VIII
ドルイドの小屋に到着したフェルディックを待っていたのは、地面に転がる馬の首と、叩き割るように真っ二つにされた男の死体だった。
死体のそばに、見覚えのある帽子が落ちているのを見つけ、すぐにそれが、運転手のおじさんが被っていた帽子だと分かった。
最後に見た、おじさんの嬉しそうな笑顔が脳裏に浮かぶ。
「――うっ!」
フェルディックを強烈な吐き気が襲う。だが、強い意志でそれを飲み込んだ――。
「ヒドいことするでやス……」
悪魔でも酷いと思うのだろうか、少なくとも直視できるような光景ではなかった。
「ギャァァァァァー!」
落ちつく間もなく、小屋の中から、男の野太い悲鳴が聞こえた。
小屋の入り口に視線を向けると、内側から、強烈な破壊音と同時に、男がドアごと盛大に吹っ飛ばされ、そのまま無防備に地面に叩きつけられた。
マントンだった。よほどの衝撃だったのだろう、彼はうずくまって、咳き込むように肺の空気を吐き出した。
「アニキ、明かり!」
チゲの声にフェルディックは反応して、リコの石をポケットに収め、明かりを消した。
二人は、茂みに身を潜め、様子を伺う。
――辺りが、しんと静まり返った。
マントンの咳き込む音だけが空しく宙に消えてゆく。
小屋の奥の暗がりで……赤い眼がギラリと光った。
“それ”は……ゆっくりとこちらへ――マントンの方へと歩いてゆく……。
その姿を、微かに差し込む月明かりが映し出した。
燃えるような赤い眼と、血に染まった赤い帽子――。
間違いなく、昼間に見たあの“赤い何か”と同じ生き物だった。
――人間ではない。たとえるなら、土の精霊“ノーム”を凶暴にした化け物――。
レッドキャップはマントンの首を鷲掴みにして、薪割り用の切り株にその上半身を叩きつけた。
「あがっ!」
マントンが苦痛の声を漏らす。
「……タ……タスケ……」
痛みと恐怖から溢れ出る涙と鼻水で、顔をぐしゃぐしゃにしながらも、マントンは懸命に声を絞り出す。
レッドキャップは耳元まで裂けた口を嬉しそうに歪めると、ベッタリと血のついた巨大な斧を、軽々と振り上げた。
――やめろ!
フェルディックは声にならない叫びを上げ、どうすることもできないその状況から、目をそむけた。
金属と肉の潰れる音が、耳をつんざく。
――くそっ!
「ア……アニキ……イマのうちに逃げるでやスよ!」
チゲは小声で叫びながら、フェルディックの髪をくいくいと引っ張った。
我に返ったフェルディックは、頷くと、後ろ足にその場から遠ざかろうとする。
だが、不覚にも小枝を踏んでしまい、パキッっと乾いた音を立ててしまった。
――まずい!
緊張が走る。
レッドキャップの視線が、もはやただの肉塊となったマントンから、ゆっくりと――フェルディックの方へ向けられた。
――ばれた!
フェルディックは硬直したまま息を呑んだ。
レッドキャップは、無造作に斧を引き抜き、赤い眼を光らせ、こちらへと向かってくる。
「ア……アアアアアニキ……くるでやスよぉ!」
泣きそうな声でチゲが叫んだ。
――駄目だ! ここで逃げても……必ず追いつかれて殺されてしまう!
フェルディックを睨む赤い眼が――そう物語っていた。
レッドキャップはフェルディックの目前まで迫ると、ピタリと立ち止まった。
「ヒィーッ!」
チゲは恐怖のあまり、逃げ出そうとする。しかし、その眼前をナイフが――見事に木の幹に突き刺さった。
「ヒィーッ!」
チゲはそこで意識を失い、泡を吹きながら白目をむいて、地面に落ちた。
「チゲ!」
フェルディックはチゲに気を配ろうとするが、レッドキャップの鋭い眼つきに引き戻される。
「――くっ!」
レッドキャップは裂けた口をさらに吊り上げる。――鋭い歯がギラついた。
そして、興味津々といった風に、フェルディックを舐め回すように見た。
「クク……」
突如、笑い声のようなものが聞こえてきた。
「安心シロ……オ前ヲ殺スツモリハナイ……」
「――えっ?」
一瞬、何が起こったのか理解ができず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
まさか……レッドキャップは……喋れる……?
そんなこと予想もしなかった。人を殺すのが好きな魔物だと思っていた。
だけど、話すことができるのなら……。
フェルディックは唾を飲み込んで、恐る恐る言った。
「ぼ……ぼくは……君に危害を加えるつもりはない」
レッドキャップは表情一つ変えず、じっとフェルディックを睨んでいる。
「……僕は、君に危害を加えるつもりはない」
今度は、もう少しはっきりした口調で言った。
「……ダロウナ」
レッドキャップは不気味な声で、見透かすように言った。
「どうして……この人たちを殺したんだ?」
「……」
レッドキャップは答えない。だけど、ここで引くわけにはいかない。
フェルディックは強い意志を持った眼差しで、目の前の魔物を見た。
「……知リタイカ?」
引く気が無いと悟ったのか、レッドキャップは長い沈黙を破り、ようやく口を開いた。
フェルディックが頷くと、レッドキャップは続けた。
「オレハ……コノ小屋ヲ守ッテイルノサ……」
「……守ってる?」
「クク……ソウサ……。ドルイド爺サンノ小屋ヲ勝手ニ荒ラスヤツハ……オレガ殺ス……」
マントンたちが殺されたのは、勝手に小屋を使ったから――。
レッドキャップとドルイド――二人の間に、一体何があったんだろう……。
「……でも……ドルイドさんはもう居ないみたいだけど……」
「ソウサ――オレガ殺シタ」
「――っ!?」
フェルディックの心臓が跳ね上がる。余りにもあっけなく答えるのが、かえって恐ろしい。
自分が殺した人間の小屋を守る? ――何のために?
「フヒヒ! ……ソレジャア……」
レッドキャップの不気味な笑い声に、フェルディックがビクリと反応する。
「今度ハ……オレノ質問ニ答エロ……」
フェルディックは頷く。
「イイカ……嘘ハツクナヨ……嘘ヲツクヤツハ嫌イダカラ殺ス……」
「あ……ああ……わかった……」
頬をつたって、冷たい汗が流れ落ちる。
「ソレジャア……一ツ目ダ……」
レッドキャップは、人差し指を立てた。
「オレハ……イイヤツカ?」
「それは……い……」
フェルディックは言いかけて、言葉を呑んだ。
――嘘ヲツクヤツハ嫌イダカラ殺ス……。
レッドキャップの言葉が脳裏を過ぎった。
フェルディックは目を瞑り、すぅっと息を吸い込む――。
……嘘は……つけない……。
沈黙の後、目を開けたフェルディックに、もう迷いは無かった。
「――君は、いい人だ」
これまでのことなど無かったかのように、さらっと言ってのけた。
レッドキャップは、満足そうに笑みを浮かべる。――どうやら、これで正解らしい。
「ソレジャア……二ツ目……」
レッドキャップは続けて、中指を立てた。
「コレハ質問ッテイウヨリ……オ願イダ……。オ前ガココヲ去ッタ後――誰モコノ小屋ニ近ヅカナイヨウニ、他ノヤツラニ伝エルンダ……」
「それは……構わないけど……」
意外にも簡単なお願いをしてくるので、裏が無いかと少し戸惑った。
「ソレジャア……決マリダナ……サッソクイッテモラオウカ……」
どうやら、逃がしてくれるみたいだ。
やはり、レッドキャップは小屋を守りたいだけなのだろうか。
「――コッチヘコイ」
レッドキャップは身を翻すと、歩き始めた。
フェルディックは地面に落ちたチゲを拾って、ズボンのポケットに入れると、レッドキャップを追いかけた。
レッドキャップは、生き残ったもう一頭の馬のロープを切って、フェルディックに乗るようにと促した。
「あのさ……僕はこれからローデンハイム城に行くつもりなんだけど、どうやって行けばいいのか……道が分からないんだ。それともう一つ、証拠もないのに、どうやって君のことを説明すればいいんだい?」
馬に乗ったフェルディックが、レッドキャップを見下ろして言った。
それを聞いたレッドキャップは、視線を馬の目へと落とす。
――突然、馬が唸りを上げた。
「わっ!」
フェルディックは振り落とされないよう、手綱を引いて、馬を落ち着かせる。
「ローデンハイム城ノ道ナラ……コノ馬ガ知ッテイル……」
「――えっ? 君は馬の言ってることがわかるの?」
「ソレト……」
フェルディックの言葉を軽く無視し、レッドキャップは口の中に手を突っ込んで、歯を一本引き抜いた。
「コノ歯ヲ持ッテイケ」
「あ……ああ……わかったよ」
フェルディックは歯を受け取る。鋭く尖った、サメのような歯だ。無くさないよう、ポケットに入れた。
「ジャアナ……」
レッドキャップは別れを告げると、馬の尻をバシンッ! と平手で叩いた。
馬が唸りを上げ、勢いよく走り出す!
「わぁぁっ!」
歯をポケットに入れた直後だったので、手綱を握っていなかった。咄嗟に、振り落とされないよう必死で馬の首にしがみつく。
「うわぁぁぁぁああああっ!」
先の見えない暗闇の中を、全力で疾走する恐怖に、フェルディックは絶叫した。