始まる共同生活
「それじゃ、ミーアはこの部屋を使ってくれ。ベッドが三つ並んでるからちょっと狭いかもしれないけど」
「いえっ! 学校にいた時も相部屋でしたから! ありがとうございます!!」
先ほど二人が面会した小屋に隣接して立っている、大きいがやや古びた四角の建物の中で、ミーアはセレスへふかぶかと頭を下げた。
この建物は入り口の扉を開けると大きな円卓と複数の椅子が置かれた大部屋があり、主に食堂として使われる。そしてそこから奥へと伸びる廊下の右手に、弟子達を寝泊りさせる共同部屋があった。セレスは戸を開け、中にミーアを誘う。
先ほどの感謝の言葉に偽りはないのか、笑みを浮かべながらセレスが開けたドアをくぐって中に入るミーア。少女は部屋の一画を占めている三台のベッドの内一番手前側のものに近付くと、ぽんぽんと叩いて手触りを確かめた。
セレスは遅れて部屋の奥に歩みより、窓を開ける。入って来たそよ風が部屋の中の微細な塵を浮かび上がらせた。
「ちょっと前に掃除はあらかたやったんだけど、ね。最近誰も使ってなかったから少し埃っぽいかな?」
寝具から目を離し、窓際に立つセレスに向き直るミーア。
「ぜんぜん問題ないですよ!! あ、でも本当にいいんですか? その……パサラン先生の手紙にもおそらく書いてあったと思うんですけど、特例として学校に籍を置いたままこちらで学ぶことになってるはずですから、おししょーさまにはあまりお金が入ってこないはずです……さっきの薬草のこともあるのに……」
先刻の事件を思い出したのか、言葉の途中から元気をなくし、うな垂れるミーア。セレスはそんな少女を力づけようと、殊更に明るい声を出した。
「なーに、大丈夫!! あれくらいの損失は大したことは無いさ。だからミーアもあまり気にしないで」
もちろん損失が大したことは無いという部分は嘘である。ミーアもそこは察しているのか、顔を上げはしたものの、でも……と力なく呟いた。
「まあどうしても気になるっていうなら、授業以外のことで君にもいろいろと働いてもらうよ。もちろんただ働き。それでつり合いは取れるさ。だから、ね?」
だから、そんなに悲しそうな顔をしないで。
というセレスの言外の声が聞こえたのか、ミーアにようやく笑顔が戻った。
「はい、分かりました。それでは改めて。今日からよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね。ミーア」
お互いに頭を下げ、やがてどちらからともなくはにかむ。
「それじゃあミーア、さっそく夜御飯の仕度を手伝ってくれるかな?」
「は、はいっ!! が、頑張りますっ!!」
両の拳をぎゅっと握り、力強く宣言するミーア。元気を取り戻してくれたミーアと共に、セレスは台所へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食を美味しくいただき――ミーアは中々料理が上手だった――二人は食後のひと時を満喫していた。
セレスは今まで住み込みで弟子を取った時はいつも、食堂であるこの円卓で彼ら彼女らと一緒に食事をすることにしていた。その理由は当初、己の師匠が自分に対して取った方法をそのまま踏襲しているだけだったが、今ではもちろんかつての師がなぜこういった方法を常に取っていたのかを大体は理解していた。
「ミーアはちゃんと料理も出来るんだね」
「はっ、はいっ! べ、別に変な味とかはしませんでしたよね?」
「あはは、大丈夫、美味しかったよ。いや、大抵魔法使いを目指す子達ってそういう料理とか掃除とかが苦手だったりするからね。ちょっと驚いただけさ」
「そうなんですか? でもそういえば、学校ではあたしも含めてみんな食堂で食事をしてましたね。あたしは家でよくお母さんのお手伝いをしてましたから慣れてるんですけど」
「魔法使いは魔法を使うことさえ上手くなればいい……そう考える子が多いからね。とはいえ昔は僕もそうだったんだけどさ」
「……」
ミーアは何も言わず、己が師として仰ぐことになった男の柔和な顔を見つめた。
「さてと、では明日からの大体の段取りを君に教えよう。といってもリルドラ魔法学校みたいに厳密な時間割があるわけじゃないけど。ただ、朝寝坊だけはちょっと困る」
「はっ、はいっ!」
背もたれ付きの椅子の上でぴんと背筋を伸ばすミーア。セレスはそんな少女をにこやかに見つめている。
「まだ見てないかもしれないけど、君の部屋には時計がある。それが六の数字を示す時にはいつでも動けるようにしておいてもらいたい……あ、もちろん体調が悪い時は別だからね?」
ミーアはこくこくと頷く。
「まず朝食を軽くとる。本当に軽くだけどね、朝は基本的に運動の時間に当てるから」
「う、運動? ま、毎朝ですか?」
ミーアは驚いた。学校でも体を動かす時間はもちろんあったが、それはせいぜい五日に一度くらいの割合だったからだ。
「ははっ、ミーアは体を動かすのが苦手かな?」
「あうう……」
俯いて顔を赤くしてしまった少女に、セレスは優しく言葉をかける。
「魔法使いだって体を鍛えることは大切さ。もちろん武器を扱うこともね……やつらとやりあう為には必須の技術だ」
やつら。その言葉にミーアは森の中で自分を追い詰めたあの魔物達のことを思い出し、体を震わせる。
この国を群雲のように囲む異形の者ども。
この恐るべき生物と戦う術を持ちえるのは、一部の下級な魔物を除き、魔法使い、もしくは魔法の武器で身を固めた者達のみ。
「君もいつかはあのバケモノどもと戦うことになるだろう。その時、僕が教える武術がきっと役に立つはずさ。今日出会ったような連中にだって立ち向かえるようになる」
「は、はいっ!!」
武術と聞いたミーアは椅子の上で再び背筋を伸ばし、体をがちがちに硬くして答えた。それを見たセレスの表情が訝しげなものになる。
「何だかえらく緊張してるね……あ、そういえば、あの学校ではそういったことはほとんど教えないんだったっけ」
「は、はい。たまに軽い運動の時間はありますけど、その、武器を使ったりとか、そういったことはほとんど……」
「そうだったね。僕の師匠も言ってたけど、魔法使いだってそういう体を使った戦い方を学ぶべきなんだけどなあ」
「そ、そうなんですか?」
「パサランも僕と同じようなことを言ってなかったかい?」
「え、ええと、パサラン先生もおししょーさまと似たようなことをおっしゃってましたけど、他の先生方はほとんどの方が、魔法使いは魔法さえ上手く使えればいいって……」
「そう……相変わらずだね……」
セレスの口調には悲しげな響きがあった。
俺がこの学校を変えてみせるぜ、と豪語してリルドラ魔法学校の講師になったパサランの顔がセレスの脳裏に浮かぶ。しかし、やはりそうそう変革というものは出来ないものらしい。ただ、確実に少しずつは変わっていっているようだ。でなければ、おそらく今セレスの目の前にこの少女の姿は無かっただろうから。
感慨にひたりながらもセレスは続ける。
「大きな戦いの時、大抵は兵士達が魔法使いの盾になってくれる。でも、いつもいつもそうじゃない。腕のいい魔法使いが取るに足らない魔物に不意を突かれ、命を奪われる姿を僕は何回も見てきた。彼らが自衛の手段を覚えていたら、そんなはめにはならなかったかもしれない」
「そ、そうなんですか……そんなに凄い魔法使いの方も……?」
「魔法はね、決して万能じゃないのさ」
「え……」
「数日は軽い運動で体を慣らしていこう。戦いの術を教えるのはそれからにしようか」
「……」
「最初は簡単なものから始めるから。心配はいらないよ」
「……」
「……ミーア?」
「あっ!? ご、ごめんなさい!! ちょっとぼうっとしてました!!」
思考の海を漂っていたミーア。魔法は万能ではない。その言葉が、ミーアの心を強く揺さぶっていたからだ。
「昼間の疲れが残ってるのかな。森の中で怖い思いもしたんだし……気が回らなくてすまない」
弟子に対して頭を下げる師匠に対し、ミーアは慌てて答える。
「い、いえっ!! おししょーさまは悪くありませんから!! あたしの方こそぼんやりしててすみませんでしたっ!!」
その言葉にセレスは顔を上げ、笑みと共に双方が納得できるような折衷案を口にした。
「じゃあ御互い様ということで。それじゃ今日はここまでにしようか」
「は、はい……」
「ここでの生活や勉強に関してはおいおい説明していくから。とりあえず今夜はゆっくり休むこと。実際、見えない疲労が溜まってると思うし」
「わ、分かりました」
確かにセレスの言葉の通り、ミーアのまぶたは重りが吊られているかのように段々と下がってきている。お腹も膨れ、肉体的な疲労と緊張による精神的な疲れが睡魔という形になって現れ始めたのだろう。
「それじゃ、お休み。ミーア」
「はい……お休みなさい。おししょーさま」
ミーアは席を立ち、今日から自室となった部屋に向かって歩きだした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん……」
ミーアはベッドに入って毛布を被ると天井を見つめた。かつていた寮の部屋に比べて低いそれを見ていると、何だかこの世界に一人になったようで不安になる。醜悪な笑みを浮かべて自分に近寄ってきたあの犬頭の生物のシルエットも泡のように浮かんできた。慌ててミーアは他のことを考えようとその後に出会った少年の姿を思い浮かべた。
――おししょーさまはとても優しそうだし、薬草園を燃やしちゃったあたしのことも受け入れてくれた。でも……。
ミーアは体を横に倒し、隣の誰もいないベッドを見つめた。先日まで一緒に寮の同じ部屋で生活していた少女の姿を思い出す。
「ルナちゃん……」
――二年にもなって全く魔法が使えないあたしと同じように、ルナちゃんもあんまり魔法が上手くなかったなあ……。
今、こんなに心細いのも、きっとあの少女が側にいないからだろう。落ち込む自分を常に励まし、周りからのつらい視線からずっと守ってくれたたった一人の味方が。
「駄目だ……しっかりしないと……」
未練を断ち切るかのように、ミーアは体を元の仰向けに戻し、目を閉じた。
もうあのクラスメイトは側にはいないのだ。それにいつまでも守ってもらうわけにはいかない。この場所で一人前になって帰るのだ。そうすればあの子に心配をかける必要もなくなるし、お母さんだって喜んでくれる。
「あたし……頑張るから」
自然と漏れた誓いの言葉。
しばらくして、ミーアの口から穏やかな寝息が聞こえ始めた。




