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Nightmare Knight  作者: tillé.o.fish
第十一章 Decisive battle.(決戦)
38/41

XXXVIII

 教会のドアを開け放つと同時に、フェルディックは叫んだ。

「アザレアさん!」

 叫んでから、絶句した。

 アザレアは手足を縄で縛られ、十字架に張り付けにされていた。意識がないのか、だらりと頭を下げたまま、彼女は目を閉じている。

「安心しなさい。彼女は眠っているだけだ」

 壇上で、それを仰ぎ見ていた男――スコットが、ゆっくりとこちらに向き直る。

「ヤァ……。まさか君たちがまた戻ってくるとはね。邪魔者はこの町から追い払ったつもりだったが……。どうやってここに?」

 スコットは、金の刺繍が施された真っ黒のローブを身に纏っていた。あれが死霊魔術士ネクロマンサーの正装なのだろうか。アザレアの着用していたローブとは違い、深い闇を感じさせる。

「知ったことか、貴様には関係のないことだ。……さあ、大人しく彼女を解放しろ」

 オスカーは押し殺した声で、スコットを恫喝どうかつする。

「……フン。まァ、いいでしょう。ですが、彼女を返すわけにはゆきません。彼女には、ミスティの器になるという大切な役目がまだ残っているのですから」

「……ミスティ……?」

 フェルディックは無意識の内に声に出していた。

 ミスティ……確か、スコットの亡くなった奥さんの名前だ。

「スコットさん……、あなたは一体なにを……?」

 フェルディックは、問い詰めるような眼差しでスコットを見た。

 それに、彼は頬を歪めて応えた。

「折角ここまで辿り着いたのです。それくらいは教えてあげましょう」

 スコットは祭壇が見えるように、一歩横にずれる。それから、祭壇に置かれている小瓶に注目するよう手を差し向けた。

「あれは……」

 それには見覚えがあった。蒼い光を放つそれは、魂を閉じ込めていた小瓶だ。でも、どうしてここに……?

「フェルディック君……。これはね、ミスティの魂なのですよ」

「……ッ!」

 スコットの発言にフェルディックは我が目を疑った。あれが、ミスティさんの魂――?

「私にとって、今日という日は生涯忘れることのない特別な日となるでしょう。なにせ……、今宵、私は再びミスティに会えるのですから」

 何を言っているんだ……?

「フフ……。肉体は代わりの物となってしまいますが……ね……」

 スコットはちらとアザレアに視線を投げた。

「そんな……まさか……」

 彼女を『器』に、スコットは亡くした妻を蘇らせようというのか?

「どうして……。そんなこと、許されるはずがない……。ミスティさんだって、喜ぶはずがない!」

 フェルディックは叫んだ。それをスコットは、さげすむような目で見ているだけだった。

「君にミスティのなにが分かるのですか? 気安くその名を口にしないで頂きたい」

「わからない……。わからないけど……、ヘレンだって、母親の死を受け入れようとしていたんだ……。なのにあなたは自分のために、ヘレンの……いや、それだけじゃない……。この町のみんなの気持ちも――裏切ったんだッ!」

 気付けば、目にじんわりと熱いものが込み上げていた。

 許せない。許すわけにはいかない。

 アザレアさんをこんな目にわして、町の人たちを苦しめて、そんなことのために彼は――。

「――もういい」

 オスカーがフェルディックの肩を叩く。

「奴に何を言っても無駄だ」

「……そうですね。話はこれくらいにしておきましょう。今宵は満月……月の満ちる今日という日は、反魂はんごんを行うに最もふさわしい……。時間がありません、私の邪魔をするというのなら、消えて頂きましょう」

 スコットが右手を持ち上げる――彼の頭上に白い霧が立ち込めた。

 あれは……なんだ……?

 霧は収縮を始め、結晶化してゆく。

 数秒の出来事だった。気付けば、スコットの頭上を無数の氷柱つららが占拠していた。

「スコットさんッ!」

 フェルディックの呼び掛けも虚しく、彼は微笑ちょうしょうを浮かべ、その手を振り下ろした。

「――来るぞ!」

 オスカーに体当たりされ、フェルディックは前のめりに倒れ込む。矢のように飛来してきた氷柱つららは、入口の扉に突き刺さった。

 フェルディックははっとしてオスカーを見やる。

 彼は体当たりの反作用で、フェルディックとは反対方向に飛び退いていた。

 ロングソードを引き抜くと、壇上のスコットめがけて突進する。

「まずは貴方からです」

 スコットは標的をオスカーだけに絞り、氷柱つららを連射。いくら頑丈なプレートアーマーでも、あれをまともに食らってはまずい。

 オスカーは走りながら長椅子の影に飛び込んだ。しかし、氷柱つららの雨は容赦なく長椅子にも降り注ぐ。

 長椅子はズタズタにされ、その拍子にめくれて一瞬宙に浮いた。だがそこにオスカーの姿はない。

 彼は長椅子に飛び込んだ後も、体勢を低くしたまま走りぬけ、柱の影に隠れていたのだ。

「フン。彼女の仲間なだけあって、やることも同じというわけですか」

 スコットは、壇上からフェルディックたちを見下して言った。彼は両腕を開き天を仰ぐ。

「ではそこで見ておくといいでしょう。さァ、ミスティ――もうすぐ会えるよ」

 恍惚とした表情で独り言のように言うと、あろうことか、彼はこちらに背を向けた。

「クッ!」

 柱から飛び出そうとするオスカー。その眼前を、ヒュッと氷柱つららが横切った。

「出れば死ぬことになりすよ」

 スコットが後ろ見に嘲笑(ちょうしょう)を浮かべる。

 僕たちなんか相手にならないということか。

 柱の影ではオスカーが、ぎりりと奥歯を噛み締めたまま、スコットの様子を窺っている。

 ――だめだ。

 このままでは儀式が完成してしまう。そうなれば、アザレアさんは――。

「おや」

 意外だといった風に、スコットは向き直ってフェルディックを見やった。

 フェルディックは立ち上がって、真っ直ぐにスコットを見据えていた。そして、ブロードソードの剣柄に手を掛ける。

「正気か貴様ッ! 死ぬぞ!」

 オスカーの声がビリビリと鼓膜を揺さぶった。

 だが、決意は揺らがない、

「私に剣を向けるおつもりですか? そのまま黙って見ているのなら、命だけは助けてあげようと……そう思っていたのに……」

 そう告げるスコットの瞳は、どこか悲しそうだった。

「僕は……あなたを許さない。あなたはもう……人ではない。ヘレンの気持ちも、町の人たちも、そして……自分の妻さえも裏切った、ただの化け物だッ!」

「黙れッ!」

 突然、スコットは火がついたように叫んだ。

「よそ者のお前たちに何が分かる? ミスティは最後の最後まで、患者のために必死になって尽くしていたんだぞ! それなのに、彼女の葬式には誰一人として来なかったのだ! 私が、私だけが彼女の死を悲しんだ! この町の連中は、『病の治せぬ医者などクズだ』と私たちを罵った……。どんなに酷い罵声を浴びせられても、苦しむ患者の為にと、彼女は最後まで献身的に尽くしていたのだぞ……? 患者の看病などしていなければ、病に侵されることもなかったのにッ!」

「だからといって、自分の欲望のために何でもしていいわけがない! あなたの奥さんも、そんなこと望んでいないはずです!」

「ああそうさ! 望んでいるのは私だよッ! 望んで何が悪い? 私だってこれまで散々人々のために尽くしてきたのだ! だがその結果がこれだ……妻を失い、神に救いを求めても、何も変わらない……何も満たされないッ! ならいっそ、人の道を外れてでも、己の欲するものを手に入れたほうがまだいいッ! なぜなら、ミスティのいない世界など、私にとって何の価値もないのだからなッ!」

「僕にとっても、アザレアさんは大切な人なんだッ! あなたになら、その気持ちも分かるはずです!」

「……剣を抜きたまえ……フェルディック君……」

 途端、スコットはその瞳に虚しさを宿して、言った。

「もう十分だろう? 話し合いなどで解決できる問題ではないのだよ。私はもう――引き返せないところまできている」

「……」

 スコットは、本当は僕たちを殺したくないのかもしれない。町を混乱に陥れたのも、純粋に儀式の邪魔をされたくなかっただけだったのかも……。

「さァ――私を止めたければ、剣を抜きたまえ」

 スコットが再び語りかけてくる。

 そう――彼の言う通りだ。僕にだって、譲れないものがある。

「やめろ……剣を抜いたところで、お前に勝目などない!」

 馬鹿な真似はするなと、オスカーが叫ぶ。

 でも――。

 フェルディックはスコットを見据えたまま、ブロードソードの刀身を抜き出した。

「馬鹿野郎ッ!」

 はじめて聞くオスカーの罵声。フェルディックは飛来する氷柱つららを横に飛んで避けた。

 まだ形を残している長椅子のひとつに背にあずけ、様子を見ようと顔を覗かせる。

「ッ!」

 その眉間めがけて、氷柱つららが一本、飛んできた。

 間一髪、反射的に顔を引っ込め、避けることに成功。しかし、いまのは危なかった。

「では再開と致しましょうか。今度は――本当に殺しますよ」

 彼は本気だ。フェルディックはいまので確信した。

「――面白そうなことやってンじゃネェか。オレも混ぜろヨ」

 突如場違いなまでに明るい声が、本堂に響いた。その場全員が、ぴたりと動きを止める。

 ――この声……もしかして……。

 周囲の気配を探るが、声の主は見当たらない。

「ダカラ上ダ、上ッ!」

 がなる声に従い、天井を見上げる――やはりそうだ。アムは上空でゆさゆさと翼を羽ばたかせ、腕組みして踏ん反り返っていた。

「魂のニオイにつられてきてみリャこのザマだ。ッタク! 使えネェ野郎ダナァ?」

 アムは吐き捨て、「アァ?」とフェルディックに睨みをきかせた。

 フェルディックは思わず「うっ」と声を漏らしてしまう。

「なんですかソレは? 目障りなハエですね」

 言って、スコットはアムに向けて氷柱つららを一本、発射した。

 アムは避けることなく、両手を前に突き出す。――漆黒の炎がどっと噴出した。

 コウモリくらいの小さな身体からはとても想像もできない、火炎地獄。氷柱つららは空中であっという間に蒸発してしまった。

「オイ、テメェ……。オレハマダ話ノ途中ナンだヨ……」

 アムは舌打ちし、スコットをめつける。スコットは眉をひそめた。

「なんだあのインプは……。おい、説明しろ!」

 オスカーは柱の影に身を潜めたまま、フェルディックに説明を求めた。

 不測の事態にさすがの彼も動揺を隠し切れないらしい。その声に焦りが見て取れる。

「あれが話してたアムだ。……彼はきっと……魂を取り返しにきたんだ」

「なら、あのインプは我々の味方なのか?」

「……たぶん」

「たぶんだと……?」

 しかしオスカーの疑問にはそうとしか答えられない。

 アムは危険な存在だ。いまはスコットを敵視しているが、気分次第でいつ敵になるか……。

「こんなものを隠していたとは……。少々、君たちを侮っていましたよ」

「ハッ? オレは隠れてナンカいネェだろうがヨ」

 彼らの会話は全く噛合っていない。だけど、アムがスコットの気を引いてくれたおかげで、一瞬、隙ができた。

 フェルディックは長椅子から飛び出し、一目散に駆け出す。

 それに気付いたスコットが氷柱つららを発射させる。――が、フェルディックのほうが一瞬速かった。

 連続して放たれる氷柱つららは石床に衝突、全て粉々に砕け散る。

 フェルディックは柱の影に身を隠すと同時に、オスカーとの合流に成功した。

「オイコラ、どこ見テンだヨッ!」

 アムはスコットに無視されたのが気に食わなかったのか。吐き捨てると、漆黒の炎を今度は火球にして撃ち出した。

 それにスコットは氷柱つららで迎え撃つ。宙でぶつかった炎と氷は、互いに打ち消し合い、蒸発。水蒸気を立ち昇らせた。

 その一部始終を、フェルディックとオスカーは柱の影から顔を縦に並べて、じっと見ていた。

「策はあるか?」

 ふいに問いかけられる。フェルディックは首を横に振った。

「だろうな」

 オスカーは小さく呟くと、再び視線を彼らへと向ける。

 アムとスコットは、こちらのことなどお構いなしに激しい撃ち合いを続けていた。

 火球が放たれ、氷柱つららが応戦。アムが連射をすれば、スコットもまた同じ数だけ氷柱つららを発射。水蒸気ばかりが立ち昇ってゆく。

 それまで火球を連射していたアムだったが「ラチがあかネェ!」と、巨大な火球を生み出した。大人ひとりくらいは丸呑みにできそうなほど、大きい。

 スコットは頭上に停滞させていた氷柱つららをひとつに結晶化させた。こちらも火球に負けず劣らず巨大なものだった。

 巨大な火球と氷柱つららは、同時に放たれた。

 火球が氷柱つららを先端から飲み込んでゆく。飲み込んでゆくと同時に、漆黒の炎は熱を奪われ、収縮する。天井にもやが掛かるほどの水蒸気を発生させて、ふたつはまたも打ち消しあった。

 ――だが。

 スコットが新たに氷柱つららを結晶化させるその隙を、アムは見逃さなかった。

「遅ェンだヨッ!」

 アムは間髪入れずに火球を連続で撃ち込んだ。

 さすがに間に合わないと判断したのか、スコットは軽いステップで数個だけ回避すると、すぐにまた氷柱つららで応戦した。

「――見たか?」

「すごい戦いだ……」

「何を言っている」

「……え?」

 フェルディックはキョトンとした。が、オスカーはこちらには目もくれず、戦いに目を向けながら続けた。

「どうやら奴は、空気中の水分を集めてアレを作っているらしい」

「……空気中の水分?」

 その意味が分からなくて、フェルディックはオウム返しに応えた。

 オスカーは呆れたのか、溜め息交じりに言った。

「つまり、奴は氷を作るのに時間を要するというわけだ」

 時間が掛かる……?

 フェルディックは先ほどの光景を思い返す。

「そうか……。だからさっき――」

 氷柱つららを作るのに間に合わなかったスコットは、攻撃を避けたのだ。

「実力はなくとも、それなりに頭だけは回るようだな」

「あはは……」

 褒められた気はしない。

「奴の隙をつくぞ」

 フェルディックは緩んだ顔を引き締め、頷いてみせる。

「でも、どうやって?」

「奴は今――あのアムというインプに集中している。()せんが奴にしてみれば、我々など取るに足らない存在らしい。だが、そこに勝機がある。先のようにまた大きな衝突があった時、必ず隙が生まれるはずだ。その時こそが奴の最後……私が奴を仕留める。お前は――」

 彼は言葉を切って、柱の影から祭壇を覗き見る。その視線の先には、魔方陣の中心――蒼い光を放つ小瓶があった。

「アレを取れってこと?」

「そうだ。アレを手に入れさえすれば、奴とて迂闊には手出しできないはずだ」

「でも、また地下のときみたいに……」

 魔法陣で結界が張られていれば、入ることすらできないだろう。

「これは私の勘のようなものだが……。おそらく、あれは地下にあった時のように守られてはいないだろう。見てみろ――、今も奴は撃ち合いの中、祭壇を前に一歩も動かない。動かないのは、動けない理由があるからだ」

 動けない理由……。あるとすれば、やはりあの小瓶しか考えられない。なぜなら、あの小瓶には彼の大切な妻の魂が封じられているからだ。

「そんなことまで……」

 オスカーはこと戦闘にかけてはズバ抜けた洞察力を持っている。――よし、なんだか、やれそうな気がしてきた!

「オイコラッ! テメェいつマデ続ケルつもりだヨッ! イイ加減ニしやガレッ!」

 再び、アムが巨大な火球を生み出した。

 スコットもまた、氷柱をひとつに結晶化させてゆく。

「ゆくぞ!」「わかった!」

 ふたつの巨大な塊が空中で衝突すると同時に、フェルディックとオスカーは柱の影から飛び出した。

 スコットがそれに気付く。だがやはり氷柱つららを結晶化させるのに時間が掛かりすぎた。

「無視してンじャネェッ!」

 アムが凄まじい勢いで火球を連打する。

「ムッ!」

 スコットはこちらの動きに気を取られ、アムの攻撃に反応が遅れた。間に合わないと判断した彼は、氷柱つららの結晶化を諦め、回避。ついに壇上からその身を降ろした。

「覚悟ッ!」

 オスカーが斬り込む。

 スコットは瞬時に繰り出される二太刀を紙一重で避けると、接近戦は不利だと判断したのか、大きく横に跳躍した。

 だが、それは間違いだ。

「――しまった!」

 スコットは、迫り来る巨大な火球に眼を奪われる。

 直後、爆炎が噴き上がった。燃えさかる漆黒の炎は、紅い絨毯も巻き添えに、あるもの全てを消し炭にする。

 ――いまだ!

 フェルディックは階段を踏み登って祭壇まで辿り着くと、魔方陣の中心――祭壇にある小瓶を手に取った。

 オスカーの言った通りだ。この魔方陣に障壁は張られていない。

 フェルディックは剣を収めると、十字架を仰ぎ見る。

「アザレアさん――。いま、助けます」

 しかし、十字架の位置は高く、このまま手を伸ばしても彼女の足元にすら届かない。

 ――祭壇に乗れば、届くかな。

 フェルディックは祭壇に乗ろうと、両手を台の上に突いた。

「そうはさせません――」

 どくん。と、心臓が跳ね上がる。

 フェルディックは条件反射に声のしたほうを見た。

 炎上した煙の中から、ぶわりと氷柱つららが、矢のように恐ろしい速さでフェルディックに飛来した。

「わっ!」

 フェルディックは上体を反らして回避。続いて撃ち出される氷柱つららを、逃げるように走ってかわし、柱を背に再び身を隠す。

 そんな……! あれをまともに食らって、まだ生きているなんて……ッ!

 フェルディックは呼吸を荒くしながら、様子を窺う。

 めらめらと燃えさかる漆黒の炎。立ち昇る煙。そのなかに、スコットのものらしきシルエットが、ゆらゆらと揺れていた。

 やがて炎は勢いをなくし、噴き上がる煙もどこからか吹いてきた風に流されてゆく。

「馬鹿な……ッ!」

 オスカーは驚愕の表情で、その光景に目を奪われていた。

 スコットは――無傷だった。

「いやァ、さすがに今のは危なかった……。死ぬかと思いましたよ」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべるスコット。彼はガラスのような球体に守られていた。

 漆黒の炎の残り火によって、その球体はしゅーと音を立てて蒸発し、消えてしまった。

 ……あれも氷なのか。

「そうか……。どうして彼女が敗れたか、理由がようやく分かった。――化け物めッ!」

 咆哮。それと同時にオスカーはスコットに接近。下段からロングソードを振り上げる。スコットはそれを嘲笑うかのように、トンッと後方に軽く跳んで回避した。

がすかッ!」

 オスカーが前進、スコットを追撃する。袈裟蹴りに振り下ろされる一撃を、なんとスコットは、素手で受け止めた。

 いや、素手ではない。

 彼の手は“結晶化した氷”で覆われていた。さしずめ氷のグローブといったところか。

 だが驚いている暇などない。

 恐ろしいことに、氷は侵食をはじめ――ロングソードの刀身を氷漬けにしていった。

 オスカーはその光景に目を奪われ、硬直したままだ。

「オスカーッ!」

 フェルディックの呼び掛けに、オスカーははっと我に返る。彼は僅かに葛藤したが、剣柄を握る手を離し、後方に跳び下がる。

 しかし、それをスコットは許さなかった。

「遅いですよ」

 ロングソードを投げ捨て、俊足でオスカーに詰め寄ると、そのまま氷のグローブをオスカーの腹部に叩き込んだ。

 まるで大砲でも食らったかのように、オスカーは吹っ飛ばされ、壁に激突――亀裂が走る。

「ガッ!」

 肺の空気を一滴残らず吐き出すオスカー。プレートアーマーは衝撃に耐えきれず凹んでいた。そのまま壁から引き剥がされると、どさりとうつ伏せに倒れ込んだまま、彼は動かなくなった。

「そんな……」

 信じられない事の連続で、フェルディックは目を見開いたまま半ば放心状態でいた。

「まずはひとり」

 スコットは体勢を整えると、クスリと微笑した。

「チッ! 使えネェ野郎ドモダッ!」

 空から罵声が降ってきたかと思うと、アムが再び、上空からスコットめがけて火球を撃ち出す。

 ――スコットは避けない。代わりに、氷の障壁によって炎は拡散。辺りに飛び火した。

 球体が炎の威力を分散させてしまうのだ。これではアムの攻撃が通用しない。

「野郎……ッ!」

「形勢逆転ですね。フン、ハエの分際で……目障りなんですよ」

 スコットの頭上に霧が発生する。今度は、糸針くらいの極小の氷柱つららだった。それが星の数ほど結晶化され、アムに針の先端を向けている。

 ゆけ――と、スコットは指先が、アムに放たれる。

 アムは漆黒の火炎を放射。氷針の雨を空中で蒸発させる。だが、スコットのほうが一枚上手だった。

 上空にいるアムは、下方から一直線に飛来する氷針しか見ていなかった。

 だから、さらにその上空――天井に跳ね返って雨のように降り注ぐ氷針の存在に、気付くことができなかった。

 アムの身体を数本の氷針が貫いた。赤黒い鮮血がぴゅっと噴き出し、彼は驚いて天井を見上げる。

「アムッ!」

 フェルディックは叫んだ。だがもう遅い。氷針は容赦なくアムの身体を貫き続けた。ギィと激痛に呻くアムの掌から、炎が消える。氷針の雨に赤黒い血の色を混じらせ、浮力を失ったアムは重力に引かれて落下――べしゃりと地上にちた。

「……ンの野郎ォォ……」

 血溜りのなか、アムは激痛に悶えながらも腕を伸ばし、双眸をギラつかせ、なおも啖呵を切り続ける。

「テメェ……。殺スダケじャ……済まさネェェ……ゾ……――」

 意識を失う寸前まで、スコットを恐ろしい形相で睨み続けた。

 その呪いめいた言葉に、常人ならば恐怖に打ち震えただろう。だが、スコットはそれを、嘲るような目で見下していた。

「そうやってつくばっているほうがお似合いですよ。インプなど所詮は下級の雑魚……。私には遠く及びません。――さて」

 柱の影から様子を窺っていたフェルディック。スコットと視線がぶつかり、心臓が止まりそうになる。

「ミスティを返して頂けますか? フェルディック君……」

 フェルディックは、スコットから見えないように柱の影に隠れると、柱に背を預け、眼をつむって深呼吸した。

「もう十分に理解にしたでしょう? ……これが最後です。大人しくミスティの魂をこちらに渡しなさい。そうすれば、命だけは助けてあげましょう」

 言い切ると、スコットはきびすを返し、壇上に舞い戻る。そして、

「さあ、それをこちらへ」

 小瓶を持ってこいと、フェルディックに向かって手を差し出した。

 状況は最悪だ。オスカーも、あのアムでさえ彼には(かな)わなかった。なのに残っているのは、僕ひとりだけ――。

 スコットが無理に取り返そうとしなかったのは、彼なりの慈悲なのだろうか。それとも、ヤケクソになって小瓶を割られたりしないか警戒したから……?

 ――アレを手に入れさえすれば、奴とて迂闊には手出しできないはずだ。

 ふとオスカーの言葉が脳裏をよぎる。フェルディックは視線を自らの掌に落とした。

 そうだ……。まだ、僕にはこれがある……!

 フェルディックはごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと、柱の影から姿を現した。

「懸命な判断です」

 さあ、とスコットが手招きする。

 フェルディックは不意打ちされないように、胸に瓶を当て、警戒しながら前進した。

 一歩、また一歩と……。

 ゆっくりと足を踏み出し――。

「わっ!」

 階段に差し掛かったところで、フェルディックは段差につんのめり、瓶を手放してしまった。

「――なッ!」

 永遠とも思える一瞬。スローモーションの世界で、瓶が空中を泳ぐ。

 スコットが滑り込むように跳躍、瓶を両手に抱きかかえたまま、階下に身を投げた。そして――。

「さようなら、スコットさん」

 振り返りざま、フェルディックは剣を抜いていた。もちろん、今のは演技だった。

「――ッ!」

 スコットはうつ伏せのまま、驚愕の表情でこちらを凝視した。

「ァァァァアアアアアッ!」

 フェルディックは階段から跳躍、スコットの背中にブロードソードの刃をスコットの背中に突き立てた。

 心臓を貫いたのか、おびただしい量の返り血に、フェルディックの頬までもが紅に染まった。

「ガァッ!」

 スコットは苦悶の声を上げ、びくびくと痙攣けいれん。やがて、ぷっつりと糸が切れたように脱力すると、ピクリとも動かなくなった。

 フェルディックは肩を震わせながら、それを最後まで見守っていた。

 はっとして手元を見る。剣柄を握っている手さえもカタカタと震えていた。

 頭から血の気が引いていく感覚がして、フェルディックは剣柄から手を離し、ふらふらと後退して尻餅をついた。

 ――死んだ?

 見ればわかる。スコットは心臓を貫かれ、大量に出血している。彼の胸元からじわじわと血溜りができていた。

 だけど、すぐには信じられなかった。動揺しているのかもしれない。

 僕は人を殺してしまった。……人? いや違う。アレは人じゃない、化け物なんだ。

 どくどくと心臓が脈打つ。心臓が飛び出すのではないかと思った。息苦しさを覚え、天井を仰ぎ見る。

 どれくらい経っただろうか。

 静寂に支配された本堂のなかで、フェルディックの呼吸音だけがしていた。

 ふと視線を戻すと、死体はさらに血溜りを膨らませていた。

 あれほどの力を持っていた彼が、こんなにもあっけなく死んでしまうのか……。

 ……死ぬって、こういうことなのか?

 フェルディックは、スコットが死んだという事実をようやく飲み込むことができた。

 途端、強烈な脱力感に襲われる。

 緊張がとけたからか、このまま眠ってしまいたい気持ちになった。

 その時、真っ白だった頭のなかで、思い浮かんだことがあった

「……そうだ……。アザレアさん……」

 気付いたように呟いて、フェルディックは十字架を仰ぎ見る。彼女の姿を見て、眠気は一瞬にしてどこかへ吹き飛んでしまった。

「アザレアさん!」

 フェルディックは大声で彼女の名を叫ぶ。

「……ん――」

 僅かだが彼女の眉が反応を示した。

「良かった……」

 彼女は無事だ。

「いま助けます」

 フェルディックは起き上がると、階段を上り、祭壇に両手を突いた。

 祭壇の上に立つと、まずは彼女の足元から、ロープをほどき始める。

「……――フェル……ディック……?」

 ゆっくりと目蓋を持ち上げるアザレア。フェルディックは心の底から安堵した。

「待っていてください。すぐほどきますから」

「……フェルディック……。フェルディックなのね……?」

 アザレアは虚ろな眼差しで、確かめるように何度もフェルディックの名前を口にした。

 彼女は完全に覚醒するや否や、はっとして自らの手足を見やった。自分の置かれている状況にようやく気付いたのだろう。

「あいつは?」

 アザレアは視線を落とし、切迫した表情でフェルディックを見た。

「スコットさんなら――」

 何故かそこから言葉が出なかった。フェルディックは振り返ることすらしない。

 アザレアの視線が、階下へと向けられる。

「く……。硬いな……」

 フェルディックはロープをほどくのに苦戦していた。きつく締められた結び目をほどくには、少し時間が掛かりそうだ。

「駄目よ――……」

「やっぱり、素手じゃ駄目かな……」

「それじゃ……、ダメ……」

「くぅ……。やっぱり硬いや……。これなら、切ったほうが早いかな……」

「――それじゃダメよ! そいつは不死身なのッ!」

 フェルディックはアザレアを見上げた。

「え……。不死身?」

 アザレアは凍り付いた表情で、何かを凝視していた。

「逃げなさい……」

 彼女の声は、震えていた。

「フェルディック、後ろよ! 逃げてッ!」

「後ろ……?」

 願望とも取れる彼女の切実な叫び声。フェルディックは反射的に身を翻した。

 ドスリ、と――。

 腹部に衝撃が走り、視界は暗転。全身の力が抜けて、へたと尻餅をついた。

 息ができない。どうして……?

 視線を落とすと、錆びついた剣が――フェルディックの腹部を貫通していた。

 ――これは、僕の剣だ。

「あ……ぐ……アァ……ッ!」

 フェルディックは咳き込みながら、咽喉奥から込み上げてきたものを吐き出した。

 血だ。

 視界が霞んでゆく。ふと階下に眼をやれば、何故かそこには死んだはずのスコットが――。

「――……ック! フェル――……。……――ァァァアッ!」

 アザレアの声が聴こえる。

 だけどなぜか遠くに感じた。

 そうか、僕は――……。

 フェルディックの意識は深い奈落の底へと落ちていった。

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