2.アップルド家
ロマス・テーナーの目の前には、自分の主人のパソナ・アップルドがいた。不機嫌な様子で、ロマスを見ている。彼は言った。
「ロマス。農夫の子供の一人が、レモンのハチミツ漬けを食べたと、他の子共達に話していたらしい」
それを聞いてロマスは、“うわ、雉も鳴かずば撃たれまいって感じ”と、そう思う。って、なんで日本の話を、お前が知っているのか。
盗難事件から数日後の今日になって、ロマスは突然、話があると主人の部屋に呼び出しを受けたのだった。“ばれたのかも”とその時彼は少しばかり嫌な予感を覚えたのだが、見事に的中してしまった。
パソナの傍らには、執事のクリックが控えていて、何とも言えない表情を浮かべていた。少し困っているような、それでいてロマスを責めるような。それを見て、ロマスは思う。
“なるほど。告げ口をしたのは、あなたですか……”
「珍しい事もあるものですね」
ロマスは惚けた口調で、そう言った。パソナはそれを聞いて、数度頷く。
「こんな噂もあるぞ。農夫達が、レモンのハチミツ漬けの差し入れを受けて食べていたという。一体、何処の誰が、差し入れなんぞしたのだろうな?」
それを聞いて、ロマスはため息を漏らす。そして、
“うわぁ… 案外、簡単にバレちゃったな。まさか、あの器が化けてバラしたんだったりして。恨みを晴らす為に。まぁ、そんなはずはないけど”
と、そう思うと意を決して、こう言った。こうなったら、自分の主人の懐の深さに賭けてみるしかない。
「それはとても奇特な方ですね。もしかしたら、重労働で、不満が溜まっている農夫の様子を見越して、そんな事をしたのかもしれませんよ。これで彼らも、今まで以上に懸命に働いてくれるでしょう」
実はパソナの農夫達からの評判は芳しくなかったのだ。ただしロマスは、それがパソナの主人としての器が小さい所為だとは考えていなかった。パソナは無愛想で怖そうな顔をしている所為で、損をしているのだ。むしろ、平均以上に労働者たちを慮っている。それが充分かどうかは別問題として。
そのロマスの言葉を聞くと、パソナは少し眉を上げて反応した。そして、即座にこう言う。
「ロマス。お前の給料を減らす。理由は、今回の盗難事件の責任だ。戸締りをしていなかった、お前が悪い」
もちろん、パソナの言った処分理由は名目に過ぎない。それから、パソナはメモに走り書きをして、それをロマスに渡した。そこには、ちょうどレモンのハチミツ漬けと同額の数字が書かれていた。
「その額が埋まるまで、お前の給料を減らし続ける。いいな?」
つまり、それがロマスへの処分内容という事だろう。盗んだ物と同額分、給料から差っ引くと。警察への通報や、クビに比べたら随分と軽い。
“助かった”と、それでロマスはそう思った。それでも、随分と高くついてしまったが。
肩を竦めて、「分かりました」とロマスは答えた。そのまま「では、失礼します」と言うと、退室する。ロマスが部屋から出ると、執事がそっとパソナに言った。
「少し甘過ぎませんか?」
パソナは答える。
「構わん。農夫達への配慮もある。これがベストだ。恐らく、ロマスは他の物は盗んではいないだろうしな」
ここでロマスを厳しく罰すれば、農夫達の自分に対する印象が悪くなる。しかし、甘い処分にすればその逆だ。あまり良くない自分の評判が上がるだろう。それをパソナはよく分かっていたのだ。が、そこで少し考えるとこう続けた。
「それに、新しい人材を雇うのにも金がかかるし、本人も納得の上で減給ができるのであれば、その方が安上がりだ」
執事を納得させる為には、説明を追加した方が良いと判断したのだろう。執事はそれを聞くと「分かりました」とそう答えた。それからこう付け加える。
「しかし、ポッドディ様やパッドロット様にはどう説明しましょうか? スマーテお嬢様は、むしろお喜びになるかもしれませんが…」
少しだけ眉を顰めると、パソナはこう答えた。
「ポットディは気にすまい。パッドロットは、少し厳格過ぎるところがあるから心配だが、世の中にはこういう事もあるのだと分からせた方が良いだろう。良い勉強になる。後で私が説得をしよう」
執事はそれを聞くと、少し不安そうな顔をした。
“喧嘩の原因にならなければ良いが……”
と、彼は思う。
アップルド家には三人の子共がいる。一番下は、ポットディ。奔放な性格でおおらかだが、金勘定の類は苦手で経営には向いていない。恐らく、やがては家を出て行くだろう。真ん中のスマーテは、明るい性格で社交的でかつプライドが高いが、可愛いものに弱いという一面も持っている。それで、まだ少年と言える年頃のロマスを気に入っているのだ。一番上のパッドロットは、数学が得意で真面目な性格。熱心に経営の事を勉強しており、農園の後を継ぐ強い意志を持っている。また彼らの母親の名はユニスといい、安定した性格で、子共達を皆、優しく受け止めていたが、多少親バカで子共贔屓なところがあった。パソナとは熱愛の末に結ばれたのだが、今の夫婦仲は良くも悪くもなく、お互いにほとんど接点がなかった。
家族の仲はそれほど良いとは言えないが、アップルド家は基本的には、問題のない家族と言えるだろう。もっとも、この家族はこれから起こるヴァンパイア騒動の所為で、かき回されてしまうのだが。
パソナの部屋から出ると、ロマスは二男のポットディに直ぐに捕まった。彼はロマスの肩を軽く叩くと、
「いよぉ。どうだった、処分の方は?」
そう話しかける。ロマスはため息を漏らしながら、こう返す。
「なんだ、知ってたんですか? なら、少しは助けてくださいよ」
ポットディはそれを聞くと笑う。
「いやいや、勘弁してくれよ。あの親父に逆らう度胸なんてないって。で、肝心の処分の方はどうだったんだよ? どんな罰をくらった?」
ロマスはそれを受けて、メモを差し出す。ポットディはそれを見ると笑う。
「おぅ、なるほど。この分、給料を減らされるってか」
「よく分かりましたね」
「額が、お前が盗んだレモンのハチミツ漬けと同額だったからな」
「察しがいい」
ロマスの様子は明らかに不機嫌だった。給料減額はやはり痛い。その様子を見て、ポットディは言った。
「まぁ、そう落ち込むなよ。農夫の連中には、お前が給料減額の処分をくらったって、さり気なく伝えてやるからさ」
「え?」
その発言にロマスは驚く。ポットディは笑う。
「言わなくたって分かるって、お前は農夫連中から人気を得ようと思って、こんな事をやったのだろう? お前が処分を受けたって知れば、連中は更にお前に感謝するぜ。確かに、あいつらから嫌われていたら、ここで働くのは少し辛いからな」
見抜かれている。
ロマスは少し驚いていた。それで、ポットディはやはり頭が良い、と彼はそう考えた。純粋に経営の仕事しかやりたがらないパッドロットと違って、ポットディはよく畑仕事を手伝っている。本人は事務仕事が嫌いだからと言っているが、その行動は農夫達からの信頼を得るのに繋がっている。彼はこの農園に必要な人材なのかもしれない。
「とにかく、お前がクビにならなくて良かったよ。きっと、スマーテ姉さんも喜ぶと思う」
そう言うと、ポットディはニカッと歯を見せて笑い、その場を去った。また外で畑仕事をするつもりでいるのかもしれない。
「本当によく笑うなぁ」
ロマスは彼が去った後で、そう独り言を言った。この二人は、歳が近い事もあって、それなりに仲が良かったのだ。
「父の処分は甘過ぎる!」
と、書斎で不機嫌な様子でそう言ったのは、パッドロットだった。彼は経営関係の本を数冊机の上に置くと、そのまま怒った顔で何かの書き物を始めた。
「あら? あたしは嬉しいけど。ロマス君、可愛いし。クビにならなくて、良かったわ」
そう言ったのはスマーテ。彼女は書斎で読書をしながら、紅茶を飲んでいた。それを聞くと、パッドロットはペン先を彼女に向けながらこう言う。
「可愛いなんてのは、適切な労働者のスキルじゃない。それと、書斎で紅茶を飲むな、スマーテ。こぼしたらどうする。貴重な本もたくさんあるんだぞ?」
「ペン先を人に向けるのは、お行儀が悪いわよ」
「今は重要じゃない。紅茶を飲むな」
「こぼした事はないじゃない」
「ある」
「床にじゃない。本は汚してないわ」
「理由にならない」
そのパッドロットの注意を無視して、スマーテは紅茶を飲んだ。コクリ。
「ロマス君の件、お父さんにも説得されたのでしょう?」
それから、一呼吸の間の後でそう言う。
「説得は受けたが、納得はしていない」
「裁判でも、疑わしきは罰せずって。彼がやったって証拠がないわ」
「農夫達に証言させればいい」
「正直に言うかしらね?」
それからスマーテは紅茶を飲み干すと、それを置き、「お兄さんは、農夫達から少し嫌われているし」と、そう付け加える。
「そんな事は大きな問題じゃない。雇い主ってのは、労働者から嫌われるもんだ」
「程度ってものがあるでしょう? お父さんはちゃんと分かっているみたいよ」
それを聞くと、パッドロットは少し悔しそうな顔をしながら、こう返した。
「ああ、確かにそんな事は言っていたが、あまりそれを気にし過ぎると、規律が護れなくなる。その方が問題だ」
「どうかしらねぇ…」
そう言うと、今度はスマーテは椅子に深く座り、寛ぎ始めた。本は開いているが、もう読む気はないようだ。
「何もしないのなら、出て行ってくれ。仕事の邪魔だ」
パッドロットがそう言う。それを無視してスマーテは口を開く。
「ねぇ、聞いた? サムソ家の噂。何でも、昨日、ヴァンパイアが出たんだって。物騒な話よね。女中が一人、襲われたそうよ」
書き物をしながら、パッドロットは関心がなさそうにこう返す。
「そんな話を信じているのか? ヴァンパイアなんている訳ないだろう?」
「だから、物騒だって言ったでしょう? どうせ強盗とか、強姦魔とかそういうのだろうし」
「あまりくだらない話をするな、スマーテ。聞くだけ無駄だ」
「商売敵の情報よ?」
「重要な情報ではない」
「情報はどんなものでも、重要視するべきだって言ってたわよ。把握できる範囲なら。どんな情報が重要になるか分からないから」
その話は事実だが、スマーテが本当にそう思っているかどうかは怪しい。
「誰がそんな事を?」
と、パッドロットが訊いた。
「ロマス君」
そうスマーテは答える。その瞬間、「出て行け」と、パッドロットは言った。肩を竦めるとスマーテはそれで席を立つ。
「つまらない」
そして、そう言うと、書斎を出て行こうとする。その後ろ姿に向けて、パッドロットは「食器を片せ」と、そう言ったが、それを無視して、スマーテはそのまま外に出て行ってしまった。
パッドロットは残されたままの食器を見ると、軽くため息をつき、「まったく、あいつは」と呟いてから、書類仕事に集中を始めた。




