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Nightmare Knight  作者: tillé.o.fish
第十二章 Nightmare Knight.(悪夢騎士)
39/41

XXXIX

 少年が三人、楽しそうに笑い合いながら、森の中を駆け回っていた。

 木漏れ日の下、枯葉を蹴り上げるその姿にどこか懐かしさを感じる。

「なあ、コレ食べれるかなあ?」

 三人のうちひとりが、赤黒いきのこを指でつんつんしながら言った。

「うげぇ、そんなの食えっこないよ」

 別のひとりがげぇぇと不味そうな顔をした。

「だったら、食ってみりゃいいじゃん」

 それを、後ろで見ていた少年が、他人事のようにさらりと言った。

「誰が食うんだよ?」

 きのこを手にした少年が言うと、三人は黙り込み、お互いの顔をじっと見合った。

 ――ああ、そうだ。これはあの時の……。

 茂みをがさがさと掻き分けて、またひとり――小さな男の子が、泣きべそをかきながら現れた。

「みんなぁぁおいてかないでよぉぉぉ」

 彼を見て、三人はおやと顔を見合わせた。

「ゴメンゴメン、おわびにコレやるからさ」

 少年が芝居がかった笑顔できのこを差し出す。

「――うわぁ、やっぱりまずいよぉ」

「――そうか? 食ってみなけりゃわかんねーじゃん」

 彼の後ろで、二人はひそひそ話しをしている。

「いいよぉ、こんな気持ちの悪いのいらないよぉぉっ」

 まだ半泣き状態の男の子は、無理やりきのこを握らされた。

「うるさい! これを食わなきゃ絶交だ!」

 彼の態度に少年は苛立ち、絶交を突きつける。言われて彼は「やだよぉぉ」とよけいに泣き声を大きくした。

「――うわぁ、なんかやばくない……?」

「――おれしーらね」

 知らぬ存ぜぬを決め込む二人。それを他所よそに、少年は男の子の手を掴み、無理に食べさせようとする。

「ほら、食えよ」

「う……うぶ! ん……!」

 男の子は口を硬く閉じて、拒絶する。

 少年は痺れを切らして、言った。

「食べろっていってるんだよ、ぶん殴るぞ!」

 少年は拳を振り上げ、いまにも殴りかからんばかり勢いで、男の子に掴みかかった。

 男の子は脅えきった表情で拳を見続けたあと、意を決してきのこの傘をかじった。

 ――ぱっ、と。

 白い光に襲われたかと思うと、次の瞬間、そこは嵐の夜となっていた。

 雨に打たれながら、雨具もなしに民家に駆け込む女性の姿があった。

 ――あれは、母さんだ。

 でも、いまよりもずっと若い。

 彼女は民家に飛び込むと、開口一番、息も切れ切れに「申し訳ありません!」と深く頭を下げた。

「なにが『申し訳ありません』だい! いくら遊びっていったって、毒茸(きのこ)を無理やり食べさせるやつがあるかい! 前から乱暴な子だとは思っていたけど、……まったく、どうかしてるよっ! あんたんとこの子はっ!」

 熱に浮かされ、苦しそうに喘ぐ男の子。それを見守っていた彼の母親が、彼女を見るなり怒鳴り声を上げる。

「申し訳ありません! ――うちのフェルディックが……本当に、申し訳ありませんっ」

 彼女はいまにも泣き出してしまいそうな声で、何度も、何度も頭を下げた。

 激しい豪雨のなか、知らせを受けて急いで家を出たのだろう。彼女はシュミーズ(肌着)のままだった。ブロンドのふわふわした綺麗な長い髪も、激しい豪雨にさらされていまはぺしゃんこになっている。

「偶然、村にお医者様がいらしておってな」

 この声は――村長様だ。彼は杖を支えに、窓側に立っていた。

「運が良かった。すぐに処置を施してくれたおかげで、なんとか一命は取り留めた。もっとも、暫くは安静にしておかなければならぬが……」

 彼のその隣には、少年がひとり。

 あれは――僕だ。

 男の子の母親に髪をひっぱられ、くしゃくしゃになった頭。それでもまだ飛んでくる罵声と暴力にふてくされ、村長様のありがたい説教も聞き流して……。

 ただひたすら、時が過ぎ、この苦痛から解放されるのを待つだけの、僕だ。

 いつものことだ。ただ、今日が特別運が悪かっただけだと……そう思っていた。

 僕は、母さんが何度も、何度も、泣きながら頭を下げる姿を見て、はじめて後悔した。

 ――ああ、そうだ。

 僕が馬鹿だった。胸がきりきりと痛む。こんなに辛いのに、どうして涙はでないのだろう。

 あの日から、僕は人を傷つけまいと心に決めた。

 それから、できるだけ笑うようにもした。

 そうしたら、いつの間にか、本当に笑えるようになっていた。

 あれから、母さんの笑顔も増えた気がするな……。

 ……母さん……。


  ※ ※ ※


「許さない、絶対にッ!」

 アザレアの悲しみは、憎しみに変わった。

 ぎりりと奥歯を噛み締め、スコットを睨みつける。

 スコットはすでに再生を遂げ、胸元の傷は跡形もなく消えていた。

「これは彼が望んだことです。貴女も、すぐに楽にして差し上げますよ」

 スコットは壇上に上がると、フェルディックの襟首を鷲掴みにする。フェルディックは、多量の出血で青ざめた顔をしていた。

 それを、スコットは片手で軽々と持ち上げ――紙くず同然に投げ捨てた。

 フェルディックはブロードソードが腹に刺さったままの状態で、地面を滅茶苦茶に転がり、長椅子にぶつかった。

「――ッ! 殺してやる……ッ!」

 アザレアは拘束されたままの手足をバタつかせ、怒りに満ちた目でスコットを睨みつける。

「おやおや、貴女のようなかたでも、そのように取り乱すことがあるのですか。これは面白い」

 アザレアが抵抗できないのを知って、スコットは挑発するような眼で言った。

 ――クロウスター……ごめんなさい。私は……あなたの子を……守れなかった。

 フェルディックの鮮血は血溜りとなって、じわじわと広がってゆく。

 その近くに何か――灰色の小さな生き物のようなものが見えたが、そんなもの気にもならなかった。

 その先に、アザレアの目をもっと引き付けるものがあったからだ。

「オスカー……あなたまで……」

 オスカーはぐったりと、うつ伏せに倒れていた。

 アザレアはそれ以上見ているのが辛くなって、二人から目を背けた。

 全て、私のせいだ。――私がこいつを止めてさえいれば……。

「では、儀式を再開しましょう」

 ぞっとするほどの――歓喜に震えた声が、アザレアの意識を現実に引き戻す。

 スコットは祭壇の中心に、蒼く光る小瓶を置いた。

 そうはさせまいと、アザレアはを振り絞って抵抗を試みるが、あることに気付く。

「その縄は少々……いわくつきの代物でして……。『魔女狩り』の話はご存知ですか? これは魔女を火あぶりにするとき、使われていた物なのです。この縄で縛られた女は、その身だけでなく、魔力すらも拘束されてしまうのですよ」

「ッ! この……ッ!」

 駄目……が入らない……。

 手足の封じられた状態で、魔力が抑えられてしまっては、どうすることもできない。

 あらがうことすらできないなんて、私はなんて無力なのだろう。

 憎しみは、さらに深い悲しみによって塗り潰されてゆく。抵抗する手段はもう何も残されていなかった。


  ※ ※ ※


 ――黒。……闇?

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 ただ、なんとなく、深い、深い闇の底へと落ちてゆくような浮遊感を感じていた。

 ――ここはどこだ。

 ――そうか、僕はもう……。

 死んだのだ。

 腹部に剣が突き刺さり、沢山血を流してしまった。あれではもう助からない。なんて、自分で思うのもどうかしているか。

 ――これで、終わりなのかな。

 ――死にたくない。

 ――このまま死ぬのは、嫌だ。

 もがけばどうにかなるかと思ったが、できなかった。

 ――身体が動かない……。

 ――身体はあるのか?

 ああ……、このまま意識も闇の中に溶けてしまいそうだ。

 そうなったらどうなるのかな。って、わかるわけないか。

「――ヨォ、オマエ死ニそうじャネェか。ザマァネェナ」

 聞き覚えのある声。これは……、そうだ。

 アムの声だ。

 ……でもどうして?

「ナンダカ知らネェが、イマオレとオマエは繋がッてンだヨ」

 え? あれ? どうして僕の考えていることが分かるんだ?

「精神ガ繋ガってンだから当たり前ダロウがッ! フィーリングだヨ。フィーリング!」

 ……?

「チッ! マッタク使えネェヤロウだゼ。あッけなく殺ラレちまいやガッテ」

 そう言うアムもスコットに敗れたのだ。言えた義理じゃない。

「ウッ、ウルセェ!」

 ……あ、これも聞こえていたのか。

 珍しく動揺するアムに、つい口元が緩んでしまう。

 ……あれ? 口が……ある……?

 アムとの会話に、意識がはっきりしてきたようだ。

「オマエノ望ミ、叶エテやろうカ?」

 望み?

「ソウダ。ニンゲン、オレに手ヲ貸さないカ?」

 手を貸す? 協力しろってことか。

「魂を奪われたまま帰るワケにはいかネェからヨ。ニンゲンの手ヲ借りるのはシャクだガ、親父殿に消されるよりハよっぽどマシだからナ」

 でも、僕はもう――。

「ンなコト分かッてンだヨッ! イイカ? 言葉デ説明するニハ時間がネェ。オレ様の思念ヲ飛ばす。感覚で理解しナ」

 え? どういう――。

 瞬間、意識の波が雪崩れのように押し寄せてくる。

 ………………そういうことか……。

 不思議と、全てを理解するのに時間は必要なかった。

「ドウするニンゲン? オレ様と契約スルか、しネェのカ……」

 僕の精神と繋がっているのなら、答える必要などないはずだ。

「アノナァ、契約ッてのハ『契約書』にテメェの血で名前を刻んで、ハジメテ成立するモンなんだヨ。……ほらヨ――」

 ひらひらと一枚の紙切れが視界に落ちてくる。それには、冥界文字で契約の言葉が記されていた。

 内容を理解できたのは、アムのおかげか。

 気付けば右手に羽ペンを持っていた。

 ――身体はある。

 フェルディックはペン先で人差し指をぷつりと刺し、血のインクを滲ませ、契約書にその名をしるしてゆく。

 ――僕は、まだ死ねない。

「死んでる場合じゃ……ないんだッ!」

 書き終えたと同時に、契約書は燃え上がり、灰も残さずに消えてしまった。

「――フェルディック・ブライアン……契約ハ完了シタ――……」

 アムの声は遠ざかり、視界はまばゆい光に包まれた。


  ※ ※ ※


「――サァ……儀式の準備は整いました」

 歓喜に震えるスコット。彼は両手を広げ、アザレアを仰ぎ見る。ステンドグラスから差し込む月光が、彼の瞳をよけいにギラつかせていた。

 これで終わりだなんて――。

 スコットは服の袖からナイフを滑らせ、手に取った。

 あれは、見たことがある。

 奇妙な装飾が施されているそれは、魔術の儀式に使用されるものだ。

 スコットはそれを使って、自らの手首を切る。どぼどぼと血が零れ落ち、魔方陣が赤い光を帯び始めた。

 彼は感情を抑えきれず、盛大に高笑いした。

「フェルディック……」

 アザレアは呟き、遠くで横たわるフェルディックに目をやった。

「ミスティ……クク……。もうすぐ……もうすぐ会えるからね……」

 スコットの独り言などもう耳に入らなかった。

 アザレアの視線は、ずっとフェルディックに向けられていた。

 儀式の影響なのだろうか。フェルディックの血溜りからも、赤い光が噴き上がる。

「あぐッ!」

 突如アザレアの頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。

 儀式は完成を迎えようとしている。もうろうとする意識の中、それだけははっきりと理解できた。そして、ぼやけた視界の中でアザレアは、ありえない光景を眼にする。

 フェルディックの血溜りは沸騰したようにぐつぐつと泡を弾かせ、あろうことか身体の内へと逆流し始めた。

 ――ありえない。きっとこれは夢ね――。

 信じ難い光景。アザレアはただ見ているしかなかった。

 フェルディックはゆっくりと立ち上がり、腹部に突き刺さったブロードソードの剣柄を握ると、無造作に引き抜いた。

 刀身から鮮血が、ぴしゃりと床にぶちまけられる。腹部の傷口は熱を帯びてしゅうしゅうと煙を噴き上がらせ、瞬く間にふさがっていった。

「――フェル……ディック……?」

 視界が霞んでゆく。声も(うま)く出ない。

「ッ!」

 頭の中を再び鈍痛が襲った。

 消えゆく意識の中で、(かす)かにフェルディックの声が……聴こえたような気がした。

 幻聴? ……そうね……きっとそう……。

 聴こえたのはフェルディックの声じゃない。

 だってあの子は――。


  ※ ※ ※


「彼女を放せって言ってンだ、このゲス野郎ッ」

 らしくない言葉使いも、不思議と違和感を感じなかった。悪魔の力が影響しているからか。

 フェルディックの咆哮に、それまで天を仰いでいたスコットがぴたりと動きを止め、ゆっくりと振り返る。彼は眼を細めて、言った。

「おや、まだ生きていたとは……。君は本当に人間ですか?」

「……さっきまではな。――これでアンタと同類だ」

 スコットはちらりと床に視線を泳がせる。アムが消えたのに気付き、フンと鼻を鳴らした。

「なるほど、悪魔にその魂を売り渡したのですか」

「どうしてもって欲しがるから、くれてやっただけだ」

「ですが、悪魔の力を借りたとて、私には敵いません。死にたくなければ――」

「そこから離れろ」

「……?」

 スコットは眉をひそめる。

「どけって言ってンだよ。そこにいられちゃ、誤って彼女をっちまうかもしれないだろ」

「フン、何を馬鹿な――」

 フェルディックは「ハァッ」とその場でブロードソードを振り下ろした。同時に、漆黒の炎が弧を描き、灼熱の剣風となってスコットに襲い掛かる。

 スコットはぬかりなく氷の障壁を張っていた。炎は障壁とぶつかり、飛散。凄まじい爆砕音と共に、壁や床を穴だらけにした。

 蒸気と粉塵の入り混じった煙が漂い、祭壇を曇らせる。沈黙の後、ようやく晴れてきた祭壇に向かって、フェルディックは言った。

「今のは手加減したンだぜ」

「……」

 黙ったままこちらを見据えるスコット。彼は左腕を失っていた。

 肘の辺りからはぼたぼたと血が。切り落とされた左腕は、足元に落ちていた。

 フェルディックは漆黒の炎を真空波にのせて飛ばしていた。アムの炎に破壊力が加わることで、氷の障壁を打ち破ることができたのだ。

 見れば、魔法陣から光が消えている。どうやらいまの衝撃で儀式は中断されたようだ。

 フェルディックは右手を投げ出して、ブロードソードの刀身をスコットに見せ付けた。

 ブロードソードの錆が、みるみるうちに広がって、刀身を黒く塗りつぶしてゆく。

 やがて完全な黒に染まると、 じりじりと熱を放射し、陽炎を作り出す。

「フン。……面白い」

 スコットが告げる。転がっていた右腕は、傷口に吸い寄せられるかのように、自ら宙に浮き上がり、びたとはまった。

 凄まじい速度で細胞が結合を始め、あっという間に再生を遂げる。

 スコットは手を握ったり開いたりして、その感触を確かめると、

「そんなに私の邪魔をしたいと言うのなら、望み通り相手をしてあげましょう」

 とん、と壇上から飛び降りた。

 途端、空気が冷え込んでゆく。――いや、今度は冷えるなんてもんじゃない。

 スコットを中心に、地面が、柱が、氷漬けにされてゆく。

 これは、あの地下にあった部屋と同じだ。

 フェルディックに冷気の風がどっと吹きつける。怯まずにいられたのは、熱を帯びた剣を持っていたおかげか。

 スコットの頭上で、冷気は結晶化を始める。数え切れないほどの氷柱は、これまでの比ではない。あれはまるで空中に静止する剣山だ。

 スコットは余裕の笑みで、軽く鼻を鳴らした。

「小手調べです」

「ふざけんなッ!」

 氷柱の雨が馬鹿みたいに降り掛かってくる。それに、フェルディックは乱暴に剣を振り回し、漆黒の剣風を飛ばして対抗した。

 悪魔の力を借りたところで、剣術もへったくれもない。

 だが、それでも自分に降り掛かる氷柱を全て爆砕するには十分な力があった。

「ホゥ……」

 スコットが感心したように咽喉を鳴らす。

(――オイ、あのヤロウに遠距離は不利ダ。遊んでネェで、さっさとケリをつけやがレッ)

 アムの声が頭の中に響いた。

「ああ、わかってる」

 フェルディックはそれに小声で応じる。

 アムとひとつになったこの状態は、長く持たない。

 あまり長いことこの状態でいると、今は二つに分かれている魂も、ひとつの肉体を共有することによって融合してしまうのだ。

 そうなれば、残る意識はどちらになるか――。

「では、これならどうでしょう」

 スコットが氷柱をひとつに結晶化させる。巨大な氷柱だ。これも、アムに放った時とは比べ物にならない大きさだ。

 ――来る!

 フェルディックはブロードソードを両手で握りしめ、脇に構えた。漆黒の炎が轟々と渦を巻く。

 カッと、スコットの双眸が見開かれた。

「死ねぇッ」

「ッラァァァァアア!」

 巨大な氷柱と漆黒の剣風が、空中でぶつかり合う。剣風が氷を砕き、炎によって蒸発した水蒸気の霧に視界を奪われた。

 アムに放ったものより巨大であれば、こちらも同じく威力を増している。予想通り、二つは互いに打ち消しあった。

 フェルディックは勘を頼りに霧の中に突入。霧を抜けると、案の定、スコットがそこにいた。

 フェルディックは雄叫びを上げながら剣を突き刺すが、ガンッと硬いものにぶつかった。

 ――氷の盾だ。

「そうくると思っていましたよ」

 スコットは左手に氷の盾を持っていた。

 空いた右腕を天にかざし、氷の剣を結晶化。袈裟蹴りに振り下ろされる斬撃を、フェルディックは後ろに跳んで避けた。

 そこに、すかさず氷柱が飛来してくる。

「ッ!」

 フェルディックは左肩と右膝を貫かれた。

 膝が突きそうになるのを、なんとか剣で支える。刹那、スコットが接近、氷剣の斬撃を叩き込む。なんとか剣で受け止めたが、膝を折ってがら空きになったみぞおちに、スコットの爪先がねじ込まれた。

 その人間離れした脚力にフェルディックはふっ飛ばされて、柱に激突。倒れそうになるのを、片膝を突き、剣を支えになんとかふんばった。

 フェルディックは粉塵にむせかえり、吐血。内臓が破裂したのか? 常人ならとっくに死んでいるところだ。

(ナニしてやがるッ! もうさっきみてェに再生する力は残ってネェんだヨ!)

 アムの怒鳴り声に、うるさい分かってると頭の中で怒鳴り返す。

「おやおや、先ほどまでの威勢の良さはどこへいったのやら」

 スコットがつかつかと歩み寄ってくる。くそっ、余裕の笑みだ。

 フェルディックは精一杯の怒気を孕んだ眼で、睨み返す。

「君の力はその程度のものなのですか? やはり、私がミスティを想うこの気持ちに勝るものなどない。君の想いとは、所詮その程度のものでしかないのです」

 スコットが氷剣の刀身をフェルディックに突きつける。じりじりと冷気に額が焼かれるようだ。

「――ぇんだよ」

 フェルディックの両肩は小刻みに震えていた。激痛に悲鳴をあげそうになる。押し殺すので精一杯だ。

「……はい?」

 スコットが馬鹿にしたような眼でフェルディックを見下ろす。

「うるせぇって言ってンだよッ!」

 それでも、怒りにまかせて叫ぶ力は残っていた。

「いい加減うんざりだッ。アンタの御託(ごたく)は聞き飽きたんだよ! 何が『ミスティを想う』だ。アンタは死を受け入れることができなかった弱い人間だッ! そして、自分が死ぬのも怖いんだ。だから人間を止めて化け物になったんだ!」

「化け物? それは君も同じでしょう」

 スコットはあざけるような眼で見た。

「ああそうさ。けどな、オレは自分のために人を傷つけるようなことはしない!」

「それは詭弁きべんです」

「なぁ……もう終わりにしようぜ……?」

 フェルディックは語りかける。その眼を見て、スコットから表情が消えた。

「アンタもとっくに気付いているんだろ? 自分のしてることが間違いだって……」

「……」

「スコットさん、アンタは可哀想な人だよ。ここまでしておいて、まだ悪党になりきれないんだから――」

「黙れ……」

「なぁ教えてくれよ。アンタ、ミスティさんが蘇ったときなんて言うつもりだったんだ?」

「……黙れと言っている……」

「彼女はこの町を見て、なんて言うだろうな……。今のアンタを見て、どう思うかな? 優しい彼女は、きっと苦しみながら生きていくんだろうな」

「ッ!」

 スコットの眼が大きく見開かれる。

「アンタはそれでも彼女を蘇らせるつもりなのか? それとも、都合の悪いことは全部無かったことにするのか? 可哀想な夫婦だよ。どう転んだって、アンタらの結末はもう……悲劇でしかないんだからなッ」

「黙れェェェェェエエエッ!」

 咆哮。スコットはとどめとばかりに氷剣を振り上げた。

(チッ、仕方ネェ! もう少しだけ力を分けてやるヨッ)

 刹那、アムが何か言ったような気がした。

「――ァァァァァァァァアアッ!」

 フェルディックは残った力を振り絞り、右手に持ったブロードソードを振り上げる。渾身の一撃はスコットの氷剣を粉砕。そのまま半円を描き地面を叩き割った。

「馬鹿なッ!」

 フェルディックは左足を支点に、剣を横薙ぎに回転。その勢いで立ち上がった。右膝が悲鳴を上げる。

 フェルディックは歯を食いしばり、一歩踏み込んで袈裟蹴りに剣を打ち下ろす。スコットはそれを氷盾で防ぐが、漆黒の刀身は氷盾を打ち砕き、スコットの左腕を肩口からばさりと切り落とした。

 傷口から漆黒の炎がどっと噴き出す。左腕は宙を舞い、漆黒の炎に包まれた。

「……グッ」

 スコットは眼を見開き、左肩を押さえたまま、後方に飛び退いた。右手に冷気を集める。氷剣を結晶化させるつもりか。

 だが、そんな暇など与えはしない。

 フェルディックは左足を踏み込んで跳躍。一気に間を詰め、今度はスコットの右腕を肩口から斬り落とした。

「ガァァッ!」

 両腕を失ったスコットは苦悶の声を漏らしながらよろよろと後ずさる。両の肩口からは、まるで翼のように漆黒の炎が噴き出していた。

「これで、終わりだァァァァァアアッ!」

 フェルディックは大きくジャンプ。薪割りの要領で、スコットを頭頂部から真っ二つに叩き割った。

 スコットの身体は二つに裂けて、どしゃりと仰向けに倒れた。

 傷口から漆黒の炎が噴き出し、彼の身体を轟々と焼き尽くしてゆく。

「……うっ!」

 フェルディックは、身体の内側から襲いくる衝撃によろめき、膝をついた。

 しゅうしゅうと全身の毛穴から煙が噴き出すと同時に、力が抜けてゆく。

 煙が抜け切ると、頭上で「フゥ」と息をつく存在があった。

「やっと出られたゼ」

 声の主はアムだった。力が抜けてゆくと感じたのは、悪魔の力がなくなったからか。

「ハァ……ハァ……」

 フェルディックは乱れた呼吸を整えながら、霞む視界の中にスコットの姿を捉える。

 黒のローブはもうすでに灰となり、皮膚は真っ黒に焼けただれていた。

「……さようなら」

 漆黒の残り火がふっと消えると、フェルディックは別れの言葉を呟いた。

 全身を脱力感が襲う。もう倒れて眠ってしまいたいたかった。

 だけど、その前にアザレアを助けなければ。

 フェルディックは軋む体に鞭打って、立ち上がると、よろよろと祭壇まで歩き始める。

 階段を上りきると、そのまま祭壇に上体を預け、ひと休みした。

 ふと顔を上げると、そこには小瓶が。

 そうだ、これはアムに渡さないと――。

 フェルディックは小瓶を手に取り、アムに渡そうと振り返る。

 そして、愕然とした。

「……そ、そんなッ!」

 フェルディックの視線の先には、真っ黒焦げになり、真っ二つにされてもなお再生をはじめるスコットの肉体があった。

 二つに裂けた胴体は細胞の糸によって引き寄せられ、転がっていた両腕もそれぞれが意思を持っているかのように、ずるずると肩口に引き寄せられて、結合を始める。

「あのヤロウ、マダ生キテやがッたカッ」

 アムは吐き捨て、舌打ちする。

 ――駄目だ。もう、僕に戦う力は――。

 黒焦げの死体は、ぶくぶくと結合部分を沸騰させ、痙攣けいれん。やがてそれも治まると、スコットは――黒焦げの姿のまま、ゆっくりと立ち上がった。

「コォォォォォォォォォォォオオッ!」

 咽喉奥から吐き出される擦れた声に、本堂の空気が震えた。

 スコットは右手を前に突き出し、おぼつかない足取りで、こちらへと向かってくる。

 フェルディックははっとして、持っていた小瓶に視線を落とした。

 恐ろしい執念だ。彼は、あんな醜い姿に成り果ててもなお、妻の存在を求め続けている。

「くぅ……もう、駄目だ……」

 フェルディックは観念して、目蓋を閉じた。

「――チッ、ヤッパリ使えネェヤロウだナッ」

 フェルディックは「え?」と目を開けた。

 見上げると、アムが大きく息を吸い込み、ぷっくりと腹を膨らませていた。

 アムはふううと氷の息吹を吐き出す。

 真っ白の冷気を浴びたスコット。彼は足元から頭のてっぺんまで、全身を氷で覆われた。

「冷気ヲ操れルのはテメェだけじャネェンだヨ。冥界の絶対零度ダ。コノ氷は永久に溶ケルことも壊スこともデキやしネェ」

 スコットは氷漬けになったまま、動く気配はない。まさに氷の彫刻だ。

 そうか……。

 冷気を操るスコットに、この氷を打ち破るすべはない。

 アムの言うことが正しければ、彼はこのまま死ぬこともなく、永久に生き続けるのだろう。

 おぞましい姿のまま、腕を伸ばし、最後まで妻の存在を求め続けた哀れな男。もはや彼が人であった面影など、何ひとつ残っていない。

「……」

 フェルディックは小瓶を見つめると、顔を上げてステンドグラスを仰ぎ見た。

 もしかすると、死から逃げ続けた彼にとって、それは救いだったのかもしれない。

 これは、神がスコットに与えたもうた唯一の救い・・であったのかと、フェルディックは神の肖像を見て思った。

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