XXVI
フーズベリの町から少し離れれば、この町を支える広大な農園が見渡す限りに広がっている。人口が百人程度の小さな町であるためか、町人の殆どは農家を営みとして暮らしている。
その主な出荷先はローデンハイムであるため、この町が危機に晒されれば、ローデンハイムの食糧事情にも大きな被害が出るのである。
――と、いうわけで早速この町にやってきたものの、未だそれらしい手掛かりはひとつも掴めていない。
アザレアは広場にある大きな岩に腰を下ろし、剣を交えるフェルディックとオスカーの姿を眺めていた。
「やァァァッ!」
フェルディックが、振り上げた剣を大きく振り下ろす。オスカーは、それをたやすくかわし、足を引っ掛けて、つんのめるフェルディックの背後に回り込んだ。
フェルディックはこけそうになるも、なんとか体勢を立て直し、背後を振り返る。彼の眼前には剣の切っ先が向けられていた。
勝負あり。
これで何本取られたのだろうか。そもそも、力の差がありすぎて勝負にもなっていない。
オスカーが一呼吸置いて、剣を下ろした。
「隙だらけだ。それに、振り下ろすだけの単純な攻撃。――まるで薪割りだな」
淡々と告げるオスカーに、フェルディックは「あはは」と笑って誤魔化す。
「図星か? まあ……いい……。どの道、その程度の腕では戦いにはならない。剣も錆びているが、それを鍛えなおしたところで持ち主がこれではな」
もういいだろうと、オスカーが剣を鞘に収めた。
フェルディックが大きく息を吐き出して「やっぱりダメか」と呟く。そうして彼も剣を納めた。
「ひとつだけ」
「……?」
「ひとつだけ言っておく。死にたくなければ、剣を取るな」
オスカーが真剣な眼差しでフェルディックを見た。
剣術は遊びではない。人を殺すためのものなのだ。無論、剣を抜くということは、殺し合いをするのだという意思表示でもある。
それを彼は教えたかったのだろう。
フェルディックのほうは、返す言葉が見つからないのか、黙ったままだった。
「それにしても一体どういうつもり? オスカーに『剣を教えて欲しい』だなんて」
落ち込むフェルディックに、アザレアは声を掛けた。
今朝からフェルディックは妙だった。目が覚めて皆が顔を合わした途端、『僕に剣を教えて欲しい』だ。
さすがのオスカーも、あれには驚いただろう。いまは騎士としての仮面も剥がれつつあり、本来の性格が表に出てきている。
棘のある物言いだが、私としては良い傾向にあると思う。
「えー……。えっと……」
バツが悪そうに頭を掻くフェルディック。
「まさかあなた。いまさら自力でなんとかしようなんて、考えてないでしょうね」
ギクリ、とフェルディックが目を背ける。
「やっぱりね」
アザレアはふっと息を吐き出した。
「ねぇ、フェルディック。私達に隠してるコト、あるでしょう?」
それを聞いたオスカーが、じろりとフェルディックを横目に睨む。
「そ、そんな、隠し事なんて……!」
否定するフェルディックを、二人は黙って睨み続けた。
彼は無言の圧力に息を詰まらせ、「はい。してました」と観念したように答えた。
「うふふ。そうよねえ……」
アザレアは嬉しそうに笑みをたたえる。
「聞かせて貰おうかしら。昨日こっそり宿を抜け出して、悪魔となにを話してたのか」
「……え?」
間の抜けた声。
「えぇぇッ!」
どうしてそんなことを知っているのか。といったところだろうか。
意識を集中することによって、(ある程度の距離ならば)全ての植物は私の目となり耳となるのだ。覗きなんてあまり誉められたものではないが、彼を守るためには仕方のないことなのだ。
「実は……」
フェルディックが、昨夜の出来事を話し出した。
※ ※ ※
「それにしてもあなたって、本当、不運の塊みたいな子よね」
アザレアは呆れたように言った。
これで、フェルディックは王国の処刑宣告と、悪魔からの死の宣告と、二方からその命を狙われるというわけだ。
でも――。
「盗まれた魂に、人攫い、それに死者が蘇るという噂……。オスカー、あなたはどう思う?」
「関係があると考えるのが普通だろう。接点は未だ不明だがな」
まだ戦いの熱が残っているのか、オスカーの口調は砕けたままだ。それとも開き直ったのかしら。
「そうよね」
アザレアは呟き、思考を巡らせる。
どう考えても、このフーズベリの町で何かが起きているのは間違いなさそうだ。
だけど、私が以前に調査に来たときも、私達がここへやってきてからも、未だ事件の起こる気配はない。――できれば、あちらから動いてくれたほうが手っ取り早くて済むのだが。
「まずいことになったわね……」
アザレアは口元に手を当て、視線を斜めに落とした。
「まずいって、どういうことですか?」
フェルディックが真顔で訊いてくる。彼はもう大分前からまずい状況なのだが……。
「そうね。まず冥界の話からしましょうか」
「冥界……ですか? 魂が盗まれた場所のことですよね」
「そうでやス。そして冥界こそはあっしの故郷なんでやス!」
フェルディックの胸ポケットからチゲの声。彼は飛び出して、会話に割り込んできた。
「あら、そうだったわね。たしか……、インプはサタンの身体の一部から生まれるのよね」
「その通りでやス。あっしらは父上の身体から生まれ、そしてその部位によって個体差が生まれるんでやスよ!」
この子……説明するときだけは、ヤケに饒舌ね……。
「そうだったのか。だからアムはチゲと違って恐ろしい奴だったんだ」
フェルディックが納得したように、うんうんと頷く。
「ムムムゥ……アムは……アムのヤツは、とっても恐ろしいヤツなんでやス。父上の右手の親指から生まれたアムは、そこらの並大抵の悪魔なんかより、よっぽど強力な魔力を秘めているんでやス」
「そうだったんだ……」
フェルディックが、視線を自らの掌に落とす。何かを思い出すことでもあったのだろうか。
「ま、それはともかく。冥界っていうのは、現世で肉体を失った魂のゆくところなの」
アザレアは話を戻した。
顔を上げるフェルディックに、先ほどの暗い表情はもうなく、いつもの彼に戻っていた。
「そこで、魂の選別をするのが、冥界の王であるサタンね。――っと」
アザレアは腰を下ろしていた岩から飛び降りる。ふわりと浮いたスリットから両足が露になった。
チゲが「ウヒョー」と雄叫びを上げるが、気にしない。
「普通なら、魂はそこで選別されて、天国や地獄、はたまた転生してまたこの現世へと生まれてくるの。つまり、サタンは死を司る恐ろしい存在であると同時に、魂の管理者として重要な役割を果たしているわけね」
「えっと……。それじゃあ、盗まれた魂は一体どうなるのですか?」
フェルディックの問いに、アザレアは頷いて答えた。
「選別されなかった魂は、現世と冥界の狭間で彷徨い続けることになるわ。そうなれば、その魂は永遠に救われることはない」
「そんな……」
「でも、それよりもっと恐ろしいのは……」
アザレアはちらりとチゲを見やった。
「サタンはとてもプライドが高いのよ。冥界に送られてきた魂が盗まれたと知れば、どんな恐ろしいことが起こるやら……。想像はしたくないわね」
そう言って、アザレアは肩を竦めた。
「怖ろしいことって……一体どんな……?」
フェルディックが、まじまじとこちらを見つめてくる。
「ムムムムッ! 父上のことなら『ええい、面倒だ。こうなればニンゲンどもの魂を根こそぎ狩ってこい!』とか言いそうでやスねえ」
一人納得したように、うんうんと頷くチゲに、フェルディックは「そんな無茶な」と苦い顔をする。
「可能性のひとつとしては、あるわね」
アザレアもチゲに便乗して頷いた。
「そ、そんなっ!」
フェルディックが驚いて声を上げる。少し脅かしすぎたかしら。
「あくまで、可能性のひとつとして、ね。安心なさい。まだそうなったわけではないのだから」
アザレアが笑いながら答えると、フェルディックはほっと胸を撫で下ろした。
「とにかく、アムというインプの話しを聞く限り、盗まれた魂は、このフーズベリの町のどこかに隠されていると考えて間違いなさそうね。気配が消えたというのは、おそらく……、私達か、アムのどちらか、あるいは両方を恐れたから……。少なくとも、その盗まれた魂と、この町で起こっている人攫いの事件は、何か関係がありそうね。むしろ、無いほうが不自然じゃなくって?」
「うぅん……。そう言われると……、たしかにそうですね」
何か引っかかるような物言いで、フェルディックが答えた。
「まだあるわ。共通点は、魔術師よ」
「魔術師?」
「ええ、そのインプは魔術師の仕業かもしれないと言っていたのでしょう? それは、あながち間違いではないわ。冥界から魂を盗み出すなんて芸当ができるのは、魔術師くらいのものよ。――それに、死者を蘇らせることは無理でも、操ることくらいはできる……」
たが、一体何のために? どうも目的だけがはっきりしない。
犯人を捕まえて聞いたほうが手っ取り早いか。
一通り話し終えると、フェルディックとチゲが「おぉぉ」と感心したように声を漏らす。
「なるほど……。凄いや、アザレアさん」
「うふふ、この私を誰だと思って? 魔女の異名は伊達じゃなくてよ」
アザレアはエッヘンと胸を張って答える。二人の拍手が耳に心地良い。
「――だが」
盛り上がっているところに、温度差のある冷たい声が割って入ってくる。オスカーだ。
「その犯人は、どうやって見つけるつもりだ」
三人の動きがぴたりと止まった。
相変わらず空気の読めない子ね……。
「事件の関係性は見えてきたが、犯人の手掛かりはまるでなしだ。結局、何も進んではいまい」
彼はなおも追及してくる。
「……そうなのよねぇ……」
アザレアは困ったように頬杖をついた。
「町の人には、あらかた聞いて回ったし、もう手掛かりと思えるものはなにもないわ。あとは……、向こうから動いてくれるのを待つだけね」
「しかし、我々の残された時間は残り僅か、四日しかないのだぞ。そうのんびりと待ってなどいられまい」
アザレアはむっとした。
それくらい分かっている。
「なら、坊や――。あなたには何か考えがあるのかしら?」
「ない」
即答。
「それから、坊やは止めて下さいと言ったはずです」
「あら、そう。それなら、偉そうなこと言わないでくれるかしら? ボ・ウ・ヤ……」
二人は視線をぶつけあい、火花を散らす。
「ま、まあまあ……! 二人とも……!」
フェルディックが慌てて、間に滑り込んでくる。
と、その時だ。
――大変だ!
町の方からだ。男が何か叫んでいる声が聞こえてきた。
――……らいだァ!
異変に気付いた三人と一匹は、声を聞き取ろうと、静かに耳を澄ませた。
――人攫いだァ!
皆が一斉に顔を見合わせる。
ようやく面白くなってきたわね。
アザレアは微笑した。