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不名誉な二つ名

「クズ……あの男は汚らわしいクズ……クズ先生……」


 ぶつぶつと呟くルナルナと共にミーアはアルサンデの街中を闊歩していた。普段ならそんな呼び方しちゃ駄目とたしなめるミーアであったが、今はそんなこと思いつきもしなかった。むしろミーアの心中にも似たような言葉が渦巻いていたからだ。もっとも、ミーアはなぜ己の中にそんな感情が沸き起こっているのかよく理解してはいなかったが。


 結局、二人とも不機嫌さを隠そうともしない形相で街を横切ることになる。すれ違う通行人がぎょっとしたような顔で二人に道を譲っても、少女達はそれに気付きもしない。しかし二人とも忘れていた。この地が、まだ自分達にとっては不慣れな場所だということに。


「ねえ、ルナちゃん……」

「ミーア……言わないで……」


 ミーアが口にしようとした言葉を聞きたくないとばかりにルナルナは懇願の視線を向けるが、それで現実が変わるわけではない。


「あたしたち……迷子になってるよね」


 ついにミーアが指摘した今の境遇にルナルナも悲しそうに頷く。あのお店を出た時には周りにたくさん人だかりがあったのに、今ではそれもまばらだ。何だかあたりの壁の色も煤けてあまり心地の良いものではなくなってきている。


「どうしようルナちゃん?」

「……とりあえず……今まで通って来た道を何とか戻ってみるしかない……ミーアは道順を覚えてる?」


 ミーアは首を左右に振る。もちろんルナルナもミーアと同じだったので、それについて責めたりすることはなかった。


「多分歩いてる間に思い出す……元気を出してミーア……」

「うん、ありがとう、ルナちゃん」


 そんなやり取りをしている二人の肩が突然ポンと叩かれた。


「おししょーさ……っ……!?」


 二人は自分達の師が迎えに来てくれたと思い、顔に笑みを貼り付けて振り向いたが、一瞬でその顔が驚愕へと変わった。予想もしない人物の姿がそこにあったからだ。


「ドビー……どうしてここに……」


 ルナルナがそのいるはずのない少年の名を呼ぶ。二人と同年代らしきその少年は顔にあざけるような表情を浮かべていた。


「なあに、単なるバカンスだよ。お前らが何だか他所の魔法使いに弟子入りしたって聞いたけど、この街だったのか」

「……貴方には関係ない……」


 動揺から立ち直ったルナルナが冷たい眼差しでドビーを睨みつける。後ずさったミーアを庇うようにその体を二人の間に割り込ませた。


「おいおい同級生に対してそれはないだろう? 『戦慄の月夜ブラッドムーン』にだって一緒に参加するかもしれねえんだからさあ。少しは魔法の扱いは上手くなったのかい? ええ? 炎の暴帝さんに氷の通り魔さんよ?」

「……っ!!」


 この大陸の魔法使いは一人前になった時、己の師匠から二つ名をつけてもらうという風習がある。大抵それはその本人のことを的確に現した語句であるのだが、子供達の間ではそれに倣ってからかい半分に勝手な二つ名で呼ぶ悪習があった。もちろんこの炎の暴帝と氷の通り魔というのは子供達が面白がって二人につけたものだ。


 二人は嫌な記憶を刺激され顔をしかめた。ミーアはさらに後ろに下がるも、ルナルナは毅然と睨みつける。


「ドビー……また痛い目に会いたいの……?」


 全身から比喩ではなく冷ややかなものを纏わせ始めたルナルナに、今度はドビーが顔を強張らせる番だった。先日、ミーアをからかっている時にルナルナが魔力を暴走させ、飛んできた氷の塊が自分に命中したことを思い出したのだ。


「ふんっ、お高くとまりやがって!! お前らなんて魔力が高いだけのただの落ちこぼれだろうが!! そんなお前らを弟子にした先生ってのも所詮大した奴じゃないんだろ!?」

「……っ!! おししょーさまのことを悪く言わないで!! おししょーさまは凄い人なんだから!!」


 ドビーは鼻白んだ。今まで学校でどんなにからかっても決して噛みついてくることのなかった相手が初めて牙を剥いたからだ。ドビーはかろうじてひきつった笑みを浮かべる。


「へ、へっ……だったら魔法を使ってみせろよ。《魔炎灯マジックトーチ》でも《火炎弾ファイアーボール》でもいい。使ってみせろよ」


 たちまちミーアは押し黙る。ドビーが口にしたのはどちらも炎属性の初級魔法だ。しかし自分はそのいずれも使えないことを思い出したからだ。ドビーはたちまち意気高揚する。


「はっ。やっぱりまだ使えないんだな。どうせそんなこったろうと思ったぜ。へへへっ!!」


 瞳に涙を浮かべはじめたミーアの手を、ルナルナがそっと掴んだ。


「……行こうミーア……こんな奴相手にしても仕方ない……」


 ルナルナは鋭い目付きでドビーを一瞥し、ミーアの手を引いて歩きだした。ミーアも何も言わずに付いてくる。


「おいおい逃げるのかよ? 俺が魔法の使い方ってやつを教えてやろうかあ~?」


 遠くでドビーがわめいているのが聞こえるが無視し、早足で二人は立ち去ろうとした。しかし少年はまだ腹の虫が治まらないのか、驚くべき行動に出た。


「へっ、俺がお前達に見せてやるよ。魔法の使い方ってやつをなあ!!」


 ドビーが呟きはじめた言葉にミーアとルナルナは慌てて振り返る。そこにはチャージスペルを詠唱し、複雑な手振りをおこなっているドビーの姿があった。


「ドビー!? まさか本気で!?」


 ミーアの悲鳴が上がる。

 魔法を発動させる為には基本的にいくつかの下準備をして魔力を集めることが必要だ。


 主なものは魔力を導くためのチャージスペルの詠唱。また、手や体を決められた通りに動かさなければいけない種類のものもある。それらの予備動作を行い、最後に魔法の名前……コマンドワードを口にすることで魔法はその効果を発現する。そう、ドビーが今、まさに打ち出そうとしているように。


「《氷結水晶フローズンクリスタル》!!」


 ついにその言葉はドビーの口から解き放たれ、冷気を纏った透明な球体が二人に襲い掛かってきた。ミーアは一歩も動けない。ルナルナは彼女を庇い、怜悧な刃のように目を細めると右手を突き出し、口を開いた。


「アイス……」

「魔法を人に向かって撃ってはいけないと学校で教わらなかったかい?」


 そんな言葉とともに割って入った人影に氷の球が命中する!! しかし、その瞬間に耳障りな音を残してその氷塊は消え失せた。


「なっ!? 俺の魔法が打ち消された!?」


 歪んだ笑みを浮かべていたドビーの顔が一瞬で驚愕に塗り替えられた。とはいえ驚いているのは彼だけではない、ミーアとルナルナは異口同音に叫んだ。


「おししょーさま!!」

「クズ先生……!!」


 正直、人には聞かせたくない呼ばわれ方にセレスはやや脱力するものの、気を取り直して目の前の子供を睨みつけた。


「魔法使いは常に世の為人の為に働くもの……面白半分に他人に魔法を撃つなんて論外だ」


 突然現れた謎の人物にドビーは浮き足だつ。しかも先ほど起きたことはドビーの理解を越えていた。魔法に魔法をぶつけて相殺する光景はドビーも見たことはあったが、先刻のそれは魔法そのものの存在が消滅させられていた。


「お、お、お前がひょっとしてそいつらの先生って奴か!?」

「その通り。まあ君に名乗る名前は無いから適当に呼んでくれて構わない」

「!? ふ、ふ、ふざけんな!!」

「その台詞は僕のものだと思うがね。大事な弟子達を傷つけようとしてくれたんだからさ」


 セレスは静かな怒りと共に一歩を踏み出す。それがドビーの恐慌を駆り立てた。


「ふ、ふんっ!! いい気になるなよ!! さっきのは無意識に手加減してただけだ!! 今度こそ喰らえ!!」


 ふたたびドビーが魔法の詠唱と共に複雑な身振りを開始する。明らかに先ほどの魔法よりも大掛かりだった。


「お、おししょーさまっ!!」

「……どうするの……?」


 二人の弟子を安心させようと顔だけ振り返らせ、笑みを浮かべる。そして再び目の前の子供に対峙した。そんな三人を前に、ついにドビーの魔法が完成する。


「《雷電太矢ライトニングクォレル》!!」


 先刻の氷の魔法よりも暴力的な、クロスボウから放たれる太矢のような雷光の一撃がドビーの突き出した腕より放たれた。しかしセレスは動じない。その光の矢を見据え、魔法の言葉を唇から発した。


「《氷剋雷精サプレスライトニング》」


 ドビーが放った魔法はセレスの体に触れるとともに、効果を何も上げることなく掻き消えた。セレスの服にはわずかな焦げ目すら残っていない。ドビーは無意識の内に後ずさる。


「な、何だよ……何なんだよお前……!?」

「ただの魔法使いさ……さっきのも魔法の一つなんだけどね。見たことないのかい?」


 実際、セレスが言っていることは本当だ。先ほどの現象はあくまで魔法を行使した結果であり、別に裏技などを使ったわけでもない。ただドビーが知らなかっただけである。魔法の中にはチャージスペルなどの予備動作がいらないものがあることを。また、高位の魔法の中に、下位の魔法を打ち消すものがあることを。


「さて、どうする? まだやるかい?」

「っ!!」


 さらに一歩を踏み出したセレスを、ドビーは限界まで目を開いて見つめた。もはやその瞳は恐怖という色でどす黒く塗りつぶされている。


「これ以上恥を晒す前にさっさと消えるんだっ!!」

「ひ、ひいいっ……!!」


 セレスの一喝にドビーは哀れな悲鳴を上げながら遁走した。それを見送ったミーアはへなへなと路上にくずおれる。ルナルナは慌ててしゃがみ込み、そんな二人をやがて暖かいものが包みこんだ。


「怪我は無いかい? ごめんね、怖い思いをさせて……」

「おししょーさま……」

「ク……いや、セレス先生……」


 セレスは二人の体をぎゅっと抱きしめていた。彼女達の恐怖が少しでも和らげられることを願って。


 果てしない恐怖に押しつぶされそうだったミーアも、気丈さを保っているルナルナも、やがてそんなセレスに体を預け、目を閉じた。ミーアの目蓋から涙が零れはじめる。


「はいっ……怖かったですっ……とっても……」

「うん……ごめんね。ミーア、ルナルナ……僕は師匠失格だ……」

「でもっ……大丈夫ですっ……おししょーさまが守ってくれたからっ……」

「私も平気……感謝する……」


 誰もいない街の片隅で、しばらくの間師弟は抱き合っていた。ミーアの震えが止まるまで、いつまでも……。


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