ついに始まった魔法使いの修行
まずはルナルナが魔法を使うところを見たい。
昼食後に弟子達二人を外の広場へと連れ出したセレスはそう告げた。つかみどころのない少女の口から魔法の制御に失敗するということは聞いたが、やはり実際に使ってもらってそれを自分の目で確認するのが一番だからだ。幸い少女は氷の魔法の使い手だし、以前ミーアがやったそれのように資産への莫大な被害が発生することは無いだろう、多分。
ルナルナはセレスの言葉にこくりと頷いた。とはいえその表情には不審と不満が覗いていたが。ちなみに、今ルナルナが着ているのは宿泊施設に常備してあるフリーサイズの運動着だ。ルナルナは服をほとんど持ってきていなかった為、セレスが用意したそれにしぶしぶ着替えたのだ。
セレスは石で作られている壁の前へと少女を誘った。それは魔法の命中精度の練習に使う壁で、黒い煤やヒビ割れが三箇所、一定の間隔で並んでいた。過去にいた弟子達がそれぞれの技量を競った跡だろう。
「それじゃあやってみてくれ。魔法は……《氷飛礫》でいい」
「……ん……」
「ルナちゃん、頑張って」
念の為ミーアにはある程度距離をとってもらう。セレスはルナルナの側面に立ち、少女が魔力を集中し始めるのを留意して見つめていた。
「我が手に集まれ、清らかなる氷雪よ……」
的に向かって手をかざす少女の中に、凍てつく魔力が集まり始める。それはやがてゆるやかな川のように落ち着いた流れでルナルナの突き出した腕へと集まりだす。セレスの目には、ここまでなんの異常も見られない。今のところ、ミーアのようにありえないほどの魔力を凝縮してしまうということもない。
「……輝く礫となり、凍える吐息を浴びせよ」
やがて少女の詠唱が完了し、いよいよ魔法の言葉を解き放つ時が来た。
「《氷飛礫》……」
「っ……うわあ!?」
セレスは悲鳴と共にその場を飛び退った。的に向かうはずの氷弾は現れず、代わりにセレスに向かってその魔法のなれの果てか、いくつもの氷の粒が大量に飛来してきたのだ。
特に慌てた様子もなくルナルナはセレスの方に向き直る。
「ごめんなさい……失敗した……」
謝罪の言葉を口にはしているものの、本当に申し訳ないと思っているのか今ひとつ判別できない態度と表情だった。いや、無表情はこの少女の基本的な顔つきではあったのだが。
――おかしい、コマンドワードを口にするまでは何の異常もなかったのに……?
大抵の場合魔法の行使に失敗しても、それはただ単に魔法が発動しないだけで辺りに被害を及ぼしたりはしないものだ。ミーアという前例があるとはいえ、彼女は例外中の例外だと言ってよい。セレスは首を傾げる。そこに駆けてくる足音が聞こえてきた。
「おおおおおおおおおししょーさまっ!? だ、大丈夫ですか!?」
側にやってきて不安げに自分を見上げるミーアに、セレスは大丈夫だと声をかけた。たちまち少女が安堵する。
「ん~、確かにルナルナにも何やら問題がありそうだね……」
セレスは腕を組みながら唸る。ただ、何かがひっかかるのだ、何かが。
体を反転させ、セレスは先ほどの場所に立ったままのルナルナに言葉をかける。
「悪いけどもう一回だけやってもらっていいかい?」
ルナルナは不承不承といった様子で頷いた。再びミーアには離れてもらい、自分は先ほどのように魔法を詠唱する少女の様子を注意深く見守る。そして……。
結果は同じだった。またしてもコマンドワードの発音と同時に、冷気と氷塊とがセレスの体を襲ったのだ。そのうえ先ほどよりも数と勢いが増しており、セレスはいくつかの礫を避けそこなった。
……セレスはルナルナにもミーアと同じ修行を課すことに決めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はい、そこまで」
「はあ……はあ……」
「……」
この世界を十分に温め終えた太陽が役目を終え、遠い山の稜線へと隠れようかとしている頃。二人はセレスの指導の下、魔力をコントロールするすべを身につけんがために、野外に座って言いつけられた修行に専念しているところだ。昼食を食べた後から数回の小休止を挟み、今日はずっとこの訓練をさせられている。
ミーアの前には鉄の容器が二つあり、それぞれの中には樹皮や葉を練り固めた細い棒状のものが沢山入っていた。これは先端に火を点けると端から燃え尽きていく代物で、左の器にはまっさらな新品が、右の器にはすでに燃え尽きて灰となっているそれらが何本も入っていた。ミーアは左の器の中にあるその細い棒を手に取り、魔力を込めた指先で端に小さく火をつけ、右の容器にそれを入れるという作業を繰り返し行っている。
ミーアから少し離れたところに座っているルナルナの前には、中がいくつもの四角の升目で小さく区切られた木の箱がある。ルナルナが対峙している箱はその一つ一つの升に水が入れられており、それをやはり魔力を集中させた指先で一箇所ずつ凍らせるという作業をやらされていた。
そしてそれは一目見て分かるように相当面倒な訓練らしい。ミーアはすでに涙目になっており、ルナルナは眉間にしわを寄せている。
最初の頃は二人とも一つ一つに時間をかけて上手く対処していたのだが、やがてセレスが制限時間を設けたせいでスピードアップを余儀なくされ、途中で何度も棒を一瞬で燃やし尽くしてしまったり、複数の升の水をまとめて凍らせてしまったりした。そのたびにセレスは新品を補充したり氷を水に戻したりして二人に「はい、もうワンセットね」と悪魔のような笑顔で宣告していた。
二人はもう精魂尽きたのか、へとへとになっているのがセレスの目にもよく分かった。もちろん、そんな可愛い弟子達にかける言葉は一つだ。
「はい、もうワンセットね」
ミーアとルナルナ、両者の顔が絶望に染まる。あまりのショックに魔力が暴走したのか、辺りに火の玉が飛び散り、あまつさえ氷塊がセレスに向かって飛んできた。セレスはそれらに冷静に対処し、ここ数時間の内一番優しい声音で少女達に伝えた。
「頑張れ。このワンセットで今日はとりあえず終わりにするから」
「うう、はいぃ……」
「……」
ミーアはやっと終われる、という表情で。ルナルナはまだやるのかこのクズ野郎、という表情でそれぞれの修行を再開した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「もう駄目です……」
「……」
二人の少女がぐったりと円卓に突っ伏していた。ルナルナは無言だったが、唇の動きがあのクズ……、という悪罵を刻んでいた。
セレスは少女達を見下ろし、にっこりと微笑む。
「二人ともお疲れさま。今日の夜御飯は僕が作ろう。ゆっくり休んでおきなさい」
返事をする気力もないのか、軽く動いた後頭部が両者の答えだった。セレスは鼻歌を歌いながら台所の方へと向かう。扉が閉まるのを確認すると、ルナルナが顔を上げてミーアの頭部のつむじを見ながら口を開いた。
「ミーア……大丈夫……?」
「ありがとルナちゃん……何とか平気だよ……」
心配する少女を安心させようとしてか、ミーアは机の表面に顔を押し付けたまま何とか答えた。とはいえ、その声音は逆に気を遣わせてしまいそうな弱弱しいものであったが。
「しかし……こんなこと学校ではやらなかった……本当に上手くいくの……?」
ルナルナが口にした疑問に、ようやくミーアは顔を上げ、自分を窺う空色髪の少女を見た。視線の先には、学校でよく向けられていた心より自分を気遣う瞳があった。
「まだ分からない。でもね、ルナちゃん。さっきの修行、最初のワンセットの時と、最後のワンセットの時で明らかに魔力を制御できた回数が違ったの。まだあんまり早くは出来ないけど」
「……」
ルナルナは黙したままミーアを見つめている。
「だからね……あたし、おししょーさまのやり方を信じるよ」
「……そう」
ルナルナはそれだけ告げると再び顔を伏せた。ミーアも小さく微笑んでそれに倣う。台所からは小気味のよい鼻歌と野菜を切る音が聞こえてくる。
「まったくいい気なもの……こっちはこんなに疲れてるのに……」
「文句言っちゃだめだよルナちゃん。おししょーさまだって疲れてるはずだもん。それなのにわざわざ料理当番を引き受けてくれたんだから」
「……それは理解している……愚痴を言いたくなっただけ……」
「ふふっ……」
少女達が自分のことを噂していると知ってか知らずか、しばらくしてセレスが姿を現した。その手には大きな鍋が握られている。
「お待たせ、今日はシチューにしたよ。多めに作ったから存分におかわりするといい」
その言葉と食欲をそそる美味しそうな匂いに二人はようやく面を上げた。現金なもので、どちらの顔にも笑みが張り付いている。そんな少女達の顔を見やりながら、セレスも一点の曇りもない笑顔で宣告する
。
「あ、ちなみに今日やった修行は明日以降も基本的に毎日行うからそのつもりで」
二人の顔に一瞬にして暗雲が垂れ込めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
楽しい食後のひと時も終わり、昨日ミーアにしたようにルナルナへと毎朝の起床時間を伝えたセレス。ルナルナは首肯するが、なにやらいつもと違ってその表情には敵意がない。どうやら睡魔が少女のところにやってきたらしい。とはいえ、ミーアもそれに関しては同様のようだ。
「さすがに疲れたみたいだね。もう今日は寝てしまいなさい」
「……はい、お休みなさい……おししょーさま……」
「……お休み……」
二人はあいさつもそこそこに部屋に入り、明かりもつけずにベッドにそそくさともぐりこんだ。ミーアは二日目だからもう多少慣れているが、ルナルナは少なからず違和感があるようだ。
「慣れないベッド……隣の建物にいるのは野獣のような男……眠れるか不安……」
「ル、ルナちゃん駄目だってば。おししょーさまにそんなこと言っちゃ。それにルナちゃんだっておししょーさまが良い人だってのは分かってるんだよね?」
「……油断は禁物……でもミーアは安心して眠るといい……私がついている……」
「あはは、ありがとルナちゃん。あたしもいつか、ルナちゃんを守れるような立派な魔法使いになるよ」
「……」
暗闇の向こうにいるはずのミーア。会えなかったわずかの時間にどれだけの変化があったのだろう。寮にいた時とは違い、その声音からはかつて不安に苛まれていた少女と同じとは思えない、小さな、しかし確かな信念が感じられた。
「だから……ルナちゃんも……安心して……ふああ……眠ると……いい……よ……」
疲労がミーアを速やかに眠りへと誘う。ルナルナは心の中でお休みと言葉をかけ、まぶたを閉じた。




