XXIV
その日の夜。
宿から一人抜け出したフェルディックは、丘の斜面で仰向けに寝そべっていた。
夜空に輝く月を、ぼうっと眺める。
――もうすぐ、満月かな。
フェルディックは、「ふぅ」と溜め息をついた。
「どうしたでやスか? アニキィ」
もぞもぞと胸ポケットからチゲが顔を現した。
フェルディックは、さっとチゲから顔を背ける。
うぅ。近くで見ると、やっぱ気持ち悪いなぁ……。
フェルディックは、一息ついて、また夜空を見上げる。
「考えごとだよ」
「……?」
言葉の意味がわからないのか、チゲは目を丸くして指をくわえたまま、黙っている。
「アザレアさんも……オスカーも……。二人ともすごいや。それにくらべて僕は……、いざ戦いとなると、まるで役に立たなかった。みんな、僕のためにしてくれているのに」
ただよう雲が、月と重なった。
「……って、お前に言ってもしかたないか」
フェルディックは上半身を起こして、両手を斜面について座った。
胸ポケットから落ちそうになったチゲが、慌てて飛び出し、翼をはためかせる。
僕にできることって、なにもないのかな――。
ぼんやりと景色を眺めていると、チゲが「ハッハァーン」と、ひらめいた口調で言う。
「もしやアニキは、チカラが欲しいと、そう思っているでやスねェ?」
「……」
どうしてだろう。コイツに言われるとすごくイラッとするのは。
「フッフッフ。こう見えてもあっしは悪魔の端くれ、邪悪なチカラを求めるニンゲンを、その道に引きずり込むのも悪魔の使命。さあ、アニキもいざ闇のチカラをその手に――」
「いらないよ」
フェルディックはあっさりと断った。
「イッ!」
チゲが目をカッと見開く。
「さ、さすがはアニキ……。そうカンタンには悪魔のさそいにのらないでやスか……」
力のない声でそう言うと、チゲは、へなへなと地面に落ちてゆく。
「べつに、力がいらないってことじゃない」
遠い目で景色を眺めるフェルディックに、何かを感じたチゲが、再び浮上する。
「僕だって強くなりたいさ。けど、他になにか役に立てることはないかって……。そう考えていただけだよ」
それを聞いたチゲが、「ほぅほぅ」と、納得したように頷く。
「役に立つことでやスか。……それならカンタンでやスよ! アニキがビシッとバシッと、この町の連中を困らしてる悪党をとっ捕まえればいいんでやス!」
まるで全てを解決したかのようなチゲの笑顔に、フェルディックはあきれて息を吐き出す。
「お前……、簡単に言うなぁ……」
フェルディックは、顔を上げて夜空を眺める。その傍らで、チゲがぱたぱたと翼をはためかせる。
「……ぷっ」
突然、フェルディックは吹き出した。
「ははは……あはははは……!」
お腹を抱えて、笑い声を抑えようとするフェルディックに驚いたチゲが、大きく目を見開いた。
「オォォ! ついにアニキが闇のチカラに目覚めたでやス!」
「違うよ。どうしてお前にこんなこと話してるんだって思ったら、急にバカらしくなっただけだよ」
笑いながらフェルディックは、うっすらと目に浮かぶ涙を指で拭った。
「そ、そんナァ! アニキ……しどイ……。あっしは、あっしは……アニキのためを思っテ……グスッ!」
背を向けたチゲから、ズルズルと鼻をすする音が聞こえる。
「わ、わかったよ。言いすぎた。だから、なにも泣くことはないだろ?」
フェルディックは、こめかみに汗をかきながら、チゲをなだめる。
振り返ったチゲが、フェルディックの顔に飛びついた。
「ウヒョー! アニキィ、アニキィ!」
チゲが嬉しそうに、フェルディックに甘えてくる。
「うわっ、気持ち悪っ! こら、やめろって!」
フェルディックは、チゲを捕まえようとする。だが、チゲがひょこひょこと素早く移動するので、中々捕まえられない。
顔、肩、腹と、フェルディックの手を避けるチゲを、股間に移動したところで、ようやく捕まえた。
「ほら、帰るぞ」
フェルディックは立ち上がり、チゲをひょいと後ろに投げ捨て、歩き出す。
「ア! チョット待ッテ! アニキィ!」
浮上したチゲが、慌てて追いかける。
――と、その時だった。
「ヨォ、ヤッパリ、チゲじゃネェか」
突然の声に、二人は振り返る。
だが、辺りには誰もいない。
「まったく、テメェはどこまでマヌケなんだ。……上ダ、上!」
声に従って、二人は夜空を見上げた。
「オ、オオ……オマエはァァ……!」
驚いて目を見開くチゲの声は、震えていた。
「オマエは……、アムでやスか!」
そう言い放ったチゲの視線の先――。
月を背景に空中で羽ばたいていたのは、チゲと同じ、インプであった。