一日目 ――楽しみな新生活――
※無謀にも夏のホラー2016参加作品ですが、裏野ハイツは出てきません。私の技量では無理です……。
舞台は裏野ハイツの裏にある浦野ハイツです。(強引力押し)
しかもあまり怖くないです。温かい目で拍子抜けしてください。
※何の因果かこれを開いてしまった少数派の方へ。そして私の作品を最後まで解読出来てしまった賢者の方に一応注意書きを。
作中実際にやると危険ないたずらが出てきますが、これはフィクションです。やっちゃダメ! 絶対! おじいちゃんとの約束じゃ。
俺は暑さと作業で掻いた汗を拭いて、引っ越して来た部屋を見回す。
「大体おわったか」
失った水分を取り戻そうと冷蔵庫のドアを開けた。冷やしておいたコーヒーを取りだすと、渇いた喉を潤し一息つく。
まぁ感情的に家を飛び出して来たので、ほとんど荷物はない。荷解き自体はすぐに終わったのだが。
改めて見てもこの部屋であの家賃はお得だ。最初は何かあった部屋かと疑ったが、大家さんは特にそんな話はして来なかった。
バストイレ付きで収納の容量も申し分ない。むしろ一人暮らしには大きすぎるくらいかも知れない。それに前の住人が残して行ったらしいエアコンと冷蔵庫、それとそこそこ大きいテレビまで付いている。生活必需品ともいえるこれらを完全に失念していた俺は素直にホッとした。夏だしな。あと一つ完全に忘れていたが……。
家から出た原因は親父との喧嘩だ。
「俺、そろそろ一人暮らししたい」そう親父に言ったら『お前みたいな小僧に出来るわけないだろ』『丁稚奉公からやり直せ』と、今や使わないような言葉でバカにされ、取っ組み合いの喧嘩になったのだ。
しかし親父は現職の警察官だ。俺は今まで一度も殴り合いで勝てた試しがない。
二十歳を超えて俺は強くなり、親父はもう50代。なのに勝てない。体力は衰えているはずなのに、相変わらず親父は超つよい。右のストレートを避けたと思いきや、次の瞬間左から凶悪なフックが飛んで来ていた。それを顎に食らい俺は立てなくなった。問題は怒っていても親父は大分手加減しているという事だ。この調子だとまだまだ俺が勝つのは先になりそうだ。
しかし、
「バカにすんな! 一人でもやれる!!」
と、一応捨て台詞は残して来た。
初めてここに来た時は外観のボロさに不安になった。それもそのはず浦野ハイツは築30年で木造のボロアパートだった。剥がれた塗料や痛んだ屋根が時代の経過を感じさせる。それに階段も錆びつき、上ると軋んだ音を立てる。完全に俺よりも年上の建物だ。
台風でも来たらやばそうだな。
風化した建物を見てしみじみ思う。
しかし初めての一人暮らしだ、最初はこんな物件でいいだろう。それに家賃の安さはやはり魅力的だった。とはいっても、家賃の支払いに貯金を切り崩すのにも限界がある。俺は取りあえず徒歩十分にあるコンビニでバイトする事にした。ここに来る途中に面接を受け、すでに明日から行く事になっている。
面接の時、コンビニの店長は渡りに船とばかりに喜んでいた。逆に俺が少し引いてしまったくらいだ。『いやぁ助かったよ! 一人やめちゃって困ってたんだ』と目を輝かせて即採用してくれた。まぁ採用されなかったら、すぐに実家に帰ってまた親父と一戦やる事になるから俺としても助かった。まだ顔も痛むし。
部屋の整理も終わり、俺は引越しの挨拶をしに行った。
角部屋だし二つでいいな。
コンビニで買ったお菓子の詰め合わせをもって、隣と下の住人の部屋に向かう。しかし隣は空室で、表札もなかった。まぁ手間が減ったしラッキーと思ったのは内緒だ。それになにぶん家賃が安い部屋だ、壁が薄いかもしれない。
隣が毎夜うるさかったりしたらヤだしな。
軋む鉄階段を降りて下の『103号室』に向かった。チャイムを何回か押したけど反応がない。奥でチャイムが鳴っている音がするから、壊れているわけではないだろう。一応ノックもしたが、どうやら留守のようだった。玄関の脇を見ると、ポストにチラシや郵便物がパンパンに詰まっていた。もしかしたら数日帰っていないのかもしれない。まぁまた今度来ればいいだろう。
テレビを見ていたら何時の間にか夜になっていた。
一緒に生活する人間がいないと、時間を自由に使い過ぎてしまうな。それに話しかける相手がいないのは案外寂しい。まぁその内慣れると思うけど。
テレビを消して無音になった部屋でシミジミと思った。
俺は急いで布団を敷く。そして寝付いたくらいで切れるように、エアコンのタイマーをセットした。寝苦しくて起きてしまうかもしれないが、一応電気代はなるべく節約だ。布団に入り目をつぶる。
一人暮らし初日の夜は、異様なほどに静かだった。この近くにある建物は殆ど住宅街で、夜までやっているようなお店とかもないから当然だが。生活音が全く聞こえない。まるで世界から人が消えたような静けさだ。
まぁ静音性に関しては完璧な物件だなココ。
俺は実家では耳栓が無いと眠れない人種である。しかしここではもう必要ないかもしれない。久しぶりに朝起きた時の耳の痛みから逃れられそうだ。それと耳栓いらずの部屋なら起きた時に耳栓がどこかに消えるちょっとしたストレスから初めて解放されそうだ。
初めての一人暮らしだけど、ほんと良い物件に引っ越して来たもんだ。その内ここから離れられなくなるかもな。
しかしそれから二時間、俺は何故か眠りにつく事が出来なかった。何度も寝がえりを打ち体勢を変えてみる。それでも睡魔は一向に俺を眠りに誘う気はないようだった。
う~ん、どうしたものか……。明日からバイトなのに、疲れた状態でいきたくないぞ。
眠りたいのに眠れないという焦りが俺をさらに睡眠から遠ざける。
なんとなく、鼻を近づけ布団と枕のニオイを確かめる。
特にニオイはしないが……、やっぱ他人の布団と枕に抵抗を感じてんのかもな。
家を出る時感情的になっていた俺は、まず持っている中で一番大きなバッグを捜した。それに入るだけの服と雑貨を適当に詰め込んだだけで、布団の事は完全に失念していた。
大家さんにその事を話したら『使ってないのがあるから』と、貸してくれた。それに文句をつけるのは筋違いだが……。眠れないのは布団が原因としか思えなかった。
でも布団を取るためだけに家に帰るのはイヤだし……。
『それ見たことか』と、勝ち誇った親父の顔が浮かぶ。それを振り払うように俺は瞼を強く閉じた。
瞼は重いのに眠れない。頭が痛い訳でもない、喉が渇いている訳でもない。体に特に違和感は無い。でも眠れない。
親父とのバトルと引越しで疲れてるのにな。バトルと言っても俺がワンパンでノされただけだが。しかし親父異常の強敵がいようとは……。
俺は一人暮らし初日に現れた敵、不思議な寝苦しさと戦っていた。
すると――。
『ブォン』
壁の向こう側、下の方からエンジンがかかる音が聞こえて来た。103号室の脇あたりだろうか、頭の下から聞こえる。そして二度、三度と空吹かししている。この音はおそらくバイクだろう。
ん? もしかして下の人か? 帰って来たのか?
上半身だけ起こして、デジタル時計を確認すると夜中の三時だった。
それとも誰かが夜勤にでも行くのかな?
俺は再び眠りにつこうと目を閉じる。はぁ……早く眠りたい。
しかし――。
『ブォン、ブオン』
一向にバイクは発進しない。ずっとその場にとどまりエンジンをふかし続けている。う~ん、エンジンを暖気にも程があるとおもうが。大体の人間が寝てる時間だろうし、早く行ってくれよ。
「うるせぇなぁ……」
俺はおもわず口に出して毒づく。
そして文句を言いに行こうと思った……が。
俺が引っ越して来た事知らないのかもな、それに初日にいきなりトラブル起こすのも……追い出されてもヤだし……。あ、そうだ耳栓、耳栓。
俺は持ってきた荷物から愛用の耳栓を取り出して付けた。すると少しは排気音を遠ざける事が出来た。そしてエンジン音をより遠ざけようと布団を頭に深くかぶって瞼を強く閉じた。
それから何時の間にか俺は眠ってしまっていた。