IX
早朝の冷たい空気の中、ベンは、ローデンハイムの城下町を歩いていた。
この通りは、昼は市場、夜は酒場として常に賑わっているのだが、この時間だけは静かだ。
男が路地で、酒瓶を片手に心地よい夢を見ている――。それから、やたら露出度の高い女とすれ違った――。
ベンは、目的地である城下町の門前で、二人の衛兵に声を掛けた。
「お疲れ様、交代の時間です」
それを合図に、それまで彫刻のように立っていた二人の衛兵が、大きく息を吐き出し、背筋を伸ばしたりして、硬くなった体の筋肉をほぐし始めた。
「異常はないか」
ベンの隣で、彼の相方――フランクが言った。彼はベンより二十ほど上で、いかにもベテランといった雰囲気を持っている。
「ないさ、つーか戦争もねぇこのご時世に異常なんてあるわけないだろ」
「そうそう、異常があったのなら、飛んで喜びますよ」
二人の衛兵は、自分達の言ったことで笑った。
「それじゃあ、後はよろしく頼むぜ」
彼らはそう告げると、さっさと宿舎の方へ去って行く。
――その背中を眺めながら、ベンは肩をすくめて言った。
「まったく、夜勤組は気楽でいいですね。何もせずただ突っ立ってるだけで」
「そう言うなベン、何もせずに立つだけというのも、案外大変なものだぞ」
「そうなのですか?」
「そういうものだ」
ふぅんと、ベンは軽く鼻を鳴らして、フランクといつもの立ち位置に着いた。
それからしばらく、ローデンハイムの風景に溶け込んでいたベンが、ふと大きなあくびをする。
「確かに、そういうものですね」
日中は行商人や外交官など、人の出入りが多くなるのだが、それまでは後数時間とある。
それまで、いつもの見慣れた風景をぼんやりと眺めるだけだ。
「――退屈ですね」
「……そういうな」
フランクの声には、分かっていても、口で言うと虚しくなるだろうという意味を含んでいた。
「――仰る通り、夜の間ずっとこのような状態だと、夜勤に同情したくもなります。少しくらいは異常があって良いかもしれません」
「少しくらいとは、どの程度だ」
フランクは、表情一つ変えずに聞き返す。
どの程度と言われても困る。この場合、平和が一番と後輩を叱るためではなく、純粋にどの程度か知りたがっているのが正しい。
先輩相手に、冗談ですよと軽く流すわけにもいかないので、適当に答えを探す。
「えーと、ゴブリンが一匹だけ、ノコノコ現れるとか……」
「それなら、二匹がいい。私とお前で、一匹ずつだ」
フランクは本気で言っているのか、冗談のつもりなのか。
それを確かめる前に、二人は、前方の異常に気がついた。
門前から伸びる林道。――馬が一頭、乾いた土を蹴り上げて、こちらへ向かってくる。
「噂をすればなんとやら、退屈せずにすみそうですね」
自然と笑みが込み上げる。
「ベン、あれが見えるか」
フランクが馬の背中を指差す。――青年が、馬の首に体重を預けるように、力なく倒れているのが見えた。
「賊にでも襲われたのでしょうか」
「それは、彼が生きていたら分かる話だ」
青年は、こちらまで、残り五十メートルのところでずり落ちた。
馬はそれに気づかず、走るのを止めない。
「あちゃー、大丈夫ですかね。彼……」
「分からん。――では、私は馬の面倒を見るから、お前は彼を頼む。生きていれば、兵舎に連れて行って介抱してやれ」
ベンはそれを聞いて、けだるそうに答えた。
「了解」
いつの時代も、力仕事は若者の役割と決まっているのだ。