再び、深い森の中で
セレスに助けてもらった時と何ら変わりのない鬱蒼と茂った森の中を、ミーアは一人で歩いていた。革靴が土や雑草を踏みしめるざくざくとした音が辺りに響く。太陽はその光をこの地表にも届かせてようと輝いているものの、大部分は分厚い枝や葉によって遮られてしまっており、ミーアの瞳はいもしない魔物の姿をその闇の中に何度も映し出し、びっくりして足を止める。そしてそれが幻であることに気付くとほっと胸を撫で下ろして、また足の動きを再開させるのだった。
ルナルナの力になりたい。その一心だけが少女を前進させる原動力だった。
ミーアは薄暗い地面に目を配り、たしかこの辺りだったという記憶と共に目的の花を探した。
先ほどクナイに対して、あの花を見たのはそこまで深いところではない、と言った言葉は本人に自覚はなかったが嘘に近いものだった。あくまであの日ミーアが迷い込んだ地点よりはまだ奥の方ではないという意味であり、この地に住む者達からすると、今ミーアが足を踏み入れているのは十分すぎるほどの危険をはらんだ場所だったのだ。
――大丈夫、大丈夫……コボルドやゴブリンなんて怖くない……あたし、あの時と違って今では魔法だって使えるんだから……。
そんな言葉で自分を励ましながら、ミーアは探索を続ける。その瞳が、ようやく捜し求めていたものを見出した。
「あった……」
デッサンとはあまり似ていないものの、そこに書かれていた特長を全て備えたとても可憐な花。一筋の木漏れ日がその鮮やかな青い花弁を暗い森に浮かび上がらせる。かつてミーアが森の中で迷った時に見た幻想的な光景。ミーアは喜びを顔にはりつけてその花の下へと近付いた。
「ルナちゃんを助けたいの……だから、ごめんね」
ミーアは太陽の光を気持ちよさそうに浴びているその花にそっと謝罪の言葉を投げかけ、やがてしゃがみ込んでポーチに入れてきた小さなスコップを取り出す。そしてそれをその花の根があると思しき土の中へと打ち込んだ。
慣れない作業だったので時間が掛かったものの、ミーアはようやく完全に掘り出し終えたそれを布に包み、己のポーチの中へスコップと一緒にしまい込んだ。
笑顔と共に立ち上がり、振り向いた瞬間、彼女の笑みが一瞬で凍りついた。十歩ほど離れたそこに、一匹の魔物がいたのだ。今でも時々ミーアの夢の中に出てくる犬の頭を持った魔物、コボルド。
いつの間にその場にいたのか、コボルドは醜悪な笑みを浮かべて小さな女の子をじっと見つめていた。連中の顔の区別など付かないミーアには分からなかったが、実はあの時ミーアを追い掛け回した三匹の内の一匹だった。
その化け物が右手に粗末な棒きれを持ち、残忍な瞳で自分のことを覗きこんでいる。
ミーアは悲鳴を上げてただひたすら逃げ出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま。すまない、遅くなった」
ミーア達の宿泊施設のドアを開け、セレスが足を踏み入れる。一人の妙齢の女性が後に続いた。
出迎えたのは黒髪の少女クナイ。その顔がどこかしら不安に満ちているのにセレスは気付いた。
「クナイ、ルナルナは大丈夫か? まさかあれから症状が悪くなったりは?」
クナイは見知らぬ女性に軽く会釈をした後、己の師の顔を仰いだ。
「ルナ殿に関しては朝より悪くはなっており申さん。ただ、ミーア殿が……」
「ミーアがどう……」
言いかけたセレスは円卓の上に置かれた開きっぱなしの本に気付いた。そして、そのページが何を示しているのかについても。
「クナイ、まさかミーアはこれを取りに行ったのか!?」
「その通りに候……。すまぬ、セレス師。やはり拙はあの時無理にでもミーア殿を引きとめるべきであったのかもしれぬ」
ふかぶかと頭を下げるクナイ。セレスはそんなクナイをしばし見つめ、やがて背後に立つ女性へと振り向いて口を開く。
「……先生、患者はそこのドアを開けた部屋のベッドに寝かせています。すみませんが後はお願いします」
「分かったわ。後は任せておいて」
知り合いの気安さで女医は荷物を片手にルナルナが眠る部屋へと近付いていった。
後には二人が残される。
「……セレス師……」
「クナイ。何も言わないでいい。本当は君もミーアについて行きたかったんだろ?」
「……」
こくり、とクナイは頷いた。その顔は後悔に満ち満ちている。しかしあの時ミーアが言ったように、その行動をクナイが取るわけにもいかなかった。
「僕が必ずミーアを救う……クナイ、だから安心して待っていておくれ。先生の指示にしたがってルナルナの力になってやって欲しい」
「……委細承知」
連れて行って欲しいという言葉をぐっと飲み込み、クナイは答えて背を向けた。セレスは先程入ってきたばかりの扉に向かって歩を進める。
外に出たセレスの視線の先に広がる巨大な黒い森。それに今飲み込まれようとしている一人の少女。
「今行く……ミーア、待っていてくれ」
セレスは小さくチャージスペルを唱え始めた。雷の魔力が活性化し、セレスの全身を包みこむ。セレスは前方を見据え、魔法の言葉を解き放った。
「《雷光一体化》!!」
言葉と共にセレスは雷光に包まれ、まるで水平に落とされる稲妻のように幾度も小さく屈折しながら暗き森までの草原を瞬く間に進んでいった。




