1.はじまりはじまり…
時代考証等、ぬるめです。
舞台は、19世紀。まだ産業革命による発展に沸く時代、東ヨーロッパの何処かにある少々変わった田舎の街。この話は、そんな場所で起こったヴァンパイアに纏わるとある馬鹿馬鹿しい事件について語るものだ。
その地方は、古くからある広い農耕地帯で、人々は主に果物を育てて暮らしていたのだが、汽車が通るようになった事で様相が一変した。駅ができた場所を中心にして、ホテルが建てられ、馬車が忙しく行き交うようになり、やがては小さな街が出来上がったのだ。商取引や旅行に来る人々にとって、その場所は中継地点として都合が良かったのだろう。
そうして人々が集まるようになると、その人々を目当てにして、また人が集まる。そのようにして、その場所は、田舎にしては珍しく人の多い街となったのだった。
ただし、中心地から外れれば、今でも農耕地帯が広がっている。そして農業にとっても、街の交通網の発達は都合が良く、収穫された農作物の多くは汽車で運ばれ、都会で大量に売られるようになった。結果としてこの地方の農業は盛んになり、自由な競争が行われ、二つの大農園が育った。東のサムソ家と、西のアップルド家である。そして、この二つの大農園はとても仲が悪かったのだった。互いに競争し合って来た仲なのだから、それも当然だったのかもしれないが。
この不可解で馬鹿馬鹿しく、謎めいているようで実は少しも謎めいてなどいないヴァンパイア騒動の始めの事件は、その大農園の一つ、西のアップルド家で起こった。と言っても、初めはそれがヴァンパイアの所為にされる事などなく、普通の盗難事件として扱われていたのだが。この事件がヴァンパイアの所為にされたのは、その後にヴァンパイアが現れたと噂されるようになってからの事だ。それは恐らく、この事件の犯人が捕まらなかったためだろう。
産業革命という時代には、古くからの言い伝えと新しく登場した科学とが、奇妙に同居していた。科学技術の成果として生まれた物が、魔法や呪術と同列に並べられ、見世物になったりする。技術と知識は公開されていたが、それを理解できない者達にとってはどうしても区別が曖昧になる。望遠鏡や羅針盤などは、一部では魔法の道具のように考えられていた。つまり、この時代には、非科学的なものが未だにリアリティを持っていて、だから、謎が解き明かされなかった事件が、ヴァンパイアの仕業として扱われたりもしたのである。
その事件で盗まれたのは、銀貨23枚と金貨が12枚、高価な酒と食器と、そしてレモンのハチミツ漬けだった。
レモンのハチミツ漬け。
……その盗難事件が発覚した日、何故かアップルド家の農夫達はレモンのハチミツ漬けを食べていた。
西のアップルド家には、ロマス・テーナーという名の若い使用人がいた。まだ働き始めて一ヶ月ほどしか経っておらず、新参者が往々にして辛く当たられる例に漏れず、彼はそれほど良い扱いを受けていなかった。特に雇いの農夫達からは、“若い癖に楽な家仕事ばかりをやっている”と半ば言いがかりに近い印象を持たれ、快く思われていなかった。ところが、その日を境にして、農夫達の彼への印象は何故か良くなってしまったのだった。
その時代、ハチミツはとても高価なものだった。自然が起こした奇跡。人工物以外では、ほとんど見られない糖で構成された高カロリー物質。傷口に塗れば、殺菌効果と保湿効果を同時に得られる薬にもなる。キリスト教は、その製造を手掛け富を得ていた。その“甘さ”の魅力に抗えず、時に人々は命すらも危険にさらしてそれを得ようとした。ハチミツは食物の保存効果にも優れ、例えば果物をハチミツに漬けておけば、かなりの期間の保存が可能だ。もちろん、大人であったとしても、もしハチミツを食べられればほとんどの人間は大喜びだ。そして何故か、盗難事件が発覚した日、アップルド家の農夫達には、ロマスからの差し入れとして、レモンのハチミツ漬けが配られたのだ。もっとも、内緒で、こっそりとロマスはそれを行ったのだが。そして、農夫達もそれを承知していた。農夫の一人が、彼に尋ねる。
「すまない、ロマス。実は、家の息子が病気で苦しんでいるんだ。これを、その息子に食べさせてやりたい。少し多くは、もらえないだろうか?」
他の農夫達が、ロマスに注目をする。その集まった視線で、彼はその言葉が嘘ではないと判断すると、ニッコリと笑いながらその農夫にこう返した。
「ええ。もちろん、良いですとも。僕の分を少し分けましょう」
“僕の分”と、そう付け加えたところに、彼の小賢しさが窺い知れた。こうしてさり気なく彼は農夫達に恩を売ったのだ。“僕の分”も何も、この“レモンのハチミツ漬け”は盗品で、本来なら全てアップルド家のものだ。元々、彼の分など一欠けらもない。
全て配り終えると(もちろん、ロマス自身も食べた)、ロマスは器を処分する為に、畑の隅に穴を掘って埋めた。
“バイバーイ。どうか、化けて出ないでくれよ。ヴァンパイアなんて、特にご免だ”
と、埋め終った後で彼は少しおどけてそう思う。
この盗難事件の全てが彼の仕業という訳ではない。彼が盗んだのは、このレモンのハチミツ漬けだけだ。朝、盗みに入られたのが発見されて、軽い騒動になっている時に、ふと思いついて盗んだのだ。今盗めば、何処の誰かは分からないが、その盗人に罪を被せられると考えて。
後に、彼はこの時の事を思い出して、もしかしたら、この街に起こったヴァンパイア騒動の本質は、これと似たようなもんなのかもしれないな、とそんな風に考えた。
……その時、そのヴァンパイア騒動事件を起こした原因の一つであり、同時にこの事件の探偵役でもあり、そして更には引っ掻き回し役でもある彼女、セピア・ローニーはこの街から遠く離れた地で、荷馬車に揺られていた。
まぁ、彼女自身がこれを聞いたなら、恐らくはその全てを否定して、怒りながら「アタシは、被害者だ!」と、そう抗議するに違いないが。
「当たり前だろうが!被害者だよ!」
と思ったら、案の定、そう言って来た。
セピア・ローニー。
恐らく彼女は、確りと女らしい恰好をさせたなら、気が強そうではあるが、それなりに美人なのだろうと思う。しかし、野卑な喋り方と一見は浮浪者のように思える服装の所為で、彼女はよく男と勘違いをされる。女性にしては声が低くて、背が高い事にもその一因があるだろう。こげ茶色の大きな服は身体の線を隠している(もちろん、スカートなどはいていない)し、束ねられた赤毛の長髪は、少しも整えられていない。顔立ちこそ整ってはいるが、中性的な印象を与えるから、大体は男だと思われるのだ。もっとも、それはよく長旅をする彼女にとっては都合が良かったのかもしれない。女性の一人旅は危険だ。彼女がそれを狙って、そんな恰好をしているかどうかは分からないが。
成人した男性ほどの大きさの長方形の荷物をセピアは荷台に乗せていた。彼女はその荷物の中身を売る為に、長旅をしている最中なのだ。今は偶然捕まえた、荷馬車に乗せてもらっている。
「いや、おっさん、ありがとうな。助かったよ。汽車なんか高くて乗ってられないし、それにこの大荷物じゃ、歩くのも大変で、仕方なかったんだ」
と、彼女は荷馬車の主に言う。そして、嬉しそうにその荷物を擦った。
もしそれが売れれば、彼女には大金が舞い込んでくるはずだった。恐らく、数ヶ月は生活に困らない。それで彼女は、とても上機嫌なのだった。彼女には少しばかり単純なところがあり直ぐに調子に乗るだ。そして、その欠点の所為で、彼女はこれから起こるヴァンパイア騒動に巻き込まれもする。……のだから、少しくらいは反省しても良さそうなものだが、彼女にそのつもりはないらしい。全く、困ったものだ。学習能力がないというか何と言うか。性格の問題と言えば、そうなのかもしれないが、本当は馬鹿なんじゃないかとつい疑ってしまいたくなる。こんなんでこれから先、大丈夫なのか…
「うるせぇよ! 余計なお世話だ! くだらない事を言ってないで、とっとと話を先に進めろ!」
と、そう彼女に怒鳴られたので、話を先に進める。が、実はこの話に彼女が関わるのは、もう少し後になるので、一旦、彼女からは離れて別の場面に移動しようと思う。
「えっ そうなの?」




