VII
「ねぇアニキ、ところでアニキは、どこへ向かってるんでやス?」
暗闇を背景に、淡い光に照らされたチゲが言った。
「この先にある小屋さ」
フェルディックが言いながら、軽くチゲに視線を流す。
――右手には、リコの石が握られていた。
妖精と出会った後、辺りはもうすっかり闇一色に染まり――そのなかを、フェルディックはまあるい光に包まれ、歩いていた。
「ヘー、この先の小屋でやスかー」
先ほどから、チゲが能天気な声で喋るので、“闇夜の森”という恐怖と緊張感は感じられなかった。
「……ウーン? ――この先の小屋?」
チゲは続けて、何か引っかかるような物言いで小さく呟いたが、声が小さすぎるので気にしないことにした。
「――あっ!」
突然、フェルディックは声を上げて立ち止まった。
小屋で待つ、マントンの顔が脳裏に浮かぶ――。帰ることばかり気にして、すっかり忘れていた。
――コレを見たら驚くだろうな……。
マントンがチゲを見たときの反応を想像してみる。
ギャーっと叫んで逃げたり、おのれ悪魔めとチゲに剣を構えたり、あげくの果てには、悪魔の手先めチェストーッ! とフェルディックに切りかかるなど、全然良いイメージが浮かばない。
……やっぱり、隠し通そう……。
フェルディックは視線を落として、服のどこかにチゲが隠せないかと、探してみる。
ズボンのポケットくらいか――。
ちらっと、チゲを横目に見る。爬虫類のような、冷たくて、ざらざらしてそうな肌――。
「ううぅっ!」
ポケットに入れたときの感触を想像すると、寒気がした。
「どうしたんでやス、アニキィ?」
「ああいや、ちょっと……。気にしないでくれ」
チゲに怪しまれないよう、軽くごまかすようにして歩き出す。
「ふーん、アニキがそういうならベツにかまわないでやスけど……」
マントンに限らず、チゲを人に見せるのは止めたほうがいい。
ここは我慢するしかないか……。
ふぅっと、溜め息が漏れた。
「アッ! アニキ、アレ!」
何かに気づいたチゲが、暗闇の先を指差した。
フェルディックはチゲの指差す方へと視線を向ける。
暗闇の先には、わずかな月明かりが――うっすらと見覚えのある小屋のシルエットから、明かりが漏れていた。
「あっ……あれだ! やっと帰ってこれた……」
フェルディックは、長い旅を終えてようやく家に帰ってきた時のような気分になり、気が抜けた。
帰ったらマントンにうるさく言われるだろうけど、今はそんなことどうだっていい。
「アッ……アッ……」
安堵の表情を浮かべるフェルディックの横で、喉から搾り出すような声――。
ふと視線を向けると、チゲはドルイドの小屋を指差したまま、カタカタと震えていた。
「どうかした?」
「……アッ……アニキ……アニキの向かってる小屋って――」
「ドルイドの小屋だけど?」
「――イッ!?」
チゲの目がカッ! と見開いた。
「ア、アニキ! あそこには近づいちゃダメでやス!」
「……どうして?」
フェルディックは首を傾げる。
「知らないんでやスか!?」
「……何を?」
フェルディックはさらに首を捻った。
「あ……あそこには、レッドキャップって恐ろしい化け物が棲んでいるんでやスよ! これまで何人もの旅人を惨殺してきた恐ろしいヤツなんでやス! イッたら絶対に殺されるでやスよ!」
「うーん……そんなふうには見えなかったけどなぁ……」
誰も居ない寂れた小屋くらいにしか思えないけど――。
「いいでやスか!? ヤツは夜に現れるんでやス!」
いまいちピンとこないフェルディックに、チゲは人差し指をビシィッ! と立て、続けた。
「ヤツは昼間、小屋の近くを通り過ぎる旅人を見張っているんでやス。そして、その小屋で一夜明かそうとする旅人がいようものなら……」
「……いようものなら?」
「その巨大な斧で一人残らず惨殺し、後でゆっくりと……死んだニンゲンの血で帽子を赤に染め直すんでやス……! その恐ろしい習性と、どんなに遠くからみてもすぐにそれとわかる真っ赤な帽子から、ついた名前がレッドキャップ! さらに噂によると、燃えるような赤い眼をしているらしいでやス!」
チゲは警告するように、声を張り上げて説明した。
「そんなまさか――」
フェルディックは肩をすくめる。
血に染まった赤い帽子と、燃えるような赤い眼だって? そんな化け物いるわけ……。
「――っ!?」
瞬間、フェルディックの背筋を強烈な悪寒が突き抜けた。
同時に、昼間――馬車の中から見たあの“赤い何か”が、脳内で鮮明に蘇る。
……まさか……?
「ア、アニキィ……どうかしたでやスか?」
一点を見たまま動かないフェルディックを、チゲが心配そうに見る。
「行くぞ――チゲ!」
フェルディックは真剣な面持ちで、言った途端に走り出した。
「――イッ!? なんでそうなるんでやスか!?」
チゲは驚きながらも、すぐにフェルディックを追いかけ、肩の辺りにピッタリとくっついて離れない。
「あそこには、僕の知っている人が三人もいるんだ! ――早く知らせないと!」
「そんなぁ……アニキィ、それは人が良すぎるでやスよぉ!」
チゲの声はフェルディックに届かない。
フェルディックは、迷いなく明かりの方へと走る。
どうか、たどり着くまで無事でいてくれ――。