9.ヴァンパイアが現れた
勢いよく書斎のドアを開けたのは、長女のアップルド・スマーテだった。彼女は妙に上機嫌で、部屋の中に入るなり、こう声を上げる。
「ねぇ、聞いて、お兄さん。ヴァンパイアが出たんだって!」
書斎の中で、いつも通りに仕事をしていたパッドロット・アップルドはそれに不機嫌な顔をする。
「くだらない」
そう、一言返した。しかし、そんな素っ気ない反応を受けても、スマーテは少しも気にせずこう返す。
「そう! くだらないの! ねぇ、くだらない事って最高だと思わない? 何だかとっても面白そう!」
それを受けると、パッドロットはため息を漏らしてこう言った。
「ヴァンパイアが出たって話は前に聞いただろう? 確か、サムソ家のとこで女中がなんとかって言っていたじゃないか。何で、そんなに喜ぶ必要がある?」
それに大声でスマーテは返した。
「そうじゃないの! 違うのよ」
「何が違う?」
「今度は、うちの農夫達が、ヴァンパイアが出たらしいって噂しているの!」
それを聞くと、パッドロットは肩を竦めた。
「大して変わりはないじゃないか」
「あるわよ!」
「どこが?」
パッドロットはスマーテを邪魔者としてしか扱っていないが、スマーテはやはりそれを全く気にしていないようだった。スマーテとパットロッドの性格は全く違うが、何故かスマーテはパッドロットの事を気に入っている。そして、パッドロットも完全にスマーテを拒絶している訳ではない。困った相手だと思いながらも、それなりに気遣っている。この二人の関係は周囲からは、理解できないかもしれない。
「農夫達は、ちょっと前に起こったうちの屋敷の盗みもヴァンパイアの仕業かもしれないって言ってるのよ!
話が変わってきているのよ! 一体、どうしてこんな事になったのかしら?」
それにいかにも馬鹿にした口調でパッドロットは返す。
「うちに入った泥棒が、ヴァンパイア? ここまでくだらない話は滅多に聞けるもんじゃないな」
それからふと気になったのか、こう尋ねる。
「その話は、誰から聞いたんだ?」
「ポットディよ。彼は、いつも一緒に農作業をしているから、色々と農夫達の事を知っているのよ」
それにパッドロットは頷く。
「ああ、それならいい」
その反応にどんな意味があるのか、スマーテは敏感に感じ取ったようで、「ははぁ」と声を発するとこう続けた。
「断っておくけど、ロマス君は、そんなくだらない作戦は使わないわよ。ヴァンパイアの所為にしようなんて」
つまり、パッドロットはロマスが自分の罪をヴァンパイアに着せようとして、そんな話をスマーテにしたのじゃないかと疑ったのだ。情報源がポットディなら、その可能性は低いだろう。
「どうだかな。あいつは、お前が思っているよりもずっと悪賢いぞ」
「そうじゃないわよ。そんな愚かな作戦は実行しないって言っているの。ロマス君は、お兄さんが思っているよりも、ずっと頭が良いんだから」
「そうかい」とそれに、パッドロットは返す。スマーテは続ける。
「そうだ。将来的には、農園の仕事を手伝ってもらえばいいのよ」
「思い付きでとんでもない事を言うな、お前は」
「もちろん、ロマス君は、お兄さんとは合わないと思うわよ。でも、ポットディとは気が合うみたいだし、きっと上手くやれるわ」
「あいつはそのうち、家を出て行くだろう」
「あら? そうとは限らないのじゃない。うちがピンチになれば、見捨てたりはしないわよ」
それを聞くと、パッドロットは初めて嫌悪感を露わにした。ペン先をスマーテに向けながらこう言う。
「それは、どんな根拠があって言っているんだ? うちの経営は順調じゃないか」
「お父さんにもし何かがあったら、お兄さんだけじゃ、経営は無理でしょう? 実際、兄さんは、ちょっと農園の規模を大きくし過ぎている気がするわ。農夫達の事を分かっていないからよ」
「問題ない。ちゃんと利益は上がっているじゃないか」
「問題なくはないわよ。農夫達の仕事が大変になっているみたいよ」
それを聞くとパッドロットは首を横に大きく二、三回振った。
「それはちゃんと考えている。今くらいなら、許容範囲だ。それに、ポットディが臨時で人を雇ったじゃないか」
その返答にスマーテは軽くため息をついた。
「農夫達が、全員、独り身だったら、それはそうかもしれないわね」
「なんだ、それは?」
「農夫達にも家族がいるって話」
「なんだ、それなら尚更問題ないじゃないか。妻がいるのなら、支えてくれる」
それにスマーテは首を傾げる。そして、意味ありげにこう言った。
「妻がいるのなら、ね」
その意味は、パッドロットにはどうやら分からないようだった。
夜。寝る前。
ロマスの部屋。
「いやー、仕事、きつかったわ」
と、セピアが漏らした。ベッドに彼女は寝転がっている。それにロマスは苦笑いを浮かべた。
「今、農園の方は人手が足りていませんからね。今日辺りから、ちょっと厳しいらしいです。パッドロットさんが、少しばかり規模を大きくしてしまって…。ま、だからこそ、セピアさんを雇ってくれたのですが」
「分かってるよ、そんな事は」
それから少し考えると、ふと気付いたのかセピアはこう尋ねた。
「そういえば、アタシはいつまでここで働けばいいのだろうな?」
ロマスはそれに澄ました顔でこう返す。
「そういえば、決めていませんでしたね」
「お前な」
笑って誤魔化しながら、ロマスはこう言った。
「冗談ですよ。でも、逆に訊きますが、セピアさんはいつまで、ここで働いてくれるのですかね?」
“冗談”とはいったものの、実は本当に決めていなかった。そのいい加減さが、ポットディ(及びに、ロマス自身)の良いところでもあるのだが。それを見抜いているのかいないのか、セピアはこう返す。
「まぁ、アタシは、アタシの荷物が回収できるまでだな」
それを聞いてロマスは笑う。
「ああ、良かった。それなら、ずっと居てくれるって事ですね」
「どういう意味だよ。怒るぞ、こら」
ふざけている程度の軽い口調で、そうセピアは文句を言う。それから続けた。
「まぁ、そんな事を言っていられるのも今の内だよ。見てな。あとちょっとで、取り返してみせるから」
それを聞いてロマスは不思議そうな表情を浮かべた。そして、「何か進展があったようには思えませんが…」と、そう言いかけてから、思い直したのか、こう言った。
「もしかして、農夫達の間で噂されているヴァンパイアの話に関係ありますか?」
「おぅ、頭良いな、ロマス。その通りだよ」
「そりゃ、あれだけヴァンパイア絡みの話をされれば… って、まさか、あの噂話は、セピアさんが広めたのですか?」
「おぅ、それもその通りだ」
それにロマスは首を傾げた。
「なんで、そんな事をしたんですか?」
セピアは悪賢そうな笑みを浮かべる。
「へへぇ、さぁてね」
ロマスは困ったような顔を浮かべて、こう言った。
「そんな子共みたいな反応をしないでくださいよ。でも、よく農夫達がすんなりと噂を信じましたね」
するとセピアは淡々とこう言った。
「そこはそれ、優良なるロマス君のありがたい人望を、ほんの少し使わせてもらったというか、何と言うか」
「何やったんです?」
明らかに不安そうな様子で、ロマスはそう尋ねた。
「なに、大した事じゃないよ。ただ、お前がやった盗みの件も、ヴァンパイアの仕業じゃないかとそう言っただけ」
それを聞いて、ロマスは多少、呆れる。
「もしかして、僕のやった盗みをヴァンパイアの所為にできるとか、農夫達に思わせたのですか? 無理ですよ。そんな事」
「無理だろうな、そんな事。
お前の罪は、もう確定しているし。
ただし、農夫がそれをどう判断するかは分からない。駄目元でやってみようってくらいには思うだろう。でも、ま、そう思っているのは半分くらいで、後は本気でヴァンパイアの噂を信じていたって感じだったが」
それから少し考えると、ロマスは言う。
「まぁ、それくらいなら大丈夫だと思いますけども、でも、ポットディさん辺りが、僕が流した噂だと判断したら、マイナスだなぁ」
少しだけため息を漏らす。もっとも、このため息は半分は演技だった。セピアに恩を売ろうとしたのだ。もっとも、セピアはそんな事は全く気にしなかったが。そして、そのタイミングで部屋がノックされる。
「どなたですか?」
反射的にロマスがそう言うと、「俺だよ」と声がする。それはポットディの声だった。ロマスが部屋の鍵を開けると、ドアを開けてポットディが入って来た。
「ロマス。そんな噂をお前が流すとは俺は思わないから、安心しろ」
セピアに恩を着せようという、ロマスのセコイ狙いを察してか、ポットディは一番にそう言う。どうやら彼は、ドアの外で二人の会話を聞いていたようだ。恐らくは、最後の方だけだろうが。
「こんな夜中に、どうしたのですか?」
ロマスがそう尋ねると、「いや、お前が狼藉を働いていないかと少し不安になってな」と、ポットディは返す。
「安心してくださいな。こいつは、あんたが嫌味で言った通りの、親の肌が恋しいだけのただのガキですよ」
セピアが面白そうにしながらそう言うと、ポットディはこう返した。
「こいつが、ただのガキねぇ…。ガキの振りして、安心させてって可能性もあるから、気を付けなよ」
それにセピアは「アハハハ」と笑う。
「否定し切れないから厄介だよなぁ、このガキの場合」
「なんだか、酷い言われようですね」
と、ロマスは言う。それを聞き流すと、ポットディが言った。
「いや、今流れている、ヴァンパイアの噂が気になってさ」
「ただの噂ですよ」と、それにセピア。ポットディはこう返す。
「いや、単なる噂だって事は分かっているよ。たださ、あの噂を農夫達がするってのが、何かのシグナルな気がして不安なんだよ。ヴァンパイアの噂ってのは、世の中に悪い事が起きた時に流れるもんだろう?」
それを聞くと、セピアは「ふーん」と言って頬杖をついた。
“この男、なかなか勘が良いな”
そして、そう思う。
「分かりました。何か異変があったら、伝えますよ」
その後でセピアはそう言う。それを聞くとポットディは「ありがたい。頼むよ」と、そう言って部屋を出て行った。ポットディが出て行った後で、ロマスが言う。
「異変を伝えるも何も、そもそもセピアさんが流した噂でしょう?」
「うるさいな、お前は。そういうのとは、またちょっと違うんだよ」
セピアはそう言い終えると、「さて。じゃ、そろそろ眠るか。明日も朝が早いんだ。色々とありそうだしな。体力は大事だ」と、そう言ってランプの灯りを消して、フトンを被る。
「ちょっと待ってくださいよ」
まだ椅子に座っていたロマスは、真っ暗になった事に慌てて直ぐにベッドに入った。ロマスがベッドに入るなり、セピアは、「真ん中から、そっち」とそう言う。
「まさか、ポットディさんの言葉を気にしているのですか?」
と、ロマスが言うと、セピアは「別に、前からこうしてただろうが」と返す。そうして、何だかんだで、二人とも寝に就いた。




