあるバイクの事なんですけど」
「え? そんなのありました? おかしいな……」
大家さんは首をひねって不思議そうな顔をした。
とぼけている風でもないけど……。本当に知らないのか?
「あのバイクは誰のなんでしょうか?」
「う~ん、私が朝の掃除に行った時には、バイクも何もありませんでしたけどねぇ」
大家さんが怪訝な顔をして言った。
「こっちです、一緒に来てもらえますか?」
俺がバイクの方向を指さして言うと、渋々と言った感じで大家さんがサンダルを履いて外に出て来た。そしてアパートの横、バイクが止めてあった場所にいくと――。
――――バイクは忽然と消えていた。
「あれっ?! さっきまであったのに!」
「見間違いでしょう」
大家さんがため息をつくように言った。
なんだ?? 俺が稲垣さんと話してる間に誰かが移動したのか? マジかよ~ヘンな奴だと思われてしまう。ヤク中のガキだと思われたらヤだなぁ。
「え、え~っとじゃぁ……、誰かバイクに乗る人の心当たりはありませんか?」
「う~ん、ここに住んでるのは『103号室』の稲垣さんと、『201号室』の木村さん夫婦。それと『102号室』の私達夫婦だけだよ。あと『203号室』の君だ。誰もバイクには乗っていないよ」
大家さんが露骨に嫌な顔をして答えた。最後の方はかなりムスっとしていた。
「そ、そうですか、すみません」
ありがとうございました、と言って肩を落として俺は自分の部屋に戻った。
あの黒いバイク……ここの住人のじゃないって事は、もしかして誰かが勝手に駐車してるのか? 俺が大家さんに質問している間に押してどこかに逃げた? なんにしても、ヤバイ奴が越して来たと思われたかもしれない……ハァ……。
バイトを終えた深夜。
俺は朝見たシートの下が気になり、確認しようと浦野ハイツ横の小道に向かっていた。
まぁどうせバイクだろうけど……。でも今朝がた逃げるように移動してたし、もう無いかもしれん。ていうか無くていい。どっかいってくれ。
103号室の角を曲がると――。
あるのかよ……。いっそいなくなってくれてたら良かったのに。
当初の目的通りシートをずらし、中を見ると――――。
当然のごとくバイクだった。かなり大型のバイクだ。スーパースポーツやレーサーレプイリカと呼ばれるやつだろう。サーキットで走るようなタイプのバイクだ。闇に溶け込むような真っ黒いフルカウルの車体に『GPZ900R』とエンブレムが付いていた。フロントカウルが何か獰猛な水棲生物を思わせる。
車体も乗り手も真っ黒って、見えづらそうだけど事故らねぇのかな。まぁどうでもいいけど。それにしても一体だれのバイクだろう? このバイクの事を聞いた時の稲垣さんはかなり不自然だったけど、大家さんはここの住人にバイクに乗っている人はいないって言うし、やっぱり違法駐車かもな
目的を果たした俺は部屋に戻って寝ることにした。
俺は布団の中で何かを察知したように、パッと目覚めた。湧きあがる怒りが手伝ってくれたのだろう、瞼は簡単に開いた。
時計に目をやると、また三時だった。恒例のように再びバイクの吹かす音が聞こえる。
またかよ! あんたの日課か!
俺は寝ている間に外れた耳栓を部屋の暗がりの中、手探りで探す。すると指先に耳栓の感触。枕元のウェットティッシュを一枚取って落ちた耳栓を消毒する。それを再び付けると、布団を深くかぶって音を追い払おうとした。
しかし当然のごとく排気音が俺の眠りを妨げる。
もう勘弁してくれよ、はぁ……睡眠導入剤欲しいわ……。
それから30分ほど待っても吹かし続けている。
ったく、他の住人はうるさいとは思わないのかよ! 毎晩毎晩こんなすぐそばで音がしてんだぞ? みんな恒例行事だと諦めてるのか? それとも全員そろって耳が遠いのか?
「うるせぇ!!」
寝不足でイライラがピークに達していた俺は、どうせ聞こえないだろうと思いつつ、布団にくるまりながら叫んだ。
するとエンジンが止まり、あたりに静寂が戻って来た。急に無音になり、あたりが不気味に静まり返った。逆に心細くなるくらいに。
あれ……? 聞こえたのか? やっぱ裏野そんなに壁薄いのかよ。へこむわー。……まぁでもわかってくれたか……ハァ……。
最近睡眠不足が続いて、かなりストレスが溜まっているのかもしれない。ちょっと声を荒げてしまった。
もしここの住人だったら謝っておこう。出来れば仲良くなって穏便にすませたい。話せば分ってくれるだろうし。
そして俺は再び寝ようと布団をかぶり目を閉じた。
その直後、再びエンジン音が響いた。そしてまた狂ったように吹かし続ける。
俺は目を血走らせ眉間にシワを寄せる。すぐさま飛び起き、窓際へ行った。と同時にエンジン音が移動し始めた。
窓の下を睨むように覗くと、黒い塊は浦野ハイツの正面にある直線道路に走り去って行った。
「あの野郎……っ!」
いつのまにか俺のイライラは怒りに変わっていた。激しい運動をしたわけでもないのに、胸が熱くなり呼吸が激しくなった。酸素が減ったような感覚に陥り思わず胸をさする。
まぁ去って行ったからもう今日は平気だろう。しかしこう連日だとたまったモンじゃない。なんとかしないとな。
「頼むから寝かせてくれよ……」
そう呟いて倒れこむように布団に飛び込んだ。頭にのぼった血が一気に下がったのか、その直後に俺は寝てしまった。