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ヒーロー捜索

翌日。

 本来なら、僕の特に誰の(咲月以外の)感慨に浸けられることのない死が報告されるはずだった朝のホームルームを終え、さらにはそのまま午前中の授業も終わり、現在昼休み。

 これまた、本来なら奢ることはないはずだったおにぎりを、咲月に奢っている。

「にひひー。毎度ありー」

 咲月は嬉しそうに、売店で買ったおにぎりを二つ両手で持ち、僕の横を歩いている。

「どういたしまして」

 うん。生きててよかった。

 咲月の横顔を見て、素直にそう感じ入ると同時に、もし僕が死んでいたら、こいつはきっと笑顔でなかったんだろうな、と思ったり。

 そうなると、僕は咲月スマイルの守護者だったりするわけだ。むふふ。

 君の笑顔は僕がディフェンス!ちょっと違うか?

 ああ、いや駄目だ。何かもう嬉しくていまいちテンションコントロールできないなぁ。

「む?そんなに僕の唇を奪いたいの?」

 そんな僕の視線を感知し、顔面下に設置された麗しい唇をうにうにと動かす咲月。

「そんなとこ」

「キモス」

「ラモス?バモス?」

「あながちどちらも否定できない!」

 咲月はおにぎりを両頬に宛がい、口をムンクの叫び風味に味付けをする。

 そして、僕は僕で、生きててよかったという感慨に二回目の入浴。非常に、心地いいです。やべ、涙腺緩みそう。昨日と今日の二つの意味で。

「智也?」

「うん?」

「何かあったのか?ちょっと嬉しそうだけど」

 僕のいつもとは違う雰囲気を察したのか、咲月は純真無垢を原料とした質問を投げかけてきた。

 その目も、何か探りを入れるというよりも、そう感じたからそう質問したんだよ的な光を宿している。

「あったと言えばあったような……」

 ストレートに昨日の事を言ってもいいんだけど、あえて言葉を濁してみる自分。

 まあ、単純に、そんなピュアリアン(ピュアの最上級)状態の咲月を堪能したいが為の行いなんだけども。

 そんな僕の思惑通りに、むむー?と小さく唸りながら、優しく眉間に皺を寄せ、真実を模索する我が友。

「待ってよ。待ってよ。何があったか当ててやるから」

 再び、おにぎりを両頬に当てる咲月に、思わずキュンキュンし過ぎて抱きしめそうになる衝動を抑えながら、彼の思考展開の収束を待つ。

数秒後。

「わかった!」

 周囲を歩く生徒が思わず振り向いてしまうかしまわないかの、境目くらいの声量で自分の思考展開の終了を告げた咲月。

 うん。ちょうど半々くらいの生徒がこちらを向いたな。

 ただし、皆の視線が小動物万歳な感じの色に染まっていた事は…………だんまりの方向で。

「じゃあ、正解をどうぞ、咲月坊ちゃま」

「うむ。では……」

 こほんと、咳払いをし

「好きな子のパンツと同じ柄のやつをネットオークションで落とせた……。どう?当たっただろ?」

 したり顔で僕の顔を覗き込んでくる咲月。いや、うん、何というかさ、こいつの中の僕の基準はどれくらいアレなんだよ。

 とりあえずは、その旨を、声帯を震わせて咲月の鼓膜に届けてみるか。

「違う。凄まじく違う。ベクトルが違いすぎて、もうリアクションもままならない。何がお前の口からそんな言葉を吐かせたんだ?」

「む。違ったか?もしかして、ブラジャー?」

「ちげえよ!何かもうベクトルどころか次元違うよ!お前の中の僕の像はどんなだよ?何?今までの付き合いから見えてきた僕は下着崇拝者という、犯罪の臭い交じりの人間だったのか?」

 いってえ。周囲の目、いってえ。

 刺さる刺さる。でも、気にしない。これが生きてるということ。

 私は今、生をフィーリン!……いってえ。

「ちょ、周囲の目を少しは気にしろよ?」

 頬が引きつっている咲月さん。僕の心筋(心のよくわからない部位の筋)も攣りまくりだよ。

「お前のせいだ!」

「で、正解?」

 きっと咲月の人生は、永遠に自分の都合優先道路として整備されていくのだろう。決して応援はしないぞ。

「違う。うん。何ていうか、昨日、お前と別れた後……」

「浮気?」

「お前の思考回路をできることなら、跡形もなく吹き飛ばした後、再構築してあげたいぜ。友達として。うん。じゃなくてな、うん。あれだよ、あれ……」

 ああ、駄目だな僕。

 今日の今まで、あんまり自分の真正面で昨日の事実を捉えようとはしてなかったからさ。

 ここに来て、昨日の出来事をそれなりに真面目に思い返してみると、涙腺どころか、全身の様々な箇所が弛緩しそうな勢いだ。

 あーもう、これなら昨日のうちにがくぶるしとくべきだったな。やっぱりあれだよ。その時は死をリレーのバトンの如く、流れるままに、自然に受け入れることできたけどさ、時間経つともう無理。

 まじ無理。

 恐怖その他エトセトラ、始めました。始めさせられました。一日限定ですので、どうぞお越しください。

 ああ、しかも、両親の事も軽くフラッシュバック。

 アレに殺されたんだよなあ。両親。やっぱ死ぬ時も僕と同じような気持ちになったのかな?

 そういや、影は仇……か。ははー。仇を前に何もできなかったなんて、三途の川を渡る際は、自分で泳げこの野郎とか言われても文句は言えないね。

 悔しいなあ。ああー、まじ悔しい。

「智也?智也?」

「ん?ああ?」

 思考が徐々に歪曲し始めてきたところで、咲月が心配でコーティングした声を用いて、僕の名を連呼してきた。

「そう、んでな、実は昨日影に襲われた」

「そっかそっか。そんなことか。急に押し黙っちゃったから何事かと思ったじゃん」

「いやー、すまんすまん」

「って!うええええええええええええええええェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」

 シャウト。魂からの、シャウト。

 うろたえてるな。その声につられて周囲の生徒もうろたえてる。廊下全体に広がる無駄な一体感。

「うえええ。ってまじで?まじか?本当なのですか?てか、じゃあ、何で生きてんの?死ねよ。そこは死ねよ。そんで今日のホームルームで担任がまた無機的にそのことを告げて僕に殴られて悶絶して僕は葬式で泣きながらに思い出を語る可哀相な親友的なポジショニングを確立してその哀愁漂う僕に釣られて女の子がどんどん寄って来る青春万歳!」

「何の話だよ!まずは、僕が生き延びている事を喜ぶべきじゃないか?」

 訳の分からない青春理論を練成してしまった咲月は、ぜはあぜはあと息を切らしている。

 無駄に肺を酷使した報いを絶賛体感中だ。所謂、等価交換。そのまま、鎧の体になっちまえ。

「だだだ、だって、影に襲われたのに生きてるって、それは智也の夢の中の出来事じゃないのか?明晰夢みたいな感じで現実と夢の境が有耶無耶ハチャメチャになってるとか?」

「それはねえよ。だって、襲われたのって、咲月と別れて直ぐだったし」

「昨日は智也と下校してねえぞ?」

「いらん。そこの嘘はいらねえよ。何だよ、その嘘。僕の言うこと、そんなに信じたくない?」

「昨日影に襲われたのは僕で、そして、生き残ったヒーローは僕一人で十分だ」

「どんなシンクロニシティだよ!」

 台詞後、静寂が押し寄せる。結局、一度咲月に向けられたいってえ視線は、僕に収束し、その後再び霧散し、事態は終息した。

 日常的な、恒常的な、無味無臭に歩く生徒達で埋め尽くされる昼休みの廊下の光景が蘇る。

「いや、生き残れたのにはちゃんとした理由があんだよ」

 多少、疲れ気味のトーンを乗せて僕は続ける。昼飯食ってないから、体内に蓄積されたカロリーは減る一方だ。

「聞いてやろう」

「うん。実はな、助けられたんだ。女の子に」

「え?夢落ち?その後、助けてくれた女の子といちゃいちゃくちゅ……」

「やめい」

 どうしてだ?どうしてなんだ?どうして、お前は真面目に僕の話を聞いてくれないんだよ?

 いや、それはまだいい。何で女の子らしい言葉遣いをしてくれないんだよ。このままじゃ、死んでも死に切れない。……って、僕も僕か。

「だから、ふざけずに聞いてくれ」

 はぁ、と深い溜め息を一つ。

 昼休みも限られてるんだし、いい加減、話を先に進めたい。さっきから同じような方向性を持った曲がり方ばかりしている気がする。

 まあ、僕も僕で悪いんだけど。

「うー、わかったよ」

 大事にしていた玩具を取り上げられた子供のように、目じりを下げ、おにぎり同士を軽くごっつんこさせる咲月。

「で、何がどうだってんだ?」

「うん。さっきも言ったとおり、あの三叉路で別れた後、スーパーに行こうと角を曲がったことろで影に遭遇したわけなんだけど、それはもう、容赦なく死を意識したわけ」

 教室に進路を定め、再び歩きながら話を進める。咲月は、おにぎりを胃袋に詰め込み、栄養として自分の体内を駆け巡らせる作業に勤しみ始めている。昆布と鮭。どうやら、昆布の方から搾取していく方向性らしい。

「ほむほむ。んでんで?」

 嬉しそうに、米のスクラムを頬張りながら、気のない合いの手。一通り騒いだ彼の精神は、既に還暦並みの落ち着きを獲得してしまったようだ。

 そんな友の態度には特に言及することなく、話を進める。

「人間、死を覚悟すると、頭の回転が凄まじく速くなんだよな。あれが達人感覚なのかって、今思うとちょっと感動したりもするわけだけど」

「ふんふん」

 おにぎりを半分ほど胃袋に仕入れた咲月は、少しばかり食のペースを落とし始めた。胃袋が腸への転送をうまくできないでいるようだ。顔からも余裕が失われてきている。

「まあ、それはいいとして……」

 思い浮かぶ少女の顔、体、その形。日本刀。それらを脳内で映像として再生する。

「影が僕との距離を詰めてきて、あー死んだなあって思った瞬間に、急に影が真っ二つに、何ていうか、ぱかっと縦に分かれたんだ」

「分かれた?」

「裂けたって言ったほうが正確かな。そう。で、二つに裂けた影の代わりに現れたのが、一人の女の子。手には日本刀持ってたし、たぶん、その子が僕を助けてくれたのかなって。まあ、その後直ぐにどこかに行っちゃったから、名前も聞けなかったけど」

 走り行く後姿にテロップを入れるなら、『少女はまだ見ぬ明日に向かって走り出した』くらいだろう。テンプレート感が逆に安心感すら与えてくる。

「ほうほう」

 おにぎりを食べることを止めた咲月は、皺にならない程度に両眉を顔の中心に寄せている。左手では手付かずの鮭のライスボールが早く食べてと言わんばかりに動いている。

 まあ、咲月がその小さな手でにぎにぎしているだけなのだが。

「うーむー」

 唸る咲月。

「どした?」

 疑問符な僕。

「あ、うん。噂は本当だったんだなあと思って」

「噂?」

 咲月は脳内に保管されている記憶に刺激を与えて起動させる為かは知らないが、眉間に人差し指を当て、ぐりぐりと皮膚を苛め始めた。

「そう。噂。最近、影に遭遇した人が誰かに助けられたとか、そんな感じの噂が流れてたんだ。勿論、智也とは別口で」

「まじか?」

「まじだ」

 うーん。それは初耳だな。僕以外にもいたわけか。見事にヘルプされた奴が。探し出して、サバイブ同盟でも作ろうかな。…………ん?あれ?でも…………。

「それなら、もっと噂広まってもよくないか?あの影を倒してくれる奴がいるかもしれないって、相当のビッグニュースだと思うんだけど」

 僕の耳に自然とゴールインしてもおかしくない話だ。てか、普通に、その真偽を確かめる為の特番とか組まれてもおかしくないだろ。どうしたマスメディア。

昨日の段階でそれを情報として脳内の保管庫に入れていれば、あんなにも死だけにしがみつく事もなかっただろうに。

まあ、過ぎた今としては、どうでもいいことではあるけど。

「問題とまではいかないけど、障害はそこだよ」

 所詮は噂だしね――と、咲月はぼやきながら、農家の方の血と汗の結晶を無造作に空中へと放り投げた。天井に向かって。どうやら、もう自身の体内へ放り込むつもりはないようだ。

「結局はさ、誰もそんな事信じられない、ていうか、信じようともしてないってこと。尾ひれが付くどころか、噂が噂自身に飲み込まれて終了って感じ」

「うん?」

「うん。だからさ、警察でもお手上げ万歳三唱な相手なのに、そんな一個人かどうかまでは分からないけど、少なくとも、そんなご都合主義的な感じで救世主が現れるのなんて、今さら信じられるかってわけ」

「ああー、なるほどねー」

 確かに、咲月の言うとおりだな。五年近くも、人類はその存在に対して何もできなかったんだ。そういった類の噂があまりにも現実から乖離し過ぎていて、常世の夢物語過ぎるってわけか。

 ったく。つくづく異常だ。噂すら流れないなんて。

希望は抱くな、抱かせるな。

夢を見るな。見させるな。

信じる者は報われない。信じさせる者も報われない。

自然のままに、あるがままに、受け入れる。受け入れろ。現実を。死を。影を。存在を。

否定するな。否定するだけ、壊れるだけ。壊れるのは、影に包み込まれた時だけでいい。

死ぬ時だけでいい。だから、夢を信じて苦しむな。

ってことか。

どこまで、影は僕らの日常に根を張るつもりなんだよ。

気持ち悪い。本当に、気持ち悪い。

「だから、僕も智也の話を聞くまでは、完全に無視してたんだけど、もし、本当に智也が見たのが噂のスーパーヒーローだとしたら、これはこれは、もう大ニュースだよ。ううん、事件と言ってもいい」

 若干、興奮気味に咲月は頬を吊り上げる。少しばかり、耳も紅潮している。

「智也」

「うん?」

「探そう」

「へ?探そうって、何を?」

「ヒーローだよ、ヒーロー」

 上ずった声。

 上気した顔。

 小刻みに震える手足。

咲月は、それはもう、新しい玩具を買って貰えた子供のような喜びを全身から放っていた。



 翌日。

 放課後。

 僕と咲月は学校備え付けの図書館に来ていた。

 僕らの通う高校は、二本立てとなっている。つまりは、校舎二つ。それぞれ五階建て。どちらかと言えば都心に近い位置にあるので、どうしても空に向かって空間を利用する

という、バベル的な構造になってしまうのは仕方のないところ。

校門側に立地する校舎の内部は、各クラス用の教室と購買部、食堂など。

河川側に立地する校舎の内部は、職員室や各特別教室など。

一応渡り廊下は備え付けられているものの、一、三、五階にしかないため、少しばかり、行き来のし辛さはある。

だからといって、特に構造上に大きな不満があるわけもなく、二階の端にある家庭科室に行く時に、一握りの苛立ちを感じるくらいのものだ。ん?これは不満か。んー、まあ、いいや。

で、肝心の図書室はというと、河川側の五階、一番隅にひっそりと存在している。渡り廊下がある階なのだから、家庭科室よりも利便性は高いのではないかと、新入生などは勘違いを引き起こしやすい。

しかし、それも中学生要素の抜け始める五月の末日辺りまで。

あ、いや、そこは千差万別、人それぞれなので、やっぱり、五月下旬前後と訂正を入れさせて頂こう。

そう、で、暫らく校内での生活を送ってみると、河川側校舎の五階というものはほとんど使用されない事に気づいていくのである。

実は、五階の教室群を立派に占拠しているのは図書館くらいで、残りの全ての教室は完全なるゴーストタウンと化している。

なぜかは分からないが、机も椅子も置かれていない、ただ空気だけが皆勤賞の教室ばかりなのである。

ううーん、学校の七不思議だ。

そうなって来ると、五階にはそれなりに陰鬱、閑散、といった雰囲気が漂うわけで、唯一正常に機能を果たしている図書館ですら、忌避の対象となってしまっているのが現状だ。

もともと、取って付けたような図書館であるため、品揃えがどうにも悪いと言うのも、その一因ではあるみたいなんだけども。自業自得。

そういった訳で、僕と咲月は人口密度が学校一低く、大きいテーブルのある図書館、もとい、本置き場をミーティング場所として選択したわけだ。

「じゃあ、これより、第一回ヒーロー捜索会議を始めます」

 咲月の高らかな宣言とともに、よく分からない二人だけの会議がスタートした。一応、場違いな声に、はらはらしながら周囲に視線をくべると、生徒は一人も居らず、窓から差し込む夕陽だけが静かな観覧客として、我が物顔で空間の半分を占拠しているのみ。

 なんともまあ、不干渉な客だこと。

 図書館を管理しているはずのおばさんも、完全に見て見ぬ振りを決め込んでいるのか、視線を手持ちの週刊誌から上げようともしない。

 まあ、やり易いにこしたことはない、か。

「で、一体何をするんだ?」

「むむー、ちゃんと話し聞いてなかったのか?」

 広用紙を遠慮なくテーブルに広げながら、咲月はぷちっと僕への愚痴を零す。蚊くらいなら潰せそうだな。

「いや、まあ、聞いてはいたけどさ、どうやってそれを実行すんのかなって」

「それを今から話し合うんだろ?」

 まあ、正当か。にしても、どうすんだか。噂の彼女、僕が見た彼女を探したりなんかして。

「言っただろ。僕は影による死を正当化してないって」

 僕の気持ちを見事に自由落下により地面と衝突する前に、掬ったようだ。咲月からのアンサー。見つけた後、それをどうすんのかってことは今は言うまい。それは後で、そうだな、このミーティングの後でも……いいかな。

「見つける算段は?」

 外見は僕が記憶してるから、見れば分かるだろうけど、まず見つけられなくては意味がない。

「ふふー。まずはこれを見てくれ」

 咲月がこれ以上自信は詰め込めません、と言わんばかりの顔をしながら広げた用紙を指差した。

 あっち向いてほい、遅く動いたのに負けました、と言った感じで視線を投げた僕の目に映りこんできたのは、一枚の地図。

 広用紙じゃなかったか。しかも、これは町内全域をカバーするほどの広さだな。

「んん?何だこの点?」

 よくよく見ると、地図上には赤い点がところどころに打ってあり、僕は何気なく指先で触れる。うん。特に変わった感触はなし。当たり前か。

「それはねえ、影が出現したポイントだよ」

「うえい?」

 反射的に指を引き離した。ついでに、足も一本、後ろの床へ献上。ははー。控え居ろう。影様のおなーりーであるぞー。ああ、がくぶるがくぶる。

どうやら、未だに心の何処かに、影の存在が粘着性豊かに張り付いているみたいだ。そのまま、寄生虫へと変貌を遂げないことを祈るばかりだな。

「ていうか、何処でこんなの調べたんだ?」

「ふふー。僕の情報網を舐めてもらっちゃ困るなー」

 と、咲月。

 お前の情報網の凄さも、ここに来て初耳だ。

「こんな事もろうかと、ここ一年ちょっとの間、影の出没情報とか調べてたんだ」

「咲月、お前……」

 あああ、まずい。涙腺が勝手に生産ラインを稼動しやがった。早くストライキ起こさないと。ああ、もう。咲月のアホ。なんて事してんだよ。いや、もう、本当に…………。

「高校生という青春時代を、そんな物に全て捧げるなんて。言ってくれれば僕も少しは手伝いできたのに」

 何たる悲劇。

 何たる衝撃。

 妖精から、人間に憧れてトランスフォームしちゃいました、と言われても全く違和感のない麗しの咲月が、一人で、たった一人で、そんな事に時間を潰していたなんて。

「ああ、本当にごめんよ。もっと早く気づいていれば……」

 もう後悔しかできない。神よ。僕の命を半分あげてもいい。元より、一度失ったはずの命。その代わり、咲月の一年間を取り戻してはくれないだろうか?

 慈悲を、慈悲を咲月に。

 僕の体は自然と膝を付き、胸の前で両の指を交差させた。

「ちょい待て。何で僕を根暗な残念っ子に仕立て上げてんだ?」

 頬をひくつかせる咲月は、同時に、祈りを捧げる僕の立てた片膝に足を遠慮なしに乗せてきた。

 どうしてでしょう。興奮してきましたね。

「だって、この一年間。それしかしてなかったんだろ?」

「勝手に決め付けるな!こればっかしてたわけないだろ。どんだけ僕を貶めるつもり?第一、驚くことはそこじゃないだろ」

 踏まれる。踏まれる。踏み躙られる。右膝から太股にかけて。ついでに、心も。個人的にはもう少し内股側を。心の柔らかい部分を。踏んで欲しい。

 死線を乗り越えた僕は、新しい境地に乗り出してしまいそうです。

「とにかく、だ。僕の事をそんな残念な奴にしないでくれ。これはあくまでも趣味の範囲内でのことだし」

 全く、と不服気に口を尖らせた咲月。さて、冗談はここまでにして、無視を決め込んでいたはずの、まあ、こっちがそう勝手に決め込んでいただけなのだけど、図書館のおばちゃんの視線が死線に変わり始めてきたので、話を先に進める事にしよう。

 ギアをDに入れ、サイドブレーキを下ろし、前後左右確認。それでは、出発。全くもって、無駄な描写だ。

「まあ、それは分かった。ふざけて申し訳ない。んで、つまりは、この点が多く出現してる所に、影が出る確率が高いってわけか」

「そういうこと」

「でもなあ……」

 と、僕。

「何か不満?もしくは、質問?」

 ろ、咲月。杉―くんと――路くんろ。

「昨日の昼休みは、噂なんて信じてなかったとか言ってたのに、こんなの作ってるなんて……ふふぉい!」

 右頬に伝わる衝撃。台詞途中で視界の端の咲月が、左手を振り上げるのを確認できていたので、まあ、そのまま僕の頬に左手を突撃させたのだろう。即断実行。素晴らしい。

「痛い……」

「いらんことに気づくからだ」

 少しばかり揺れる視界の中で、そのまま蒸発してしまいそうなほど、咲月の顔は赤くなっている。

 ふう。僕もなかなかどうして、真面目に話を進める事ができないかな。

「すまんすまん。とりあえず、言っておきたくて」

「言わなくよかったのに」

 どうやら蒸発は免れたらしい咲月は、口からぷちっと不満を生み出した。

「まあ、それはそれとして……」

 再び、地図に目線を貼り付ける。今度こそは真剣に。

「影が現れた場所、重点的に現れた場所がこうなのは分かるけどさ、もしかして、ここから何ポイントかピックアップして、昔の刑事ドラマよろしくな感じに張り込みでもするつもりか?」

「うーん、具体的には考えてなかったけど、そうした方が一番効率いいかなっては思ってた」

「ふーん」

 三度、視線を地図へ。えっと、一昨日僕が襲われた所はっと。いまいち見慣れない地図と格闘し、目的の場所を探す。

「お、僕が襲われたのここか。……ん?」

 何だか、何か引っかかるような。襲われた地点に人差し指を置き、地図上の赤いプロットを観察する。規則性とかはなさそうだけど、偶々かは分からないが、プロットが集中している場所もあるな。

まあ、こちらの予測のみで判断するのはどうにも憚られるところだけど。って、……。

「ああ、そうか」

「どうした?」

「あ、いやな、一昨日僕が襲われた所はここなんだけど」

 咲月にも分かり易いように、少しだけ体を横にずらす。

「ふむふむ」

「で、影が繰り返し現れたのはここ」

 赤い斑点が多数落ちている場所を、空いている指で押さえる。ちょうど、僕が襲われた地点とは地図の中心を軸にしたら、線対称の位置。

「それでそれで?」

「うん。確かに、影が多く現れた場所はこの地図で分かるけど、それがイコールでヒーローの現れる確立には繋がらないんじゃないかな、と。ほら、僕が助けられたのはここだろ?で、多く襲われてるのはここ。噂にもならないくらいの救出率なら、それこそ、偶然的な要素が強いんじゃないか?」

 この地図のプロットされた地点に攻め込む場合、ヒーローに会う確立よりも、ホームルームで僕らの自然死を事務連絡される確立の方が高そう。死地にわざわざ赴くようなものだし。

「……」

 口を真一文字に結び、じとっと、自己作成の地図とそのプロット、そして、そこに置かれた僕の指を咲月は見つめる。

 そして、暫らくの沈黙の後、

「でもでも、そうしないとそうしないと、駄目だもん。駄目、だもん」

 と、何とも弱弱しいトーンで言葉を吐き出した。しかも、普段とは百八十度方向の違う、堪らなく子供染みた言葉使いで。

「おわっ。咲月?」

 ぽたぽたと、大粒の涙が咲月の目から零れ落ち、広用紙の上に小さな水溜りを形成し始めてしまった。

 下唇を噛み締め、ぷるぷると、とある愛玩動物のように体を震わせる。

「だ、あ、すまんすまん。別にこれがいらないってわけじゃないんだ。ただ、一昨日助けられた場所が、ちょっと赤いプロットとは離れてたから、何となくそう思っただけで…………」

「だって、だって、これ作るのに、僕、頑張ったのに、なのに、いらないなんて。そんなのそんなの酷い、酷いよ」

 僕の弁明は咲月の鼓膜まで宅配されないみたいだ。受け取り拒否か?

 にしても、咲月の涙は卑怯だ。これが普通の男友達ならうんともすんとも思わないのに、見た目が女の子よりの彼だと話は別。

 冗談抜きで、女の子を泣かしてしまったような錯覚に陥ってしまう。

 で、目下そんな精神状態へと追い込まれてしまった僕。

「ごめんごめんて。ほら、な、誰も使わないとは言ってないだろ?ただ、そういう可能性もあるって話なだけでさ。な?な?」

 ああ、もう、本当にいつもこうだ。彼、咲月は自分の努力が報われないと、ぐずり出す。所謂、退行ってやつか。さすがに昔に比べて、人前でぐずり出すということはほとんどなくなったけど、どうにも二人の時には歯止めが効かないみたいだ。

 いや、効かせるつもりがないのか。まあ、それはよく分からないけども。

「ぐずっ。ぐずっ。頑張ったのに。頑張ったのにぃ」

 頼む。泣き止んでくれ。ちょっと、おばちゃんも身を乗り出し始めてるよ。無駄に干渉されて、物語、ややこしくなんのは嫌ですよ。

「使おう。もう擦り切れてどうにもならないくらいに使おう。この地図。せっかく、咲月が一生懸命作ったんだし、使わないわけないだろ?」

 咲月を宥める為、極細ポッキーを折るかのごとく容易く、自分の意見を粉砕しました。いや、もともと、何となく言っただけだし、全然痛手じゃないけど。咲月の涙腺に通行止めの看板立てる方が余程価値のあることだ。

「ほ、本当に?」

 咲月は、少し赤みを帯び始めている目の下を擦りながら、僕の目をまっすぐに見つめてきた。ぐふう。凄まじい罪悪感。

 女子泣かしたついでに、小動物苛めました的な罪悪感も来てる。これが、伝え聞く二重の極みというやつか。

「ああ、本当だとも。だから、もう泣くのは止めよう?高校生が泣くなんてみっともないしな」

「うん。うん」

 納得してくれたのか。こくこくと小さく頭を縦に振る咲月。よかった。身を乗り出し始めていたおばちゃんも再び週刊誌に首っ丈。

「じゃあ、早速、明日からの予定を立てよう」

 先ほどまでの泣き顔は何処へやら。咲月は、まるで、向日葵が咲いたような笑顔を発掘なさった。

 ったく。敵わないねえ。



 というわけで、翌日。

 どういうわけか、翌日。

 いや、もう愚痴は零すまい。

 というわけで、放課後。

 僕と咲月は早速、地図に赤い点が落とされている地点へと、実際に赴いている。

「むふふー。何やかんやで、智也は僕の事好きだなあ」

 僕の隣に位置する咲月は、大変ご機嫌麗しゅう、陽気なステップを踏みながら歩いている。

「まあ、これ以上泣かれても困るしな」

 ふう、と溜め息。昨日の事を思い出し、何となくなく、たそがれてみたり。彼女と喧嘩した日の翌日はこんな気持ちなのかなあ、と妄想してみたり。

「またまたー。でもね、私があんな一面を見せるのは、貴方の前だけなんだから」

「……はい」

 今日はまた一段と声色を使いますな。罪滅ぼしか?昨日の事に対する罪滅ぼしか?たくもう、許す!鼻血出るぞ、この野郎。

 むふふー、とさらに上機嫌が上上機嫌へとステップアップした咲月の腕が、僕の腕に絡みついてきた。

「ちょ、おい、さすがにそれはまずいって。制服だとお前が男だってばれるだろ?」

 私服姿はフィーメール。

微かにボーイッシュなフィーメール。

「大丈夫だよー。周りの人達は、全然違和感なく僕らのこと見てるし」

 周囲を一望。微笑ましいなあ、おい。周囲の方々の笑顔がこれみよがしに、微笑ましいなあ感全開。

 服装なんて、ただの飾りに過ぎないというのか。大事なのは、本質というわけか。いや、本質も見失ってるだろ。

「それに、ここは学校からも外れてるし、知り合いに見られる事もないよ」

「そういう問題じゃなくてな……」

「イヤ?智也は、ヤなの?」

「嫌じゃありません」

 僕は、僕の将来が心配でなりません!

ああ、もう、本当に咲月が女の子ならどんなに良かったか。僕の理性を止めてんのは、咲月の性別だけだよ。まじで。

 だいたい、何で咲月は僕の腕に絡み付いてんだよ?別に、嫌じゃないからいいけどさ。

 ああああああ、もうもうもう、まじで心配だよ!

「ところで、聞きたかった事があるんだけど?」

 とりあえず、僕の将来的な不安は置いといて、今現在の事に重点を置くことにした。

「何?私は貴方以外には見えてないわよ。貴方しか見えない。貴方だけ貴方だけ。世界は貴方。貴方は世界」

「ヤンデレ!…………――――じゃなくてな、ヒーロー探すのはいいけど、その後どうすんだ?」

 見つけた後、写真でも撮って、印籠代わりにするわけでもないだろうに。無尽蔵生産体制の影にそれが通用するとはとても思えないしな。

「そのことなんだけど」

 と、咲月は至近距離にある僕の顔を見上げる。

「たぶん、ヒーローは何かしらのヒントを持っているはず、と僕は思うわけだよ」

「ヒント?」

「そう。影を倒すためのヒント。智也が見たヒーローは、日本刀で影をやっつけたんだろ?」

「ん、ああ、そうだな」

「おかしいとは思わなかった?」

 なぜか僕の頬にぐりぐりと人差し指を押し付けてくる咲月。いくら掘っても石油なんてでないぞ。いや、記憶を穿り返そうとでもしているのか。人様の記憶だけど。

「いや、特には」

「よく思い出してみて。影に、物理攻撃が効いたなんて話、聞いたことあったかしら?」

 何故か女性口調の咲月に促されるようにしてフラッシュバックしてくるのは、影に関する報道。中でも、影に攻撃を仕掛けたという内容をセレクトして。

「そういえば、ないな」

 結論。一回も聞いた事がない。警察官が拳銃を使用したとか、襲われた人が苦し紛れに、殴りかかった、等と言った目撃証言があるにも関わらず、撃退したという情報は一度も耳に飛び込んできていない。

 まあ、報道がされなくなったせいもあるかもしれないが、どちらにせよ、ないものはない。

 あったとしたら、今頃、僕らにも拳銃所持が認められている可能性も高いし。そうじゃない所を考えると、駄目だったのだろう。

「だろー?そうなると、ヒーローは何かしらの対策を心得ている、と考えた方が妥当なわけだ」

「なるほどな」

 咲月の予想に、思わず感心してしまった。

「にひひー。まいったかこの野郎」

 うりうりと、僕の頬から出るであろう、何かしらの資源の採掘に人差し指使って勤しむ咲月。

 そんな彼を尻目に、しかしなあ、と僕は思考をエゴイスティックの滑走路に、静かに着陸させる。

 今までの言動から、咲月的には影を相手に勧善懲悪劇とまではいかないにしても、それなりの事をしたいのだろうということは、ぼんやりながらも読み取ることはできる。

 影による死を自然死としない、彼らしい態度だとも思うし、それを否定するつもりは毛頭ない。

 だからこそ、こうやってヒーロー捜索に協力しているわけだし。

 まあ、ここまで具体的な行動に移すまでとは思ってなかったけど。いや、これは僕の責任でもあるか。

完全に、今回の僕のスウェットヒーローとの遭遇が、咲月の心に油を注いだのは言うまでもない。火はもともと点いていたと推測。

 一年以上も一人で影の出現場所の情報を収集していたくらいだしな。心に溜まっていた鬱屈は、相当なものだろう。

 まあでも、それはそれでいいさ。人にはそれぞれ情熱を傾ける物があった方が、より良い人生を送れるだろうし。

 ただ、それで本当に影に遭遇してしまったら、元も子もないのだけれども。その時は、その時か。

 お互いにその覚悟ができているかと言われれば、僕の方は怪しいけど、咲月の方は大丈夫だろう。

一度手放しかけて拾った命。だからこそ、僕はその大切さが余計に身に染みて分かっている、というだけの話。

 友達の為なら、そこまで自分の命は惜しくはない。ただし、ここは、友達がイコールで咲月となる分、制限が出で来るわけだが。

 いや、そこはいいんだ。それよりも、問題は、圧倒的に僕のヒーロー探索に挑む姿勢か。

 どうにも、拭い切れない。

 表面上は咲月に釣られて、何とはなしにこの捜索に参加しているようには装っているものの、心の奥底で湧き上がる、ああ、違うな。滲み出す、影に対する恨み辛みが拭っても、拭っても、じゅくじゅくじくじくと、微かな痛みを伴いながら滲み出してくる。

 凝固剤はどこにも見当たらない。

どこにも。

見当たらない。

 影を間近で見た瞬間から、止め処なく滲んできては、僕を侵食しようとする。

 嫌な感触。自分の中身が復讐で埋め尽くされていく、不快極まりない感覚。

 でも、それでも、微かに、気持ちいい。今まで、何年間も抑えていた自分の本能に素直に従属した感情が、滲み出す度に、僕の心にその染み残していく。薄っすらと、残していく。

 今はまだ抑えられている。しかし、それも咲月のヒーローーに対する予想により、怪しくなってきた。

 もし、運よくヒーローに会えて、影を倒す方法を教えてもらえたら。そう考えると、いよいよ、体にまで侵食が始まり出した。

 早く、会いたい。あって、知りたい。知って、殺したい。影を。殺したい。僕の人生を奪った影を。容赦なく。徹底的に。完膚なきまでに。永遠に。殺し続けたい。

 徐々に、その衝動が全身を蝕み始めている。

 怖い、というのが正直な感想。

 今の自分に対する、素直な感情。

 復讐が快楽に変わったら、自分はどうなってしまうのか?

 そうなったら、咲月との関係はどうなってしまうのか?

 元には戻れなくなるのだろうか?

 どこまでも、怖かった。

「ふう」

 ついた溜め息にも、滲んでいそうな気がするな。ああ、ああ、重症だ。

「智也?」

「ん?」

「少し、休んで……いく」

 頬を染め、控えめに僕の袖を引く咲月が指差しているのは、所謂ラブホテル。

 歩いている内に、そういった通りに入り込んでいたらしい。

「入ろうか」

「え、ちょ、ちょっと待ってくれ。僕は、智也が深刻な顔してたから、それを解してあげようとしただけでええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ……………―――――」

 

 まだ始まってもない事を考えるのは止めよう。

 その時に考えれば何とかなる、よな。



 その日から、地図上の赤いプロットを頼りに、放課後の一時間から二時間ほど、ヒーロー捜索の為の活動が続けられた。

 時には、樹海の様な森の中を歩き回り。

 時には、人混みの多い商店街を駆け抜け。

 時には、咲月を肩車して、塀越しに廃墟の中を確かめたり。

 時には、僕がヒーローと勘違いをした、ただのスウェット娘に話をかけてしまい、ナンパと勘違いをされたり。

 多少の脚色はご容赦頂きたい。

 しかし、噂にもならないほど出現率が低いヒーローが簡単にそう見つかるわけもなく、僕らの捜索は、ただの健康維持の為のウォーキングとしてしか意味をなしていない状態のまま、二週間が過ぎた。



「ううー、見つかんねえよー」

 現在地。

 五階の図書室。

 今日も今日とて閑散日和。

 放課後の図書室には相も変わらず、週刊誌と睨めっこをするおばちゃんのみ。

 静寂のオンステージ。

 そんな中、咲月は静寂の独占を阻止すべくかどうかは知らないが、というか、百二十パーセントそんなつもりはないのだろうけど、以前に地図を広げたテーブルの上でゴロゴロと寝転がっている。

 僕はサファリパークに来たつもりで、間近で咲月の行動を観察する。

機会があれば、レポートにでも纏めて、咲月ファンクラブの会合で報告しようかな。

 拍手喝采は確実だ。常に咲月と行動をする僕には、それなりの期待がかかっているのも事実だしな。いや、まあ、そこはどうでもいいんだが。

 しかし、咲月がこんなにも、無作法極まりない事をしているにも関わらず、おばちゃんは視線すら向けようとしない。

 学校内なのに、この図書館と言う空間だけ、教育が完璧に放棄された教育無法地帯となってしまっている。

まあ、特にうまい言い回しでもないけど。

「とーもーやー。お前本当にヒーロー見たのかよー?」

 ころんころん。

 ころんころん。

 右の端に行っては逆回転。

 左の端に行っては逆回転。

 を繰り返す咲月は、それでも、目を細めながらタイミングよく、僕と視線の交流を図ってくる。

 なんともまあ、器用な子だこと。

「それは間違いねえよ」

「うむむー」

 特に解決策を求めて僕に質問してきたわけではなく、単なる事実確認。

 やはり、二週間も進展がないと、さすがの咲月も気持ちが多少、捻じ曲がってきてしまっているようだ。

 一年間、一人で地道に活動してきたのに、何とも早い息切れ。……いや、だからこそ、かな。

 内側に無理やり、溜めに溜め込んだ思いが一気に弾けてしまったせいもあるんだろう。暫らくすれば、復活するはず。

 五月病みたいな感じだと思ってもらえれば。

 ちなみに、僕に関しては、あえて非公開設定で行こうと思う。

「今日はどうする?」

「ううー。どうしよう」

 ここでようやく動きを止めた咲月は、テーブルに顎を付き、両手を前方へと伸ばす。あー、ぱっと見ウルトラマンかパーマンだな。

 まあ、どうでもいいが。

「止めとくか?ここ最近は毎日歩いてばっかだし、さすがに疲れてきただろ?」

「むむー、確かに疲れてはいるんだけど、もし今日見つかったらと思うと、サボるわけにもなぁ」

 消極的な物言い。正直、僕も疲れているところだし、一押しすれば、今日の放課後は家に直帰できそう。

「まあ、今日くらいいいじゃねえか。たまには休憩しとかないと、もし体調崩しでもしたら、元も子もないわけだし」

「だだー、そうだよなあ」

 だだーって何だよ?二文字連続できればなんでもありか?

「じじー、そうだよお」

「何その、じじーって。気持ち悪いな」

 辛辣な言葉と、冷ややかな目で僕を貶してくる咲月。今日のお勧めは、ピリ辛冷やし中華ですか?

 うーむ、どうやら、咲月の中で一定のルールがあるみたいだな。これもまた、解明してファンクラブで(以下略)。

「じゃあ、今日は休みにするかー」

 仰向けになり、咲月は小さく溜め息をつく。そこには、二酸化炭素以外の僕に良くないマイナス成分がいろいろと含まれていそうだったので、触れないように注意を払った。


 

こんな経緯で、本日は解散となったわけなのだが、どうしてだろうか。僕は一人、町中に繰り出していた。

目的は言わずもがな、ヒーローの捜索。

咲月に黙って、一人での捜索。

「何してんだか。僕は」

 思わず漏れる自分への愚痴。

 休みたいはずだったのに、体は勝手に動いている。

 動いてしまっていた。

「いよいよ、来てるな」

 探りを入れるように、慎重に自分の心の中を覗くと、そこには色濃くついた染みが広がっている。

 にちにちと。

 にちゃにちゃと。

 広がってしまっている。どうやら既に、染みではなく、微かに液状のものも溜まってしまっているみたいだ。

 拭う事に関して、決して怠慢していたわけではないのだが、気がつけばこの有り様。

 全くもって、自分の感情が恐ろしい。

「だいたい、一日頑張ったからって、見つかるわけもねえのに……」

 思わず漏れる自分への矛盾。

 今回来ているのは、とある商店街。

 この二週間、プロットが落としてある地点を中心に捜索網を展開していたので、それに逆らって、全く関係のない所へと足を運んでいる。

 まあ、今回の単独行動は咲月に気を使った面も無きにしも非ず、かな。

 たぶん、この事を知れば、容赦なく彼は泣き叫ぶだろう。そればかりは、回避したい。

 その為の単独行動、と言い訳をしてみたり。

 全くくだらない。

自分の気持ちに正直になれば、もっと猪突猛進でいけるのだろうけど、そうした場合、失う物が、者が多すぎる。と、思う。たぶんだけど。

というわけで、矛盾した感情その他もろもろを、自分の心を原料にして出来上がったボールの中で掻き混ぜつつ、足をのたりのたりと進めていく。

視界に入り込んで来る人々は、何一つ普通と言う枠組みから逸脱することのない、日常の風景を形成している。

安売りを主張しながら、肉を売りさばく肉屋の店員。

友達と仲良く追いかけっこをしながら家路を走る小学生。

夕飯の買出し途中に、立ち話に華を咲かせる主婦達。

そのテンプレートな風景は、おそらく日本各地、どこの商店街にコピーアンドペーストしても、違和感は全くないだろう。逆もまた然り。

とことん、どうでもいいけど。

「あ、今日の夕飯の事、考えてなかった」

 どうでもいい思考に引っ張られるように、さらにどうでもいい思考が頭の中で顔を覗かせた。

「いや、どうでもよくはないか」

 少しだけ、ヒーロー捜索を頭の隅に追いやり、晩御飯の事に思いを巡らせる。

 冷蔵庫にはある程度ストックあるけど、せっかく商店街に来てるわけだし、少し買い足しておくのもいいな。

 ストックって言っても、カレーが作れるくらいだし。

 明日以降の事も考えると、今買っておいた方が楽か。

「よし。捜索をある程度終えたら、買い物をしよう」

 特に決意する必要もないほどの事をわざわざ口に出して、決意した僕。

 でも、とりあえずはヒーロー捜索を続行。

 と、顔を上げた瞬間、視界の端に入り込んできたのは

「え?あれ、は……」

 上下スウェット。

 腰には日本刀が入っていそうな横長の布袋。

 さらには、歩くたびに揺れるサイドテール。

 そして、横からでもはっきりと確認できるつり目。

 えええええ、ここで?

 このタイミングで?

 自分の目を疑いたくなるほど、二週間前に見たことのある少女とそっくりな少女がいた。

 うん。ていうか、そのもの。

 あまりにも自然に。

 あまりにも衝撃なく。

 命の恩人は僕の目の前に現れた。

 いや、僕が現れたのか。普段は来ない所に来たんだから。

 いやいやいや、それは今どうでもいい。

二週間振り位の再会を果たした僕の脳内回路は、多少混乱しているようだ。

そりゃそうだ。

二人がかりでみっちり二週間探しても見つからなかった彼女が、こうも当たり前に、僕の視界に入ってきたのだから。

 今度は、間違いないはず。たぶん、だけど。

 ていうか、こんなに日常の風景の中に自然と入り込んでいるなんて。

 左手にはどこぞの肉屋の袋が提げられてるし、右手では、おそらく今日の献立が書かれているであろう紙を持っているし。全て推測だけども。

「…………どうするかな」

 何て、躊躇してる間に少女は商店街の奥へと歩を進めていく。

「とにかく追わないと」

 というわけで、悩んでいても無駄と判断し、急いで後を追う。

 気づかれないように、一定の距離を保ちながら後をつけて行く。

 どうやら、既に買い物は終わっているらしく、少女は商店街の端へと一直線に進んで行っている。

 これなら好都合。人通りの少ない所でなら、逃げ出されても追いやすい。

 いつの間にか、犯罪者寄りの考えが根付いている事に何ら違和感を覚えない僕は、慎重に後をつける。

 ざわついてるはずの商店街。なのに、僕の耳には一切、音が介入してくる事はない。

 まるで、視神経に全身の神経が集中してるような感覚。

 研ぎ澄まされる。

 視界も極端に狭まり、先にいる少女のみに焦点が合わせられる。

 一定のペースで歩く彼女は、無警戒。

いや、それは当たり前か。

 まさか尾行されているとは、夢にも思わないだろう。

 ……―――しかし、気づいていないのはどうやら僕の方だったようだ。

 彼女が僕の尾行に気づいているなんて、夢にも思っていなかった。何処にも、自分が優位という確証はなかったはずなのに、僕は、僕が主導権を握っているとそう信じて疑わなかった。

 あくまでも、僕が彼女を認識しているのであり、彼女は僕を認識していないと。

 どうにも、甘い考えが脳髄を浸しきっていた。

 その証拠に、彼女が商店街から一歩出た瞬間、その姿は忽然と消え去ってしまった事に、僕は大きく動揺してしまったのだから。

「……っ」

 慌てて、彼女が先ほどまで歩いていた場所へと駆け寄るが、そこには既に少女の気配はなく。

「くそっ!何処行った?」

 周囲を見渡せど、存在しているのは一応に似通った家屋ばかり。

 失態。

 千載一遇のチャンスを逃した。

 そう、信じていた。

 またも、僕は思い込んでしまっていた。

 きゅらきゅらきゅら。

 聞き覚えのある音が、不意に後ろから聞こえてきた。

「貴方は…………何者?」

 振り向くと、そこにはまさに二週間前と同じ格好で立つ、一人の少女。

 なんともまあご親切に、日本刀を鞘から取り出し、怪しく煌かせている。これなら、余計に判別がつき易い。

 本物と偽者の。

 ビンゴだ。

 見事に本物。

 にしても、やはり、スウェットに日本刀はどうにもしっくりこない。ご飯に牛乳の組み合わせ並みに合わない。ああでも、あれは色が合ってるだけ、芸術点は高そうだ。

 おっと、くだらない考えは一時中断。

一歩、少女は間合いを詰めてきた。このまま返答をしなければ、問答無用で裂けるチーズ(無駄にケチャップ付き)の完成だな。縦に裂けるか横に裂けるかは、シェフの気まぐれに任せよう。

 と、言いたいところだけど、それは僕としても困る(チーズにケチャップは合わないだろうし)。

 だけど、ここで正直に接触の目的を話してしまうと、逃亡後、雲隠れされてしまう可能性もあるわけだ。

 それはそれで、僕らが困る。さらに一歩、少女が間合いを詰める。

 カウントダウンを止めるコードを早く切らないとな。

 赤か、青か、はたまたピンクか。某人気ドラマの最終回ではピンクだったかな?あそこまで、人口減少に一役買う仕掛けではないけれども。

 というわけで、僕は黒色のコンセントを引き抜いた。協賛は東京電力あたりで。

「実は、二週間前、貴方に影から助けられた者です。もう一度会ってお礼が言いたくて、貴方を探していました」

 胸元に左手を、瞳に誠実を、心に虚実を織り交ぜて、僕は言葉を紡ぎ出す。

 あながち、感謝を言いたいってのは嘘ではないけど、それが中心的な目的ではないからな。

 咲月の顔がふいに過ぎる。メインはこちらのお姫様……のはず。

「……そう……なんですか?」

 向けられた日本刀の切っ先が下がり、警戒のレベルが下がった事を確認。

「はい。覚えてらっしゃいませんか?二週間ほど前、ここから……えーと、北西に行った所にある住宅街付近で助けられたのですが」

「…………そう、言えば…………助けた気がします」

 ここで、僕の警戒レベルもダウン。どうやら、素性を隠したがるヒーローではないようだ。素顔を曝して闘う、ヒーローショーも真っ青の新時代到来だろうか?デパートの屋上も経営危機まっしぐらだ。まあ、どうでもいい。

「良かった。覚えていて下さったんですね」

 むず痒い。こんな恭しい、心にもない敬語は。そう言えば、僕はキュウイフルーツ食べると、口内が異様に痒くなるんだよな。あれは、アレルギーの一種なのか?

 っと。これもどうでもいいか。原因が分かるにしろ分からないにしろ、それでも僕はキュウイフルーツを食べるのだから。いやだから、どうでもいいっての。

「……うん。たぶん……」

 あやふやな返事。だけど、肯定には変わりない。今、確実にヒーローの中で僕は知己の者へと変貌を遂げた。

 さらにもう一押しといきましょう。

「それでですね、貴方にお礼を言いたいのと、もう一つ、僕の中で欲が生まれてしまいまして」

「………………何でしょう?」

「ええ、そのですね。これまで、影には物理攻撃が効かないというのが常識といいますか、定石といいますか、襲われたら終わりというのが当たり前だというのはご存知ですよね?」

 ヒーローは小さく頷いた。

「でも、僕を助けてくれた貴方は、影を倒した」

 既に、地面と友好条約を結べそうな高度にまで落ちた日本刀に視線を向ける。

 今度は敵意なしに、日本刀の切っ先を上げるヒーロー。

刀身を見つめる目には、特に色はなし。ただ、見つめている。いや、視界に入れた、かな。

「知りたいんです。なぜ貴方が影を倒せたのかを」

 さらに一押し。

 純朴少年を気取るのも、どうにも気持ち悪い。歯が浮く。早く済ませたい。

 一度僕の目と交信を図った後、ヒーローは鞘に日本刀を戻した。きゅらきゅらと。

「……わかりました。……その代わり、場所を変えでもいいですか?」

 とことん、子供のヒーローにはなり得ないヒーローだな。

ヒーロー物は、その正体や秘密基地がばれるかばれないかの瀬戸際が面白くもあるのに。というか、僕はそこにしか注目しない。

―――しかし、どうにもあっさりしてるな。

こうも簡単に他人を受け入れるのには、何か裏がありそうな気もしないでもないけど、ここまでの限りだとそこに黒さはない感じだし。

僕の人を見る目がないと言われればそこまでの話なのだが。

本当にそんな感じではない。微かな嫌悪感もないし。

むしろ、どこかこうなることを望んでいた、という感じがするな。

いや、それこそ勘繰り過ぎか?

まあ、今はせっかくの機会をわざわざ潰す必要もないし、ついて行くことにしよう。

咲月の為にも。

友の為にも。そして、僕の為にも。

まあ、その比率は何とも公表できないものになりつつあるけども。

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