XXVII
一軒の家を前に、人集りができていた。
――また人が消えちまったってよ。
誰かが囁いた。
――また若い女らしい。
また別の誰かが言った。
――いやねえ。あたしも気をつけなくちゃ!
おばさんの声。
――おいおい、あんたは大丈夫だって。
誰かが苦笑しながら言う。
「すみません! 通して下さい……ッ!」
フェルディックは、人集りを強引に掻き分けながら、進んでゆく。アザレアとオスカーも、それに続いた。
「なんだぁ?」「おいおい……!」
人ごみに揉みくちゃにされながら、嫌な目で見られながらも、フェルディックたちは人集りをなんとか潜り抜け、家の前へと踊り出た。
「なんだね、君達は!」
衛兵が二人、こちらに気付いて声を張り上げる。
玄関の扉の前には老人が、心ここにあらずといった様子で突っ立っていた。
「えっと、その……」
衛兵に睨まれ、戸惑うフェルディック。オスカーがぐい押し退け、前に出た。
「ローデンハイムから来た者だ。そこにいる老人と話がしたい」
毅然とした態度で告げる。騎士の顔になっていた。
衛兵らは、しばしオスカーの姿をじっと見つめた後、はっとしてお互いの顔を見合わせた。
「これは失礼致しました! よもやローデンハイムの騎士殿がこのような田舎町にいらっしゃるなど――」
「畏まらずともよい。今は時間が惜しいのだ」
膝を突いて礼をしようとする衛兵らを、オスカーが制した。
「すまないが、そこの老人と話をさせては貰えないか」
「勿論ですとも」
彼らはさっと両脇に道をあけた。
フェルディックはその光景を、ぽかんと口を開けたまま、呆然と眺めていた。
「ほら、なにをしてるの、行きましょう」
アザレアに肩をとんと叩かれ、はっとなる。
「は、はい!」
フェルディックたちは、老人の話を聞くため、家の中へと入って行った。
「アンナは……ワタシの大切な、たった一人残された……、唯一の肉親なのです」
老人は、噛み締めるように言った。
テーブルを前に、彼はぐったりと疲れきった様子で、椅子に座っていた。
痩せ細った身体からは、生気のかけらも感じられない。うつろな眼差しが、見る者の心を余計に痛ませた。
フェルディックたちは、テーブルを前に、立ったまま彼の話を聞いていた。
「昨夜のことでございます」
老人は、ゆっくりと続ける。
「いつもは、夜に外出などしない子なのですが。昨夜のアンナは、少し妙なところがありました」
「妙なところ?」
アザレアが小首を傾げる。
「はい。今思えば、あの時、気づくべきでした。物騒な事件が起こっているのは、承知しておりましたのに……」
老人は、後悔の念を、深い溜め息と共に吐き出した。
「何があったのですか」
オスカーの声に、老人は顔を上げて、ちらと彼の顔を見やった。
それからまた目を伏せると、老人は、再び話し始めた。
「夕食を終えて、そろそろ眠ろうかといった頃。アンナは、ワタシに『おやすみなさい』と、いつものように自室に戻って行ったのですが……。その後のことが、妙なのでございます。
しばらく、内職に没頭していたワタシも、そろそろ眠ろうかと自室に戻ろうとした時のことでした。
それまで、自室で眠っていたはずのアンナが、ワタシの目の前を、何も言わずにすっと歩いてゆくのです。
どうしたものかと思い、アンナに『どこへ行くのか』と訊ねたところ、アンナは『心配しないでおじいさま、すこし夜風に当たりたくなっただけですから』と、振り向きもせずに出て行ったのです。
疲れていたワタシは、アンナの様子を見て妙だな感じながらも、自室に戻り、眠り込んでしまったのです……。
アンナを見たのは、それが最後でした」
老人の話を聞き終えたフェルディックたちは、お互いの顔を見合わせた。
たしかに、妙な話だ――。
自分から行方をくらませたのだろうか? 老人ひとり残して?
それはないだろう。
綺麗に整理された調度品と、窓際にある花瓶に添えられた花を見れば分かる。
裕福ではないものの、アンナという娘は、少なからずこの生活を楽しんでいたはずだ。
不満があれば、花など飾る余裕などない。
「アンナは黙って出て行くような子ではありません。きっと、攫われたのに違いないのです。――どうか、あの子を助けて下さい。貧しい家系ではありますが、この家の物であれば、御礼に何でも差し上げますゆえ」
どうか、と老人が深く頭を下げる。
「礼など、必要ありません」
言ったのは、オスカーだった。
「我々は、そのためにやってきたのです。ですから、どうか面を上げて下さい。……それで、そのアンナという娘の特徴は?」
「はい。アンナは年の頃、二十を過ぎたばかりの、まだ若い娘です。長い茶色の髪が特徴で、たしか……、昨夜、最後に見た時は白のコット(肌着の上に着る服)を着ていました」
「わかりました。では、あとは我々にお任せ下さい」
「どうか、アンナを――」
すがるように頭を下げる老人に、三人は、お互いの顔を見合った。