XXXII
「だからって……、こっそり忍び込むことはないんじゃ――?」
昨夜、スコットに導かれた時と同じように、フェルディックたちは教会の裏口から中へと忍び込んだ。
スコットは、日の明るいうちは町の人々に顔を出すのが習慣となっている。と、ヘレンは言っていた。
たぶん、教会の維持費を徴収して回っているのだろう。
フェルディックたちは、先ほど教会からスコットが外出したのを確認して、行動を開始した。
時刻は丁度、町の広間にある日時計が正午を刺した頃だった。規則正しい生活を送る彼ならば、帰宅するのは夕刻近くになるだろう。
「そうは言っても、『中を調べさせてくれ』と言って、『はい、どうぞ』と素直に言うと思う? 私たちは、人攫いの悪党を相手にしているのよ」
アザレアが「ふふん」と、裏口の鍵をくるくると回しながら上機嫌に答える。
いつどこでどうやって手に入れたのか、追求するつもりはもうない。ただ――。
「でも、これじゃ、僕達のほうが……」
彼女の言うことは最もだが、まだスコットがそれと決まったわけではない。
そもそも、助けて貰った身で彼を疑うなど気が引ける。
「コソ泥みたいだ……か? だが、我々にはもう時間がないのだ。私とてこんな真似などしたくはないが、他ならぬお前のためなのだ。それを忘れるな」
オスカーに説法に、フェルディックは何も言い返せなかった。
「なにもなければ、それでいい」
そう告げてオスカーは、廊下に続く扉を開けると、ひとり部屋から出て行った。
「ふふ。ああは言っても、放ってはおけないのね」
「それは……任務だから、事件を解決しないと、彼のお父さんも……」
フェルディックは視線を逸らすように俯いた。
「それもそうね。けれど、あの子はあなたを助けようとしている。不器用な奴だけど、弱きを助ける騎士道はいつだって忘れない。それは、よく分かっているつもりよ」
いつになく優しい口調のアザレアに、フェルディックはふと顔を上げて彼女を見た。
「なにせ、生まれたときからずっと見てきていますもの。――人の成長って、早いものね。ついこの前までは、私にベッタリ甘えて離れなかったあの子が――」
ガチャリと扉が開かれた。オスカーがこちらを見て眉根を寄せる。
「なにをしている。ぐずぐずしている暇はないのだぞ」
二人は目を合わせる。
「それもそうね。行くわよ、フェルディック」
フェルディックは返事をして、先頭を歩く二人に続いた。
廊下に出たところで、胸ポケットのチゲがモゾモゾと動き出す。
「ムムムッ! これは!」
「……? どうかしたか、チゲ」
フェルディックが呼びかけると、チゲが胸ポケットから勢いよく飛び出した。
「ニオウ、ニオウでやスよォ……!」
腹底から声を出す。
「おいこら、勝手に飛び出すな! ……って、なにがにおうんだよ」
チゲは鼻をクンクンとさせながら、翼をはためかせる。
「コレは……女のニオイ……。こっちからでやス!」
「あ、おい! 待てって……!」
フェルディックの呼びかけにも応じず、チゲはひとり勝手にぴゅうと飛んでゆく。
「追いかけましょう」
アザレアの一声に、三人はチゲを追いかけた。
廊下を抜けて、祭壇のある本堂を横切る。反対側の廊下にまた入って、いくつか部屋を素通りした後、とある部屋の前で立ち止まる。
チゲはそこで鼻をクンクンとさせて、低く唸った。
「ここから臭うでやス」
「ここって……」
部屋の扉は他と同じ木造であったが、ここだけドアノブの飾りが豪華な造りになっていた。
フェルディックはこちらを見るアザレアの視線に頷いて応える。
「たぶん、スコットさんの部屋だと思います」
「入りましょう」
アザレアが早口に扉を開けた。
三人と一匹は、彼女に続いてぞろぞろと部屋に入って行く。
それは、一言で言ってしまえば、質素な部屋だった。
木製の机とベッド、それから本棚と、余分なものはなにもない。
「なにもないわね」
アザレアが呟く。その通り、あるとすれば、一人用の部屋にしては少し広めの空間と、本棚にびっしりと並んだ厚手の本くらいか。
「この部屋で間違いないのだな?」
オスカーがチゲを横目にして言う。
「ムゥ。失礼でやスね。この部屋に入ってからニオイは強くなってきてるでやスよ」
「なら、調べてみましょう。今はこの子の鼻をアテにするしかないのだから」
アザレアの言うように、魂の存在を感じられるのはチゲだけなのだ。においが強くなっているのなら、この部屋に、きっと何かがあるはずだ。
彼女は本棚から適当に本を抜き取って、さらさらと中身を流し読みする。
オスカーは机の引き出しを開けて、何か怪しいものはないかと調べ始める。
フェルディックとチゲは、ベッドを調べることにした。
薄暗いベッドの下を覗き見るが、床の上に薄っすらと埃がのっているくらいで、他に何かありそうな気配はない。
「ここにある書物は、医学書がほとんどね」
医学書と耳にして、フェルディックは立ち上がった。
「スコットさんは、神父になる前――お医者様をしていたんです」
彼女は「ふぅん」と鼻を鳴らし、手にしていた分厚い本をこちらに見えるようにして、突き出した。
「あとは、こんな感じの聖書ばかり、つまらないわね」
退屈そうに欠伸をすると、彼女は本を閉じた。
「せ……せせせ……せいしョォォォオオ?」
突然、チゲがガタガタと震えだす。いまにも飛び出しそうな目で聖書を凝視していた。
「あら」
何か思い当たることがあるのか、アザレアは細長い眉を吊り上げる。
「ふふふ。そういえば、チゲちゃんは悪魔だったわねぇ~」
彼女はわざとらしく微笑んだ。
そうだった。悪魔は神聖なものを嫌うのだ。
「私たちからすれば単なる本にしか過ぎないコレも、チゲちゃんからすれば凶器みたいなものですもの。可哀想だから、これは仕舞っておきましょうか」
アザレアは、分厚い本を本棚の空いた隙間に差し戻す。
チゲがほっと胸を撫で下ろした。
「まったく、聖書を持っているなんて、物騒なニンゲンでやス!」
安心すると、今度は腹が立ってきたらしい。
「そりゃ持っているだろうさ。だってここ、教会だし」
当たり前だろ、といった風にフェルディックは言った。なぜかそれをきっかけに、しんと静まり返る。
「キョ……キョウカイ……?」
ぽつりと言うチゲの声は、震えていた。
「あらあら」
アザレアの思わせぶりな声に、フェルディックとオスカーは彼女に注目した。
「忘れていたわ。教会は神聖な場所だから、悪魔のような邪悪な存在は入ることすら難しいはずよ」
「……あれ、でも……入ってますよね……?」
「そうね」
「入ったときって、どうなるんですか……?」
「う~ん。そうねぇ。……神聖な光に焼かれて、蒸発するかもしれないわねえ」
何故か嬉しそうに笑みをたたえるアザレアに、一同は再び沈黙する。
「イ……」
顔面蒼白のチゲが、カタカタと歯を鳴らし始める。
「イギァァァアァアァアッ!」
絶叫したかと思うと、次の瞬間には暴れ回って、部屋のあちこちにぶつかってはまるで球のように跳ね返る。
「お、おいチゲ、落ち着けって……!」
とは言うものの、飛び回るチゲが速すぎて、止められそうになかった。
「ギィヤァァアァァアアァアアァッ!」
チゲはそのまま猛スピードで本棚に衝突する。
あぁ……言わんこっちゃない。
べちゃりと本に張り付いたまま気を失ったチゲ。ひらひらと地面に落ちてゆく。
――カチ。
その時、何かがはまるような音がした。
何かと思って見てみれば、チゲのぶつかった本が、本棚の奥へと凹んでいた。それは、あるはずのない空間だった。
「これは――」
「何かのスイッチのようだな」
オスカーが言った。彼は、凹んだ本と同じ段に並べられた本を指でなぞってゆく。
「同じものが、ここにもある」
先ほど凹んだ本と対象となる位置に、全く同じものがもう一冊あった。
オスカーがそれを押し込むと、先ほどと同じく、カチッと小耳良い音がした。
歯車の回るような音と同時に、隣の本棚がごろごろと動き出す。部屋の角にぶつかって止まると、隙間なく並べられた二つの本棚の間に、空間ができていた。
地下通路……?
開けた空間には、下り階段が、暗闇の奥へと伸びていた。
それをフェルディックはぽかんと口を開けて見ていた。
「大当たり。ってところかしら」
アザレアは口元に指を当て、ニヤと微笑む。
この先には何が? スコットは……彼は一体、何のためにこんなものを?
「ゆくぞ」
「待って」
先へ進もうとするオスカーを、アザレアが制した。
「灯りが必要ね」
「それなら、僕が――。って、あれ? ……あ、そっか……」
フェルディックは、リコから貰った石を取り出してからはたと気付く。
薄っすらと紅く透き通る石には、鋭く尖った歯が埋め込まれいる。見たことのない文字が、何かの模様のように刻み込まれていた。
すっかり忘れていた。ホジュアから手渡された時に、もう光らないのだと聞かされていたのだった。
「爺様の研究品ね。それは仕舞っておきなさい」
アザレアに言われて、フェルディックは石をポケットに納めた。
「これを使いましょう」
彼女は机の上に置かれていたランプを手に、ぱちんと指を弾く。――ランプに火が灯った。
「さあ、行きましょう」
意気揚々と歩を進めるアザレアを先頭に、フェルディックたちは地下階段を下りて行くことにした。
「……あ」
階段を前にして、フェルディックはふと立ち止まる。床に伸びているチゲを素早く拾い上げ、胸ポケットに入れた。
大きな石のブロックで補強された地下道は、教会の地下とは思えぬ異様な雰囲気が漂っていた。
何を意図して造られたのか。少なくとも良い予感はしない。
「おかしいわね」
アザレアが呟く。
「何がおかしいんですか?」
「見たところ、最近造られたようだけど……、そんな話、誰からも聞かなかったわ。これだけの地下道を造るなら、かなりの人手が必要になるはずよ」
「それじゃあ……どうやって?」
「さて、どうかしらね。……それはそうと、少し冷えるわね」
そう言って腕をさするアザレア。言われてみれば、たしかに寒い。地下の冷えた空気とはまた別の、冷気のようなものを感じる。
奥へ進むと同時に空気はさらに冷え込んでいった。吐く息も白くなる。
妙だ。いくら地下の空気が冷たいといっても、この寒さは尋常ではない。まるで真冬の寒さじゃないか。
「どうやら、原因はこの部屋のようね」
アザレアがランプを掲げると、氷漬けの扉が浮かび上がった。一本筋の地下道は、この扉を前に終わりを告げている。
「扉が……凍ってる……?」
フェルディックは唖然とした。
「正確には、中の冷気が外に漏れている……ってところかしら。ほらここ、見てみなさい。扉の隙間から冷気が漏れてるわ。この分だと部屋の中は氷漬けね」
彼女はドアノブに伸ばしかけた手を、ぴたりと止めた。
「素手じゃ怪我するわね。オスカー、あなたが開けて」
オスカーは頷くと、グローブを嵌めた手でドアノブを握った。
「開けるぞ」
扉が開かれる。
冷気の波がどっと押し寄せてきた。
この部屋には、一体何が……。
フェルディックはごくり唾を飲み込んだ。
三人は部屋の中へと足を踏み入れる。
案の定、部屋の中は真っ暗だった。
ランプに照らされて見えたのは、石造の机くらいだ。たぶん、凍結しないように石で造られているのだろう。その上には、ホジュアの部屋で見たようなビーカーやフラスコに、色の濃い液体が注がれていた。
「これじゃ、調べるのにも一苦労だ」
「待って、部屋の中なら、明かりになるものがあるはずよ。――あれね」
アザレアの声がした後、指を弾く音がした。
壁の松明に炎が灯る。途端に明るくなったので、目がくらんだ。
「――これは!」
視界が戻るや否や、フェルディックはあるものに目が釘付けとなった。
綺麗な長方形に削られた氷の柱が、部屋の両脇にずらりと並んでいた。
そして、柱の中には女性たちが――まるで彫刻のようにじっと目を瞑ったまま、氷の中に閉じ込められていた。
柱の数を全部合わせると、十になるか。
「作り物にしては、出来が良すぎるわね」
アザレアがその内の一体を眺めながら言った。
「これを見てみろ」
オスカーの声に、二人は一体の女性像の前に集まる。白のコットに、茶色の長い髪をした女性だった。
彼はポケットから布切れを取り出し、像を前にしゃがみ込む。
「間違いないようだ」
女性像のスカートは、一部破けている箇所があった。
「じゃあ……これって……、この人は――」
「消えたアンナって娘に間違いなさそうね」
そんな……一体何故こんなことに……。
「この人は、死んでいるんですか?」
「わからないわ。ただ、もし生きているのなら、迂闊に出すわけにはいかないわ。下手に蘇生しようものなら、私たちが殺してしまうかも――」
「――不思議でやスねぇ。このニンゲンからは魂のニオイを感じないでやス」
いつ間にポケットから出たのか、チゲが中を覗きこむように見て唸る。
「どういうことだ、チゲ」
「ムムゥ……。あっしにもサッパリでやス……」
腕組みするチゲを他所に、アザレアが「なるほどね」と、納得したように吐息を漏らす。
「魂を失えば、肉体はただの抜け殻、それを保存しておくために、氷漬けにしているようね」
「一体、何のためにですか?」
「さあね。それは私にもサッパリだわ」
彼女は肩を竦めてみせた。
「捕まえて、直接聞くしかあるまい」
オスカーが言った。声こそは落ち着いているものの、その瞳には怒りの感情を宿していた。
「あ、そうだ!」
フェルディックは重要なことを思い出す。
「チゲ、盗まれた魂はどこにあるか、わかるか?」
「フフフフフ……そいつを待っていたでやスよォ……。さっきからビンビンきてるでやス!」
こっちでやス、と部屋の奥へ飛んで行くチゲ。三人はそれを追いかけた。
「な、なんだ、これ……?」
部屋の奥。突き当たりと壁と床に、大きな円形の模様が二つ描かれていた。
「魔方陣ね」
アザレアが言った。
「魔方陣?」
「魔法を使った、大掛かりな仕掛けのことよ。見て――、この魔方陣、ただの魔方陣とは違うわ。黒ずんでわかりにくいけど……これは動物の血で描かれている」
「おい、あれがそうではないのか」
オスカーの指差す先――魔方陣の中央に、薄っすらと蒼い光を放つ小瓶が置いてあった。
瓶はコルクの蓋で閉じられており、蒼い光はその中に閉じ込められているように見えた。
「クンクン……。そうでやス。あれが魂で間違いないでやス」
てっきり魂は人の目に見えないものだと思っていたが、そうではなかったらしい。
「よし、それならすぐに持って帰ろう」
理由を考えるのは後だ。フェルディックは魔方陣の中へと足を踏み入れる。
「待ちなさい!」
アザレアの呼び止める声がした。
「――え?」
振り返ろうとした瞬間、魔方陣の上に乗せた足から、ぱぁんとはじけるような音がして、フェルディックの足裏に激痛が走った。
「うわぁ!」
反射的に飛び退いて尻餅をつく。靴底が焦げたらしく、ぷすぷすと黒い煙が立ち昇っていた。
「だから待てと言ったでしょう」
アザレアが、呆れた様子でフェルディックを見下ろしていた。
もう少し……早く言って下さい……。
胸の内で苦言を漏らしつつ、フェルディックは立ち上がる。
「この二つ魔方陣で強力な結界を張っているようね。……こんなもの、はじめて見たわ。これを描いた魔術士は、かなり頭のきれる奴かもね」
「関心している場合ではない」
オスカーが冷ややかな目線をアザレアに向ける。
「どうやってこれを持ち出す?」
そうだ、せっかく見つけた魂なのだ。このまま指を加えて見ているつもりはない。
「そうは言ってもね……。私ではこの魔法陣を解くことはできないわ。あの爺様なら、どうにかできるかもしれないけれど」
自分には無理だと、アザレアはさじを投げた。
「そんな……!」
「だけど、諦めるにはまだ早いわ。この陣を描いた人物なら、解くこともできるはず。私達の目的は、もとよりその人物を捕まえることでしょう?」
できればここで魂を手に入れたいところだが、それが無理なら仕方がない。
フェルディックは彼女の案に従うことにした。
「フム。ならば、あとは直接本人に訊くしかあるまい」
オスカーも異存はないようだ。
この教会の主は、なぜ女性ばかりを攫い、冥界から魂を奪ったのか?
オスカーの言うように、あとは直接本人に訊くしかないだろう。
フェルディックは決心した目でオスカーを見ると、力強く頷いた。