XXII
月明かりの下。フクロウの鳴く声。
とある宿屋の中で――。
がっはっはと、豪快な笑い声がした。
「それで、ヘレンは倒れちまったってわけか」
その声に似つかわしい、がっしりとした体型の男が言った。
「お、お父さん!」
栗色の髪の少女――ヘレンが、恥ずかしそうに頬を赤く染める。
その彼女の父であり、この宿の主であるダイモンが、「いいじゃないか」と笑って答えた。
「失礼な小娘でやスね! あっしはこんなにプリチーなのに!」
チゲが不愉快そうに、口を尖らせて言った。
「お前はかわいくないよ。むしろ、キモい部類に入るよ」
言いながら、フェルディックはライ麦パンを口に運ぶ。
「イッ!」
チゲはカッと目を見開いたまま、石化した。
その二人のやりとりに、ヘレンが、クスクスと笑って言った。
「二人とも、仲が良いんですね」
フェルディックは、もぐもぐとパンを口に含んだまま、微笑む彼女を見たが、
「ところで、あんたらはこの町になにをしにきたんだい?」
と言うダイモンの声に、何かを言うのを止めた。
「よく見りゃあ、あんた、ちょっと前にもこの町にいなかったか?」
ダイモンが、アザレアを見て言った。
「あら、たぶん気のせいよ」
アザレアは、すかしたように答える。
き……気のせいって……。
思わず苦笑いしてしまう。
「それより、この町で人攫いが起こってるって話なのだけど」
うわっ! 話題をすりかえてる!
「聞けば、死者が蘇るって噂もあるらしいじゃない。なんだか物騒な話ね」
アザレアの話に、ダイモンが表情を曇らせた。
「物騒……か……。まァ、そのおかげで、うちの宿屋もこのありさまだ」
彼は静かな店内に視線を泳がせる。
今日この宿屋に泊まっているのは、フェルディック達だけで、他に宿泊客はいない。
「三年前になるんだが」
ダイモンが語り始める。
「この町で、疫病が流行ってな。それも、女性ばかりが亡くなっちまう奇妙な病だ。
原因不明の病に、医者はどうすることもできなかった。
はじめは神に祈っていた町の連中だったが、ついに町から出て行く者も現れてな……。
おかげで、畑もほったらかしになり、農作物も枯れちまった。ついには『死の町』なんて言われちまってよ。
ようやく、ここまで町を復興させたと思ったら、今度は人攫いに死者が蘇るときた。……まったく、呪われてるのかねえ、この町は」
彼は目を伏せたまま、皿を拭き続けている。
呪われた『死の町』か……。でも、どうしてこの人達は町から離れないのだろう。
「呪われている……か……」
オスカーが、ぽつりと呟き、席を立つ。
「あら、どこへ行くの?」
「今日はもう休みます。明日はやるべきことが多いので」
やるべきこととは、事件の調査のことだろう。
オスカーはそう言い残して、二階へと消えていった。
「あの子、いつもあんな感じだから、お気になさらないで」
「見たところ、ありゃローデンハイムの騎士殿だな。もしかして、あんたら人攫いの犯人を捕まえるためにきたのかい?」
「あら、そんなまさか。気のせいよ」
アザレアがまた、すかしたように言う。
「ふん。いいさ。だが気をつけるこった。人攫いといっても、狙われてるのはあんたみたいな美人ばかりだからな」
「あら、それは本当?」
「ああ……。あの時もそうだ。この町は女ばかり不幸な目にあう。オレも娘を持つ親の身だからな。いつも心配で仕方ないさ」
ダイモンの視線が、ヘレンへと向けられる。
「今度勝手に町を出たら、承知しないぞ」
厳しく言いつけるダイモンから、ヘレンは目を逸らした。
「わかってる。けど……」
ヘレンはダイモンを睨み返すと、訴えるように言った。
「どうしても取りに行きたかったの!」
「……まったく、こういうところだけは母親譲りだな……」
ダイモンは、諦めたように腕組みし、溜め息をついた。
「ふふ。……それじゃあ、私達もそろそろ休みましょうか」
アザレアが席を立つ。
「そうそう、私達、しばらくこの宿に泊まりたいのだけれど、いいかしら? そうね……、あと六日ほど」
「あんたらは娘の命の恩人だ。いくらでも泊まっていってくれ。ただし――」
ダイモンはにかっと笑う。
「お代は頂くけどな」
「ありがとう。助かるわ」
その日の夜を宿で過ごし、フェルディックの処刑が行われる日まで、あと六日となった。