遭遇
放課後。
帰りのホームルームが終わった後、部活に入っている者は、部活開始に遅れまいと教室を飛び出し、掃除当番の者は皆が教室から出て行くのを待っている。
そんな中、部活に所属しておらず、且つ掃除当番でもない僕こと八木智也はいつものように、掃除当番の無言のプレッシャーを一身に、と言うほどでもないけど、それなりに受けながら、下校の準備をしていた。
「智也という名の友や。一緒に帰ろうぜー」
聞こえてきたくだらない駄洒落と、それを僕の耳届けた何とも言えない感じに中性的な声。
耳を擽るということを突き詰めれば、何となくはこんな感じになるんじゃないかなあ、と思える声。
一文に内包された、適度な矛盾は気にしません。
暫し、その内容ではなく声の残り香を堪能した後、顔を上げると、女性陣の母性本能を噴出させてしまいそうな雰囲気を持ち合わせた笑顔を僕に向ける、一人のクラスメイトの姿があった。
何とも中性的。
何とも女性寄り。
髪はショートカットながらも、風が吹けば、些細な抵抗もなく靡くような柔らかさを視覚的に伝えてくる。
色白の顔の上で、くりくりと大きな瞳が実に楽しそうに揺れ、妖艶さと快活さを半分ずつ携えたような赤い唇は弧の形に歪められている。
実に中性的。
実に女性寄り。
そんな外見と声の特徴を持つ友人である、男の子である如月咲月に向かって先ほどのお返しと言わんばかりに、嫌味たっぷりに言葉を返す。
「咲月ちゃん。今日はメイちゃんのお守りはいいのかい?」
「んだよー、そんなに今のギャグが気に食わなかったのか?」
中性的という概念で造り上げられていそうな外見、声とは裏腹に、意外というよりも、残念な感じに男らしい口調の咲月。
僕はこの口調さえ女の子らしくしてしまえば、完全に女の子になれると思っているのだが、もとい、そうして欲しいと望んでいるのだが、咲月はどうにも自分自身の女の子らしさが気に食わないらしく、せめて口調だけはと、自分自身の外見に反抗期まっしぐらであった。
本当に残念でならない。僕の夜のお供には……自粛。
「気に食わないも何も、そのギャグ、三年近く言ってるだろ?もうマンネリだよマンネリ。僕とお前の仲もマンネリだよ」
「酷い!私との関係は遊びだったって言うの?」
「外見乱用反対。あと、さっき僕がしたナレーションを早速破ってくれるな」
口を尖らせる僕を尻目に、咲月は笑う。くつくつと笑う。右手の指先を、欲情を駆り立てるように唇に浅く当て、笑う。
全くもって、女の子だ。
どう見ても女の子だ。
だって、ドキドキが止まらないもん。笑いながら、目を細めながら僕を見てくる咲月にドキドキが止まらないもん。
これが初恋か?人間歴十七年歴にして、ようやくホモサピエンスとの初恋か?
「智也」
「ん?」
「そんなに私の処女が欲しいの?」
扇情的な目で見つめてくる美少女。
「欲しい」
そして、僕、即答。
貰えるものは、拒みません。
「変態」
「何とでも言え!それくらいの言葉では、僕の愛情は揺るがないからな!」
「あ、熱い……」
暫しの沈黙。
「じゃあ、帰るとするかー」
「ういっ」
いつも通り、一通りの夫婦漫才的なものを披露した後、僕と咲月は教室を出た。
まあ、所謂あれだ、クラスメイトも期待してるからさ、一日一回はやらないとね。
うん。
冷たくはないさ。決してクラスメイトの視線は冷たくはないさ。せいぜい、アイスノンで冷やしたくらいの冷たさだ。
ははーっ。
たまーに、そういったものに免疫のない人は、液体窒素に漬け込んだような視線を投げてくる時もあるけどさ。ぱりっぱり。
たまーにね。
たまーにさ。
でもまあ、概ね二人の掛け合いは好評だ。
好評のはずだ。
たぶん。
というわけで、二人で歩く帰り道。
校門を出た所で、咲月が本日、下校時におけるメインの話題を振ってくる。
「にしてもさあ、やっぱりあんな風に事務的な口調で伝えるのはどうかと思うわけよ」
「ん?ああ、今日の朝の話?」
「そうそう」
降水確率百パーセントだったにも関わらす、その役割を果たすことのできなかったビニール傘を、くるくるくるくるぐりんぐりんと回しながら、咲月は眉間に皺を寄せ、苛立たしげに左手の爪をかちかちと衝突させあっている。
そして、そのまま咲月産・怪人イライランの原料である出来事を吐き出す。
「おかしくない?人一人死んでるんだぜ?それをあんな、今日の給食はコッペパンでーす、的なテンションで言いやがって」
友人の口から零れてくるのは、今朝のホームルームで大田の死を伝えた際の担任についての文句。いや、口調的には愚痴に近いかもしれない。
ぶつぶつというよりも、ぷつぷつという擬音語がジャストフィットしそうな口調である。
「他のクラスがどうかは知らないけどさ、教え子が死んであれだけ冷静な奴はもう人間として破綻してる。絶対破綻してる。そんな奴が担任してるクラスも破綻してる。もういっそのこと、学校自体が破綻してる」
「僕らの人生計画まで否定してどうすんだよ」
軽く突っ込む。
「まあ、そうだけどー」
「それに、もう世の中そんな空気だってのは咲月もわかってるだろ?いい加減、受け入れないと、おかしな目で見られるぞ」
そして、軽く忠告。警告。
何も、咲月が間違ってるとは思わない。むしろ正しいと思う。人の死を事務的に扱うのは、葬儀会社の社員だけで十分だ。
だけど、そんな世の中だったのは数年前までの話。
今は、違う。
影による死を真剣に受け止める方がどうにかしているのだ。受け止めてしまえば、どうにかなってしまうのだ。
自然の摂理でも何でもいい。
そういうものだとして受け止めないと、まともに生きてなんかいけないのだ。
それほど、影による殺人は身近なものとなっていた。
場所、時間関係なく、現れる影は、今まさにこうして下校している最中に現れても、何もおかしくはない。
つまり、言い換えてみれば、僕らはいつ死んでもおかしくない状況に常に晒されているということ。
勿論それ無しにしても、人生はいつ終わっても、終わりを迎えてもおかしくないものだということは重々承知している。しかし、この場合の死は、あまりにもその確立が高すぎる。
本当に文字通り、いつ死んでもおかしくない。
それが、今を生きる僕らにとっての現実だった。
「お前がそんな事言っていいのか?」
少し、いや、かなり苛立たしげに僕を睨みつけてくる咲月。なんともまあ、下校時の和やかな雰囲気とは不釣合いな目をなさる。
夕陽の柔らかさが、カシミア並みに感じてきたぜ。
その目つきの意味を理解しきっている僕は、一旦、ふぅと深い溜め息をつき、言葉を返す。
「むしろ、そう思ってる方がまだましなんだよ。僕としては」
見上げた空は、心の中の不確かな何かを揺さ振るように、赤く、赤く、染まっていた。
僕の両親は、影に殺された。
突然に。
唐突に。
影による殺人に人々が諦めを持つか持たないかの、ちょうど過渡期。
僕の両親は殺された。
まだ中学に入りたての僕にとっては、両親の死と言う事実は受け入れ難いもので、暫らく引きこもってしまったのを覚えている。いや、正確にはその当時の事はあまり覚えていないんだけども。
映像としては多少覚えてはいるのだが、受けたショックが大きすぎたせいか、当時、僕が何を考え、何を思っていたのかは全く思い出せない。
思い返す光景は文字通り光景であり、何のナレーションも入ることなく、僕の脳内でじーじーという機械音とと共に流れるだけ。
特に思い出したいとも思わない。僕はどちらかと言えばポジティブ、将来的な生産性を大事に生きている人間なんだ。
嫌な事を無理して思い出そうとは思わないさ。
で、その時、僕を支えてくれたのは、今、隣にいる咲月なんだが。
だからこそ咲月は、僕の両親が影に殺されたことを知っている咲月だからこそ、殺された事の意味を理解している咲月だからこそ、今朝のような担任の言動に苛立っているのだ。
身内が殺されてもお前はそんな態度を貫けんのかこのカス野郎、と。
そして、それを黙認しているどころか、難なく受け止めている僕に対しても。多少、両者の間に差はあれども。
両親が殺されて四年経つが、僕は未だに、両親の死を仕方ないものとして受け止めきれるほど大人ではないため、咲月の言うことがわからないでもない。
しかし、それ以上に、両親の死を仕方なくないものとして受け止めることの方が、僕としては非常に難しい。
憎むべき対象がはっきりしていれば、まだその道を選べるかもしれない。
しかし、憎むべき対象は得体のしれない存在。
だからこそ、その矛先を向けることができないでいた。
苦しんだ末の選択、とか、かっこいい事は言わない。
逃げていると言われればそれまで。
でも、まだ真正面から受け止めることができないでいた。
「智也がそういうなら、これ以上は言わないけどさ……」
僕の返答を聞いた咲月は、それでも不服である、と抗議したげに口を尖らせている。しかし、それ以上言ってこないのは、僕の事を気遣ってのことだろう。
もちろん、これがもっと付き合いの浅い友人なら、そのことにすら触れてこないだろうが、そこは咲月と僕の中だ。これくらいことは特に何の問題もない。
「ま、咲月が僕の事を思ってくれていることは嬉しく思うよ」
「…………」
素直にそう感じた僕は、それをそのまま、嘘偽りなく、不純物なく、我が心の友に投擲すると、咲月は尖らせていた唇を一転、内側に収納しつつ噛み締め、顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまった。
やべ、嫁にしたい。
下心全開な僕は、またもやその気持ちを包み隠さず、改良を加えることなく、咲月の耳へと届ける。
「結婚するか」
「死ね」
先ほどまでの可愛らしい表情はどこへやら。
今度は片眉を吊り上げ、憎らしさ全開といった感じの目で僕を睨みつけてきなすった。
表情豊かな事はいいことだ。
僕はそんな君も受け止めるよ?
「気持ち悪い」
「気持ちは塁?」
「積極的な盗塁!」
体を右回りに捻る咲月。
身体的表現も豊かだな。
「って、冗談はここまでにして」
仕切り直しとばかりに、咲月は僕の肩を軽く叩いた。
「そこのゲームセンター、入ろうぜ?」
ぐっと、咲月の右手の親指が指すのは、近所では評判というわけではないが、この辺りではそこしかないため、仕方がなく、近辺の学生が集まるゲームセンター。
まあ、こうは言ったが質は悪くない。
ていうか、個人的には、咲月が言う冗談というのがどこまでを意味しているのか非常に気になるところではあるが、そこはあえて気にしないでおこう。
「よし、じゃあこの前の決着を着けるか」
「負けた方は明日の昼飯、奢りな」
「おっけー」
というわけで、二人仲良くゲームセンターへ。
☆
二時間後。
ゲームセンター前。
自動ドア越しにも中の機械が発する音が聞こえてきている。気がする。気がするだけかな。
長時間、耳の鼓膜を騒音に曝したせいか、若干ながら周囲の音に鈍くなってしまっているみたいだ。
「くそっ。また僕の負けかよ……」
「ふふー。この僕に勝とうと言うのが間違いなのだよ、ちみぃ」
二人とも「僕」だとどっちがどっちかわからんな。
僕は「俺」にしとけばよかったか?まあ、いいや。
結果を述べると、僕の完敗。
おかしいな。最近まではお互いに実力は拮抗していたはずなのに。今日は八戦して七敗。ちなみに、やったゲームは格闘ゲーム。
「もしかして、こっそりと特訓してたり?」
「いやいやー。そんなことないよ。たまたま僕の調子が良かっただけじゃないかな?それよりも、明日の昼ご飯、ちゃんと奢ってもらうから逃げるなよ?」
実に嬉しそうに、両手を胸の前にセットし飛び跳ねる咲月。
中性的ということを気にはしているものの、それが言葉遣いにしか反映されない、悲しくも可愛い男の子。
それが如月咲月であった。
「わかってる。ま、どうせ咲月の昼飯はパン一個くらいだし。痒くはあっても痛くはねえよ」
そう、外見、声、行動が女の子らしい咲月は、その期待を裏切ることなく食欲も女の子だった。
本当に、あと声だけなんです!
いや、そこはいいとして。冗談抜きに、女の子以上に食が細い。
昼飯は基本パン、もしくはおにぎり一個。胃袋、ピンポン球よりも小さいと言われたら、僕は迷うことなく信じるね。
しかも、食べる仕草も可愛らしい可愛らしい。まるで、どんぐりを齧るリスのように、両手で餌、失敬、おにぎりもしくはパンを持ち、かぷかぷと食べる。
見てるだけで、幸せになれそうな光景に、道行く人も思わず足を止めて見入ってしまうというものだ。
そのことをからかうと、急に片手で持ち出し、無理に二個食べたりするのだが、結局は途中で自然と両手持ちになり、さらには、一個半くらい食べた、もとい齧ったところでギブアップして僕に残りを渡してくるのであった。
これは秘密だけど、実は校内に如月咲月ファンクラブ(会員は男女半々)というものが存在しており、そこに残り物を売り飛ばせばかなりの収入になる。
だが、そこは咲月の親友。
一回、いや、二回だったっけ?
…………数えられる程しか売り飛ばしてない。
まー、咲月に実害はないんだし、たまにはこういうのもありだと思います。
「ふん。明日は絶対に二個食ってやるからな」
僕の腕をがしがしと殴りながら、明日のパン二個食いを宣言する咲月。
うん。
明日は臨時収入がありそうな予感。
そんな邪な考えを頭の隅に仕舞いつつ、僕と咲月は再び下校を再開した。
☆
三叉路。
僕の家と咲月の家を引き離す、無情な三叉路。無機質な破壊者。僕は中二病。ははーっ。
「じゃあ、また明日」
「ういよー。絶っ対、二個食うからな」
「はいはい」
咲月は捨て台詞を残し、自分の家へと繋がる道へと進んでいった。それを見届けた僕は、その道ではない方へと足を進める。
ゲームセンターでかなりの時間を潰したせいか、その成果か、辺りは既に薄暗く、街灯もちらほらと点き始めている。
二人で歩いている時は、当然の如く使っていた会話に対する神経も、一人になれば自然と周囲に向けられる。
目線の先に続く、見慣れたアスファルトの道。
道に沿って続く、どれも似た形状をしている家々。
道の端にある程度は等間隔に植えられた街灯。
どこからかはわからないが、聞こえる鼓膜を心地よく揺らす虫の鳴き声。
六月という季節を改めて実感させる、この時期特有のほんのりと湿った生ぬるい風。
どれもこれもが、いつも通り。
そんな日常の風景に心は特に動くこともなく、家までの距離を詰めて行く。
――失ってみなければ、その大切さがわからない事もある
なんて言葉が世の中には存在している。
全くもって、その通りだと思う。
両親が死ぬまでは当たり前だったもの。
それは、僕のそれまでの人生、全てだった。
両親の死と同時に、僕のそれまでの人生は失われてしまった。
両親も、両親の優しさも、怖さも、愛情も、両親との日常も、全てが当然だった。当たり前だった。
だからこそ、両親の死と共に、痛いほど、苦しいほど、僕はその大切さを噛み締めた。
もう既に無くなってしまった、人生を噛み締めた。と思う。当時の僕も。
「あー、そういや、晩御飯の材料、もう切らしてるんだったな」
少し、感傷的になってしまった気分を払うように、思考を切り替える。
「カレー、くらいないなら作れるだろうけど、この前もカレー食ったばっかだしな」
視線を斜に向けつつ、今日の晩御飯のメニューを頭の中で組み合わせていく。そのまま、遠回りにはなるものの、スーパーのある道へと曲がっていった。
が、その時だった。
「は…………」
悪寒。
走った。
悪意。
感じた。
汗が、噴き出す。
全身からくまなく。
頭皮から。顔から。首筋から。胸部から。腹部から。背中から。両腕から。両の掌から。両の太腿から。両の脹脛から。両足の甲から。両足の裏から。噴き出した。
どろりと。これまでに経験したことのないような、非現実的なほど、粘性を持った汗が流れ出す。
そして、体の反応に遅れるように、遅ればせながら、心が反応する。
いる、いる、いる、いる、いる、いるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいるいる…………。
目の前に、何かいる!
埋め尽くす。
満たし尽くす。
いる、という事実。
確認はしていない。
しかし、事実確認は済んだ。
ああ、どうしようもないほど、いる。
それは直感以外の何ものでもなかった。
ただただ、直感がそう告げていた。
「あ、は……は」
不意に漏れる笑い。
そして、ぽたぽたとアスファルトに落ちる大粒の涙。
死ぬ。
死ぬんだ。
僕は死ぬんだ。
きっと視線を上げたら、死ぬんだ。
死という概念が、無遠慮に脳内を徘徊する。
そして、ようやく、精神的には数分。でも、きっと物理的には数秒。悪寒を感じてから、ここで初めて顔を上げた。
顔を上げた僕。予想外に、上出来に、心内は冷静という名のうっすいうっすいビニールを被せる事には成功している。
ハロー?いや、ナイステューミーチューかな?
ようこそ、僕の目の前へ。
ようこそ、僕の生活圏へ。
影さん。
ようこそ。
くじ運はそんなに良くない方なんだけどな。
二百四十分の一を引き当てちゃうなんてな。
ううーん。君は思っていたよりも、流動的な体のラインをしているんだね。
もっと固定されてると、勝手に予想していたんだけども。
やっぱり、生は違うね。リアルは異なるね。
ん?ああ、実は僕、君の写真や映像は見たことがあるんだ。ああ、でも誤解しないで欲しい。あくまでも、テレビとかを通しての合法的な物だからさ。
まるで芸能人に会った気分だよ。凄い胸の高鳴り。
怖いくらいに高鳴っているよ。
本当に、怖いくらいに。
「ああああ……」
ごめんね。挨拶できなくて。
ごめんね。五十音順のスタートの言葉しか、貴方にぶつける事ができなくて。それ以上は前に進むことが出来ない。
でも、それは君が魅力的過ぎるからだよ。
本当にもう、眩しいったらありゃしない。
初めて見たよ。これほどまでに、華麗に、醜悪に、見事なまでに死を纏ったモノは。
僕にはもったいない。
けど、どうやら僕にロックオンみたいだね。
いやはや、光栄だ。
「あ……あ……」
まだ駄目だ。やっぱり駄目だ。
あ、しか言えないや。
君が纏う漆黒の死の前では。全てが奪われていく。
思考も。感情も。感覚も。存在感も。
何もかも、奪われていく。
まるで恋だね。
想い人の前では、自分自身の全てが霞み、薄れていく。
人生十七年目にして、最初で最後の恋(擬似)体験というわけだ。
ん?もうお別れの挨拶をしなければならないのかい?
気が早いなぁ。でも、君がそうしたいなら、仕方ないよね?
だって、僕には選択肢なんかないんだから。全ては君の思うままに。
アズユーライク。お気に召すままに。
数メートルも僕と距離の離れていない影は、僕を飲み込むためにゆっくりと近づいてくる。
ああ、本当に。
何と言うか。
これほど、仕方ないことだとは思わなかった。
まさか、君に襲われて死ぬことが、これほどまでに自然に感じてしまうなんて。
これは今日の担任の先生の態度にも改めて敬服せざるを得まい。残せるかな?そのうまを書いた遺言。
もちろんのこと、それは咲月宛に。
あいつ、僕が儚くも死んでしまったという事を、心は無機物以外の何物でも(何者でも)ありません宣言をしてしまい、既に人間をご卒業なさった担任の先生(咲月談・若干の歪曲あり)の口から聞いてしまった暁には、陰湿で残虐をサンドしたような嫌がらせを刊行するに違いない。
それは、こちらとしても死んでも死に切れないし。
ああ、でももう時間一杯一杯?
無理か?
遠慮なしに、君が僕との距離を詰めてきているわけだし。
僕のための天国への階段も、竣工まじかかな?
見える、見えるよ。階段の先で両親がカモン!みたいなジェスチャーしてる。
というわけで、そろそろ目でも閉じて走馬灯の上映開始といこうか。
ゆっくりと、しょっぱい液体が溢れかえっている目を閉じかけたその時だった。
ぱっくり?
さっくり?
ざっくり?
あっさり?
それまで、僕の心と体を弄んでいた影が、二つに割れてしまった。
縦に。裂けるチーズみたいに。
裂けるチーズが腐ったような色の君が、まさか同じような裂け方をするなんて。僕の斜め下を行く発想だよ。そして、事実だよ。
先ほどまで、死を纏っていた影は、どうやら自分自身が死に飲み込まれてしまったみたいだ。
僕は呪詛返しなんて高等テク、有してないのに。
さてさて、ここでネタ晴らし。
死の恐怖が去った僕には余裕が生まれております。あれだけ流暢に話してはいたけど、実は息がままならないほどの緊張感だったわけ。
空き容量が全くの皆無だった僕の心のハードディスクは、一気に初期化されたみたいだ。
まあ、目じりからは相変わらず水分が滲み出していることを考えると、正常な形でそうなったとは言い難いけど。
ああ、ああ、そうそう、ネタ晴らしの続きをしようか。
裂けるチーズを再現してくれた影がへたりと地面に崩れ落ち、代わりに僕の目に映りこんできたのは、一人の少女。いや、年齢的には女性か?どうにも線引きが難しい。
手には日本刀かな?本物を拝見する機会はほとんどなかったけど、それでも映像での経験だけで、日本刀だと判断できる物を持っている。
煌く刃は妖しい光を放ち――的な。
んんー、彼女が影を切ったと考えた方が、妥当ですね。
それ以外に考えられないし。
そんな彼女は、つまらぬものを切ってしまった、と言いたげな目で、消え行く影を見つめている。
特に、外見的な特徴があるわけでもない。手に持つ日本刀以外は。いや、むしろ、日本刀の存在感が大きすぎて、周囲が霞んで見えるだけか。
無理に、無意味にピントを日本刀から外し、自分を助けてくれたであろう少女本体に視線を這わせる。
髪は黒髪サイドテール。ああ、でもこの暗さだと、本当に黒いかどうかは怪しいとこだな。
目は常に何かを睨んでないとそうはならないだろ、と突っ込みたくなるほどのつり目。しかし、不思議とそこに殺伐とした雰囲気は感じ取れない。まあ、つまりは生来の物なのだろう。
肌の色は、地黒……だと言いたいところだが、これまた周囲の薄暗さに邪魔されて、正確な情報が視神経に伝達されてこない。
色に関する観察は無駄だな。
しかし、どうなんだろ?
と、首より上部の観察を一通り終えた僕は視線を下降させて行ったのだが、目に映り込んできたのは、ラフという言葉の代名詞、スウェット。
引き締った顔。凛々しいとさえ言える佇まいに、日本刀。なのに、着こなしている服がスウェットって。
ああ、駄目だ。僕もまだ駄目だ。いまいちまともな脳活性できてない。
おそらくは、命の恩人であろう女の子の身なりに駄目出しをするなんて。
そんな僕の人間観察と内部反省を余所に、少女は慣れた手付きで刀を鞘へ誘う。役目を終えた日本刀は、自分の在るべき場所へと帰るのが嬉しいのか、きゅらきゅらと鳴きながら鞘へと入っていく。
最後にカチンと、鍔と鞘のぶつかる音が夕刻の静けさに飲み込まれていった。
安堵?かは分からない。しかし、鞘に日本刀を納めたと同時に、緊張感を多少は巻き込ませたのかもしれない。先ほどまでよりも微かに、少女の全身に纏う空気がその圧を減らしたのが分かった。
それとほぼ同時に、残骸、死体かは何とも判別のし辛い二つに割れた影は、僕が二択問題の答えを導き出す前に、完全に消えてしまった。
それを確認した少女は即座に背を見せびらかしながら、どこかへと消えて行った。
「ううーん……僕は助かったって事でいいのかな?」
これが死後の妄想という可能性を否定することなく、僕はとりあえず、体の動くままに、腰を抜かした。
かくかくがくがくと、揺れる下半身と上半身。
つまりは全身に震えを感じながら、それが恐怖というものであると改めて実感しながら、数分間、立つことはかなわなかった。