三人はそれぞれの色に染まる
翌々日。
今日は休日。
時刻は正午。
「なーなー、まじなのか?まじなのか?」
肌に照りつける、というよりは、そろそろ肌に突き刺さるといった方が市民大多数の賛成を得る事が出来そうな日差しの下、鼻息荒く、まさにその表現がぴたりと当て嵌まる咲月が、僕の横を飛び跳ねながら歩いている。
数十年生きてきたけど、案外、鼻息荒くという表現を用いる事はなかったように思われる。
それが、現在の若者の無頓着・無関心主義を象徴しているのかもしれない。
とか、三流評論家が言いそうな事を、百円均一のイヤホン並みの音質で心の中へと流し込んでみた。
うん。意味はない。
「まじのまじだよ」
と、僕もそのテンションに合わせながら、言葉を返していく。
「にひひー。楽しみだー。まじに楽しみだー」
遠足気分。腕を普段以上に振り上げ、意気揚々と歩く様は堪らなく愛お(自主規制)咲月。
「早く着かないかなー。まだかなまだかなー。学研の、おばちゃんまだかなー?」
咲月のテンションは天井知らずのようで、今後も上昇傾向は暫らく続きそうな勢いだ。日本の景気もこれくらい簡単に上昇してくれれば、派遣村なん(自主規制)。
ちなみに、現在地はヒーローを発見した商店街を抜けた辺り。詳細を述べると、ヒーローを口説き落とした地点をただいま通過したところ。
「にゃひひー。にゃひひー」
咲月は言葉に意味を持たせる事もままならぬほど、高揚しているようだ。ついでに、頬も、紅葉している。季節外れだな。
まあでも仕方ない。これから恋焦がれていたヒーローに会いに行くのだから、その喜びも一塩だろう。
ヒーローと再会した翌日、つまりは昨日、ヒーロー発見と再会の約束を取り付けてきた事を伝えると、嬉しさなのかよく分からないが、僕に遠慮の一切ないドロップキックをかまして来たくらいなのだ。
個人的には、女性的な口調で歓喜を表現してくれると信じていた、妄信していただけに、何とも無残な結果である。まあ、いいけどさ。蹴られたら蹴られたで、それはまあ、なかなかよかったわけだし。
「えっと、ここから右だよな?」
ご機嫌な咲月を横目で見つつ、あそこまでの道を間違えないように、慎重に記憶を再生させる。
どうにも分かりづらいところにある、利用者の事を全く考慮に入れていない立地に微かながら苛立たしさも感じるが、そこに文句を言っても仕方がない。
というわけで、幾度となく記憶と照らしあわせながら、右に左に角を曲がり、住宅街を抜けた所にある小規模な廃工場へと無事に辿り着いた。
「ふいー。迷わず辿り着けた」
満足げに鼻を鳴らした僕。やはり、土地勘がないとこでの行動は無条件に緊張するものだ。
「しかし、ここまで朽ちてるのか」
改めて廃工場を目視。
一昨日来た時は、既に太陽も沈みかけていたため、いまいちディティールを把握できていなかったのだが、太陽の光の下、全てが顕になるそれは築年数の二桁越えは二十年ほど前に済ませました、と言わんばかりの外観である。
あらゆる箇所に設置されている窓はガラスを失い、風雨を防ぐ機能を果たしていない。壁の損壊率は十パーセントとくらいだが、如何せんくすみ具合も酷いため、それ以上に感じてしまう。
以前は来訪者を一時停止させていたであろう門も、今は万人ウェルカム体制だ。ボーダーフリーな時代に対応と言うわけだ。その心意気に拍手喝采。まあ、工場としてはそんなつもりは毛頭ないんだろうけども。
「ぼろぼろだなー」
テンションの上がり切っていた咲月でさえ、思わず冷静になってしまうほどの損壊具合。ん?ああ、今は門だけでなく、全身で訪問者を一時停止させる機能を果たしているのか。何とも贅沢だな。
「で、で、この中にヒーローはいるのか?」
やはり、一時停止以上の役割を求めるのは酷か。咲月の目は再び爛々と輝き出している。まあ、別に一時停止する必要もないのだが。
「ん。もうそれはばっちり」
腕時計を見る。デジタル時計のディスプレイ上で十二と十が仲良く並んでいる。
「少し、約束の時間過ぎちゃってるし、早速入るか」
「イエッス!ふふー。やっと会えるー」
意気揚々と廃工場の敷地内に足を踏み出した咲月。
僕は一歩後ろを付いて行く。
門から本体までの数メートルを歩き終え、咲月と僕は錆で茶褐色に彩られた両開きの扉の前に立つ。僕は一歩引いているけど。
「じゃあ、開けるよ」
かつてないほど、真剣な顔の咲月は扉に手をかける。僕は一歩引いてその姿を見守る。
「よろしく」
空気を読んで、僕も無駄に真剣な顔で促した。一歩後ろに引いたまま。
一度頷きを入れ、咲月の手に力が入ると、ギギギッと不快な音を立てて扉は開いていった。
「ようこそ、我が根城へー」
扉が完全に開ききる前に、工場の中から人影が飛び出してきて、咲月を覆うように絡みついた。
「ふご?もももももももっ!」
突然の事に反応できず、なすがままの咲月。その小さな体は、僕の方向からだと鼻から上を残して全て見えなくなってしまっている。
「ああんもう、最高!この感触、堪らない」
「ふもー!ふもー!」
咲月の体を這う二本の腕。弄る弄る。
再び、咲月の顔は季節外れの紅葉を始めている。意味合いは大分違いそうだけど。
咲月、ごめん。こうなる事が分かってたから、お前を一歩前に立たせいてたんだ。と、謝罪よりも前に、とりあえず助け出すか。
「幸奈さん。僕の友達に不埒な行為をしかけるのは止めてください」
僕の声に反応してくれたらしく、上下黒のスウェットを着た女性は手を止め、こちらに目を向けてきた。
視線がかち合う。
「ありり?」
僕と咲月(失神寸前)を交互に見やるスウェットさん。暫らくそれを継続した後
「あはん。こっちは一昨日話してた君の友達か」
わざとらしく目を丸くし、上を向けた左の掌にジャンケンの構成員であるグーを模した手を乗せる彼女。
もっと早くに気づいてただろ。とは言わない。
面倒くさいから。
「けほっけほっ」
幸奈さんの呪縛を解かれた咲月は、喉元を押さえながら咳き込む。
「あーっと。咲月?こちらが僕らの言うヒーロー、もとい三城幸奈さん」
「ふぇい?」
虚ろな目の咲月は、状況をいまいち把握できていないようだ。酸欠状態に陥っていたせいか、視線は定まらず目は普段の半分ほどしか開いていない。
「ういー」
NOWLOADING、と顔に貼りたくなる状態が暫らく続いた後
「ヒーロー?この人が、噂のヒーロー?」
と、夢現な声で僕に問いかけてきた咲月。
「ああ、そうだぞ。お前が会いたがっていたヒーローだぞ」
「あー、にひひー」
NOWLOADING……
NOWLOADING……
NOWLOADING……
NOWLOADING……
……………………………………………………………………―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
☆
五分後。
廃工場内。
「すまんすまん。ついついな」
工場内のソファに座り、謝罪と言うよりは、侘びを入れると言った感じに言葉を発した幸奈さん。お手々の皺と皺を合わせて、苦虫を潰したような表情を浮かべている。
ソファの上で胡坐を掻く様は、そのスウェット姿と相まって、残念なニート感を醸し出している。
「いえー、別に気にしてないですよ。ちょっと、驚きましたけど」
申し訳なさそうな幸奈さん(ニートスタイル)に対し、反対側に位置するソファに座る咲月は羨望の眼差しを向ける。
憧れのヒーロー、三城幸奈を目の前に興奮の色を隠せない咲月は、先ほどから胸の前で指を捏ねくり回している。
そして、僕は咲月の隣に座り、腹の虫が鳴りそうなのを気合で押さえている。昼ご飯、食べてない。
「普段はこうじゃないんだが、ここにいるとな」
「ここにいると?」
幸奈さんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
回想始まり
ヒーローと遭遇してから数十分後。
「……ここ、です……」
彼女に連れてこられたのは、廃工場。
「また、凄いとこに住んでますねえ」
既に太陽も沈みきり、周囲が暗いため、いまいち外観を詳細に把握する事はできないが、それでもかなりの年数だということだけは情報として得る事ができた。
しかも、ここに来るまでの会話の中で根城にしているということも聞いていた為、人事ながらもついつい心配をしてしまう。うら若き乙女が、こんなヤンキーしか溜まらなさそうな場所に暮らしていいのかと。
「…………どう、ぞ…………」
廃工場の敷地内に僕を誘導するヒーロー。腰は低い。
日本刀を構えていた時は威風堂々としていたのだが、近くに寄って交流を図り出すと恥ずかしそうに目を逸らし、質問をしても三点リーダーの無駄遣いをした挙句に、短い最低限の返事しか返ってこない。
気弱。
恥ずかしがり。
上下スウェット。
日本刀。
肉屋の袋。
廃工場。
ちぐはぐだな。全く異なるパズルのピース、一つ一つを集めたような人だ。
それが僕の彼女に対する印象。
本当に、ヒーローとは程遠い。
「お邪魔しまーす」
しかし、その印象が維持されたのは、工場内に入るまで。
「あー、そういや自己紹介まだだったな。俺は三城幸奈、十八歳だ。お前の名前は何だ?」
工場内に入ると同時に聞こえてきた自己紹介。溌剌とした声。工場内にもう一人居たのか?と目を凝らしてみるが、誰一人としていない。
「おい。何処向いてんだよ?」
「へ?」
冷静に声の元を辿ってみると、それは僕の後ろから聞こえてきたもので、しかも、発信源は先ほどまでシャイネスまっしぐらだったはずのヒーロー。
「キャラ、違いすぎません?」
「ああ?どうでもいいじゃねえか。それよりも……」
「それよりも?」
「抱きついていいか?」
回想終わり
そう、このスウェットヒーローこと、三城幸恵さんはパーソナルスペース(廃工場内+その周囲一メートル前後)でのみ本領を発揮する、わかり易い内弁慶だったのだ。…………のだ。しかも、抱きつき魔+俺っ子の属性まで発揮する。
つまりは、学校では苛められっ子の地位に甘んじている高校生が、家に帰ると凄まじい剣幕で母親から金を毟り取る傍若無人さんへと変貌する、みたいな感じかな。例えが的を得ている気は全くもってしないが、そこはさして重要ではないので話を先に進めよう。
「なるほどなるほどー」
幸奈さんの自己紹介がてらに、その特質まで聞いた咲月は納得したように頷いている。腕組みもオプションでついております。
「ははっ。何とも恥ずかしい限りだ。ああ、そうだ。俺の事は幸奈でいいからな」
「はい!僕の事は咲月と呼んでください」
二人の間に和やかな空気が充満する。うーん、清々しい高原の薫りがしてきそうだ。そして、そんな空気お構いなしに、僕は自分の欲を素直に吐き出した。
「あのー、幸奈さん?そろそろ、お腹が空いたんですが……」
「うん?……おおー、そうだったそうだった」
ソファを飛び降り、部屋から出て行った幸奈さん。ああ、そうそう。この工場内の内装を簡単に説明すると、普通の家、とまではいかないが、かなり手が加えられており、複数の部屋が存在している。さすがに、床はむき出しのコンクリートなのだが、空間を仕切るようにして立てられたベニヤ板等でしっかりと部屋が成立している。
ヒーロー曰く、5LDK。たぶん適当。某番組のタイトルと同じだし。
まあ、どうでもいいけど。
というわけで、今現在、幸奈さんが向かったのは、キッチン。そして、僕らが居るのがリビング。テレビもある。廃墟にも関わらず、何故か電気・ガス・水道完備というから不思議だ。
「なあ」
ヒーローをその目にし興奮も和らいできたのか、咲月が話しかけてきた。
「何で、幸奈さんは僕らに昼飯をご馳走するんだろうな?」
「ああー、何でだろうな?」
二日前、このリビングで、幸奈さんに会いたがっている友達がいるという事を伝えると
『おお、来い来い。連れて来い』
と快諾してくれたのだが、
『そうだなそうだな。せっかく友達を連れてくるなら、何かご馳走してやる。だから、明後日来い。丁度、土曜で学校休みだろうし、昼飯をご馳走してやる』
何故か、ついでに昼飯のお誘いまで受けたのだ。
というわけで、土曜日である今日、昼飯を頂く事になったわけだ。しかしまあ、彼女が自分の料理を振舞いたがる意味もいまいち分からない。まだ知り合って一週間も経っていないのに。
「まあ、貰えるんは頂いとこう」
「そうだねえ」
分からない事は流してしまおう。一服盛るといったような悪意は感じないし。
んで、待つこと三分。
「おっ待たせー」
幸奈さんが料理が載ったお盆を片手に、上機嫌に鼻歌を鳴らしながら戻ってきた。同時に、部屋を満たす嗅ぎ慣れた匂い。
「おらよ」
ガラス張りのテーブルに置かれたのは、カレーライス。正確には、カツカレーライス。
隣の咲月の顔が引きつる。ひくひくひくひくと。痙攣してんるんじゃないかと心配してしまうほど、引きつっている。
「さあ、遠慮せず食ってくれ」
容赦なく、ヨーイドン。
☆
二十分後。
「ご馳走様です」
「ごち……ご馳走様……ひぐっひぐっ……です」
僕と咲月は見事に出された物を食べきりました。味はカレーなんてどれも一緒だろ、と無粋な事は言いません。程よく効いたスパイスに、ほのかに香る数種類のフルーツ。そして、それらを邪魔せず、独自路線でカレーの旨さを後押ししたカツ。その揚げ具合も絶妙。総評としては、普通においしかった、ということで。はい。
「おお。涙を流すほどおいしかったか?」
咲月の食後リアクションを見て、自分の料理の腕を今一度再確認した幸奈さんは、唇を噛み締めながら目を閉じ、頭を大きく上下に振っている。
まあ、人間、完全にキャパシティ超えすると泣いてしまうんだな、という結論は胸にしまって、とりあえずは咲月の背中を優しく摩ってあげた。
可哀相に。憧れの人からのもてなしの品。残せるわけないよな。
そんな事は露知らず、まあ知る必要もないけど、満足げな顔をしながら幸奈さんは空になった食器をお盆に載せて部屋を出て行った。持って来た時よりもアップテンポな鼻歌を歌いながら。
「智也ー!」
「よしよし。よく頑張りました」
抱きついてきた咲月に敢闘賞を授けました。
☆
「で、今日改めて幸奈さんをお伺いしたのは、以前言ったとおり、影の事その他もろもろについてお聞きしたいからなんですが……」
咲月が落ち着いてきた所で、話を本題へと移行させていく。まあ、落ち着いてきたと言っても、ただぐったりと横になっているだけなのだが。おそらく、回復までには小一時間かかるだろう。なので、仕方なしにピンチヒッター。
「よっし。どんとこい!」
いつの間にか、姉御肌的なポジションに上り詰めた幸奈さんは、左手で握りこぶしを作り勢いよく胸を叩いたのだが、何者かの手によって衝突音は吸収されてしまった。なるほど。リーサルウェポンは所持か。
「でも、その前に、一言言わせてくれ」
と、幸奈さん。
「敬語はなしだ。あと、前にも言ったが、私の事は幸奈と呼んでくれ。どうにも他人行儀は好きになれない」
「了解」
「よろしい。じゃ、何なりと聞いてくれ」
「早速核心なんだけど、影を殺せたのは何で?」
ストレート勝負。ジャイロ回転には期待していません。
「男らしいじゃねえか。そうだな、それはひとえにこいつのお陰だ」
そう言って幸奈が足元から拾い上げたのは、これで三度目の拝見となる日本刀。
「名前は特にないんだがな、こいつには影を直接攻撃できる特性が備わっている」
「直接攻撃?」
「そう。智也も分かってるとは思うが、影に対して普通の物理攻撃は効きゃしねえ。拳も、弾丸も、ミサイルも、何も効かない。おそらくだが、核も」
そう言って日本刀を鞘から抜き出す幸奈。きゅらきゅらきゅらと、そろそろ耳に馴染んできた音が鳴る。
「ただし、こいつは別だ」
部屋の蛍光灯に照らされ、日本刀は独特の鈍さを持った光を放つ。
目を細め、見つめた。
しかし、素人目には何も分かるはずもなく。
さて、そうなって来ると、次の質問はこいつだな。
「どうして、幸奈がそんな物持ってんだ?」
ここで、なぜその日本刀で影を殺せるのかという事を聞いても無駄。どうせ理解できるものではないだろう。影をそれで殺せるのだから、それ以上でもそれ以下でもない。しかも、実際に僕はその瞬間を間近で見ているのだ。愚問にも程がある。
「なかなか鋭い質問じゃん」
不敵な笑みを浮かべる幸奈。
「恐悦至極」
深々と一礼。僕。
「そうだな。端的に言うと、これを私にくれたのは日本のとある機関。そして、これを使って、影をやっつけろと命令を下しているのも日本政府のとある機関」
「なるほど」
「驚かねえんだな」
「まあ、影を殺せる物を持ってるくらいだからな。この五年間、誰も殺せなかったはずの影を、だ」
まあ、別段驚く事ではない。それこそ、たまたま歩いていたとこに見知らぬ老婆から授かった、という方が遥に驚きだ。
「ふーん」
幸奈は先ほどよりも、不敵度を増した笑みを向けてくる。
「どうにも、俺はお前の事を勘違いしてたみてえだ」
「勘違い?」
「ああ。てっきり、お前は友達の付添いしてるだけかと思ってたが、そうじゃねえみたいだな。お前にはお前の目的がありそうだ」
「何でそう思う?」
「単純な話。そうじゃないと、そこまで考えねえから」
からからと幸奈は笑う。何とも人を見透かした奴だな。まあ、どうでもいいか。もしばれてもそこまで困る事でもないし。
「で、他に質問は?」
「そうだな。政府が関わってるって、かなり国家機密的な話みたいだけど、どうしてそんなに簡単に教えてくれたんだ?」
「ははっ。それは愚問だろ。これまた、単純な話。誰も信じねえから」
言いながら、くるんと日本刀を器用に指先で一回転させた。ペン回しできる重さじゃねえだろ。まあ、そこはどうでもいか。
「確かに。今さら、そんな事を信じろと言うほうが無理か」
ただでさえ、噂になりそうでならなかったヒーロー話。それを、ヒーローに接触する事に成功しました。実は日本政府の方が暗躍していたのです。なーんて、これまた頭がイッてしまった扱いされても文句は言えまい。夢物語も甚だしい。
世知辛い、本当に世知辛い世の中です。もっと人を信じようぜ、って本当にどうでもいいか。今僕らがヒーローに接触している。その事実は僕らの中では揺るがないのだから、わざわざ人に話して好奇の視線を買う意味もない。
「次の質問行ってもよろしいか?」
「どんどん来い」
「えっと、幸奈みたいな人は他にもいるのか?」
「んー、それは分からん。ああだが、勘違いするな。それは誰がいるかということが分からないってだけで、人数は把握してる。確か、俺を合わせて二十人、全国の適当な場所に散ばってる」
きゅらきゅらきゅらきゅら。日本刀がハウスしました。
「ほうほう。つまりは、実験段階って事か」
「鋭すぎて気持ち悪いな」
言葉とは裏腹に、幸奈の瞳には喜びともとれる色が浮かんでいる。
「そういう感じだな。俺らはモルモットみたいなもんだ。地道に政府も対影の研究を進めているわけ」
「ふーん。でも、その日本刀を大量生産して国民に配った方が万事解決、だと僕は思うんだけど」
「それは俺も思うけど、とりあえずは俺の現状が政府の意思だ」
「なるほどねえ」
まあ、日本刀の耐久性は如何に、といった諸情報の収集もあるのかな?大量生産できない理由もあるかもしれないし。
「ちなみに、この廃工場を根城にした理由は?」
「趣味だ」
即答。清々しい。
その後も、いくつかの質問をぶつけていたわけだが、暫らくすると
「ぼ、ぼきゅも、質問を……」
そろそろ三途の川で水浴びをしているんじゃないかと僕をハラハラさせていた咲月が、弱弱しく手を上げた。一安心。
ああ、しまった!今の『ぼきゅも』発言は録音しておくべきだった。ファンクラブの奴らに高値で売れたろうに。くー、僕の馬鹿野郎。
「おう。でも、大丈夫か?」
ソファから立ち上がり、咲月の顔を心配そうに覗き込む幸奈。食器を片付け終えた後、ソファに倒れ込む咲月の様子を見て自分の失態に気づいた彼女は、それ以降ちらちらと咲月の方を見ては、申し訳なさを目に宿すという事を繰り返している。
「ふぁい。全然大丈夫……うぷっ……です」
「そ、そうか。じゃあ、質問どうぞ」
「えっふぉ、その刀って売ってますか?」
「……い、いや、売ってはねえな」
うむうむ。どうやら咲月の脳は正常な働きをしていないようだ。しかし、そんな咲月を気遣って、幸奈はさらに深読みをし
「これは日本政府から与えられた物でな、俺にも仕組みとかそう言った事はよく分かんねえんだよ」
と補足説明。
「ふへえ。そうなんふぇすかー」
「おお、そうなんふぇすよ」
つられてるつられてる。
というわけで、本日二度目の。
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☆
結局、咲月の完全復活までに一時間ほどを要した。
その後、三人でいろいろと話し合いを続けた結果、咲月の強い希望もあり、今後、放課後などは幸奈に着いて回る事に決定した。幸奈も全く異存なく快諾。
咲月曰く
『影を倒せる方法のない事は分かった。でも、僕は諦めないし、一緒に行動する事で何かヒントを掴めるかもしれない』
とのこと。
まあ正直、咲月の読みはものの見事に外れたわけで、悪あがきとは思うわけだけど、それは言わない。咲月自身も分かっているだろうし、わざわざ言う事じゃない。
それに、個人的には幸奈と共に行動する事は賛成だし。
個人的に賛成するには、勿論個人的な理由があってこそなんだけども…………――――。
――――――ああ、ああ、ああ、ああ。どうにも、駄目だ。駄目だ。駄目だ。膨れ上がるなあ。本当に怖いくらい、膨れ上がってきたなあ。
まあ、表には出さないけど。
出さないけどさぁ。
まあ、どうでもいいか、と言いたいところだけど、どうでもよくないか。
「最後に一つ」
廃工場から出る寸前で止まり、幸奈の方へ振り返る。これは聞いとかなければならない……と思う。いや、どうでもいいかな?単純な好奇心かも。まあ、そこはどうでもいい。
「何で僕らを招待した?そして、何で僕らの我が侭を受け入れた?」
「ははっ。やっぱりお前は鋭いわ。でも、あんまり鋭すぎると、女が寄って来ねえぞ」
頭をぼりぼりと掻き、幸奈は快活に笑う。むき出しになる歯は無防備に。それとは違い見えない心はどこまでも完全防備。と言った感じですかな?
「そうだな、これまた端的に言うと、俺だって寂しい時はあるって事だ」
「そうか」
「ああ、そうだ」
からからと幸奈は笑う。
「じゃあ、また」
「おう、また」
幸奈に見送られつつ、僕らは廃工場を後にした。
帰路。
僕は思案する。
半分本当。半分嘘。
かな。
今日の幸奈の話。予想だけど。ちなみに、何処が嘘で本当かは分からない。何となくの話。……少しは、見当ついてるかもしれないけど。話に粗が多いし。ははっ。僕は何様って話だな。
まあ、会って間もない人間を完全に信用するほど、僕もできちゃいないって事だ。
それはあっちも同じ。ああ、でも、最後のは信用してもいいかな?たぶんだけど。
まあ、結局どちらにせよ、どうでもいい。
☆
週が明け、月曜日の放課後。
五時過ぎ。
約束通り、僕と咲月は幸奈と行動を共にすべく、廃工場へと赴いている。
夏の入り口を叩き始めた空は一日が終わるのを拒むように、未だに青色を元気よく振りまいている。
まあ、その元気すぎる空は色だけでなく、暑さと言うお友達まで連れてきているのだが。それにしても、暑いな。工場の周辺は全てアルファルトで舗装されており、ものの見事に人工的なジャングルを形成している。してしまっている。
所謂、アスファルトジャングル。
ああ、暑い。まあ、いいけど。四季に文句を言っても仕方ない。
というわけで思考をここで一時停止し、僕の一歩前に居る咲月へと目を向ける。
「幸奈―。来たぞー」
と、咲月。ガンガンと加減することなく、廃工場から幸奈の寝床へとランクアップを果たしている建物の扉を叩いている。まあ、いくら年代物とは言え、咲月の力では壊れまい。
「んー、ちょっと待ってろー」
中から小さく声が聞こえ、暫らくすると昨日と全く同じ格好をした幸奈登場。つまりは上下スウェットに日本刀。
「お前、スウェットしか持ってないのか?」
と、僕。そりゃ突っ込みも入れたくなります。若い女子が毎日スウェットなんてさ。しかも、結構暑いのに。汗疹できそうだ。
「んあ?違うぞ。昨日のは黒色。今日のは少し色落ちした黒色だ」
胸を張る彼女。うん。スウェット云々がどうでもよくなるくらい、胸があるな。隣の咲月も思わず見入ってしまっている。
「よっしゃ。今日も元気に行きますかー」
そんな事は露知らず、というか気づきもせず、幸奈は出発進行。
一歩、二歩、三歩。
「……じゃ、じゃあ、行きましょう……」
「やっぱり、幸奈は面白いな」
「だねー」
「……はい。…………すみません」
パーソナルスペースを脱し、外界なのにインドア女子になってしまった幸奈を先頭に歩いていく。
右左右左右右左真っ直ぐに。とにかく、複数回、角を曲り進んでいく。
住宅街を脱出したところで、咲月が口を開いた。
「ねえ、幸奈?」
「……はい……」
「いつもどのコースを回ってるんだ?」
「……はい。…………いつもはですね。……………………適当なコースを気の向くままに回っています…………………………………………残念ながら、影がどこに現れるかまでは分かりませんから」
三点リーダー倍々ゲーム。
ここまで人が変わると面白いと言うよりも、心配の方が大きくなってくるな。
まあ、気にしても仕方ないけど。
「ふむふむ。パトロールみたいなもんなんだね?」
「……そういう、こと……かな?」
幸奈は何故か申し訳なさそうに俯き、両手の指を絡ませながらもじもじしている。何気に日本刀を胸の間に挟んでいるところが高得点。ふはー!堪んねえ!
うん?……ああ、なるほどー。これがギャップ萌えというやつですね。武器だなあ。これは、武器だなあ。心身ともに凶器だなあ。
「浮気はヤだよ?」
そんな僕の脳内回路にハッキングしたのか、咲月が袖を引きながら上目使いを遠慮なくぶちかましてきた。しかも、空いている方の人差し指を加えながら。
言うまい。ここで、『お前はどんなキャラでいきたいんだよ!』とは言うまい。無粋にも程がある。
「大丈夫。僕は咲月一筋だ」
「ははっ。気持ち悪いな」
言うまい。ここで、『お前はどんなキャラを僕に望んでんだよ!』とは言うまい。
「冗談は言いとして」
顔を引き締め直し、咲月は続ける。
「一日にだいたいどれくらいの影と遭遇するの?」
会話のベクトルは幸奈へ。
「…………えっと……会わない日は会わないけど……」
指を一つ一つ折り始めた幸奈は、どうやら脳内で影を切り捨てる作業に勤しんでいるようだ。
視線も自然と上へと向かう。
外界に来ると、脳の働きも自然と属性変化を起こすみたいだ。まあ、優秀だよね。萌えという方面に関して言えば。
「……多い時は、一体くらいか、な……」
「そこまで多くはないんだね」
「………………うん」
はははっ。ツッコマナイヨ。僕はツッコマナイヨ。何で指を五本以上も折ったのに、答えが一なのかについてはツッコマナイヨ。
いいんだよ。今の幸奈はそれでいいんだよ。
というわけで、適当な会話を繰り広げながら、僕らは歩みを進めていく。
本当に幸奈は適当に歩いているみたいで、ふらりふらりと僕らを惑わすように右左に折れていく。
その後ろ姿を追いながら、僕は奇跡的に助けられたのだなと改めて実感。単純な確立で行くと、影に抹殺される確立よりも低いわけだし。
運の使い果たしを危惧せねばなぁ、と僕は考える。そんな僕の前で、咲月が勇猛果敢に幸奈に話しかけていく。彼としては、少しでも打倒・影に繋がる情報を手に入れたいのだろう。
いや、別に僕が三点リーダーの化身となった彼女と会話するのがめんどくさいから咲月を宛がっている、とかそういうわけじゃないですよ。
ただ、これからまたあのシーンを見れると思うと、顔がにやけてしまいそうになる自分がいて、そんな姿を見られたくない、ていうのが理由かな。
本当に嫌だねぇ。
どうしてこうも、本当の自分は醜いのだろうか。甚だ迷惑だ。こんな自分は自分にとって迷惑だ。
でも、抑えられそうもないよな。気持ちを。
押さえられそうもないよな。ていうか、押さえ切れてない。口角が醜く釣り上がるのを。
終わってるよなぁ。いつ静まる事やら。
☆
パトロールを始めて一時間程が経った。
いい加減に力尽きてきた空は、大好きな青色で自身を装飾する事を諦めたらしい。徐々に、暗闇が町中を不法占拠し始めている。
幸奈は毎日、朝昼晩と二時間ずつパトロールを行っているらしく、そうなれば勿論今日は三度目。だが、朝昼のパトロールではまだ遭遇していないらしい。
「…………今日は、出ないかも……しれません」
幸奈はしょげたように目を細め、既に熱を失い始めているアスファルトの地面を見つめている。その手に握られた日本刀は、持ち主の機嫌を伺うように沈黙を保っている。
彼女としては、僕らに影を倒すとこを是非とも見せたいのだろうけど、そうは問屋が卸さないみたいだ。
「うん。そういう日もあるよね」
と、咲月。
「よく考えてみれば、確率的にも一人が何度も会えるわけじゃないし」
落ち込む幸奈を励ますように彼は彼女の顔を覗き込み、笑顔を無料配布する。サンプルの配布はなかなかの癒し効果を発揮したらしく
「……ありがとう…………」
と幸奈は少しだけ気持ちを持ち直したのか、薄っすらと笑みを浮かべた。
端から見ればいい光景だけど、中身は何とも不謹慎だな。
影が現れない事を残念に思うとは。
ああでも、それは僕も同じか。
三者三様。
影の出現を望む気持ちは一緒だけど、その根底は全く違う。
一緒に行動しているのに、気持ちはばらばら。
歩くスピードも、歩く道も、歩く距離も同じなのに、心はお互いの与り知らぬ所を駆け巡る。
ばらばら。
ぱらぱら。
果たして誰の心が一番澄んでいるのか。
僕は知らない。
咲月の事も知らない。僕は聞いていない。彼が何を根底で思っているのかを。
打倒・影。それは知ってる。でも、その奥は聞いていない。だから、知らない。
幸奈の事はもっと知らない。彼女が何を思い、影を殺しているのかを。仕事?使命?命令?知らない知らない。何も知らない。
まあ、どうでもいいけど。
まあ、どうでもいいけど。
「……あ、運は良かった、みたい……」
つらつらと精神汚染物質しか生まないような思考を繰り広げていた僕の前で、きゅらきゅらと日本刀が鳴いた。
実に嬉しそうに、鳴いた。
「影……これが、影」
幸奈の横に居た咲月は一歩退く。
そして、その咲月の更に二歩ほど後ろに居た僕の目に映り込んでくるのは、影。
どこまでも、どこまでも、黒く。街灯の灯りも、家の窓から零れてくる灯りも、空を横断する月の光も、全てを吸い込むように黒いその姿は、脳裏に焼き付いた光景を引きずり出してくる。
静かに、ゆらゆらと、影と世界の境界線は揺れる。
あの時と同じように。
揺れる。
揺れる。
「あ……あ……」
その雰囲気に飲み込まれてしまったのか、咲月の目は完全に瞳孔が開き、動かなくなってしまった。
「……下がって、下さい……」
幸奈の声に緊張が走る。
手に持つ日本刀が、場の空気をさらに冷やしていく。本領発揮。獲物を捕捉。切っ先は影へ。
しかし、影は緩むことなく、揺らめきながら幸奈との距離を詰めてくる。
「咲月。こっち来い」
硬直した咲月を無理やりに僕の側まで引きずる。掴んだ手は、分かり易く震えていた。
「……あれが、影」
「ああ、そうだ」
「怖い怖い怖い…………」
がちがちと歯を打ち鳴らし、僕の制服を強く握り締める咲月。自身の存在を繋ぎとめるように、きつく握り締める。
そんな咲月を落ち着かせるために、僕は強く肩を抱き寄せた。
「大丈夫。幸奈がいるんだ」
半分自分に、半分咲月に言い聞かせる。
僕も怖いのには変わりない。
そんな僕らを余所に、幸奈は日本刀を上段の構え、いや、それ以上に振り上げ、構えている。そして、ただ影の接近を待つ。圧倒的な存在感。影がこちらまで来るイメージが微かにも湧かない程の存在感で、僕らの前に立つ。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ふっ」
振り下ろされた。
躊躇いなく。
躊躇なく。
迷いなく。
ぶれることなく。
上から下へ。
どこまでも重力に従順に。
そして、日本刀に空間を明け渡すように、影は他愛もなく割れる。
そして、割れた影は地面と友好条約を結ぼうとする。
一方的に。
我が侭に。
独りよがりに。
地面に縋り、そして、拒絶されて消えていく。
暗闇が滲む世界の中で解けて、暗闇が滲む世界の中へ溶けていく。
じんわりと。
じっとりと。
きゅらきゅらきゅらきゅら。
獲物を食った日本刀は、琴線に触れる声で鳴き、主人の鞘の中へと戻る。
本当に気味の悪い程、触れてくる。
「…………もう、大丈夫です…………」
振り向いた幸奈は緊張感が解けたのか、頬が緩み目尻も下がっている。所謂、笑顔。ただ、それは独りよがりな笑みではなく、僕らを守れたという安堵感から来る微笑みに近い表情。
愛情?友情?それとも……。
まあ、どうでもいいか。
にしても、影は抵抗することなく殺されるんだな。
僕が襲われた時は背後からの攻撃だったし、仕方のない事かもしれなかったけど、しかしどうして今日は無抵抗なのか。
不思議だ。見えてないのか?危機感がないのか?それとも、反応するための何かを持たないのか?でも、人間の目の前に現れて襲撃してくる事を鑑みれば、確実に人間を感知する事はできているわけだし。
ん?ああでもよくよく思い出してみれば、影がわざわざ攻撃を避けたという話も聞いたことないな。
三年以上前の記憶だけども。
じゃあ、やっぱり危機感のなさか?無敵だぜベイベー、みたいに。
うん。まあ、いいか。
「咲月?大丈夫か?」
未だに僕の腕の中で縮こまる咲月に声を掛ける。
「……うん。大丈夫、大丈夫」
「そうか。…………よかった」
言葉とは裏腹に、震えの止まらない咲月を更にきつく抱きしめながら、僕は見た。見てしまった。
咲月が何かを確信したように笑うのを。
いや、もしかしたら勘違いかもしれない。
見間違いかもしれない。
ああ、でも、それもどうでもいいか。
どうでも。
それ以上に、僕は…………――――――――――。
☆
その日。
咲月は初めて影を見た。
僕は二度目の遭遇をした。
幸奈は僕らの目の前で初めて影を殺した。
それは疑うことなく、日常の延長線上で。
しかし、それは僕らを日常から切り離すには十分な力を持っていて。
きっと、もう戻る事はできない。
いや、戻る必要もない。
僕は僕の思いを。
咲月は彼の思いを。
幸奈は彼女の思いを。
優先しているのだだから。
勘だけど。
僕の事以外は。
ははっ。どうでもいいか。
僕の事以外は。
たぶんね。