月夜の闖入者
今日も一日が無事終了し、セレスは部屋の明かりも付けずにベッドへと横になる。
あの日から二人の修行に以前よりもさらなる熱が篭りだした。セレスが追加した魔力をコントロールする為の新しいトレーニングも黙々とこなしている。きっと、ミーアもルナルナも立派な魔法使いになってくれるだろう。自分が育てた弟子が一人前になるのはとても喜ばしいことだ。今はこの場にいない己の師匠もそうだったのだろうかと、セレスは染み込んでくる睡魔に身も心も委ねようとしていた。
しかしその時、セレスの視覚が異常を捉えた。違和感があった場所へと眼球を動かし、眠気が一瞬で吹き飛ぶ。梁の上にわだかまる人の影。瞬く間に覚醒したセレスは夜具を跳ね除け、上半身を起こす。
「だっ、誰だ!?」
「そこは『何奴』!? と言ってほしかったものなり」
誰何の声に返ってきたのは、セレスの予想に反して甲高いソプラノだった。
声の主は梁から飛び降りるとほとんど音を立てずに床に着地した。そして両膝を腰の下に折りたたんで座る。
セレスも慌てて布団の中から抜け出したが、相手に害意が無さそうなのを見てとるとベッドの端に腰掛けた。
未だ事態が掴めないセレスの戸惑いを余所に、人影は口上を述べ始める。セレスが今まで耳にしたことのない、独特の言葉で。
「拙の名はクナイに候。遥か東の国より貴殿の弟子となるべく参上つかまつった者なり」
開けたままの窓を通してかすかに入る月明かりに照らされたその姿は、ミーアやルナルナと同年代の少女のようだった。
「セレス=クランベリ。貴殿の技を余すところなく拙にご教授なされよ」
クナイと名乗った少女はそこで懐から小刀を取り出すと正面にかざして柄を引き、鞘からほんの少しだけ刃の部分を覗かせた。薄闇に突如現れた白刃に肝をつぶし、身構えるセレスの前でクナイは続ける。
「拙をここに置いていただけないのならば、この場で腹を切って果てる覚悟なりっ!!」
「いや待て待て待て!?」
「あ、その際は介錯……とどめをお願いします。拙は痛いのが苦手なので」
「それ僕が人殺しの罪で捕まっちゃうだろっ!?」
「……やれやれ、面倒な国ですね」
「いやむしろ君の国は一体どうなってるんだ!?」
「わが国は一応二千年以上の歴史を誇る国ですが」
「なんでそれで治安が保ててるんだよ!? ていうか君、普通に喋れるじゃないか!?」
「……失礼、東方訛りに戻すといたそう」
「いや、別に無理して戻さなくてもいいんだけど……結局、弟子になりたいってことでいいのかな」
「御意に候」
セレスも聞き覚えがあった。遠い遠い東の果てに、この大陸とは違った風習と言葉を持つ民族が暮らす島があるという話を。
「と、とりあえずちょっと待って。今明かりを灯すから」
そう、動転して思いつかなかったが、最初にこの行動を取るべきだったのだ。まだまだ修行が足りないなと心の中でセレスは呟き、小さくチャージスペルを詠唱した。手の平に集めた魔力をコマンドワードによって解き放つ。
「《魔炎灯》」
セレスの掌上に生まれた赤い炎が部屋の中を明るく染めていく。セレス、クナイ、様々な家具の黒い影が生き物のように揺らめいた。
魔法の灯火に照らされた少女は初めて目の当たりにしたその力に魅せられ、目をしばたいている。色彩がついてセレスは初めて気が付いたが、この女の子はこの大陸ではまず見かけない艶のある黒髪の持ち主だった。異国の出身という言葉に嘘はないようである。その長い髪は後頭部で髪留めによってまとめられ、長い尻尾のように背中に向かって垂れていた。
瞳の色も髪と同系色であり、炎が虹彩に映りこんだそれは黒曜石のように美しかった。しかし、少女が纏う何やら鎖を編み込んだらしき剣呑な衣装と、手に握るその物騒な刃物のせいで、セレスは気が気ではない。
心ここにあらずといった少女の気を引くために軽く咳払いをする。ようやく灯火から目を離した黒髪の娘に、セレスは改めて疑問の言葉を投げかけた。
「ええと……それで、弟子入りの件なんだけど……、何で昼の内に来てくれなかったんだい?」
「拙は忍びの一族に候……闇に紛れて生き、闇に紛れて死ぬ者なりっ!!」
「本当に君の国はどうなってるんだ!?」
「ご安心なされよ。拙はむしろ少数派なり。国民の大多数は日の出と共に起きる者達なり」
「そ、そうなんだ……」
「しかしそれもあとわずかなりっ!! 我々忍びの一族が近いうちに天下を掌握し、我が国を暗闇で覆いつくさんっ!!」
「おいおいおいっ!?」
クナイは目に尋常でない光を宿らせて足を動かし、片膝を立てて刀を引き抜きつつセレスに詰め寄った。意外と露出度が高いその衣装から健康そうな太ももが危険な角度で覗く。
「その為の手段としてこの国の魔術を学ぶことこそ肝要っ!! さあセレスよ!! 大人しく拙を弟子とすべしっ!! 叶わぬ場合は貴殿を殺して拙も腹を切る所存っ!!」
「さっきよりも酷くなってるだろっ!? 何で僕まで殺すんだっ!?」
「一人で黄泉路を歩くのは怖そうに思えたからなりっ!!」
「闇に生きる一族じゃなかったのかよっ!? ていうかそれだと君が腹を切った時とどめを刺す奴がいなくなるだろっ!?」
「……あ、そうですね。やっぱりやめます」
数瞬の思考の後、にこりと微笑んでクナイは腕の動きを止めた。鞘から解放されつつあった刃がそれを果たせず、無念そうに鈍く光る。セレスはベッドの上で上半身をのけぞらしながら凝視していた。
そんなセレス達の耳に、どたどたどたと激しい足音が聞こえ……やがてけたたましい音を立てて入り口の扉が開かれた。
「おししょーさま! 何かあったんですか!?」
飛び込んできたのはもちろんミーアとルナルナだ。騒ぎで目を覚まし、取る物も取りあえず駆けつけたのだろう。二人とも寝巻き姿だ。
そして武器を構えている闖入者と、ベッドの上で凍り付いている師匠の姿を目の当たりにし……。
「やっぱりクズ先生はクズだった……」
「この光景を見てなんでそんな言葉が出てくるんだ!? どう考えても襲われてるのは僕の方だろ!?」
「そういう特殊なプレイもあると聞いた……最低」
いつも通りの冷たい視線でセレスを睨んでいるルナルナ。
状況をつかめずにおろおろとしているミーア。
ややこしくなった事態に頭を抱えているセレス。
そんな中、問題の当事者であるクナイは立ち上がると、刀を懐に納めて少女二人の方に振り向き、礼儀正しくぺこりと頭を下げた。
「よろしく姉弟子。拙の名はクナイ。たった今セレス=クランベリの弟子となった者なり」
「こらこらこらっ!! 僕はまだ弟子にするなんてひとことも言ってないぞ!?」
クナイは衝撃を顔に貼り付けながらセレスの方を振り返った。
「馬鹿な!? まさか先ほどの約定を反故にすると申されるのかっ!? 卑劣な所業なりっ!!」
「さっきのやり取りのどこにも弟子入りを許可するなんて言葉は無かっただろ!? 勝手に捏造しないでくれ!!」
セレスとクナイはしばし睨みあう。この謎の闖入者をどうしたものかとセレスは考えをめぐらし、やがて疲れたように妥協案を口にした。
「とりあえず今はまだ夜中なんだし、答えは明日まで待ってくれないか?」
何のことはない、ただの時間稼ぎだ。しかし、実際こんな形で押しかけ弟子になろうとした者は今までいなかったので、セレスにはこの言葉しか思いつかなかったのである。クナイもその意見に不満はないのか、落ち着いた様子で即答した。
「委細承知。では……」
クナイはそう答えるとなぜか上に向かって鉤爪のついた縄を放り投げた。梁にからまったそれを、両手で引っ張って強度を確かめる。
「これにて失礼する」
と言いつつロープを伝って登ろうとしたクナイを、ようやく我に返ってベッドから立ち上がったセレスが何とかとどめる。クナイが登攀しようとしていた縄の上部を拳で握り、その行く手を遮ったのだ。
「待て待て待てっ!! 失礼する、じゃなくて!! 一体何をやってるんだ!?」
「あ、ご心配なく。拙はこの梁の上で寝ますので」
「ちょっと待て! いろいろとおかしいだろ!?」
「最初は天井裏に潜むつもりだったのですが、この国の住まいは勝手が違うので困ります。ちゃんと我が国に合わせてくれないと」
「いやだから絶対に君の国の方が変わってるんだって!!」
「では外で寝ろと言うのですか? 拙は野宿が苦手なのですが」
「君は本当に闇に生きて闇に死ぬ一族なのか!?」
口論している二人。
そこにそっと近付き、未だロープにしがみ付いたままの少女の服を引っ張る者がいた。
「クナイ……こっちへ……一緒に寝よう……」
「む……? 拙に異存はないが、良いので?」
「クズ先生と一緒だと何があるか分からない……」
「誤解されるようなことを言わないでくれ!! 僕は今までに変な行為をしたことはないはずだろ!?」
クナイはロープから手を放してそっと床に着地し、なぜかセレスから一歩後ずさった。それを見たミーアが慌ててフォローの言葉を叫ぶ。
「お、おししょーさまの言う通りだよルナちゃん!! 思い込みで失礼なことを言っちゃ駄目だよ!!」
ルナルナはクナイを連れて行くためか、見慣れない装束に身を包んだ彼女の腕を握った。そしてミーアを見返し、ぽつりと呟く。
「ではミーア……クナイがクズ先生と同じ部屋で寝ることを許せる……?」
「……」
ミーアはしばらく黙して考えていたが、やがて。
「やっぱり駄目です!! クナイちゃんはあたし達と一緒に寝るべきです!! いこっ!! クナイちゃん!!」
ミーアもクナイのもう片方の腕を取り、ルナルナと一緒に彼女を引きずっていく。
「……中々複雑な人間関係に候」
クナイが洩らした言葉を最後に扉はバタンと閉じられ、セレスの部屋に静寂が戻ってきた。
魔法で生み出された炎もやがて消滅し、暗闇が辺りを支配する。
「夢……じゃないんだよなあ……」
目の前に垂れ下がっているロープだけが、現実での邂逅であったことを示していた。セレスは大仰に溜め息を吐く。
熱意はある……のだろう、多分。もっとも、かなり歪んだ熱意であるようにしかセレスには思えなかったが。
――とはいえ結論を出すのは明日だ。もう今日は寝てしまおう。
セレスはくしゃくしゃになっていた夜具を直すと、ベッドに潜りこんで目蓋を閉じる。
今度こそ本当にセレスは夢の世界へと誘われていった。




