XXXI
翌朝、宿に戻ってきたフェルディックを待っていたのは、珍しく感情的なアザレアだった。
「フェルディック、あなたいったい、いままでどこへ行ってたの!」
「え、えっと……、その――」
「ヘレン! ヘレンがいないんだ! どこへ行ったか知らないか!」
大声がしたかと思うと、どたどたと二階から駆け下りてきたダイモンが、フェルディックの両肩を鷲づかみにする。
「ヘ、ヘレンなら……!」
彼の物凄い形相に、フェルディックは思わず仰け反って、上擦った声を上げる。
「お父さん!」
フェルディックの背中からヘレンが飛び出す。彼女は、ダイモンに駆け寄ると、そのまま彼の厚い胸板に抱き付いた。
「おぉ、ヘレン……! 良かった! 無事だったんだなァ!」
彼は軽々とヘレンを抱き上げると、嬉しそうに愛娘の頭を撫でた。
「お、お父さん、恥ずかしいから、降ろしてよお」
ヘレンが恥ずかしそうに頬を紅潮させる。
フェルディックは親子の再会に、ふと笑みを零した。
「さあて……」
腹底から響き渡るような声に、フェルディックはぎくりと頬を引きつらせ、ゆっくりと首を巡らした。
「これは一体どういうことかしら……?」
「ア、アザレアさん……?」
何故か彼女は瞳をギラつかせ、コキコキと拳を鳴らしながら、フェルディックに迫ってくる。
「二人でこっそり宿を抜け出して、なにをしてたのかしらねぇ?」
あ、あれ? もしかして、何か勘違いしてる?
「え、えっと、その……、これには理由が……!」
「問答無用ッ!」
「え? わわっ! ちょ、ちょっと! ま、待って下さ――、わぁぁぁぁああッ!」
「――と、いう理由なんです……」
フェルディックは昨夜の一連の出来事を話し終えると、トホホとうなだれる。
宿の一階で、フェルディックたちはカウンターに並んで座っていた。
「なるほどね。理由はわかったわ。けれど、もうひとりで無茶な真似はしないこと。いいわね?」
「は――、はい!」
フェルディックは背筋をピンを伸ばして答えた。アザレアを怒らせてはいけない。先ほど、それを嫌というほど思い知らされたからだ。
何があったか?
……おそろしくて言えない。
「だがよォ。お前さんのおかげで、また娘の命を助けてもらったんだ。オレとしちゃあ、感謝してもしたりねぇぜ。ありがとよ」
ダイモンが、ニカッと気前の良い笑顔で、礼を告げた。
「そ、そんな……。僕はただ、必死だっただけで……」
「ハッハッハ! そう照れるこたァないぜ。……なんなら、ウチの娘を嫁にくれてやってもいいぜ? お前さんになら、安心して預けられそうだ」
ダイモンの突拍子もない発言に、フェルディックは頬を紅潮させる。
「お、お父さん! 勝手なことを言わないで!」
へレンが顔を真っ赤にして言う。
「そうそう。この子はまだ見習いですもの。女性を守る騎士にしては、未熟すぎてよ」
アザレアはつんとしながらカップの紅茶を口に運ぶ。
「その通りだ。実力の伴わない勇気など、無謀でしかない。助かったのが不思議なくらいだ」
相変わらずの冷たい物言いで、オスカーも彼女に続けて、追い討ちを掛けてきた。
なにもそこまで……。
「けれど、その話によれば、あのアンナという子が消えた時と、まるで同じだと思わなくて?」
カップを置いたアザレアは、先ほどまでの雰囲気とは一転、真剣な表情で話し始める。
フェルディックとオスカーはそれに黙って頷いた。
「ヘレン。あなた、昨夜記憶が無くなる前のこと、憶えてる?」
「ええと、たしか昨日は……」
へレンは「ううん」と唸ってから、何か思い出したらしく、声を張り上げて言った。
「そうだわ! 昨日、眠ろうとベッドの中に入って、うとうとしていたら、誰かが私の部屋の窓に小石を投げてきたの。それで、誰だろうと思って窓を開けて外を覗いてみてみたのだけれど……」
そこで言葉が途切れた。彼女は記憶の糸を辿るように、視線を斜めに落とした。
「ごめんなさい。そこからは何も思い出せないわ」
「いいえ、十分よ。ありがとう。……さてと――」
アザレアは立ち上がる。
「行くわよ」
「行くって……どこに……?」
「決まっているでしょう。死者が蘇ったというその場所へよ。フェルディック、案内してくれるかしら?」
何故か嬉しそうに微笑むアザレア。事態の進展に心高ぶると言ったところか。
フェルディックは胸にどんと手を当てて言った。
「はい! 任せて下さい、場所は――」
「――ここの……はず……なんですけど……」
フェルディックは眼前の光景に唖然としていた。
教会の墓地は、先日の夕刻――ヘレンと来た時と同じように、静寂に包まれていた。
死者もいなければ、蘇った形跡などまるで見当たらない。昨夜の出来事などまるで無かったかのようだ。
「そんな……。たしかにここで襲われたはずなんだ……」
悪い夢でも見ていたのだろうか。いや、そんなはずはない。
あの時、ヘレンもスコットも一緒にいたのだ。僕の勘違いでないとすると、これは一体どういうことだろうか。
「そう……なるほどね。これが死者が蘇るという事件の真相ってわけね」
ひとり納得したようにアザレアは呟く。彼女はいたって冷静だ。
「死者が蘇るのは本当だった。けれどそれは夜の間だけ。朝になればご覧の通り、その痕跡などまるで残ってはいない。大きな騒ぎになることなく、噂程度に収まっていたのはそのせいね」
オスカーは彼女の話しを他所に、墓前の前にしゃがみこみ、土をすくい上げる。何かを確かめているかのようだった。
それから、彼は墓石の脇に何かを発見したらしく、それを拾い上げると、立ち上がってこちらに見せた。
「それって……」
破れた白い布切れだった。確か、消えたアンナという娘が着ていたのは、白のコットだったはずだ。
「まさか――」
オスカーがこちらを見て、頷く。
「痕跡なら残っている。土もまだ軟らかいし、これがなによりの証拠だ」
「それじゃあ……」
「アンナという子も、ここで消えたのに間違いなさそうね」
フェルディックの言いかけた言葉を、アザレアが引き継いだ。
消息を絶った女性たちは皆ここに連れてこられたのだろうか。まさか、彼女たちは亡者の餌食に?
フェルディックは自分の考えに気分を悪くした。しかし、すぐにそれは違うと考えを改める。
亡者たちに、痕跡を消せるほどの知能は残されていなかったはずだ。彼らは皆なにかを求めて彷徨っているようだった。事実この目で見てきたのだから、間違いない。
「でも……、これはたぶん、彼らのしたことじゃない」
フェルディックは、静寂に包まれた墓地の風景に視線を泳がせた。確信はないが、声にすると妙に納得したような気持ちになった。
「そうね。亡者に人を操る高等魔術が使えるはずないもの。――と、なると。まず一番に怪しいのは……」
アザレアの視線は教会へと向けられた。
あの時は暗くてよく分からなかったが、レンガ張りの建物の脇には、いまははっきりと裏口の扉が見て取れた。
「調べてみる必要がありそうね」
アザレアは嬉しそうに頬を吊り上げて言った。