XXXVII
フェルディックは門前に辿り着くと、人目を避けるため、町の外に設けられた馬小屋に向かった。
「チゲ」
胸ポケットを軽く指で叩く。
すやすやと眠りこけていたのか、鼻風船の割れる音がした後、チゲが驚いてポケットから飛び出した。
「オギョ! ナンでやスか!」
「チゲ、お前に頼みたいことがある」
フェルディックは早口に伝える。
「アニキがあっしに? 頼みごと……でやスか?」
チゲはキョトンとした目でフェルディックを見た。そして、何故かチゲはうるうると目を潤わせ、
「アニキがあっしに頼みごと! ついに、ついにあっしも男……、イヤ、漢になるときがきたんでやスねェェェッ!」
嬉しそうにはしゃぎまわる。
色々言いたいことはあるが、いまはそれどころじゃない。
「チゲ、いまからお前はローデンハイムに行って、応援を呼んでくるんだ」
「おやスいごようでやス!」
チゲは声を弾ませそのまま飛び立とうとするが、ふと空中で静止すると、ゆっくりとこちらに首を巡らせる。
「……応援ッテ……ナンのコトでやスか……?」
「……」
フェルディックは町の状況を出来るだけわかりやすくチゲに説明した。
「ローデンハイムに着いたら、ゲイルさんかホジュアさんにこの事を伝えるんだ。空を飛べるお前なら、それほど時間は掛からないだろう?」
「おやスいごようでやス!」
「よし、頼んだぞ」
「アイアイサー」
チゲは今度こそ空高くまで飛んでゆく。
上昇気流に乗ったチゲは、あっという間に星空に溶けて、見えなくなった。
あれならば、すぐにローデンハイムまで辿り着くはずだ。
「ここにいたか」
背後から声を掛けられ、驚いて振り返る。
……オスカー?
彼は僅かに呼吸を乱していた。僕を追ってきたのか?
フェルディックは口を半開きにしたまま、茫然と彼の顔を見ていた。
彼はチゲが飛び立ったのを見ていたらしく、「そうか」と小さく呟く。
「オスカー……どうして……」
「どうもこうも、お前を守るのが私の任務だからな」
やはり連れ戻しに来たのか。
「……戻るつもりはないよ」
フェルディックは決意を瞳に宿して言った。
「分かっている。手を貸そう」
「 ……え?」
フェルディックは面食らって間抜けた声を出してしまった。
「どうせ止めても聞きはしないだろう。――それに、彼女のことを気にかけているのは、お前だけではない」
僕を連れ戻すための口実などではない。オスカーの目を見れば、それが本気なのだとすぐに理解できた。
よく考えてみれば、彼のほうがアザレアとの付き合いは長いのだ。心配でないはずがない。
「……ありがとう」
気付けば、オスカーに礼を述べている自分がいた。
「礼など必要ない。私が決めたことだ」
彼はふてくされたように言う。
なんだかそれが可笑しくて、フェルディックは頬を緩めた。
少しだけ、彼と分かり合えたような気がする。
「だが、勝算はあるのか? 町の中では死霊が暴れ回っている。とてもじゃないが、私たち二人では教会へ辿り着くことすらできまい」
オスカーはこちらに視線を戻すと、雰囲気を一転、厳しい表情でフェルディックを見据えた。
彼の言う通りだ。ましてや僕に戦う力などない。
だけど、戦力ならまだ――。
「僕に考えがある」
フェルディックはオスカーを真っ直ぐに見返して言った。
彼の疑問に答えるべく口を開きかけた時、門の閉じられる音が聴こえてきた。
「説明はあとでするよ。今は――」
二人は門のほうへ視線を投げると、頷き合って走り出す。それから、滑り込むようにして門を潜り抜けた。
「騎士殿!」「どこへ行かれるおつもりですか!」
まさか町の中に戻る者がいるとは思わなかったのだろう。門を閉じるために扉を押していた衛兵たちだったが、彼らは驚いて作業を中断した。
「門を閉じます!」「引き返して下さい!」
オスカーは振り返り「構わん!」と彼らに向かって叫んだ。
「このまま門を閉じるのだ! 我らには、まだやるべきことが残っている!」
衛兵たちは、オスカーとその前方――迫り来る死霊の群れに圧倒されて、苦渋の表情を浮かべながらも、作業を再開した。
「「どうかご無事で!」」
胸に響くような重低音とともに、門は閉じられた。
――もう、後戻りはできない。
振り返れば死霊の群れが。彼らは二人の存在に気付き、ぎょろりとした白い目をこちらに向けていた。
アザレアさん、どうか無事で――。
フェルディックはポケットに手を突っ込むと、紅い石を取り出した。
※ ※ ※
「――たがえ……じゃ……。覚えたかの?」
「……え、えぇっと……」
フェルディックは困ったようにぽりぽりと指で頬を掻いた。
ローデンハイムを旅立つ日の朝。
ホジュアに呼び出されたフェルディックは、地下室に足を運んでいた。
「なんじゃ、これくらいも覚えられぬのか? そう難しくもあるまいに……。仕方のないヤツじゃ、――ちと、待っておれい」
ホジュアは羽ペンを取り出すと、さらさらと紙面に文字を書き綴る。
その間、フェルディックは彼によって変貌を遂げたリコの石をぼうっとした目で眺めていた。
宝石のように紅く透き通る石の中には、レッドキャップの歯が埋め込まれている。文字のようなものも刻まれているが、こんなのは見たことがない。
一体、何をどうすればこうなるのだろうか。
ホジュアはこれを召喚器だと嬉しそうに話していたが、フェルディックはそれを引きつった笑みで受け止めていた。
かわいい妖精から貰った石が、よもやこんな姿に変貌を遂げようとは、いまさら後悔しても、もう遅い。
「よいか? たとえ召喚に成功したとて、そのままではヌシの身が危険に晒されるだけじゃ。そこで、呪文によって一時的にヌシの命令に従うよう、細工をしておいた」
ホジュアは紙面に文章を書き終えると、それをフェルディックに手渡した。
「呪文を唱えれば、長くて半日は命令に従うじゃろう。効果が切れる前に、そやつをどこか遠い場所へやるか、あるいは、自らの命を絶つよう命じれば……ぬ――?」
長く垂れた白眉毛から、細い目を覗かせる。
「こ、ここに……新たに、に、肉体の、よ……よりしろ……? ……を、もちいて、な、なんじを……」
フェルディックは紙に印された文章と睨めっこしていた。
聞きなれない言葉の連続。無理に発声しようとするから、ぎこちない。
「フェルディックよ」
ホジュアに呼ばれて、フェルディックは紙面から顔を上げた。
「……え? あ、はい」
「本番では、噛むでないぞ」
ホジュアがじと目でこちらを見ていた。
「……あはは……はは……」
※ ※ ※
フェルディックは、紅い石を死霊たちに見せ付けるようにして突き出した。
「なにをするつもりだ?」
オスカーの問いに、フェルディックは「見ていて」と早口に返す。
説明している暇はない。
フェルディックは何か言おうと口を開いてから、硬直する。
「――あ、そうだ……。呪文は……、え、えっと……。こ、ここに……に、肉……」
しまった、呪文を全く覚えていない。
睨みをきかせるオスカーを尻目に、フェルディックは慌ててズボンのポケットをまさぐり、一枚の紙切れを取り出した。
「え、えっと……!」
「おい! のんびりしている暇はないぞ!」
オスカーが焦りを見せ始める。
死霊たちは、僕らの存在に気付きぞろぞろと群れをなして迫ってきているのだ。
オウオウと低い声を響かせながら、おぼつかない足取りでゆっくりと歩み進んでくる。
フェルディックは書き綴られた文章を、必死になって読み解く。
「ひ、ひととき……、せ、せいやく……」
「――クッ! 貴様をアテにした私が愚かだった!」
オスカーの焦りはついに限界に達した。
彼は腰に差したロングソードの剣柄を握り、構えを取る。
「……たましい、よ。……たがえ。――よし、いける!」
フェルディックは紙をくしゃくしゃに丸めると、乱暴に放り投げた。
あとは、ぶっつけ本番でやるしかない!
「はやくしろッ!」
オスカーは怒鳴りながらも、取った構えを崩さない。
「分かってる!」
フェルディックは叫び返すと目を閉じて、すぅっと息を吸い込んだ。――落ち着け、やるしかないんだ。
どくどくと脈打つ心臓――、渇いた口内を潤してから、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして、ゆっくりと呪文を唱え始める。
「――此処に 新たな肉体の依り代をもちいて 汝を召喚せしめん」
呪文を唱えると、石の内側からぽぅっと光が生まれた。
「――汝 その制約に基き」
光は徐々に勢いを増し――稲妻のようにバリバリと強烈に発光した。
「――その魂よ」
フェルディックは大きく振りかぶって、
「我に従え!」
死霊の群れにめがけて石をぶん投げた。
キィンと耳を裂くような音と同時に、光の爆発が起こった。
「うわっ!」「クッ!」
失明するかと思うほどの強烈な光に襲われ、二人は目を覆い隠した。
ようやく視界が開けたかと思うと、今度は、目を疑うような光景が二人の目に飛び込んでくる。
「……なんだ、アレは……?」
はじめて見るそれに、オスカーは愕然として呟いた。
それまで前方に群がっていた死霊どもは、一瞬にして蹴散らされ、無惨な姿で辺りに飛散していた。
胴を刎ねられ地面に転がっているもの。柵に突き刺さって天を仰いでいるもの。家の窓をぶち破りだらりと下半身を垂らしているもの。
もちろん、それをやったのは――。
「……あれが……レッドキャップか……?」
オスカーが、彼の名を声にする。
月夜の下で――真紅に染められた赤い帽子が、風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。
身の丈ほどもある巨大な斧が空を裂くたびに、死霊どもは身体を引き裂かれ、あるいは吹き飛ばされて、無惨に散らされてゆく。
「……すごい……」
フェルディックは無意識に声を漏らしていた。
ピクリ、と――。
それまで群れの中心にいたレッドキャップが、ぐるりと首を回してこちらを見た。
「……!」
レッドキャップはギロリと目蓋をひん剥き、頬を吊り上げた。瞬間、フェルディックの背筋を悪寒が突き抜ける。
悪い予感は当たった。
レッドキャップは軽々と片手で斧を担ぎ上げると、こちらに向かって一直線に疾走してきた。
「来るぞ!」
同じく殺気を感じ取ったオスカーは、フェルディックを守るようにして前に踏み出た。
「――ドケ」
レッドキャップは猛烈なスピードでオスカーに接近すると、勢い任せにそのまま斧をぶん回した。
避けることができないと判断したオスカーは、剣を盾にして攻撃を受け止めた。
「ガァッ!」
腹部を狙った横殴りの一撃。オスカーは攻撃を受け止めきれず、剣を盾にしたまま吹っ飛ばされて地面を転がった。
「オスカーッ! ――ッ!」
苦痛に呻く彼の身を案じる間もなく、フェルディックの眼前で、レッドキャップは斧を振り上げる。
――ダメだ! 殺られる!
直感的にそう感じた。振り下ろされる斧を直視できずに、目をぎゅっとつむった。
……。
妙なことに、痛みは全く感じなかった。それに、やけに静かだった。
痛みを感じる間もなく、死んでしまったのだろうか。
フェルディックは、恐る恐る目蓋を持ち上げる。
目の前で見たものは、レッドキャップが斧を振り下ろす格好のまま、ピタリと静止している姿だった。
「……オ前……オレニ、何ヲシタ……」
「……へ?」
フェルディックは間抜けた声を出してしまった。
見れば、彼は斧を振り下ろそうと手に力を込めていた。しかし、なんらかの意思によって、それができないでいるようだった。
一瞬考えた後、ホジュアの言ったことを思い出す。
――そうか。呪文は成功したんだ。
暫くは僕の命令を聞いてくれると、彼はそう言っていた。
ほっとすると途端に力が抜けて、フェルディックはそのまま尻餅をついた。
「は、はは……はぁ……。助かった……」
「モウ一度キクゾ。オレニ何ヲシタ? ドウシテオ前ヲ殺セナイ?」
「……あ」
見上げてからぞっとした。
ギリギリと鋭い歯をかき鳴らし、こちらを見下すレッドキャップと目がかち合った。
安心するのはまだ早い。彼がいつまで僕の命令を聞いてくれるのか解らないのだ。
フェルディックはそのまま後ずさり、少し距離を取ってから立ち上がった。
あの巨大な斧の切っ先を前にして、立ち上がる勇気などありはしない。
「キミに呪文をかけてある。少しの間だけ、僕の言うことを聞くように」
「ナンダト?」
レッドキャップは爬虫類のように瞳孔を小さくして、こちらを凝視した。
――や、やっぱり無茶だったかな。
後悔の念がどっと押し寄せてくる。
それからレッドキャップは、ゆっくりと辺りに首を巡らせて、言った。
「此処ハドコダ? オレハ今マデ森ノ中ニイタハズダゾ」
「えっと……それは……」
戸惑うのも無理はない。いきなり別の場所に召喚されたのだから。
――となると、先ほど死霊の群れを蹴散らしたのは、彼の本能的な何かが働いたからだろうか。
「そ、それはともかく!」
フェルディックは誤魔化すことにした。
召喚したなんて言ったら、余計に気分を悪くしそうだ。なにより、いまは時間がない。
「僕達を、助けてほしいんだ」
ピタリと、レッドキャップの歯軋りが止まった。
「ナンダト?」
彼は語気を強め、瞳をギラつかせた。
「僕たちは、この町の教会まで行きたい。それには、キミの力が必要なんだ」
言い切った後、時が止まったかと思うほどの長い静寂が続いた。
「……ソウカ……ワカルゾ……。ナントナクダガナ……」
彼は、頭の中にある何かを探ろうと思考を巡らしているようだった。
「……ドウヤラ、ソノ命令ニ従ウシカナイヨウダナ」
魔物の勘か。
それとも、これもホジュアの仕掛けなのか?
どちらにしても、彼が理解してくれたのなら大助かりだ。
「く……ッ! ふざけるな……! 誰が魔物などと手を組むものかッ!」
吐き捨てるような声に、フェルディックは視線を動かした。見れば、オスカーが苦しそうにしながらも、剣を支えに立ち上がっていた。
彼が怒るのも無理はない。つい今しがた殺されかけたとこなのだ。
「でも、今はこれしか―ー」
フェルディックが言いかけた時、
「――マダ生キテイタノカ……」
斧を担ぎ上げたレッドキャップが、ゆっくりと首を回し、ギロリとオスカーを睨みつけた。
「駄目だ! 彼を殺しちゃいけない!」
フェルディックは慌てて二人の間に割って入り、すかさず両手を広げて、レッドキャップを牽制した。
だがレッドキャップの鋭い眼光に射抜かれ、思わず「うっ」と声を漏らし、仰け反ってしまう。
「……ソレモ命令カ?」
沈黙の続いた後、彼はようやく口を開いた。
「……はぁ~……」
緊張のほどけたフェルディックは、だらしなく肩を落とした。
良かった。僕の命令はちゃんと聞いてくれるみたいだ。
「なら、私が引導を渡してやろう」
振り返るとオスカーが剣を脇に構えていた。
「あわわわッ! それも駄目ェェェッ!」
フェルディックは叫びながらオスカーに駆け寄り、彼の剣首をおさえた。
――と。
ぞろぞろと新たに群れを成した死霊どもに、三人は視線を奪われる。
「オイ、アレハ壊シテモイイノカ?」
レッドキャップはフェルディックに問う。『壊す』という表現は、本能的に彼らが生き物でないと悟ったからだろう。
「もちろん!」
フェルディックは力強く応じた。
「フヒヒ……」
するとレッドキャップは水を得た魚のように、耳元まで口を裂かせ、不気味な笑い声を漏らす。
「不本意だが、いまは争っている場合ではないからな」
オスカーは構えを崩すと、前方に群がる死霊たちにキッと睨みをきかせる。
死霊の群れは数を増し、地の底から響き渡るような呻き声を上げ、ゆっくりとだが確実にこちらに向かって迫ってきていた。
「そ、そんな……!」
フェルディックはその数に改めて驚く。
群れの数は軽く百を越えていた。あんな化け物の中に突っ込むのかと、今更ながら自分の考えに尻込みしそうになる。
「教会はこの道を真っ直ぐ突っ切ったところにある。――いけるな?」
オスカーの呼び掛けに、フェルディックはごくりと唾を飲み込んだ。
「回り道をしている暇なんてない、行くしかないんだ!」
「よし……。では、行くぞ!」
オスカーの号令に、三人は死霊の群れに突撃した。
まずはレッドキャップが先陣を切る。
巨大な斧がぶん回されるたびに、旋風が巻き起こった。
死霊どもは胴を薙ぎ倒され、あっけなく吹き飛ばされる。吹き飛ばされた死霊が、また別の死霊にぶつかって、道を広げた。
しかし、それもつかの間。彼らは仲間の肢体を踏みつけ、次々に襲い掛かってくる。
「数は多いが、大した戦闘力はない! このまま押し切るぞ!」
オスカーの言う通りだった。スコットとの戦闘で現れた骸骨兵と比べれば、大した相手ではない。
統率の取れてない死霊たちは、ただ闇雲に群れて人を襲っているだけだった。
それでも、その数だけは侮れない。
「うわっ!」
死霊の一匹が、フェルディックの腕に掴みかかる。その腕を、オスカーがすかさず切り払う。フェルディックは掴まれたままの腕を、慌てて引き剥がした。
その拍子に背後を振り返って見れば、これまで切り開いて進んできた道は、また新たに現れた死霊によって塞がれていた。
もう後戻りはできない。
予感はしていた。が、今更ながら怖気付いて足がすくみそうになる。
「怯むな! 前に進むことだけを考えろッ!」
オスカーが声を張り上げる。
不思議なことに、フェルディックの足のすくみは消えて、それどころか力が湧いて出てきた。
レッドキャップが道を開き、最後尾のオスカーがフェルディックを守るかたちで、三人はひたすら前へ進み続ける。
「見ろ! もうすぐだ!」
見上げると、星空には教会の鐘が。
オスカーは雄叫びを上げながら、死霊を斬り倒していった。フェルディックは二人の殺陣に巻き込まれないよう、旨く距離を取りながら進み続ける。
教会の近くまでやってくるのと同時に、三人はようやく死霊の群れから抜け出した。
彼らの呻き声を背に、三人はなおも走り続ける。
門前まで辿り着くと、鉄折の扉を開けて、教会の敷地内に飛び込んだ。
そこで、フェルディックはふと足を止めて振り返る。
レッドキャップがついてこない。
何故か彼は、門前で足を止めたままじっと動かないでいた。
「早く、こっちへ!」
「……ココマデダ」
「え?」
フェルディックははっとして教会を仰ぎ見た。
――そうか、魔物は教会に入れないんだ。
しかし、すぐに考えを改める。
チゲは悪魔だがこの教会に入れたのだ。つまり、ここにはもう神聖な力など残ってはいない。
「大丈夫、ここはもう……」
「穢レテイヨウト、ユクツモリハナイ」
「だったら!」
「命令デモダ」
「――ッ!」
レッドキャップに先手を取られ、フェルディックは言葉を失った。
「構わん、私たちだけでゆくぞ」
早くしろと、オスカーが目で訴えてくる。
「で、でも――」
立ち止まるレッドキャップのその向こうで、死霊どもがまたぞろぞろと群れを成して迫ってきているのだ。
いくらレッドキャップといえども、あの数を相手にいつまでも無事ではいられないだろう。
「奴が決めたことだ。いまは、自分たちの目的を成し遂げるのが先だろう」
「好キニシロ。オ前タチノイナイホウガ遊ビヤスイカラナ。――ソレカラオ前」
レッドキャップはフェルディックを指差して言った。
「覚エテイロ……。次ハ必ズ殺シテヤル」
「――ッ!」
フェルディックの心臓が大きく跳ねた。
共闘したからといって、仲間になったわけではない。彼はまだ、僕たちに対する殺意を失ったわけではないのだ。
ふつふつと湧き上がる恐怖を半ば強引に抑え込み、フェルディックは真っ正面からレッドキャップと向き合った。
「約束は守ったよ。キミの歯は見せた。そしてあの小屋に近づかないようにとも。日が昇るころには、キミはこの町の人々に感謝されるはずだ。彼はイイ奴だと」
レッドキャップはわずかに目を細めただけで、何も言おうとはしなかった。
「もう十分だろう――。ゆくぞ」
背後からオスカーに肩を叩かれ、フェルディックはレッドキャップに背を向けた。
歩き出してからすぐに、斧の振り回す音と、砕け散る肉と骨の音が聞こえてきた。
フェルディックは一瞬だけ立ち止まったが、振り返ることはしなかった。
二人は教会の扉を前に、目を合わせて互いの覚悟を確かめ合うと、勢いよく扉を開け放った。