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Nightmare Knight  作者: tillé.o.fish
第七章 The lost soul.(失われた魂)
29/41

XXIX

 その日の夜。

 皆が寝静まったころ、フェルディックは宿の外に出ていた。

「ウゥゥゥゥ……モ、モウ、漏れるでやス……!」

「あぁ、もう、まったく……。はやくしろよ」

 フェルディックは呆れ顔で、草むらの中へ消えて行くチゲを見送ると、星空を見上げた。

 綺麗な丸い月が輝いている。あと二日もすれば綺麗な満月が見れそうだ。

 ――それにしても、悪魔も小便がしたくなるんだな……。

 ――ん、まてよ。

 ――そもそも、あいつって水分取ってたっけ……?

「フゥゥ~。スッキリしたでやスゥ~」

 草むらから出てきたチゲが、爽快な笑顔で近寄ってくる。そのままポケットに戻ろうとするチゲを、フェルディックは「ちょっと待て」と、手で制した。

「……? なんでやスか?」

「お前、手は洗ったのか? ……ついでに、下半身もだ」

「……」

 チゲが小首を傾げる。そして、何食わぬ顔でポケットの中へ戻ろうとする。

「ダメだ! ダメダメ! こらッ! ポケットに入るな! おいッ!」

 フェルディックは怒鳴りつつ、チゲをポケットに入れまいと避け続けた。

「ムムム……。どうしてでやスか!」

 チゲが頭に血を上らせる。

「どうしてって……。汚いからだよ」

「――ガーンッ!」

 大げさな反応をするチゲ。というか、どうやったらそんなに顎が外れるんだ?

 チゲはそのまま、へなへなと地上に落下して行くと、今度はぐりぐりと指先で土をこねくりまわして、いじけだす。

「そうでやスか……。あっしは汚い生き物でやスか……」

「あぁ……いや、そうじゃなくって……」

 あぁ、もう、なんだかなぁ……。

 チゲが、潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。

「なら、外に出たままついて行ってもイイんでやスか……?」

「それは困る」

 キッパリと言ってやった。

「――んガッ!」

 チゲは白目を剥いて、顎を外した。

「じゃ、じゃあ、あっしはどうしたらァァァッ!」

 涙を滝のように流しながら、腰をクネクネと踊らす姿に、フェルディックは思わず仰け反った。

 め……面倒なやつだなあ……。

「たしか……、宿の近くに井戸があったはずだ。そこで洗っていこう。その後なら、ポケットに戻っていいからさ」

 そういうわけで、井戸まで歩いて行くことにした。

 井戸の水を汲み上げ、勢いよくチゲの頭にぶっかける。絶句しながら、ぶるぶると震えるチゲの姿を見ると、なんだか気分も晴れてきた。

 気持ちに余裕ができると、なんだか可哀想になってきたので、チゲの身体を上着の裾で拭いてやった。

 それから、チゲを胸ポケットに入れて、宿に戻ろうとした時のことだ。

 灯りの消えた宿から、静かに扉を開けて出てくる人影が目に入った。

 あれは――。

「ヘレン?」

 暗闇の中、月明かりを頼りにうっすらとしか見えなかったが、背格好からしてあれはヘレンに間違いない。

 どこへ行くのだろうか。こんな時間に。

 彼女はふらふらと、まるでなにかに導かれるように歩いて行く。

 明らかに様子が変だった。嫌な予感がする。

「ヘレン!」

 今度は思い切って、大声で彼女の名を呼んでみた。

 ――だが。

 彼女は振り返ることもせず、闇夜に吸い込まれるように消えてゆく。

「まさか……!」

 心臓が跳ね上がる。フェルディックは、背筋のぞっとする思いで、ヘレンを追いかけた。

「――ッ!」

 と、宿屋の前で、急に足を止める。

 アザレアやオスカーに知らせるべきだろうか?

 フェルディックはヘレンの姿を目で追った。

 駄目だ、これ以上離れると見失ってしまう。

 迷っている暇は――ない!

 フェルディックはふっきるように宿屋に背けると、ヘレンの後を追って、駆け出した。

「ヘレン! ――ヘレン!」

 彼女には、僕の聞こえていないのか?

 もう少しで手が届くといったところで、彼女は、すうっと闇に溶けるように、道を左に曲がった。

 それを見失うまいと、フェルディックもすぐに曲がって、彼女に接近する。――はずだった。

「そんな!」

 ヘレンは目の前を歩いていたはずなのに、手が届きそうな距離にいたのに、どうしてあんな遠くにいるのだろう。

 歩いている彼女を、走って追いかけているのに、その距離は縮まるどころか、どんどん離されてゆく。

 何かが、おかしい。

 ――これも魔術士の仕業なのか?

 アザレアとの会話を思い出す。

 息を切らせながらも、必死に彼女を追い続け、ようやく辿り着いたのは、教会裏の墓地だった。

「ヘレン!」

 彼女は墓地のど真ん中で、呆然と立ち尽くしていた。

 フェルディックは、ヘレンの肩に手をかけて、こちらに振り向かせた。

「――……あれ……フェルディック……?」

 どうしたの? といった風に、彼女はきょとんとした目でフェルディックを見た。

「……あれ? わたし……。ここは……? なんで? どうしてわたし、こんなところに……」

 彼女はキョロキョロと辺りを見回す。

「なにも、覚えてないの?」

「……?」

 彼女は疑問符の含んだ瞳で、見返してくる。

 自分の身に何が起こったのか、全く覚えていないようだ。

「とにかく宿に帰ろう。――なんだか、嫌な予感がする……」

 人気ひとけのない夜の墓地は、それだけで気味が悪い。

 それに加えて、何か――、妙な違和感がしたのだ。

 フェルディックは胸を締め付けられるような感覚がして、辺りの様子を探るように見渡した。

 違和感の正体は、静寂だった。虫の音もないほどの静寂。無音――。今は二人の息遣いしか聞こえない。

「なんだか……いつもと違う気がする。わたし……、少し怖い」

 ヘレンの声は、かすかに震えていた。

 たぶん、僕と同じことを感じ取ったのだろう。

 とにかく、いまは一刻も早くここを立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。

 フェルディックはヘレンの手を取り、一歩踏み出す。

 だが――。

 どこからともなく、何者かがうめいているような声が聞こえて、足を止めた。

 それもひとつではない。たくさんの、亡者の悶え苦しむような声が、墓地にこだまする。

 胸ポケットがカタカタと震えた。チゲも異変に気付いたのか。

「ア、アニキィ……こいつはマズいでやスよォ……!」

 それくらいわかっている。

 早くここを去らねばと思いながらも、迂闊に動くことができないでいるのだ。

 ――カエセェ……。

 呻き声から、かすかに意味のある言葉が聞き取れた。

「フェルディック……!」

 ヘレンが、ぎゅっと手を握りしめてくる。

 ――カエセェ……。

 まただ。

 今度は別の方向から聞こえてきた。彼らは何を返せと言っているのだ?

 耳を凝らせば、女性の声のようにも思えた。

 だが、今はそんなことを考えている余裕などない。

「……ここにいちゃ駄目だ。行こう!」

 フェルディックは思い切って、墓地から出ようと、ヘレンの手を引いて走り出す。

 どぼん、と――。勢いよく、地中から腕が突き出した。

「わぁぁっ!」

 情けなく悲鳴を上げて、フェルディックは急停止した。

 背後から「どうしたの?」と、ヘレンが顔を覗かせ、小さく悲鳴を上げる。

「――……カエセェ……――」

 今度は、はっきりと聞こえた。地中に埋まっていたはずの死者が桶を破り、いま目の前で土を掻き分け、亡者となってその姿を現し始める。

「そ……そんな……ッ!」

 死んだはずの人間が蘇るなんて……!

 フェルディックはヘレンを守るようにしながら、一歩二歩と、後ずさる。

「こっちだ!」

 フェルディックは、湧き上がる恐怖を噛み殺し、ヘレンの手を引いて、逆方向に走り出す。

 たしか、反対側からも出られたはずだ。

「……ッ!」

 少し走ったところで、再び足を止めた。

 視線の先には、もうすでに地中から出てきた亡者たちが。彼らは、よろよろと何かを求めるようにこちらに向かってくる。

「――ェセエ」「……カエセェ――」

 ひとりじゃなかったのか! 後悔したところで、もう遅い。

 墓地を穴だらけにして、うごめきだした亡者ども。いつの間にか、フェルディックたちは亡者の群れに取り囲まれていた。

「話して通じる相手じゃ……なさそうだね……」

 もう逃げ道はない。フェルディックは奥歯を噛み締めた。

 どうやって切り抜ける?

 フェルディックは剣の柄に手を触れた。

 ――死にたくなければ、剣を取るな』

 オスカーの言葉が頭を過ぎり、ほとんど反射的に、剣の柄から手を放してしまう。

「フェルディック……ッ!」

 徐々に迫り来る亡者どもに、ヘレンが身を寄せてくる。

 ――僕がどうにかしなくちゃ!

 ――だけど……!

 剣を抜いてどうする? 葛藤している間にも、亡者どもは距離を詰めてくる。

「こうなったら……!」

 もうヤケクソだ。追い詰められて覚悟した。

 フェルディックは意を決して剣を引き抜こうとブロードソードの剣柄を握り締めた。

 刹那、眼前に迫りくる亡者の一人が、何者かの突進をうけ、墓標に激突した。

「大丈夫かい?」

「あなたは……!」

 ランプを手にしたスコット。彼は走ってきたのか、息を切らしていた。僕達を助けにきてくれたのか?

「一体、これは何なんですか? 何が起きているんです?」

「話は後にしませんか。今はそれどころではないでしょう」

 スコットは周囲に目配せする。

 彼の言う通りだ。いまは、ここから逃げるのが先だ。

「おそらく、彼らは教会の中までは入ってこれないはずです。さあ、こちらへ!」

 スコットに導かれ、フェルディックはヘレンの手を引いて教会の裏口へと駆け出した。

「はやく!」

 スコットが裏口を開ける。中へ飛び込むと、スコットは扉を閉めて、内側から鍵を掛けた。彼はドアを背にもたれかかると、安堵の溜め息を漏らした。

「ありがとうございます。……でも、どうして僕達が墓地にいるとわかったのですか?」

 フェルディックは、肩で息をしながら、スコットに言った。

「いいえ、まさか君達が墓地にいるとは思ってもいませんでしたよ」

「なら、どうして?」

「単純なことです。嫌な予感がしたからですよ。いつもは静かな墓地から、なんとなくですが……異様な気配を感じまして……、それで、なにかと思って様子を見に行けば、ご覧の通りです」

 聖職者の勘というものなのか。いまはただ、彼がき来てくれて良かったと、感謝の気持ちでいっぱいだった。

「ともかく、外は危険だ。今夜は教会に泊まっていくと良いでしょう。神聖なこの場所に、彼らは入ってこれないはず。夜が明けて日が昇れば、再び眠りにつくことでしょう」

 彼の言うように、亡者どもがここに入ってくる気配は感じられない。

「幸い、客人用の部屋なら、いくつか空いています。後ほど、案内すると致しましょう」

「ありがとうございます、神父様。――あ、でも……、お父さんが心配しないかしら……」

 ヘレンも落ち着きを取り戻したようだ。ともすれば、自分よりも、父親のことが心配らしい。

「事情が事情ですからね。ダイモンさんには、私から直接お話しておきます。――それなら、構わないでしょう?」

 彼の話す言葉には、人の気持ちを落ち着かせる力があるようだ。

 ヘレンがそれを了承すると、スコットはにっこりと微笑んだ。

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