5.好事家のソフバックとヴァンパイア
ロマス・テーナーがセピア・ローニーに出会う数時間前、彼は好事家のソフバックの家を訪ねていた。アップルド家長女のスマーテから、本を預かって来るようにと頼まれたからだ。スマーテはその好事家のソフバックに、面白い本があったら手に入れてくれるようお願いをしていたらしい。
スマーテがロマスにそれを頼んだのは、ロマスがソフバックの家に行く事を楽しみにしているからだろう。色々と変な話を聞けたり、奇妙な物を見られるのが彼は楽しいのだ。恐らく、先日処分を受けた件で、気落ちしているだろうロマスを元気付けようとスマーテは考えたのだ。もっとも、ロマスはそれほど気落ちしている訳でもなかったのだが。
ロマスはスマーテの意図に気付いていて、だからこそ上機嫌でもあった。やっぱり、人からは好かれておくに限る。スマーテのご機嫌取りは、これからも続けよう。そんな事を思う。
少しだけ人里からは離れた、大きくも小さくもない林の中にある古い石造の屋敷。それが、ソフバックの住む家だった。ロマスはこの屋敷が少し好きだ。この屋敷に向かう道のりを歩くだけで、なんだか童話の中の世界に入ったかのような気分になれるからだ。それに、屋敷自体もエキセントリックで、見ているだけで面白い。
「ソフバックさーん。ロマスです。スマーテ様に言われて来ました」
玄関の戸を叩くと、ロマスはそう叫んだ。この家にはベルがないのだが、屋敷自体はそれなりに広いから、主人を呼び出すのにはノックだけでは足りず、大声を上げなければならない。
しばらくの間の後で、戸の奥から声があった。
「おお、ロマスか。遠慮はいらん。入っておいで」
ソフバックはいつも玄関までロマスを迎えには来ない。それがロマスだけの待遇なのか、他の人でも同じなのかを彼は知らなかった。
「失礼します」
と言ってロマスは戸を開ける。戸に鍵はかかっていなかった。不用心だ。これもいつもの事。だが、この屋敷から物を盗もうなんて変わり者は滅多にいないだろうから、別に構わないのかもしれない。高いのか安いのかも分からないような変な物が多いのだ、この屋敷には。オマケに珍品である事は確かで目立つから、直ぐにこの家から盗んだ物だと分かってしまう。そんな物を盗む馬鹿はあまりいないだろう。
例えば、何処かの南の方の民俗の衣装とか、何だか分からない木の棒とか、東洋の神様の木の彫り物といった変なオブジェ。最も多いのが手書きノートの類で、どうやらそのほとんどが大航海をして来た名もない船乗り達の手記を集めたものらしい。好事家であることは確かだが、ロマスは彼が何に興味を持っているのかをあまり詳しくは知らなかった。もしかしたら、変な物なら何でも欲しがるのかもしれない。
ロマスが奥に入ると、ソフバックは机の上で書き物をしていた。実はソフバック自身も、近隣の噂話や世間の情勢などをよく記録しているのだ。それも、本当にくだらない話から政治経済問題に関わる重要な話まで全て。ロマスはそれにどんな目的があるのかも知らなかった。
昔は何処かの貴族だったとか、資産家が引退して余生を道楽しながら過ごしているのだとか、色々とソフバックの正体については言われているがはっきりはしなかった。分かっているのは、本人はいたって人の好い老人で、莫大とは言わないが、それなりの資産を持っているという事だけ。もっとも、その資産はこの屋敷には置いていないらしいが。
「スマーテに頼まれた本なら、ほれ、そこの机の上に置いてある。遠慮せずに持っていけ」
書き物に集中をしたままで、ソフバックはそう言う。初めからロマスには遠慮する気などなかったから、真っ直ぐに取りに行く。しかし、そこでふと思い出して、こんな話をソフバックに振ってみた。
「そういえば、サムソ家でヴァンパイアが出たと言っていましたね。女中が襲われたとか、なんとか。ご存知ですか?」
するとソフバックは、そこで初めてロマスの顔を確りと見るとこう言った。
「なんだ、そんな話を知っているのか。子供のクセに」
それからまた書き物をする。
「ええ、スマーテ様に聞きました。何があったのかと興味津々なご様子で」
ロマスがその話をしたのは、スマーテのご機嫌取りの為だった。これでソフバックが何かを語ってくれたなら、その情報は彼女をきっと喜ばせるだろう。ソフバックは淡々と説明をする。
「なるほど。確かに、スマーテが聞きたがりそうな話だ。あれは、こういった話が大好きだからな」
「スマーテ様は、強盗か何かじゃないかって言っていましたが」
「いや、その線はなかろう。それならば正直に女中はそう言うだろうさ。何かを盗られたなんて話も聞かない。想像するに、逢引きか何かでもしておったのじゃないか。それで言い訳にヴァンパイアを使ったのだ。もしかしたら、相手の正体が分からなくて、女中本人がヴァンパイアだと信じ込んでいた可能性もあるが」
それを聞くと、ロマスは不思議そうな声を上げる。
「ヴァンパイアが言い訳になりますか?」
ヴァンパイアが様々な自然現象や原因不明な物事の『説明』に用いられる事をロマスは知っていたが、“逢引き”について、その認識はなかったのだ。
ソフバックは淡々と答えた。
「なる。
そもそも、ヴァンパイアは性と深い関係があるとされているからな。死んだ夫のヴァンパイアが毎晩妻に迫って、妻を衰弱死させたなんて話があるくらいだ。おっと、この話は、まだ子供には早かったか」
その最後の台詞にロマスは多少、呆れる。
「気にし過ぎですよ。僕はそれくらいの話ならしょっちゅう聞いています」
実はソフバックの“子供には早い”は、彼の口癖でもあった。それでロマスは、彼の育ちはとても良いのではないかと考えているのだが。そのロマスの返答をあまり気にせず、ソフバックはこう続ける。
「もっとも、言い訳になるとは言っても、女中の言葉をそのまま信じている人間なんてそんなにはおらんだろう。ただ、その話を伝え聞いていく内に、人々の間でそれが現実味を帯びるという事は、よくある。結果、ヴァンパイアの伝承がまた一つ増える訳だ。そのまま消えてしまう可能性も大きいがな」
「はぁ、そんなもんですか…」
「そんなもんだ」
それから少し考えると、ロマスは再び口を開いた。これだけでは、スマーテへの土産話としては薄い。
「犯人は誰でしょうかね?」
ソフバックが逢引きだと断定した事が気になったのだ。その可能性が高い事は認めるにしても、断定はできないはずだ。それに眉を動かして微かに反応するとソフバックは、
「滅多な事は口にするものではないが…」
と前置きし、こう答えた。
「そんなに知られた話ではないが、あの家の若旦那は好色だそうだ。以前にも、若い女中に手を出して問題を起こしている。最近、新しい女中を雇ったと聞いているから、恐らくは、その若旦那がヴァンパイアの正体だろう。もちろん、確証も何もないがな」
“確証も何もない”と言っているにも拘らず、ソフバックの口調は自信に満ちていた。ロマスはどうしてソフバックはそんな話を知っているのだろう?と不思議に思う。言い終えた後でソフバックは、「あっ」と、声を上げてからこう言った。
「この話はスマーテには聞かせるなよ。あいつに聞かせると、必要以上に広まってしまうからな」
それを聞いてロマスは、“見抜かれている”と、そう思った。それから、彼の打算的思考が走る。
この話はスマーテへの土産話としての価値はあるが、それを話せば、恐らくはその事は十中八九、ソフバックに漏れる。すると、ソフバックに警戒されてしまう可能性が大きい。そうなるとこれから先、彼から、有用な情報を得られなくなるかもしれない。短期の利益より、長期の利益を優先させるべき。
そう結論を出し終えると、ロマスはニッコリと笑顔をつくって「ええ、話しませんよ、ソフバックさん」とそう応えた。
「うむ。それならいい」と、ソフバックはそう返す。実はソフバックは、ロマスの計算高さ腹黒さを見抜けていない。頭が悪いと言うよりも、彼には子供が大人のような邪な考えを抱くという発想がないのだ。
ロマスはそれから、「では、そろそろ僕は帰ります。面白い話を、どうもありがとうございました」と、そう言って本を鞄に仕舞うとソフバックの屋敷から出て行った。
そして、その帰り道、ロマスは街を歩いている最中にヴェルゴの死で起こった人集りを見つけ、更にそこでセピア・ローニーと出会ったのだった。




