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教会ではまれに旅人を泊めることがあるそうだ。ただ、お金が無く宿に泊まれない者や、突然の病に倒れた者などに限り、誰でもというわけではないらしい。
そのどれにも当てはまらない特別に特別な事情により、フェルディックはいま――、質素な部屋のベッドで、仰向けになって寝転んでいた。
まだ興奮が冷め切らない。フェルディックは、亡者に襲われた時のことを考えていた。
あの時、僕は剣を抜くことを躊躇った。抜いたところで、僕の力じゃどうにもならなかったのかもしれない。結果的に助かったとはいえ、己の無力さに悔しさが残る。
なんとなく身体を横に倒し、じっと壁を見つめた。
壁の向こうにはヘレンがいる。もう眠ったかな。なんて、どうでもいいことを考える。
「……」
目を閉じてみたが、眠れない。
フェルディックは、むくりと起き上がった。
教会の中をあてもなく歩いていたフェルディックだったが、あるものが目に留まって、不意に足を止めた。
視線の先には、祭壇に祈りを捧げるスコットの姿があった。
彼は跪いて、神に祈りを捧げていた。
祭壇には大きな十字架が。その後ろ、ステンドグラスには、雲の上から光を放つ神の姿が描かれていた。
ステンドグラスから差し込む月の光に、スコットは包まれるようにしていた。その姿は、まるで神が信仰者に祝福の光を与えているかのようにも見えた。
フェルディックがその神秘的な光景に目を奪われていると、彼はこちらに気付いたらしく、「おや」と祈りを止めて、立ち上がった。
「眠れないのですか?」
スコットが微笑み掛けてくる。
「ごめんなさい。祈りの邪魔をしてしまって」
「そのようなことはありません。……実は、私も眠れなくて、それに――」
彼はステンドグラスに視線を馳せる。
「こうして祈りを捧げていれば、彼らの魂もまた、安らかな眠りにつけるのではないかと、そう思いましてね」
死者に対する慈悲の心なのだろうか。亡者となって彷徨い歩く死者を見て、彼は何を思ったのだろう。
スコットはこちらに視線を戻すと「少し、話をしませんか」と、微笑した。
訪問者用に並べられた長椅子のうちのひとつに、二人は並んで座った。
「私は昔――、医者をしていました」
「え?」
突然の告白に、フェルディックは驚いてスコットの顔を凝視した。
「そんなに驚きましたか?」
「あ……はい。その、予想外というか、全く想像できなかったというか……。あっ! そういう意味じゃなくて……!」
神父と医者は、人を救うという点では同じだが、その過程がまるで正反対だ。
前者は奇跡の力で人を触れずして癒す。後者は薬を処方したり、直に傷の手当てをする。
その過程の違いによって、人を救うという結果は同じなれど、両者は互いに互いを嫌っているのだ。
フェルディックの慌てる姿を見て、スコットが「ははは」と声を上げて笑った。
「構いませんよ。それだけ、この職が板についてきたということでしょう」
「あは……あははは……はぁ」
溜め息をつくフェルディックを他所に、スコットは話を続ける。
「医者をしていた頃、私には妻がいました」
彼は懐かしむような、それでいてどこか悲しそうな表情で、ステンドグラスを見上げて、言った。
「彼女は、ミスティは私の妻であり、優秀な助手でもありました。……三年前、この町で流行り病があったのはご存知ですか?」
「はい。……それと、ヘレンからも、聞きました……」
確か、三年前の疫病で、スコットは妻を亡くしたのだ。
「そうでしたか」
ふっと笑みを浮かべて、俯くスコット。
「私達は……、無力でした……」
ぽつり、と彼は言った。
当時のことを思い出しているのだろうか。
彼は続ける。
「若い娘たちが、次々と病に倒れてゆきました。私たち夫婦は、朝から晩まで、町中を駆け回り、家に帰れば明け方近くまで、治療法を見つけるために、部屋に閉じこもっては研究を続けました。しかし、私たちの努力は報われることなく、どれひとつとして効果はありませんでした。……結局、彼女たちを救うことはできず、ミスティも病に倒れ……死にました」
「……」
「私は知りました。例えどのような名医であろうと、所詮はイタチごっこに過ぎないのだと。新しい治療法が発見されれば、また未知の病が流行る。これに終わりはないのです。――それから、私は医者を辞めました。アテを無くした私は、救いを求めて神に祈ることにしました。何故そうしようと思ったのか、それは私にもわかりません。ただ、いまにして思えば、祈ることで、私が救えなかった命に……ミスティに……、許しを請おうとしていたのかもしれません」
三年前の疫病は、いまもなお人々の心を蝕み、縛り続けている。
フェルディックは、スコットから顔を背けた。彼の顔を見ているのが辛くなったからだ。
「申し訳ありません。このようなつもりではなかったのですが……。少々、暗くなってしまいましたね」
重たい雰囲気を紛らすかのように、スコットがこちらに笑顔を投げ掛ける。
「ですが、聞いて頂いて、すっきりとしました。なにせ、このような身分ですから、人の話は聞けど、聞いて貰うことは無いものでして……。ありがとう、フェルディック君」
「いえ、そんな」
「君と会えて良かった。――ですが、君は……、君にとっては、この町に来るべきではなかったのかも――」
「……?」
スコットは立ち上がる。
「さて、私はもう眠るとしましょう。君も、あまり遅くまで起きていてはいけませんよ。――では」
彼は身を翻し、フェルディックが来たのとは逆の方向に姿を消した。自室に戻って行ったのだろう。
――この町に来るべきではなかった。
……か。
フェルディックは暫くの間、ぼんやりとステンドグラスを眺めていた。