3.失くし物はなんですか?
街の中心街から外れた安い酒場。
の、深夜。
カウンター席。
そこで一人の女性が、上機嫌で酒を飲んでいた。もっとも、汚れた姿をしていて粗野な彼女は、周囲から女だとは思われていなかったが。
「カーッ! いや、美味い。久しぶりの酒は、本当に美味いねぇ!」
彼女の名前は、セピア・ローニー。既にかなり酩酊している。意識もおぼろげではっきりしない。不意に彼女は隣にいる男性客からこう話しかけられた。
「いや、あんた、少し飲み過ぎなんじゃないのか。大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。この程度で、身体を壊したりしネェヨ!」
かなり赤くなった顔で、そう応える。
「いや、身体もそうだけど、金の方も」
男性客がそう言ったのは、セピアの姿がいかにも貧乏そうだったからだろう。
それを聞くとセピアは「んふ」と笑い、その男性客の背中を、バンバンと強く叩きながら返す。
「それが、大丈夫なんだよ! いや、今は金なんかそんなに持ってネェヨ! 今はないけどさ、これから持つの! だから、少々多めに使っても全然平気なんだな!」
少しの間の後で、隣の男性客はこう言う。
「つまり、稼ぐ当てがあるってのか?」
上機嫌のセピアはそれに「まぁ、そんな感じかなぁ」と、答えた。
その時、その声を少し離れた場所で聞いている別の男性客がいた。“稼ぐ当て”という単語に反応して耳を向け、それからセピアの答えを聞いて姿を見ると、じっくりと観察をし始める。こう思った。
“見たところ、貧乏そうだ。金なんか持っていないだろう。ここは安い酒場だしな”
その安い酒場で、その男はほとんど酒を飲んでいなかった。彼には酒代がない。実はここには身を隠す為に来ているのだ。だから、他の客たちが酔っぱらっている中で、ほとんど一人だけ頭がはっきりとしていた。観察を続ける。
セピアは大きな長方形の荷物を足場にして酒を飲んでいた。硬そうなブーツで踏んづけている。もちろん、それには彼女がこれから売りに行く“商品”が入っている。そのお蔭で彼女は大金を得られるのだから、もう少しくらい大事に扱っても良さそうなものだが、普段から大雑把な性格の上に今は酔っ払っているから、まったく気にしていない。
「とてもそんな風には思えないがなぁ」
隣の男性客がそう言うと、セピアは少しだけ不機嫌な表情を浮かべた。
「こー見えても、専門家でね。ある分野を中心に仕事をしているんだ、アタシは。で、この世の中には物好きがいてさ、滅多に手に入らないその分野でのもんを、欲しがるヤツがいるんだよ、金持ちで」
男性客はそれを聞いても疑わしそうな表情を崩さない。因みに、少しセピアの喋り方が女っぽいなとは思ったが、彼も酔っていたので特にそれを気にしなかった。
「それにしちゃ、随分と不用心じゃないか。そんな高級な物を扱っているようには思えないけどな」
それを聞くとセピアは、ガンガンと足元の荷物を踏みながらこう返す。本当に、大事に扱う気はゼロのようだ。
「ああ、何しろこれは、普通の奴にとっちゃ、高級品でも何でもないからな。こいつを捌くには、それなりのコネと知識が必要になって来るんだよ。だから、盗まれる心配もないって訳だ。アタシ以外のヤツには、金に換えられないの!」
その説明を聞いても、男性客は充分に納得していない様子だった。それは、目の前にいるその相手が、そんな芸達者にはとても見えないという事が原因でもあった。男性客が納得してなさそうだったからか、それとも単に自慢話をしたいだけか、セピアは続けてこう言った。
「ほら、ハンス・スローンって有名な植物学者でコレクターの大金持ちがいるだろう? そのスローンに、珍しい植物があるって売りつけたら、かなりの高額で売れるはずだ。しかし、ちゃんとした相手じゃないとスローンは信用しないだろうし、そもそもコネクションがなくちゃ交渉もできない。で、それができるのがアタシって訳。もちろん、相手はスローンじゃないけどな。
これは、まぁ、そんな話なんだよ」
そう聞くと、男性客は「なるほどな」と返して、それ以上はその件に関して何も言わなかった。別に納得した訳ではない。彼はもう席を立って飲み屋を出ようとしていたから、話を切り上げたかっただけだ。話の内容はほとんど信じちゃいない。いや、そもそも、酔った頭ではそれほど上手く考えられなかったのだろう。
「悪いが、にーちゃん。俺はそろそろ店を出るよ。これ以上、遅くなると、またカミさんにどやされちまう」
「ん」
そう答えると、セピアは酒を飲み干してから、「おぅい、おっさん」と、店のオヤジにもう一杯酒を注文した。
その男性客が店を出る時、別の男性客から声をかけられた。少し離れた席で、二人の会話を盗み聞きしていた例の客だ。
「おい、ドット」
どうやらセピアと一緒に飲んでいた男性客は、ドットという名らしい。そのドットとその相手は顔見知りらしかった。
「おお、ヴェルゴじゃねぇか。どうした? 俺は金は貸さないぞ。お前に貸したって、どうせ返ってこない」
「そんな話じゃねぇよ。お前、さっき、見慣れない奴と話してたろう。一体、何の話をしていたんだ?」
ヴェルゴという名のその男性客は、ドットが酔っていると見て、多少、大胆になっていた。いや、被害者が余所者なら、見逃してくれるかも、という甘い考えもあったのかもしれない。
「あ? 金になるとでも思ったのか?
そんな話じゃねぇよ、くだらない話さ。あいつの荷物を売れば、金になるとかそんな話だ。どうせ嘘だよ。酔っ払いの自慢話だ」
ヴェルゴはそれを聞くと、「なるほど、くだらないな」とそう言ってから、店の中に戻って行った。それを見ると、ドットという男性客は「あいつは、また借金取りから逃げていやがるな」と、そう呟いてその店を出た。しょうがない奴だ、と思いながら。
翌朝、セピアは酒場で目を覚ました。カウンターに突っ伏して寝てしまったようだ。どうやら金は既に払っているようで、手には領収書が握り締められてあった。恐らく、金を払った証拠にと自分が店のオヤジに書かせたのだろう。まだ払ってないと言われでもしたら堪らないから。
“流石、アタシ。酔ってても、確りしているなぁ”
それを見て、セピアは少し笑う。だが、その笑いは直ぐに引きつったものへと変わってしまった。
“いかん。飲み過ぎた。なんだ、この額”
そしてそう思う。そこには自分の想像以上の金額が書かれてあったのだ。そして、そう思ったら、何だか急に頭が重くなって痛くなってきた。水が欲しい。それから彼女はこう思う。
“まぁ、いいか。チクショウ。どうせ、あれを売れば大金が入るんだ。目的地まで、後少しだしな”
そう思って、カウンターの下を覗いてみる。しかし、あるはずの荷物がない。成人した男性ほどの大きさの長方形の物体。セピアは慌てて店内を見渡す。数人男たちが、机に突っ伏したり床に転がったりして眠っているが、荷物はない。でかい荷物で目立つから、視界に入れば直ぐに分かるはずだ。どう考えても、荷物はなかった。
“ない”
セピアは思う。
“ないー!
アタシ。ちっとも、確りしてねーじゃねーか!!”
それからセピア・ローニーは大慌てで店のオヤジを呼んで「荷物はなかったか」と尋ねたが、オヤジは「知らないよ」としか答えなかった。店で寝ていた客達も彼女は叩き起こしたが、やはり知らないと言う。
“あんなにでかい荷物を失くすはずはねぇぞ。絶対に誰かに盗まれたんだ。チクショウ! やっちまった! 油断した!
誰だ? あんなもんを盗んだ馬鹿野郎は! 盗んだってアタシ以外には邪魔にしかならないのに”
更に詳しく話を聞こうと、セピアは店にいた男達を捕まえようとした。しかし、それを店のオヤジに止められる。
「よせよせ、そいつらに聞いたって何も分かりゃしないって。酔っ払っちまって途中から、ほとんど意識なんかないだろうからな。
この店で何かがなくなる事はよくあるが、それが出て来たためしはほとんどない。まぁ、諦めるんだな。どうせ、安物だったのだろう?」
それを聞くとセピアはワナワナと震えて、こう言った。
「それで簡単に諦められるようなもんじゃねぇんだよ! こっちは、死活問題なんだから!」
オヤジはこう反応する。
「うん? 何か高い物だったのか?」
「あれがねぇと、アタシは今年の冬を越せないかもしれないんだよ! このままじゃ、凍え死にだ!」
必死そうなセピアの様子を見て、オヤジは言う。
「何だか分からんが、警察に連絡するか? どんな物なのか、説明してくれれば、俺も協力するぞ?」
が、それを聞いた瞬間にセピアは固まった。
“警察ぅ?”
明らかに焦っている。
「おい」
と、オヤジが言う。それにピクリと反応すると、セピアはこう応えた。
「大丈夫だ。そこまでする必要はない」
その答えにオヤジは不思議そうな表情になる。
「だってお前、それがないと生活ができないとか言ってたじゃねぇか…」
「あれは嘘だ」
「嘘って…」
「こんな店に、そんな高いもんを持って来るはずがないだろう、オヤジ? 少し考えれば分かるぞ」
「お前な…」
それからセピアは、オヤジが何かを言う前に、そのまま猛スピードで外へ出て行ってしまった。逃げたのだ。
「とにかく、大丈夫だから」
とか、言いながら。
後に残されたオヤジは「何だったんだ、いったい?」と、呟いて首を傾げた。
外。
店から走って逃げ、大通りで足を止めたセピアは苦悩していた。
“警察はまずい。警察は。何て説明すれば良いか分からないし、それに仮に警察を説得できたとしても、キリスト教の連中が噛みついてきそうだ…”
それからゆっくりと息を吐き出す。
「はぁ」
そして、少し冷静になると今度はこう考えた。
“落ち着け。頭を使え。どうせ、あんなもん何処にも売れない。そんなに大きな街じゃない。探す手段はあるはずだ…
何とか、自分だけの手で、あれを見つけ出すんだ……”
それから彼女は手掛かりを集める為に、手始めに昨晩一緒に飲んでいた、隣の席の男を捜すことに決めたのだった。




