XXXV
「気に入らないわね」
フェルディック達を見送った後、本来あるべき静寂を取り戻した教会でアザレアは言った。
敵が望んだこととはいえ、こうもあっさりとフェルディックたちを外に出してしまうとは、その態度が気に食わない。
「女だからといって、甘く見ていると痛い目をみるわよ」
アザレアは魔力で動かしている木の枝を見せつけるようにして威嚇する。
それに反して、スコットはただ嘲笑を浮かべているだけだった。
「甘く見てなどいませんよ。……もとより、私の目的はあなたです」
彼は不気味に口元を歪めて言った。
「あら、告白のつもり? 追い詰められた人間のすることはわからないわね。……それとも、美しくすぎるこの私が罪なのかしら」
「――あなたは人間ではありません」
スコットのその一言に、アザレアは眉をひそめた。
「そして、エルフでもありません。噂には聞いたことがあります。ローデンハイムには、人とエルフの間に生まれた魔女がいると」
「それがどうかしたのかしら」
アザレアは声を低くして言った。
こいつ……なにを企んでいるの……?
「それが重要なのですよ。普通の人間では、ミスティの魂を受け止めきれない。……別の人間の魂を無理に閉じこめても、反発してしまうのです」
「……」
「ですが、あなたは違う。エルフほど人間離れもしていなければ、人間ほど脆くもない」
ようやく読めてきた。こいつの目的は――。
「ミスティを再びこの世に呼び戻すために、あなたには器になって頂きます!」
まるで演説でもするかのように、教会内にスコットの声が響き渡った。
「善良な人間の振りをしながら、その魂はとっくの昔に悪魔に売り渡していたというわけね」
己の欲望のために、こいつは一体、これまで何人の女性を手にかけてきたのだろう。
加えて、望んでいるかもわからない魂を現世に呼び戻そうとしている。
「いいわ……。それなら、手加減する必要もない」
捕えることを考えていたが、もうその必要はなくなった。こいつを許すわけにはゆかない。
「私を相手にしたこと、後悔させてあげる」
「それは勇ましいことで――」
スコットが話しきるよりも早く、木の枝が先端を針のように尖らせて、次々と襲いかかる。
スコットは人間離れした跳躍力で、トン、トンと、壁から壁へ、飛び避けてゆく。
速い。――けどッ!
スコットが宙に飛んだ刹那、アザレアは魔力を集中させ、巨大な食虫植物を生み出した。俗にハエトリソウと呼ばれているそれは、二枚貝のような葉の内側に無数の棘を持っている、食虫植物の中でも特に凶悪な種類だ。
「――ッ!」
スコットが声を上げる間もなく、ばくりと食虫植物の口が閉じられる。
一瞬の出来事だった。
剣山のように無数の棘を持った葉に挟まれて、生きていられる保障はない。彼は全身に穴を開けて絶命したはずだ。
もっとも、鋼鉄処女のように急所が外れていれば、すぐには死に至らないが。
アザレアは「ふぅ」と息をついた。
――さすがに、魔力を消耗しすぎたようね。
全身がぐったりと重たく感じる。
ぱきりと耳元で小さな破裂音がした。
イヤリングにヒビが入ったようだ。増幅器に相当な負担をかけていたのか。
――あらら、これは爺様に怒られるわね。
などと、ホジュアの怒り顔を思い巡らせていた時だった。
じわじわと漂う冷気に違和感を覚え、アザレアは食虫植物に目をやった。
貝のように固く口を閉じた二枚の歯、その僅かな隙間から、冷気が漏れていた。
多量の冷気に辺りの空気は急激に冷えはじめる。その出処となっている食虫植物は、見る見るうちに、内側から凍り付いてゆく。
そして、氷漬けとなった食虫植物にヒビ割が入ると、次の瞬間、轟音と共に破裂した。
飛散した氷の破片から、アザレアは腕で身を守る。腕の隙間から前方の様子を窺うと、そこに信じられないものを見た。
「いやはや、危ないところでした」
落ち着いた口調で、肩を払うスコット。
ありえない――。彼は、無傷だった。
アザレアは「くっ」と息を漏らす。
動揺の色を見て取ったスコットが、嬉しそうに頬を吊り上げた。
「おや、どうされました? アァ、そうですか。どうして助かったのか理由がわからないと、そうですね?」
見下したような目。
「答えは、これです」
スコットが天井を指差すと、コツンと何か硬い物に当たる音がした。それをきっかけに、指先からスコットの足元にかけての空間に、ヒビが入った。
「まさか、氷?」
「ご名答。氷で作り上げた魔力障壁です」
ヒビが入ったことにより、はじめてその正体が明らかとなった。透明な氷を球体のように張り巡らせて、攻撃を防いだのか。
氷の魔力障壁はその役目を終えたかのように、粉々に砕け散った。
スコットは冷気の魔術も使うのか。思えば地下にあったあの部屋もそうだった。
「――では」
スコットがゆっくりと右手を上げる。彼の頭上で空気中の水分が結晶化し始める。
あれは氷柱だ。氷の魔術では初歩とされるものだが、彼の頭上で静止しているそれらの数は軽く二十を越えていた。長く生きてるが、こんな数は見たことがない。
先ほどのお返しというワケね。
「今度はこちらからゆきましょう」
すっと右手が下ろされた。氷柱がアザレア目掛けて飛来する。
「――ッ!」
次々と襲いくる氷柱。アザレアは軽い身のこなしで器用に避け、一本の柱を背に、身を隠す。
マズイわね……。あんなものひとつでも食らったら致命傷だわ。
身を潜めながら、アザレアは木の枝でスコットに攻撃を仕掛ける。
「無駄ですよ」
いつの間に張られたのか、木の枝は氷の魔力障壁によってはじかれた。
「その程度の攻撃では、この障壁を破ることはできません。もはや貴女に勝ち目はない。おとなしくミスティの器となるのです。そうすれば、私も手荒な真似をせずに済みます」
笑わせてくれるわね。誰が素直に負けを認めるものですか。
だが、このままでは勝ち目がないのも確かだ。
アザレアはスコットの様子を窺おうと、柱の影から顔を覗かせる。
その眼前を、ヒュッと氷柱が横切った。
アザレアは殆ど反射的に顔を引っ込めてそれを避けた。
危ないところだった。とはいえ、ここで篭城していても事態は進展しない。
木の枝が奴に通用しない以上、他に手を考えるしか――。
「いつまで隠れているつもりですか? そこでじっとしていも、貴女の不利は変わりませんよ」
悔しいが、スコットの言うとおり私の不利に変わりはない。
だが、一向に攻めてくる気配がないのは何故?
アザレアは思考を巡らせると、ふと笑みを浮かべた。
……そう。……なるほどね……。
「それもそうね」
アザレアは隠れるのをやめて、柱の影から姿を現すと、スコットと対峙した。
「おや、何のつもりです?」
「こういうつもりよ!」
言い放つと同時に、アザレアはスコットめがけて一直線に走り出す。
「なッ!」
予想外の行動に、スコットが一瞬、動揺を見せた。すかさず氷柱を発射させるが、アザレアの服の袖を裂いただけで、直撃はしない。
「ッ! だが私にはこの障壁が……!」
接近したアザレアに、スコットが言い放った。
「なら、これならどう?」
アザレアは、両腕に身に着けていた金属の腕輪をカシャンと擦り合わせ、火花を散らせた。きっかけがあればあとは簡単だ。増幅器の力を利用して、火花から爆発を起こす。
「なにィ! 炎だとォ……!」
スコットが驚愕の声を上げる。
「ハァアッ!」
さらにアザレアは魔力を注ぎ込む。灼熱の業火は、あっという間に氷の魔力障壁を溶かしてしまった。
たとえ魔力で強化したとて、氷は氷、溶かしてしまえばどうということはない。
「ローデンハイムの魔女を甘く見たようね。――このまま燃え尽きなさい!」
炎は渦を巻いて火柱となり、天井までも焼き焦がす。
スコットの衣服は一瞬にして灰と化し、その身も黒く焼き焦がしていった。
「ガァァアアアァァァアアァァアッ!」
身を焼かれる苦しみに耐え切れず、スコットは絶叫し、もがき苦しんだ。
やがてその声も途絶えると、ぷっつりと糸が切れたように、スコットは力を失い、膝を折ってその場に崩れ落ちた。
消え行く炎と共に、その命も完全に燃え尽きたのだ。
――終わった。
アザレアは黒焦げの死体を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
彼の敗因は、私を器とするところにあった。
器である私の肉体が傷つけば、彼の目的は果たせない。
柱の影に隠れたとき、アザレアを狙った氷柱が外れたのを見てピンときたのだ。
「悪いわね。これならまだ、串刺しになったほうが楽に死ねたかしら?」
まだ肩で息をしたままの状態で、アザレアは皮肉を言ってみる。勿論、返事など返ってこない。
イヤリングがまた鈍い音を立てると、役目を終えたように、砕け散った。
あらら……また爺様に怒られるわね……。
アザレアはやれやれと天井を仰いだ。
残る、気になることといえば、フェルディックとオスカーのことだ。
彼らは無事だろうか。町の様子は?
魔力を消耗しすぎたせいか、身体がぐったりと重い。とりあえず外に出ようと、ゆっくりと足を動かす。
「……!」
アザレアは背筋のぞくりとする思いで、足元を見やった。
……そんな……まさか……!
ありえない事態に声を上げることすらできなかった。
黒焦げの手が、がっちりとアザレアの足首を掴んで離さなかったのだ。
それまで沈黙していた骸骨兵の亡骸が、カタカタと震え始める。
「ヨウヤクツカマエマシタヨ」
黒焦げの死体が、喋った。咽喉まで焼かれてうまく発声できていない声が、余計に不気味だった。
「ッ! 離しなさい!」
アザレアは足を振りほどこうともがくが、強靭な握力で握られていて、ビクともしない。
はっとして周囲を見渡せば、骸骨兵はすでに復活を遂げていた。
――しまった!
はっとして振り返ろうとしたアザレアの後頭部に激痛が走り、一瞬、視界が白く染まる。
アザレアはうつ伏せに倒れていた。
うっすらとぼやけた視界のなかで、黒焦げの死体がずるずると身体を持ち上げる。
それを最後に、アザレアの意識は深い闇に落ちていった。