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ミーアの事情

 天に広がる蒼穹には小さな雲がいくつも浮かんでおり、ときおり吹く風がセレスの住処があるこの大地の草や木々の葉を優しく撫でていく。


 修行の時によく使われているのか、踏み固められて草の生えていない乾いた土の上で膝を曲げてちょこんと座るミーアの前に、セレスは先ほど別室から持ち出したものをそっと置いた。それは子供達が持っているような中に綿の詰められたぬいぐるみで、四本足と長い尻尾を生やしていた。


「君はネコは好きかい?」

「は……はい……大好きです」


 ミーアはしげしげと目の前のそれを見つめながらそう答えた。セレスは満足そうに頷く。


「今君の目の前に、寒さに凍える子ネコがいると思ってくれ。今から君はその子ネコを暖めてあげるんだ」

「な、なるほど……子ネコさんが寒くて助けを求めてるんですね?」

「うん。そういうこと。それじゃあまずは炎を操る前に熱を出すことから始めてみよう。チャージスペルもコマンドワードも必要ない。意識を集中するだけでいい……魔力を集めるやり方は分かるね?」

「は、はい……」


 チャージスペルとは魔法を発動させるための下準備に必要となる呪文のこと。コマンドワードとはそうして準備をした魔法を解き放つ言葉のことだ。


「うん。それでは始めてくれ。僕は横でミーアの魔力の流れを見ておくから」


 この世界の住人なら魔力は誰しもが持っている。魔法使いとは、その力を炎、氷、雷の三つの形で顕現させる者のこと。『黒水晶』が示す通り、この少女はいつか偉大な炎使いとなれるはずだが……もちろん類稀なる魔力の持ち主も、それを完全に開花させることが出来ず、期待されたような名声を得ることなく終わった例もあるにはある。


 果たしてこの子は一体どちらなのだろう? セレスはぬいぐるみに手をかざした少女の真剣な横顔を見つめた。


 魔力の発現が上手くいかないということは、きっとどこかで無意識の内に魔力の流れを遮断してしまっているのだろう。セレスは今まで自分が見てきた前例からそう考えた。


 そんなセレスを知ってか知らずか、ミーアは目を閉じて一心不乱に手の平へと魔力を集めようとする。


「子ネコさんをあっためる……子ネコさんをあっためる……」


 セレスの五感はミーアの体の奥から生まれた魔力の奔流をとらえていた。それはやがて少しずつミーアの両手の方に集まっていく。目を閉じて集中しているミーア。ここまで別におかしなところはない。


「……子ネコさんをあっためる……子ネコさんをあっためる……子ネコさんをあっためる……!!」


 ――何!?


 突然、熱を生み出すだけにしてはあまりに大きすぎる力がミーアの中に生まれた。少女はそれに気付いていないのか、その力を全て両腕へ纏わせる。セレスは慌てて、今、力を解き放たんとしている少女を止めようと手を伸ばす。


「い、いや、ちょっと待ってミーア!! その魔力はまずい……!!」

「えい!!」


 制止の声も空しく、ミーアの手から力が放たれた。

 子ネコを暖める熱などというような可愛いものではなく、大人一人を軽く飲み込んでしまえるような、巨大な炎の玉が。

 それはたちまちぬいぐるみを飲み込み、一瞬で業火に包んだ。燃え盛る炎の中に見えるシルエットを呆然と見つめたまま、ミーアは放心したように呟く。


「ふえ……子ネコさん死んじゃいました……あたしが殺しちゃいましたあああ……!!」

「お、落ち着いて!! あくまでそれはただのぬいぐるみであって本物じゃ……!!」

「ふえ……ふええええええっ……!!」

「だ、大丈夫だから冷静に……ぎゃああああ!?」


 自失したミーアは先ほどとは比べ物にならないような魔力を体内に生み出し、それを全身から燃え盛る火炎としていくつも吐き出した。

 セレスは慌てて氷の魔法で炎の勢いを弱めようとするが、あまりの数と勢いに追いつかない。やがて泣きじゃくるミーアは一際大きな紅蓮の塊を産み出し、慟哭のままに前方へと解き放った。

 その先にはセレスがせっせと育てている、高価な薬草などを植えた庭園があった。風に揺られて嬉しそうに体を伸ばす色とりどりの草花に、赤い舌を持った凶悪な獣が襲いかかる。そして……。



 燃えた。

 こんがりと燃えた。

 完膚なきまでに燃やしつくした。



 打ちひしがれるセレスの前でミーアがひたすらに頭を下げている。


「ふええ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「い、いや、気にしないで。むしろ今回の件は僕の考えがあさはかだったのが原因だ」


 薬草園を含め、あたりに四散した火の手を慌てて氷の魔術で押さえ込もうとしたセレス。努力のかいあって火勢はじかに収まったのだが、一際大きな火球が直撃したセレスの庭園は見るも無残な姿になってしまった。


 しかしセレスはミーアを責める気はなかった。先ほど己が口にした通り、セレス自身のミスと言うべきであろう。魔力の制御が出来ないと聞いて、今までセレスが面倒を見てきた子達と同じように、魔力を集めて魔法を発現させることが出来ないのだと勝手に早合点してしまったのだ。だが実際はそうではなくて、ミーアは強大すぎる力を持て余していたのだった。


 焼け焦げた辺りを見回しながらセレスは心中で呟く。確かにある意味とびきりだ、と。


 正直、薬草園が焼失したのは痛い……いや、むしろ大打撃なのだが、セレスの家屋に飛び火しなかったのが不幸中の幸いというところだろう。もちろん、セレスやミーアが無事であったことも。


「あ、あの……」

「うん?」


 今度薬草を植える時はもう少し離れた場所にしようか、などと考えていたセレスの思考はミーアのか細い声で中断された。


 視線を小さな姿に向けたセレスは思わず息を飲む。見上げる少女の瞳に涙の粒が浮かんでいたからだ。


「あ、あたし……ここも出て行かないといけないんでしょうか……?」

「え?」

「お、お願いします! あたし何でもします! だからここにいさせてください!!」

「ミ、ミーア?」


 ついに少女の瞳から涙が零れ落ちた。セレスは勢いに押され、見守るしかない。


「あたしっ……ここ以外にもう頼る場所がないんです!! だから……だから……!! さっきのこともいつか必ず弁償しますから……!!」


 しゃくりあげ、必死に言い募るミーア。セレスの脳裏には少女にかけるべきいくつもの言葉が浮かんだが、やがて。


「大丈夫」


 ぽん、と軽くミーアの頭に手を乗せてセレスは優しく微笑んだ。こんな時、千の言葉よりも一つの笑顔が人の心を安心させるということを、セレスはかつての経験から知っていた。


「出ていけだなんて言わないよ、ミーア」

「ほ、ほんとですか……?」


 自分のしでかしたことに対してそんな言葉が返ってきたことがあまりにも予想外で、半信半疑で問い返すミーア。そんな少女の頭を優しく撫でてやり、セレスは言葉を続けた。


「うん。だって君は、僕の大事な弟子だからね。弟子が一人前になるまで面倒を見るのが師匠の役目だろ?」

「あ……!!」


 驚きに見開かれたミーアの瞳から、再び涙の粒が零れた。溢れる感情を抑えることが出来ず、泣きじゃくるミーア。


「今日からよろしくね、ミーア。僕も師匠として精一杯、君を導いていくよ」


 ミーアは目をごしごしとこすり、涙を拭った。そして何とか作れた泣き笑いの顔でセレスを見上げ、ありったけの声で叫ぶ。


「はいっ!! ありがとうございます、おししょーさま!! あたしも全力で付いていきますっ!!」


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