プロローグ
「えー、今日は三時間目の古典は担当の先生が体調不良のため、自習になります」
朝。
学校。
ホームルーム。
担任の先生から告げられる今日の予定。
淡々と、何の感情の込められていない声で、担任の先生は告げていく。
「あと、今日の掃除当番は七班の生徒になりますので、忘れないように気をつけてください」
生徒もその連絡を特に反応するでもなく、聞いている。
ある者は、快晴の空を窓越しに見上げたり。
ある者は、昨日、夜更かしでもしたのだろうか、眠たそうに両目を擦っていたり。
また、ある者は、一時間目の数学の課題を、もう間に合わないだろうに、必死な形相でやっていたり。
しながら、聞いている。
そんないつも通りの朝。
いつも通りのホームルーム。
「えっと、連絡はこれだけだったかな?」
教壇に立つ先生は、手元に置かれたいくつかの資料を捲る。連絡のし忘れがないように、確認をする。
「ああ、そうそう。あと一つ、連絡があります」
どうやら、連絡事項を一つ忘れていたらしい。担任は、多くの資料の中から、一枚の紙を引き抜いた。
そして、そのまま、授業が自習になってしまったという連絡をした時と、何ら変わらない口調で先生は告げる。
「昨日、大田正治君が亡くなりました。影に襲われたそうです」
担任の先生の口から漏れた、クラスメイトの死亡という事実。
ここでようやく、生徒は反応を示す。多くの生徒が、一番後ろの廊下側の席に視線を向けた。
昨日まで、大田正治という生徒が座っていた席へと、クラスの生徒の視線が集中する。
しかし、視線を向ける生徒の目には驚きも、恐怖も、悲しみも、何の感情も込められていない。
ただただ、その視線から発せられるのは
『ああ、だから、いなかったのか』
という、抱いていた疑問に対する回答を確認するための事務作業的な感覚。
「それでは、一時間目は数学ですので、準備をしていてください」
「きりーつ。礼」
委員長の号令でホームルームは終了し、今日もいつもと変わらない日常が過ぎていく。
☆
五年前。
都内の某所でその事件は起きた。
いや、もしかしたら、それ以前から、その事件、それに類似する事件は起きていたのかもしれない。
偏狭の地で。
人里離れた山奥で。
過疎の進行する村で。
誰にも「それ」による事件だと気づかれずに、起きていたのかもしれない。
しかし、そこは重要ではない。
重要な事は、世間に「それ」による事件として認識されたのが、五年前からという事実である。
――影に襲われた
その現場を目撃した人は、口を揃えてそうコメントしている。
そして、テレビのニュースやワイドショー、新聞でその事件はセンセーショナルに取り上げられた。
『怪奇!影に人が襲われる?』
『被害者からは内臓その他器官全てが消失!』
『何ゆえの犯行か?猟奇的殺人事件に隠された真実』
『あまりにも不可解!集団催眠の可能性?』
こんな見出しとともに。
見出しの通り、被害者の体からは内臓など、目に到るまで、全ての器官という器官が引き抜かれていた。
猟奇的とも言える事件の直後、その場に残されたのは、死んだというよりも、強制的に機能を止められてしまった機械のように横たわる、被害者だけだったという。
しかも、目撃者の証言によれば、突如として現れた黒い、まるで奥行きを持った影のようなものの中に取り込まれ、その影が消えた後に残されたのが、その状態の被害者。
何ともSFチック。
何とも非現実的。
しかし、そうであるからこそ、この事件は前述のように、メディアによって嬉々として取り上げられたのである。
そして、その事件を、メディアを通して知った人々は、恐れや不安、気味の悪さを抱きながらも、それ以上の好奇心によって満たされたいった。
身近で起きた奇妙な事件。
つまらない日常の中で、久しぶりに起きた胸躍らせる事件。
連日、多くの野次馬が興味本位で現場を訪れた。
――しかし、本当に、甚だ疑問である。
人はどうしてこうにも、自分とは関係のない事に興味を持つのだろうか?
人はどうしてこうにも、自分とは関係がないから安全だと勝手に思い込んでしまうのだろうか?
なぜだろうか?
なぜ、その事件が、何の関わりもなく、何の前兆もなく、何の繋がりもなく、自分たちに降りかかると予想できなかったのだろうか?
衝撃はそれから一週間と経たないうちに、日本全土へと広がることになる。
『えー、それでは次のニュースです。今日の午前九時ごろ、再び、内臓を引き抜かれて殺される事件が起こりました。事件現場は、都内の人通りの多い……』
『今日の午後一時ごろ、宮城県仙台市で影に襲われる事件が発生しました。被害者は五名に上り……』
『ニュースです。先ほど、京都府京都市の京極通りで修学旅行生が影に襲われる事件が発生し……』
駆け巡るニュース。
駆け抜けるニュース。
昼夜問わず、連日、テレビから流れ出る、影による事件の詳細。
それは、人々に、自分とは何ら関係のない事件だと思われていた事件を、自分もその事件の渦中にあると自覚させるには十分な衝撃を孕んでいた。
そこから、世界の価値観は崩れ始める。
じわりじわりと。
じゅくりじゅくりと。
実に気味の悪い感触を伴いながら、崩れ始める。
☆
そして、現在。
その事件について、報道されることはなくなった。
だが、誤解しないで欲しい。
「それ」による、俗に影と呼ばれるものによる殺人自体がなくなったわけじゃない。
単に、影による出来事が事件と呼ばれなくなり、ニュースとして報道されるだけの価値を持たなくなったというだけの話。
五年前から急速に増え始めた影による殺人は、現在に至るまで、無作為に、無差別に、場所、時間関係なく起き続けている。
当初は、警察なども各地に警戒態勢を引いたり、影が出現した地域をパソコンや携帯へとメール配信するなど、様々な手段を講じて事件の発生を未然に防ごうとしていたのだが、あまりにも頻発し、あまりにも神出鬼没で、事件後には直ぐに姿を消してしまう影に、徐々に対策の意味のなさが顕になっていった。
『影に対する何らかの対策を取る事は、今後一切ありません。私たち、警察が行うことは、事後処理と模倣犯の検挙だけになります』
最初の事件発生から一年後。
警察による公式会見。
そこではっきりと警察が、市民を守る為に存在しているはずの警察が、その義務を放棄したのである。
もう無理だと。
もう意味がないと。
しかし、そんな警察の方針に批判が集まることはなかった。
多少の動揺はあったものの、それ以上にはならなかった。
人々も、その頃には理解していたのである。
もう、何をしても影を防ぐことはできないと。
もう、何をしても影の恐怖から逃げることはできないのだと。
まるで、日本全土が憔悴しきったような空気に包まれていった。
――だからこそ、生徒は、ホームルーム時に告げられた、大田正治という友達の死にリアクションを示さなかったのである。
もしこれが、不運な事故による死であるならば、生徒は大きな衝撃を受けていただろう。
もしこれが、自殺であるならば、生徒の中には泣き崩れる者もいただろう。
しかし、影に襲われての死は、あまりにも日常過ぎた。
生徒の感情を揺さ振るには、あまりにも在り来たり過ぎた。
今現在、年間の交通事故者数が五千人を切る中、影による死者数は五十万人にも上る。ほぼ一分に一人、影に殺されている。
一年通してみると二百四十分の一の確立で、影に殺される。
おぞましいとしか言いようのない数字。
しかし、だからこそ、影による殺人は日常と深く結びついてしまっている。
影に殺されるのは仕方がないと、人々の中で暗黙の了解ができてしまっていた。
既に、クラスの生徒も今年に入って大田ともう一人、園原という生徒、合わせて二人も殺されているのだが、その時も変わらず生徒の反応は往々にして、今日のホームルームの時と全く同じようなものであった。
世界はもうどうしようもないほど、狂ってしまっていた。
世界の価値観はどうしようもないほど、崩れてしまっていた。
当たり前の死などあるはずもないのに、当たり前の死があると、無理やりにこじつけることで、人々は影による死という現実を日常へと変えたのだ。
それが影に殺されるという事実よりも、遥に気味の悪いことだということにも気づかずに。
そうせざるを、得なかったのだ。