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戦慄の夜がすぐそこに

「よう、やってるか?」

「あー!? パサラン先生!!」


 土を踏みしめる足音と共に、黙々と魔法の訓練を行っていたミーアへと話しかけた長身の男。まだらな顎髭の上にある口は皮肉げな笑みを浮かべて、目の前の光景を灰色の目で楽しそうに見やっている。


 ミーアの声を聞きつけて真っ先にやって来たセレスは非難の声を上げた。


「パサラン!? 君って本当に唐突だよね。せめて来る前に手紙くらい出してくれたらいいのにさ」

「すまんすまん。でもどうせこの場から動いたりはしないだろ、お前は」


 そこにルナルナ、クナイも集まってくる。


「パサラン先生……御久しぶり……」

「よう、お前も元気そうでなによりだ、ルナルナ。……そっちの黒い娘さんもセレスの弟子かい?」

「拙の名はクナイに候。以後お見知りおきを」

「ほう、お前さん東方の出か」

「いかにも」

「はははっ、セレスよ、お前んところは楽しそうでいいねえ。こっちは毎日お偉い方とガキ共との板ばさみだ。気の休まる暇もねえや」

「まあ、大体の予想はつくよ。本当、君も大した奴だよね」


 セレスの言葉にパサランは肩をすくめる。


「ははっ、まあな。まだ続いてることに俺も驚いてるよ」

「パサラン先生。あたし達の様子を見に来てくれたんですか?」

「もちろんそれもある。どうだ? 多少は上達したか?」

「はいっ!! あたし、やっと魔法をちゃんと唱えられるようになったんですよ!!」

「ほう!? この時期にか!? 俺の予測だともう少しかかると思ってたんだがな、大したもんだ」

「えへへ……おししょーさまのおかげです!!」


 胸を張るミーア。パサランは己が気にかけていたもう一人の少女へ顔を向けた。


「お前はどうなんだルナルナ? 問題は解決したか?」

「……ええ……私ももう魔法を完全に使いこなせるようになった……ありがとうパサラン先生……」

「ははっ、俺は特に何もしてないぜ。礼ならセレスに言ってやれ」


 ミーアに気付かれないよう、当事者にしか分からないやりとりを交わす二人。そんな両者をセレスは何も言わずに見つめていた。


 己の懸念が晴れたパサランはセレスの側に歩み寄り、その肩に手を置いて三人の少女達へと向き直った。


「んじゃ今からは大人同士の時間だ。お前らの師匠をちょっと借りるぜ」





「邪魔するぜ。しかし相変わらず狭い家だな」


 パサランは慣れた手つきで椅子を引いて座り、今ではセレスの家となっている建物の中をぐるりと見回した。


「師匠もそうだったんだろうけど、一人で暮らすならこれくらいのスペースで十分なのさ。しかし会うのは三年ぶりくらいになるのかな?」


 パサランはその言葉にここを出て行ってからの記憶を辿る。セレスとは手紙で時々連絡を取り合っていたものの、実際に会うのはその日以来だという事実を思い出した。


「まあそれくらいだな……挨拶が遅れたな。ただいま、セレス」

「御帰り、パサラン。何か飲むかい?」

「きつい酒ならなんでも……冗談だ。いつものやつを頼むわ」

「了解」


 家の主は隣の部屋へと入り、かつてセレスとパサラン、そして二人の師匠による共同作業で設置された冷蔵用の箱を開けた。先日新たに新調しておいた二つのドリンクを手に取ると席へと戻る。


「はい、どうぞ」

「ありがとよ……やれやれ、生き返るぜ」


 たちまち半分ほどを胃袋に収めたパサランを見つつ、セレスも自分のカップを口元へと運んだ。舌を潤す冷たい果汁が心地いい。


「暑くなってきたからねえ……アルサンデまでどうやって来たの? やっぱり馬車?」

「ああ、俺はお前みたいにアレは使えないからな」

「……そもそもあの魔法は旅行用じゃないと思うけどね」


 パサランが言っているアレとは《雷光一体化ライトニングユニフィ》のことである。元々は相手の背後に回る時などに使うものであり、先日セレスがやったような移動時間を短縮する為のものではない。いろいろと制限もあるし、よほどの事態で無い限りセレスはあの魔法を使うことは滅多になかった。


 残っていた杯の中身を一気に飲み干し、パサランはいささか真面目な顔になる。


「そうそう、うちの学校のアホが迷惑をかけたようだな」

「ああ、あいつか……まさか街中で魔法を使うとはね」

「まあな、とりあえず穏便に処理しようとしてたお偉い方のケツを叩いて査問にかけさせた。結局謹慎させるのが精一杯だったがな。あの連中の、魔法を使える者が一段高いところにいるという価値感はほんとどうにかならないもんかねえ?」

「ん……でもありがとう。それって結構危ない橋だよね?」

「なに、大丈夫だ。俺にはあのお偉いさん方とやりあう切り札がある」

「? なんだい、それは?」


 首を傾げるセレスに、パサランは肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。


「俺、あの連中とやりとりする時、いつも俺達の師匠の名をちらつかせてるから」

「完全に虎の威を借りてるね!?」


 昔、セレスとパサランの師匠は魔法学校に単身乗り込み、校舎を半壊させたことがある。それ以来あの学校では二人の師匠の名は災厄以外の何物でもなかった。


「そういや、師匠はあれから帰ってきたのか?」

「いや、君と一緒で糸の切れた凧状態さ。居場所がさっぱり分からない分、君よりもたちが悪いけどね」

「そうか……ま、あの人なら大丈夫だろ。あの人がピンチに陥った姿は想像できん」

「……そうだね」


 セレスの答えに間があったのは、ただ一度だけ己の師が敵に背を向けなければいけなかったことがあるのを知っているからだ。


 パサランはそれに気付いてるのかいないのか、背もたれにふんぞり返っていた上半身を起こすと机に肘をつき、両手を組み合わせてセレスを見た。


「さてと、じゃあ今日の本題に入ろうか」

「ああ……『戦慄の月夜ブラッドムーン』の話だね。時期はもう確定したのかい?」

「ああ。黒の月が白の月を覆い隠す夜……それは今から丁度十五日後だ」


 魔物の守護者たる黒の月。

 人間の守護者たる白の月。

 二つの月は常にこの大陸の上を周回しているが、毎年の一日だけ、黒の帳が白の光を完全に覆ってしまう夜がある。


 その日は決まって魔物達の凶暴性が増し、普段は組まないような徒党を作って人間の住処へと押し寄せる。いつもは深い森の中から出てこないコボルドなどの下級妖魔もその日だけは例外だ。


「僕はいつも通りアルサンデの防衛に参加する。ミーアとルナルナはどうなるんだ?」

「安心しろ、お前が不安だろうと思ってな。二人はこの街に配置されるように手配しといた」

「それは……すまない、本当に助かるよ」


 大きな魔法学校の生徒達は二年になると、この防衛の戦いに参加することが義務付けられており、それはFクラスにも適用される。ミーアのような不確定要素はあくまで例外中の例外であり、大抵の生徒は《魔炎灯》で戦場に明かりを灯すくらいの役には立つのだ。


「俺も多分いずれかのクラスのガキ共と一緒にこっち側へ配置されると思う。まあ、過去の例から言ってもそこまで大物は現れないはずだしな。気楽に行こうや」

「そうだね……去年はコボルドやゴブリンから始まって、厄介だったのは空を飛ぶジャイアントバット。一番の大物だったのがアイスゴーレムだったかな」


 セレスは一年前の戦いを思い出しつつ述懐する。成人した人間の三倍以上の体躯を持つその氷の化け物を、炎の魔法で焼きつくしたのがセレスだった。


「ま、その辺の詳しい話は今度街の代表達との会合の時にするか。お前もその会には出席するだろ?」

「もちろん」

「よし、じゃあその時にまた詳しくな。俺はそろそろお暇するわ」

「もうかい? 泊まっていってくれると思ったのに」

「俺はここら一帯への連絡担当なんだよ。まだ周る場所があるんだ。すまんな」


 いつも通りの軽口だが、その声音は心底残念だという響きが混ざっていた。彼も可能ならば同門の士とゆっくり語り明かしたかったのだろう。それに気付いたセレスには無理に引き止めることはできなかった。


「そうか、仕方ないね……」

「おう、まあ戦いが終わったらまた遊びに来るさ」

「ん、分かった。それじゃ、今度はアルサンデで」

「おう、じゃあな!」





「あれっ? パサラン先生、もう帰っちゃうんですか?」


 荷物を身につけたまま出てきたパサランを見てミーアが不思議そうに尋ねる。実際、彼がセレスと一緒に扉の向こうに消えてから大した時間は経っていない。そんな少女にパサランは軽く笑う。


「俺はまだ新米だからな。お偉方からこき使われてて大変なのさ」


 ルナルナ、そしてクナイも彼らの下へとやって来る。


「その新米が……貴方が言うお偉方に……何度も食ってかかってるところを見た気がするのだけど……」

「俺は自分が正しいと思ったことは曲げない主義なんだよ。それ以外の時はちゃんと真面目にやってるぜ?」


 笑みを貼りつけたままルナルナの冷やかしに答えるパサラン。この言葉に嘘はない。言動はともかく、自分の責務はきちんと果たすパサランであった。


「そうなんですか……せっかく、あたしが魔法をいっぱい使えるようになったのを、先生にも見てもらおうとおもったのに……」


 しょげかえるミーアに、パサランはこともなげに答えた。


「なに、どうせその内にいやでも見せてもらうことになるさ」

「? どういうことですか?」

「……あの夜が迫っている?」


 言外の意味を察してか、真剣な眼差しになったルナルナにパサランは頷く。


「そうだ。詳しいことはセレスが教えてくれるだろう。んで俺はその関係でいろいろと足を使わにゃならんのさ」


 パサランはセレスの方を振り返る。


「あとは頼むぜ、セレス」

「ああ、分かっている」


 友の言葉に、セレスは真っ直ぐな視線でそう答えた。


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