XXXIII
夕刻の教会本堂は、静寂に包まれていた。
ステンドグラスからはオレンジ色の光が差し込み、真紅の絨毯に十字のシルエットを作り出している。
入口の扉が開かれると、男がひとり、慣れた足取りで中へと入ってきた。
「おや?」
と、彼はふと歩みを止めた。祭壇の前に佇むフェルディックたちの姿を見止めたからだ。
「これはこれは、このような時間に訪問なされるとは……、教会に、何か御用ですか?」
スコットが、いつものように人の良い笑みを浮かべて言った。
「貴方に聞きたいことがある」
オスカーは一歩踏み出し、彼を見据える。その眼差しにただならぬ気配を感じたのか、スコットは眉根を寄せた。
「穏やかではありませんね。一体どういったご用件で?」
「どうもこうも、あなた……私に嘘をついたでしょう?」
そう言って微笑するアザレアも、オスカーに同じく彼を見る目は厳しい。
「嘘?」
よくわからないといった風に、スコットは答える。
「この町に魔術士はいないと、そう言ったわね?」
「……おや、そのことでしたか」
スコットは俯き目元に影を落とす。彼は僅かに頬を吊り上げて、含み笑いした。――アザレアは、それを見逃さなかった。
「やはり、心当たりがあるようね」
彼女は目を細め、声を低くする。
スコットは、大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐き出す。そして言った。
「はい。あれは嘘です」
言ってから、微笑んだ。
あまり素直に認めるので、こちらが驚いたくらいだ。
「どうして、嘘をついたのですか……?」
フェルディックは声を絞り出すようにして言った。
未だに信じられない思いだった。何故彼は嘘をついたのだろう。やっぱり、人攫いの犯人だからか?
「……」
彼は応じることなく、祭壇の十字架を見上げた。暫くして、彼はこちらに視線を戻すと、ゆっくりと口を開いた。
「いいでしょう。私も神に仕える身。神の御前で嘘を申すわけにはゆきません。――全て、お話しましょう」
「では、聞かせて貰おう。知っていることを全て、この教会の地下にあった部屋についてもだ」
オスカーの鋭い眼光が、スコットの眼を射抜く。だがスコットはそれに動じることもなく、視線を逸らすと、独り言のように言った。
「……そうですか。あの部屋に入りましたか……」
つまりそれは、彼が事件に関わっていると、肯定の意味を表していた。
だが、彼はヘレンを、僕を助けてくれたのだ。もしかして、あれは嘘だったのか?
僕が居合わせていなければヘレンを攫うつもりだったのだろうか。
彼が犯人であるにしても、昨夜の出来事はどうにも納得できない。だが、少なくともあの部屋の存在を認めた時点で、人攫いの犯人だと自白しているようなものだ。
一瞬のうちにさまざまな思いが頭の中を駆け巡る。しかし、どうあっても導き出される答えはひとつだけだった。
フェルディックは、ぐっと奥歯を噛み締める。
「あの部屋は一体何なのですか! どうして、攫われた女の人が氷漬けにされているんですか!」
無意識に声を張り上げていた。
「おやおや、困りましたね。一度にそんなに沢山質問をされては……。はてさて、これはどうしたものやら」
スコットは嘲るようにへらへらと笑う。何がそんなに可笑しいのだ。信じていたのに!
「答えなさい!」
アザレアの怒声が本堂に響き渡った。彼女はいつになく厳しい顔つきで、スコットを睨みつけていた。
スコットは沈黙する。
彼が口を閉ざすと、本堂はまたしんと静まり返った。
「これはこれは、見かけによらず恐い御方だ」
ふっと声を漏らし、彼は頬を吊り上げた。
「あの部屋は見ての通り、魂を失い、抜け殻となった肉体を保存しておくための部屋――。貴方にならそれくらい判ったはずです。ええその通り、彼女らをここに招き入れたのはこの私です」
「そんな……!」
スコットの告白に、フェルディックは愕然とした。
彼が事実を認めた途端、今度はそれを否定したい気持ちに襲われる。
「随分とあっさり認めるのだな。貴様……分かっているのか? 重罪だそ……。それとも……」
オスカーの口調も荒くなっていた。
「先ほども申し上げた通り、神の御前で嘘を申すわけにはゆきません……それに……」
スコットが言葉を切って、指を弾く。
教会本堂から廊下に続く二つ扉が同時に破られ、武装した骸骨兵たちが、待っていたかのようにぞろぞろと雪崩れ込んでくる。
十体はいるだろうか。一体いつの間に?
フェルディックたちは袋小路に追い詰められ、逃げ場を失った。
「お察しの通り、捕まる気などありませんよ」
「やはり、あなたが魔術士だったのね。しかも……教会の神父とあろうものが、死霊魔術士だったなんて、笑えない冗談ね」
アザレアは気丈に言い放つ。
「どうして……どうしてなんですか! あなたはお医者様だったはず、人の命の尊さは誰よりもよく知っているはずじゃないですか! それが、どうして……!」
すました表情のスコットに、フェルディックは込み上げた感情をそのままにぶつけた。
「……」
彼はどこか悲しそうな瞳で、フェルディックを見据えて言った。
「命の尊さか……。それは十分に理解しているつもりだよ。命は皆平等。だが、その価値は人々がそれぞれに決めることなのだよ」
どういう意味だろう。彼に一体何が……?
フェルディックはただ、吸い込まれるように彼の瞳を見続けていた。
「どうやら、話しても無駄のようだな」
オスカーがロングソードを引き抜き、両手持ちにして、脇に構える。
「下がっていろ」
彼は目で後退するよう指示してくる。
フェルディックは悔しさに奥歯を噛み締めるも、素直に後退した。
スコットがすっと右手を持ち上げる。
「やれ」
彼の右手が下ろされた。それを合図に、骸骨兵たちが一斉に襲い掛かってくる。
まずは一体、サーベルを持った骸骨兵が、長椅子を踏み台にジャンプ――オスカーに襲い掛かった。
オスカーはくるりと半時計周りに回転。サーベルの一撃を避けると、振り向きざま、骸骨兵の胴を横薙ぎに一閃した。
背骨を粉砕され、骸骨兵はがしゃりと崩れ落ちる。
オスカーは振り向きもせず、そのまま敵陣へと突撃した。
敵のサーベルをロングソードが弾き飛ばし、肩口からばっさりと、袈裟蹴りに骨ごと叩き割る。
左右から繰り出される斬撃を刀身で受け止め、強引に押し返すと続く回転斬りで二体もろとも首を刎ね飛ばした。
戦い慣れした彼の動きに骸骨兵たちはついていけず、次々と葬り去られていくのみだった。
――だが、油断はできない。
少し離れた位置から、弓兵がオスカーを狙っていた。
ぎりりと絞られた矢が放たれる直前――。突如として長椅子から伸びた木の枝に、弓兵は背骨を引っ張られ、放たれた矢は遥か上方へと飛んでいった。
アザレアの魔法だ。
彼女の操る木の枝は、鞭のようにしなり、弓兵たちを掴んでは放り投げる。
壁に激突した骸骨兵は、その衝撃に耐えきれずバラバラになった。
嵐のように激しい戦闘。だがそれも、長くは続かなかった。気付けば骸骨兵はその残骸だけを残し、沈黙。
残るはスコットただひとりとなっていた。
「大人しく投降しろ。でなければ、この場で死ぬことになるぞ」
未だ入り口から一歩も動かないスコットに、オスカーは剣の切っ先を突きつける。
「クク……。素晴らしい……。さすがはローデンハイムの騎士殿……この程度では相手にもなりませんか」
堪えきれないといった風に、スコットが咽喉奥から笑い声を漏らす。
「気に入らないわね。あなたのその態度」
アザレアが手首を捻ると、それに応じて長椅子から伸びた木の枝が蠢きだす。
その数は全部で五本、蛇がカエルを睨むように、スコットを威嚇した。
「さすがに、貴方がたを相手に私ひとりで戦うというのは、少々分が悪いようです。――ですが、これならどうでしょう」
スコットが再び指を弾く。
だが。
何も起こらない。
どういうことだ? ただのはったりか。
そう思った矢先、女の悲鳴が聞こえた。外からだ。
「貴様――、ナニをしたッ!」
オスカーが燃えるような眼でスコットに睨んでいた。
「今……町に死霊を解き放ちました。その数は今の比ではありません。……フフ、まもなく町はパニックに陥るでしょう。さて、何人死ぬのかな」
スコットは軽い口調で言う。まるで他人事だ。
「貴様ァッ!」
オスカーが唸りを上げてスコットに直進する。脇に構えた剣を横薙ぎに一閃するが、たやすく避けられてしまう。
たて続けに斬撃を打ち込んでいくが、それもむなしく空を斬った。
スコットは後方に飛び退き、大きく距離を取った。
そこへすかさず、アザレアの操る木の枝が襲い掛かかる。だがそれも、スコットに触れることなく、石床を抉るだけだった。
しかし、それだけでは終わらない。
スコットが避けることに集中しているその隙をついて、オスカーが再び斬り掛かる。
油断していたスコットは、一瞬、焦りを見せた。
だが、首を狙ったロングソードの刃を紙一重のところで避けると、また大きく飛び退いて、距離を取った。
「逃げてばかりいないで、正々堂々と戦え!」
避けるばかりで戦おうとしないスコットに、オスカーが苛立ちを見せ始める。
「おや、私は丸腰ですよ。卑怯なのはそちらでは?」
「それが死霊を操る者の言うことかッ!」
スコットの挑発に、オスカーは怒りを爆発させた。
「待ちなさい!」
冷静さを失いかけたオスカーを呼び止めたのは、アザレアだった。
「こいつの話が本当なら、町はパニックに陥るわ。そうなれば、死人がでるかもしれない。誰かが衛兵に知らせなければ――」
「その通りです、ミスアザレア。ここで私に構っていては、この町の人々がどうなるか」
そう言って、スコットはこちらの様子を窺っている。彼は試しているのか?
アザレアの言うように、このままでは町はパニックに陥るだろう。誰かが衛兵に知らせて、体制を整えなければいけない。
――だけど、それは罠だ。
このままスコットを放り出して、僕たちが出て行くはずがない。それは、彼も分かっているはずだ。
おそらく、彼の狙いは戦力の分散。三対一……いや、二対一では分が悪いと判断したのだろう。
「アザレアさん、僕が行きます」
フェルディックはアザレアを見て言った。
いま動けるのは僕しかいない。ここでじっと見ているよりは、役に立つはずだ。
「いいえ、あなたひとりでは駄目よ」
アザレアは意味ありげな視線をオスカーに投げ掛ける。彼はその意味を受け取ったのか、こくりと彼女に頷いた。
「いい? フェルディック、外に出ても、あなた一人では危険だわ。オスカーと二人で行くのよ」
「でも――」
それでは、スコットの思う壷だ。
「いいから! ここは私に任せなさい」
アザレアの強い意志を秘めた瞳に、フェルディックは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「それと、このことをローデンハイムにも知らせるの。いいわね」
アザレアはひとりでスコットと戦うつもりだ。たしかに彼女は強い。だけど、スコットのあの態度の裏には、何かある。
「フフ。早くしなければ間に合いませんよ。ああ、ほら。こうしている間にも、誰か一人くらいは死んだかも」
スコットは嘲笑い、こちらを挑発してくる。
アザレアは、オスカーに『早く行け』と目で合図した。
「アザレアさん!」
「大丈夫、ここは私に任せて、早く行きなさい」
フェルディックは込み上げる悔しさを噛み潰し、視線を斜めに落とした。
僕が、もっと強ければ――。もっと強ければ、危険と承知で彼女をひとり残すことはなかったのだ。
「……わかりました。アザレアさんも……気をつけてください」
「あら、私を誰だと思って?」
アザレアは、フェルディックに横目に不敵な笑みを浮かべる。
いまは、彼女を信じるしかない。
フェルディックはオスカーと目を合わせ、一直線に走り出す。走りながらスコットの様子を窺ったが、彼はにやと笑みを浮かべているだけで、動く気配はなかった。
入口の扉を開け、二人は外へ出た。




