XXIII
翌日。
フェルディックは鍛冶屋にいた。
「あんちゃん。こりゃあ、金貨三枚はいただかねぇと……」
鍛冶屋の親父が、錆びた剣を値踏みして言った。
「そうですか……。ありがとうございます」
「その気になったらまた来いよ」
と、フェルディックは親父の声を背にうけながら、鍛冶屋を後にして道に出た。
「やっぱりダメか」
フェルディックは、がっくりと肩を落とした。その手には、銅貨が二枚。
「これじゃ、一食分にもならないや」
旅の資金は騎士団が出してくれているけど、剣は自分でどうにかしなきゃ……。
フェルディックは空を見上げた。晴れた空に、太陽が眩しい。
「――アニキ、アニキィ!」
胸のポケットから、チゲのくぐもった声。
「どうした? チゲ」
「ハラがへったでやス!」
「……」
※ ※ ※
「ありがとね」
人々の行きかう町中で、フェルディックは果物屋を背に、その手にリンゴを持っていた。
「はぁ……。これで、一文無し……か……」
最後の銅貨はリンゴひとつに消えたのだった。
果物屋のおばちゃんが言うには、農作物の不作で、値段が跳ね上がったのだと。
フェルディックは空を見上げた。晴れた空に、太陽が滲んで見える。
うぅ……涙が止まらない……。
「――アニキィ、そんなにお金が大事だったなら、あっしがチョチョイと取ってきたでやスのに」
涙の止まらないフェルディックに、胸ポケットのチゲが声を掛けてくる。
「ダメだ。人のものを盗むなんていけないことだ。……それにお前、捕まったらどうするつもりなんだよ」
「――ニンゲンの世界はメンドウでやスねぇ」
むぅ、とチゲが鼻を鳴らす。
まったく、コイツってヤツは……。
「あら?」
「……?」
女の子の声に、フェルディックは、胸ポケットから顔を上げる。
「君は……」
フェルディックの前に立っていたのは、ヘレンだった。
※ ※ ※
フェルディックは、ヘレンと共に教会裏の墓地にやってきた。
夕暮れの墓地に人気はなく、風に揺れる雑草の音だけが静寂の中にささやいた。
「ここは、お母さんのお墓なの」
ヘレンが膝をついて祈りを捧げる。
彼女の祈る墓石には、ナチアという名前が刻まれていた。
墓前に供えられた白い花が、フェルディックの目に入る。
「その花は?」
たしか、ヘレンとはじめて会ったとき、彼女が大事そうに持っていた花だ。
「これ――、お母さんが好きだった花なの」
「そうなんだ。……それで、昨日あんなところに」
「うん。お父さんには、黙って一人で出歩くなって、きつく言われてるのだけど、これだけはどうしても取りに行きたくって」
祈りを終えたヘレンは立ち上がり、笑顔で振り返る。
「だって、この花を取りに行くために町外れの森まで行くんだって言ったら、お父さん、反対するに決まってる」
「そうだね。……でも、だったらどうして、お父さんと二人で取りに行かなかったの?」
フェルディックの問いに、ヘレンの笑顔がふっと消えた。
「お父さんは、自分を責めてるんだと思う」
「……?」
「ここね。三年前の疫病で亡くなった人たちのお墓なの」
「え? それじゃあ――」
「うん。わたしのお母さんもその病で死んだの」
「……」
「お父さんね。お母さんが死んだことで、まだ自分を責めてるみたい。オレがもっと早く、この町を離れていたら……って。ほら、わたしの家って、宿屋だから……。簡単には町を捨てられなかったの」
「……そうだったんだ……」
俯く二人――。風が吹き抜けてゆく。
「――おや? ヘレンではないですか」
フェルディックは、彼女の名を呼ぶ男の声に振り返った。
「やあこんにちは。……おや、君は……? 見かけない顔ですね」
いつの間にか、聖職者の格好をした男が、そこに立っていた。
「こんにちは。神父様」
ヘレンが答える。うっすらとだが、彼女の表情には、笑顔が戻っていた。
「この人は、賊に襲われていたわたしを助けてくださった方なのです」
「え? いや、そのっ! 助けたのは僕じゃなくって――」
「それはそれは! ありがとうございます。彼女はよくここへ足を運んでくれる私の大切なお友達ですからね」
神父の笑顔と感謝の言葉に、フェルディックは反論する機会を失う。
「フェルディック、この人は、この教会の神父様で、名前は――」
「スコット・ウィルベンダーと申します」
彼はへレンの言葉を引き継ぐと、フェルディックに向かって、丁寧なお辞儀をする。
彼は神父といっても、お爺さんというわけではなく、三十歳を過ぎたくらいの、落ち着いた雰囲気の男性だった。
「あ、あの、僕はフェルディック、フェルディック・ブライアンです」
フェルディックも慌ててお辞儀をした。
「おや?」
頭を垂れたままのスコットが、墓前に供えられている花に気がつき、声をあげた。
「そうでした。今日は、ナチアさんの命日でしたね」
頭を上げたスコットが、ヘレンに微笑みかける。その表情こそは穏やかだが、どこか影を感じさせるものがあった。
はい、とヘレンがスコットに頷いた。
「では、私はこの辺で――。もう日も暮れます。ヘレンも、あまり一人で出歩いてはいけませんよ。最近は人攫いなど、物騒な話も耳にしますからね。おっと――」
スコットの視線が、フェルディックに向けられる。
「これは失礼。フェルディック君……でしたね。ヘレンをよろしくお願いしますよ。騎士殿」
「ナ、騎士だなんて、そんな!」
フェルディックは、慌ててスコットの言葉を否定する。
彼はそれが可笑しかったのか、「ははは」と穏やかな声で笑った。
「そう謙遜することはありませんよ。――それでは」
と言い残して、彼はこの場を去って行った。
「いっちゃった……」
フェルディックは、教会に帰って行くスコットの背を眺めながら、呟いた。
「神父様はね」
隣に立つヘレンの声に、フェルディックは彼女の顔を見た。
「わたしのお母さんと同じ病で、奥さんを亡くしたの」
「え? それって……」
あの人も、三年前の疫病で大切な人を亡くしたってこと……?
「普段はああやって、明るく振舞っていらっしゃるけど、たぶん、まだ……、亡くなった奥さんのことを忘れられないでいるのだと思う」
ヘレンは悲しそうに下を見た。
「――でも、それは……。わたしも、お父さんも一緒かな――」
ぽつり、と彼女が小さな声で呟く。
「……?」
その声があまりにも小さかったので、はっきりとは聞き取れなかった。
なんと声をかけていいのか、言葉が見当たらない。
フェルディックは、そばで黙ったまま立ち尽くしていた。
それに気づいたヘレンが、顔を上げる。
「ご、ごめんなさい。ヘンな気分にさせちゃって」
恥ずかしそうに頬を赤らめる彼女には、先ほどの悲しそうな表情など、もうどこにも見当たらなかった。
「さあ帰りましょう!」
ヘレンは吹っ切るようにいうと、フェルディックを置いて、さっさと歩いて帰ろうとする。
黙ったまま立ち尽くすフェルディックに、ヘレンが笑顔で振り返った。
「宿に着くまで、ちゃんとわたしを守ってくださいね。騎士様」
「ナ……騎士様って……」
フェルディックは、苦笑しながら、ぽりぽりと頬をかいた。