XXXVI
町は依然として混乱の最中にあった。
街道では衛兵が死霊を食い止めているが、恐怖に混乱した人々は、われ先にと揉み合いになりながら逃げ惑っている。
それを、避難に当たっていた衛兵が町の外へと導いた。
門番が門を開け放つのと同時に、人々は一斉に町の外へと溢れ出る。
フェルディックは、彼らに少し遅れて門前まで来ていた。
「フェルディック?」
聞き覚えのある声に、ふと足を止める。
「ヘレン?」
フェルディックは後からやってきた人々の中に、ヘレンの姿を見止めた。彼女はダイモンと一緒だった。
「良かった。無事だったのね」
ヘレンはこちらへ駆けてくると、ほっと胸を撫で下ろした。
「……ん? お前さんだけか? あとの二人は?」
フェルディックがひとりなのを見て、ダイモンがいぶかしげな表情を浮かべる。
「二人は戦っています。……僕は、これからローデンハイムに行って、応援を呼びに行くつもりです」
「ねぇ。いったい、なにがどうなっているの? この町はこれからどうなるの?」
ヘレンは不安そうな瞳で、フェルディックを真っ直ぐに見つめた。
「それは……」
フェルディックは言葉を濁した。
なんて答えればいいのだろう。
「それから、神父様の姿も見えないの。あなたは教会へ行っていたのでしょう? 神父様は、無事なの?」
「……」
フェルディックは、彼女の問いに答えることができなかった。
彼女に真実を話すべきか、心に迷いが生じたからだ。
「……ねぇ? なんでなにも言ってくれないの?」
不安そうにこちらを見つめるヘレン。フェルディックは視線を落とし、彼女から目を背けた。
「ねぇ……、ねぇったら!」
ヘレンはフェルディックの服の袖をぎゅっと握り締め、強く揺さぶった。
「ヘレン!」
ダイモンが一喝する。ヘレンははっとして、袖を握る手の力を緩めた。
「やめなさい」
ダイモンは優しくヘレンに言い聞かせると、彼女の頭をそっと撫でた。
「すまない、この子もオレも、こんなことになって、ワケがわからなくなっているんだ」
「……ごめんなさい」
ヘレンはフェルディックから手を離し、俯き加減に謝った。それを見てフェルディックは、チクリと胸を痛めた。
「ううん、いいんだ。それより、早くここを離れよう」
街道では、衛兵たちが奮闘してはいるものの、敵の数に圧倒されてか、徐々に後退してきている。ここも、そう長くは持ちそうもない。
フェルディックは親子と合流し、町の外へ出た。
町の外に出ると、逃げ延びた人々が、困惑した表情でざわついていた。
これまで逃げるのに必死だったのだろう。彼らは自分たちの安全を確認すると、今度は身内や家の安否を心配し始める。
衛兵はとにかく落ち着くようにと、松明を振り回しながら声を張り上げていた。彼らも必死だ。
「どこへ行くの?」
親子を残してその場を去ろうとするフェルディックに、ヘレンが声を掛けてきた。
「ローデンハイムに行ってくる」
フェルディックは彼女らに背を向けたまま、答えた。
「でも、まだ仲間の人たちが中にいるのでしょう……?」
心配するヘレンの声に、フェルディックは、拳をぎゅっと握り締めた。
「コラ、彼にもやるべきことがあるんだ。引き留めちゃいけねぇ」
ダイモンの気遣いが、いまはありがたく思えた。
「スマンな。オレたちのことは気にするな。いってこい」
「……ありがとうございます」
フェルディックは感謝の言葉を言い残し、再び入口の門へと走り出す。馬小屋に行くためだ。
「――では、この町を封鎖するのですか?」
その途中、衛兵たちが気になることを話していたので、フェルディックはふと立ち止まり、彼らに近付いた。
「どうしたのですか」
「ん? お前……」
振り返り応えたのは、オスカーだった。
彼は衛兵に混じって、何か重要な話をしていたようだ。
「ここでなにをしている? ローデンハイムへ行くようにと言ったはずだぞ」
そう言うオスカーも、何故こんなところにいるのだろうか。街道に残ったはずじゃ……?
「馬を借りようと思って……。それより、町を封鎖するって?」
「聞いていたのか」
フェルディックが頷くと、オスカーがやれやれといった風に口を開いた。
「聞いた通りだ。奴らをこの町から出すわけにはゆかん。北と南の門を封鎖し、応援の到着までこの町を封鎖するのだ。夜が明ければ、奴らの動きも鈍くなるやもしれん」
言い終えるのと同時に、彼は衛兵の一人に「避難は済んだか?」と、確認を取り始める。
「いえ、それがまだ……」
衛兵は言葉を濁したが、駆けつけた別の衛兵が、避難が完了したことを告げた。
「よし、では兵を下がらせろ。門を閉じるぞ」
「は!」
オスカーが指示を出すと、衛兵たちは敏速に動いて各自の持ち場に着く。
彼も、引き続き指示を与えるため、この場を去ろうと歩きだした。
「……そうだ。アザレアさんは……?」
フェルディックの呟きに、オスカーが立ち止まる。
「彼は……スコットさんは、どうなったんですか?」
「……」
オスカーは背を向けたまま、何も言おうとはしない。どうして?
瞬間、導き出された答えにフェルディックは絶句した。
「……まさか……アザレアさんは……まだ中に……?」
「どこへ行く!」
駆け出すフェルディックを、オスカーが怒鳴り声で呼び止める。
「アザレアさんを助ける! まだ来てないってことは、何かあったに違いないんだ!」
「お前が行って何になる!」
オスカーの声がビリビリと鼓膜を揺さぶった。
立ち止まったフェルディックは、俯き、歯を食いしばって、拳を握り締めた。
「そんなの、分かってる。僕は――」
肩を震わせ、握った拳にさらに力を込めて、言った。
「だからって! このまま放ってなんかおけない! どのみち彼を捕まえなきゃ僕は死刑台の上に立たなきゃいけないんだ! 自分の命を人任せにして、ひとりだけ逃げ出すなんて……できるもんかッ!」
フェルディックは、背後で怒鳴るオスカーを無視して、一直線に門へと向かった。
※ ※ ※
呼び止めるオスカーの声も虚しく、フェルディックは門へと駆けて行く。
オスカーは、胸の内で舌打ちした。
――何なんだ、アイツは!
初めて会った時から、アイツの全てが気に食わなかった。
――そうだ。
アイツが現れてから、父上の立場は危うくなったのだ。
それに、アザレアもどこか様子が変だった。
彼女は昔から、他人と関わり合いになることを避けている節があった。なのに、アイツのやることにはやたらと干渉したがる。
いまも、危険と承知で独り戦っているのだ。
――何故だ?
どうして父上も、アザレアも、自ら進んで彼を救おうとする?
それほど価値のある存在だというのか?
あるいは、クロウスター・ブライアンという男は、それほどの借りを作ってこの世を去ったのか?
気に入らない。
気に入らないといえば、この自分もそうだ。
「クソッ!」
どうして私は走っているのだ。どうしてあんな奴を追いかけている!
「騎士殿! どこへ行かれるのですか!」
誰かに肩を掴まれて、振り返る。
切迫した表情の部隊長と、視線がぶつかった。
「私は中に残る!」
オスカーは、彼をキッと睨んで言った。
「ですが!」
「作戦通り、門は閉じるのだ!」
「正気じゃありません!」
「……だが、仲間を見捨てることはできない」
その一言に、部隊長は驚いて声を失った。
オスカーは肩に掛けられた彼の手をするりと抜けると、再び門に向かって駆け出した。
なにを熱くなっている。
朝まで待てば、死霊の動きは鈍くなるはずだ。
応援が到着すれば、敵を圧倒し、スコットを捕らえることも容易にできる。
アザレアも、それを承知した上であの場に残ると決断したのだ。
事件さえ解決すれば、アイツは助かる。
それで、彼女が犠牲になろうとも、彼女自身がそれを選んだのだ。
「あの馬鹿野郎ッ!」
オスカーは走りながら、ここにはいないフェルディックに向けて罵声を浴びせた。