解き放て、炎の魔力を
ミーア、ルナルナ、そしてクナイの三人がセレスの弟子となって数週間が過ぎた。セレスにとっては感心なことに、少女達は勤勉な弟子であり、努力を怠るということをしなかった。
――そろそろかな。
セレスはいつものように訓練を行っているミーアをそっと見やりながら、心の中で呟いた。ミーアはあの細い棒に魔力のみで火を点ける修行を、当初よりも速く、より正確にこなせるようになっていた。
「よし、ここまでだ」
セレスは手をぱんぱんと叩いて少女達に合図をする。
いつもよりもかなり早いその合図に、三人ともそれぞれが疑問の眼差しで己の師の姿を見た。
「ひょっとして街に連れていってくれるんですか? おししょーさま」
「また……あの女に会いに行くつもり……?」
「……いまだ拙の知らぬ情報なり。ルナ殿、ぜひ拙にもご教授を」
「違うっ!! ルナルナも変なこと言うんじゃない!!」
セレスは顔を真っ赤にして吠えた。こほんと咳をし、ミーアに視線を向ける。
「ミーア、そろそろ大丈夫だと思う。魔法を使ってごらん」
「え、えええええっ!?」
ミーアはすっとんきょうな声を上げる。何しろ、今まではこの修行ばかり行って一度もチャージスペルすら唱えたことがなかったのだ。それはもちろん新たな被害を出さないようにするためのセレスの配慮だったのだが。
「もうミーアはこの修行でミスをすることはほとんどない。冷静にやれば必ず上手くいく」
「そ、それは《火炎戦斧》を使えとの御達しか? も、もしくは《火山爆天嵐》? ま、まさか《赤熱地獄》のことで?」
「何でそんなに高レベルの魔法ばかりなんだ!? 簡単な魔法に決まってるだろ!?」
なぜか顔を上気させているクナイにセレスは呆れ顔で答える。クナイはセレスが所持している魔法書を暇を見つけて読んでおり、魔法に関する知識だけは増えているのだがそれにはいささか偏りがあった。とはいえ、セレスも昔日は強力な魔法を使いこなす自分を夢想していたことがよくあったから気持ちは分かるのだが。
セレスは顎に手をあて、いくつかある初歩の魔法の候補から一つを選びだした。
「そうだね……まずは《魔炎灯》かな。あれならそんなに危険もないはずだし」
心の中で、ミーアじゃなければという言葉が自然に浮かんでしまったことは仕方ない。
「無念なり」
「だから何で君ががっかりするんだ!? やるのはミーアなんだぞ!!」
セレスがクナイからミーアに双眸を向け直す。まだ少女は自信が持てないのか、不安げに自分を見返す視線とぶつかった。
「だ、大丈夫でしょうか?」
おろおろと師と同門の仲間達との間で視線を泳がせるミーア。正面に立ったルナルナがそっとその両手を取った。
「大丈夫……自信を持つこと……ミーアなら出来る……」
「ルナちゃん……」
「そう。ミーアはもっと自信を持っていい。君は僕が課した修行を一日もさぼることなく続けてきた。最初の日に比べたら、魔力を操る精度も速度も段違いに上達している。あとはただチャージスペルを唱え、コマンドワードで正式な魔法として魔力を解き放つだけでいいんだ」
「拙も楽しみに候」
三人の期待に満ちた眼差しが少女の背を押した。ミーアはこくんと頷き、セレスを仰ぎ見る。
「あ、あたし、頑張りますっ!!」
「よし、いい返事だ。それじゃまずはチャージスペルの詠唱を。それは分かるね?」
「は、はいっ。暗記してますから!!」
《魔炎灯》はミーアが学校にいた頃に何度も何度も練習した魔法なのだ。忘れる訳はない。もちろん、魔法の行使はいつも失敗して辺りに炎を撒き散らし、やがて炎の暴帝という不名誉なあだ名を付けられることになったのだが。
嫌な思い出を振り払うように首を振り、安全の為に三人から少し距離を取って目蓋を閉じるミーア。深呼吸を行って心を落ち着かせ、やがて肘を曲げて右の手の平を上に向けると、桃色の口唇から言葉を紡ぎ始める。
「我が手に集まれ、数多の種火よ……」
ミーアは魔法の言葉と共に己が魔力に意識を伸ばした。今はその力も凪いだ海のように大人しい。ミーアは慎重に、慎重に、灼熱の魔力の片鱗に触れる。さいわい、波はまだ穏やかなままだ。
――大丈夫。上手くいってる。
「……一つになり、闇を……」
チャージスペルを朗々と紡ぎ、体内に流れる不定形の魔力の一部を切り取り、魔法という形のあるものへと変換していく。ミーアはリルドラ魔法学校でいつもこの過程を失敗していた。しかし、今の自分になら……ミーアは手ごたえを感じつつ詠唱を続ける。
――!?
その刹那、ミーアの中にある魔力が突然火砕流のように押し寄せてきた。ミーアは集中し、その暴れ出そうとする膨大な魔力を制御しようとするが、少女の意思の防壁を押しつぶさんとばかりに襲い掛かってくる。
――そんな……!? あたしはやっぱり駄目なの!? また失敗しておししょーさまに、みんなに迷惑をかけちゃうの!?
悲しみが少女の最後の希望をどす黒く塗りつぶさんとした時、その細い腕を掴む者があった。
「ミーア、落ち着いて」
――おししょーさまっ!?
ミーアは瞠目した。
いつの間に近付いて来ていたのか、己の師匠の姿が目の前にあったのだ。
――危ないです!! 離れてくださいっ!!
ミーアは心の中で必死にセレスに呼びかける。しかしセレスは安心させようとするかのようにとても優しい笑みを浮かべた。
「僕が君の側にいる。例え君が失敗しても、僕が必ず魔力の暴走を食い止める。だからミーアは失敗した時のことなんて考えるな。恐れずに魔法の言葉を解き放つんだ」
――お、おししょーさま……。
ミーアの瞳から一筋の涙が零れた。それはもちろん嬉し泣きの涙であった。ミーアの心に溢れていた恐怖という大火がそれによって鎮められる。ミーアはもう一度瞳を閉じた。今なら分かる。自分の中に存在している巨大な魔力。そして一度失敗してからずっと心にこびりついていた、その魔力を解放することへの恐れ。
もう怖くはない。自分の成功を信じてくれる、いや、むしろ失敗さえも受け入れてくれる師匠や仲間がいるのだ。ミーアはついに己の中で暴れ、燃え盛る炎を掴まえた。
「《魔炎灯》!!」
ミーアは叫んだ。今まで己を縛っていた鎖を引きちぎるかのように精一杯の大声で。
途端に周囲に熱気が満ち、閉じた目蓋の向こうが明るくなる。ミーアはのけぞりながら目を開いた。
「っ!? こっ、これ……あたしがやったんですか!?」
以前ミーアが深い森の中で見た、己の師匠が生み出した魔法の灯火。今ミーアの目の前に浮かぶそれは、形状は同じだったがサイズに圧倒的な差があった。以前セレスが作り出したそれはせいぜい手の平サイズの直径だったが、少女の眼前にある灯火の大きさはゆうにその十倍はある。それが辺りを睥睨するかのようにふわふわと浮かび、熱と光を放っていた。
「あはは……まあちょっと大きすぎる気はするけどね。でもおめでとうミーア。これは正真正銘、君が生み出した魔法の灯火さ」
信じられないように目の前の火球を見つめていたミーアだったが、ようやく己がやり遂げたことを理解したのか、その顔が泣き笑いのような表情になる。
「……あたしっ!! ……あたしっ!!」
やがてミーアの瞳から滝のような涙が溢れた。そして、泣きじゃくる友人へと駆け寄る空色髪の少女。ルナルナはミーアの首筋に抱きついた。その瞳も同じように雫で輝いていた。
「……おめでとうミーア……ついにやったね……」
クナイも賛辞の拍手を送る。
「見事なものなり。ミーア殿は真のもののふに候」
「うんっ……うんっ……ありがとうルナちゃん……ありがとうクナイちゃん……そして……ありがとう、おししょーさま……」
どういたしまして。
セレスは小声で呟き、ついに悲願を叶えた一人の魔法使いの姿をいつまでも優しく見守っていた。




