XXI
人気のない、静かな林道――。
空を切り裂くような甲高い悲鳴に、驚いた鳥達が一斉に飛び去った。
林道を駆け抜ける少女を、二人の男が追いかける。
一人は筋肉質の大男で、もう一人は、身軽そうな細身の男だ。
少女は息を切らせながらも、その手にしている白い花を大事に胸に押し当てている。
だが、少女の脚力が大人の男にかなうはずもなく、もはや追いつかれるのも時間の問題となっていた。
「はぁ……はぁ……!」
少女は振り返る。――その長い栗色の髪が肩にかかった。
「ハッハァッ!」
「ヒャハハッ!」
必死で逃げる少女に興奮した男達が、下品な笑いで、さらに彼女を追い詰める。
「きゃあ!」
少女は男達に気を取られせいで、小石に蹴躓き、転んでしまった。
すぐに向き直り、立ち上がろうとするが、もう遅い。
彼女の視線の先には、不敵に笑う男達が、じりじりと歩み寄ってくる。
「ったく、大人しく金目の物さえよこしゃあ許してやったのによォ! 手間ァ取らせやがって!」
吐き捨てるように言ったのは、大男のほうだ。
「そ、そんなものありません!」
少女は、訴えるように声を張り上げた。
じりじりと少女に接近してくる男達に、彼女は、地に腰をつけたまま、後ずさる。
胸に押し当てていた白い花を、強く握りしめた。
「あるかどうかは、身包みはぎャあ分かるこった。……それでもないようなら……ヒヒヒッ!」
細身の男が、いやらしく口元を歪ませる。
「い、イヤァァァァァ!」
「おっとォ、叫んだってムダだ。こんなところに、人がくるわけねェだろォがよ。大人しくしやがれってんだ!」
大男に凄まれ、逃げようとする少女だったが、細身の男が素早く回り込み、それを阻止する。
「……!」
二人の男に挟まれて、少女はとうとう逃げ場を失った。
男達の魔の手に、もはや為す術はなく、少女は身体を縮こませ、祈るように、ギュッと目を瞑った。
「それまでだ!」
迫力のある男の声。
「だ、誰だ!」
男達が驚いて振り返る。
彼らの視線の先には、馬に乗った女が一人と、同じく馬に乗った若い男が二人いた。
※ ※ ※
――よかった。無事みたいだ。
フーズベリの町へ向かう途中、突然の悲鳴に駆けつけたフェルディック達は、賊に襲われている少女を見つけた。
栗色の髪をした少女が、驚いた目でこちらを見ている。その視線をさえぎるように、男達が立ちふさがった。
「お前達、その子から離れろ!」
オスカーが声を張りあげる。
「今ならまだ見逃してやる」
男達に告げる彼の目には、怒りの感情が見て取れた。
「なんだぁ、おめぇらは?」
細身の男が威嚇してくる。
彼らはこちらを観察するように、視線を巡らせる。そして、彼らは自分達のおかれた状況を把握すると、お互いの顔を見合わせ、下品な笑い声をあげた。
「ハッハッハ! なにかと思ってよく見りゃあ、丸腰の女一人に、ガキが二人かよ!」
「ケケッ! でもまァ、こんガキの女よりは、よっぽど金になるもん持ってそうだなァ……アァン?」
男達が、おもむろに武器を取り出す。
大男は斧を、細身の男は鎌を、それぞれが手にしている武器を、見せつけるようにして、彼らは戦闘態勢をとる。
「フェルディック、私とオスカーの坊やであいつらを片づけるから、あなたはあの子をお願い」
アザレアは指示を出しながらも、男達から視線を外さない。
「は、はい!」
フェルディックは、戸惑いながらも、力強く返事を返した。
「オスカー、私はあっちの鎌を持ってるほうを片付けるわ。あなたはもう一人ををお願い」
「わかりました。――それから……いい加減、坊やはやめてください」
オスカーが、馬を降りて、剣を抜く。
「はいはい。――それじゃあ、悪党をこらしめるとしましょうか」
これから戦うとは思えないくらい、緊張感のない声で、アザレアが言った。
「チッ! ふざけやがって! 思い知らせてやる!」
大男の怒鳴り声を合図に、戦闘がはじまった。
まず、大男が斧を振り上げ、雄たけびをあげながら、オスカーに突進してくる。
大男は、オスカーの脳天めがけて、力任せに斧を振り下ろす。
オスカーは、それを軽いステップで避ける。
振り下ろされた斧は、勢い余って地面にめり込んだ。
「力押しか、大したことはないな。それに――」
「オラァ!」
男の振り上げた斧の切っ先が、オスカーの前髪をかすめる。
あと一瞬、回避するのが遅れていれば、オスカーの首は飛んでいただろう。
「力押しだと? ふざけやがって! 斧の使い方なら、オレァ誰にも負けねェんだ!」
叫びながら、大男は斧を二度、三度と振り回す。
オスカーは二度かわし、三度目で大きく飛びのいて、間合いを取った。
「……」
オスカーと大男は、互いに牽制し合っている。
その一方で――。
フェルディックとアザレアは、鎌を持った細身の男を前に、身動きが取れないでいた。
「ケケッ! 丸腰の女と弱そうなガキが一人か、楽勝だなァ! ……まずは――」
細身の男の視線が、フェルディックを射抜く。
うっ! こっちを狙ってる……っ!
「念のためだ、物騒なもん腰にぶら下げてるオメェから殺ってやる……」
ど、どどど、どうしよう!
フェルディックは、助けを求めるように、アザレアを見た。
「フェルディック、私が突破口を作るわ。だからあなたは馬を降りて、真っ直ぐにあの子のところへ」
「ま、真っ直ぐにって……!」
フェルディックはキョロキョロと、アザレアと少女の前に立ちふさがる細身の男を見た。
彼女は真っ直ぐに行けと言ったが、それはつまり、真っ直ぐに“男に突進しろ”ということだ。
細身の男が、フェルディックを挑発するように、手にしている鎌をベロリと舐めあげる。
「え……、ええぇえぇえぇぇ!」
フェルディックは絶叫した。
まさかとは思い、もう一度、確認するようにアザレアの顔を見る。
ニコッ。
アザレアが微笑んだ。
「ア……アザレアさぁん……!」
「大丈夫。いいから私を信じなさい」
「で……でも……!」
アザレアがなにをするのか知らないが、襲ってくる相手に向かって、わざわざ自分から突進するなんて、ありえない。そんなの危険すぎる!
「あぁもう! じれったいわね!」
とうとう痺れを切らしたアザレアが、苛立ち混じりに声を荒らげる
「あなた騎士になるんでしょう! だったらつべこべいってないで、さっさと行きなさい!」
「は、はい!」
反射的に返事をして、フェルディックは慌てて馬から飛び降りた。
ええぃ、こうなったらもうどうにでもなれだ!
フェルディックは、意を決して、真っ直ぐに細身の男へと突進した。
「うわぁぁぁああぁぁああ!」
細身の男は鎌を握り直し、フェルディックを待ち構える。
「――悪いけど、そこをどいてもらうわよ」
背後でアザレアの声がしたかと思うと、突然、地面が揺れた。
「な……なん……?」
細身の男は動揺し、動きを止める。
その時だった。
胸を打つような轟音と共に、彼の立っていた地面が勢いよく、跳ね上がった!
「ギャアアァァァ――……」
そのあまりの衝撃に、男は天高く飛ばされる。
目を疑うような出来事に、フェルディックは口をぽかんと開け、その場に立ち尽くしていた。
「……――ァァァアアアアッ!」
どしゃり!
空から落ちてきた男は、そのままぴくりとも動かなくなった。
し……しんじゃった……かな……?
「こらフェルディック! ぼさっとしてないで、早くあの子のところに行きなさい!」
「は……はい!」
アザレアに叱咤され、硬直の取れたフェルディックは、急いで少女のもとへと駆け寄った。
「大丈夫?」
「……あ、はい……」
まだ地面に腰を落としたままの少女の視線は、突如として突き出した大地にあった。
「あはは……驚いたよね……。僕も驚いた」
フェルディックはぎこちなく笑って、素直な感想を述べる。
少女を助け起こそうと手を伸ばすが、金属の激しくぶつかりあう音に、フェルディックはオスカーのほうを見た。
――はじかれた斧が空中で回転し、地面に突き刺さる。
オスカーに剣の切っ先を向けられた大男が、脱力して、地面に膝をついた。
「こ、降参だ……参った!」
ぜいぜいと喘ぎながら負けを認める大男とは対照的に、オスカーは息一つ乱れていない。
すごいや……。
フェルディックが見とれているその眼前を、ヒュッと、なにかが横切っていった。
「……」
背筋に冷ややかな感触を覚えつつ、首を回してみると、矢が一本、木の幹に突き刺さっていた。
「え、えーと……」
フェルディックの頭から、だらだらと汗がふきだした。
「フェルディック!」
アザレアの叫び声に、フェルディックは我に返る。
矢の飛んできたほうへ顔を向ける。
二本目の矢が飛んでくる!
今度は、真っ直ぐに少女を狙っていた!
「危ない!」
フェルディックは咄嗟に少女を突き飛ばす。
だが、そのせいで自分が矢の軌道にのってしまった。飛来する矢を視界に捉えながらも、体が反応してくれない。
「……ッ!」
もうだめだと思った、次の瞬間、目の前の地面が突き出し、壁となって、フェルディックを守った。
※ ※ ※
あぶないところだった。
アザレアはほっと一息つきながらも、すぐさま三人目の賊を探し出す。
目を閉じ、林の奥へ意識を集中した。
――そこね!
林の奥、弓を持った男が一人、こちらの様子を窺っている。
アザレアは、男の周囲に生える木々や草花に、念じた。
すると、男の足元から草や木の根が、彼を取り巻く木々の枝が、絡みつくように彼の手足を拘束してゆく。
異常に気づいた男が、背負っていた矢筒から矢を一本引き抜き、切り払おうとする。
――だが、林の中に隠れたのが運のつきだ。
森で暮らし、自然と共に生きるエルフ――そのハーフであり魔女でもあるアザレアにとって、植物を操ることなど造作もないこと。
もちろん、それは生きている植物だけとは限らない。
男が手にしているその矢からも、枝が生え出す。そのスピードは凄まじく、あっと言う間に、彼の腕を拘束した。
自らの武器にすら裏切られたその恐怖に、男は、とうとう叫び声をあげた。
※ ※ ※
少女を助けたフェルディック達の前に、彼らを襲った賊達が、今はちょこんと並んで正座をしている。
「これで全員ね」
アザレアが満足そうな笑みを浮かべる。
「あの、この人たち、これからどうなるんですか?」
フェルディックは、アザレアに尋ねる。
「そうねぇ」
彼女は、思案するように、口元に指を当てる。
それを他所に、オスカーが、男達に立ちはだかると、彼は剣の切っ先を真ん中にいる大男に突きつけた。
「ひ、ひぃぃぃ……っ!」
「い、命だけは……どうか……!」
悲鳴にも似た声で、男達が、懇願するような眼差しでオスカーを見上げる。
オスカーは、ただそれを冷ややかな目で見下ろすだけだ。
悪党の言うことなど、聞きはしないのだろうか。このまま放っておけば、彼は男達を殺してしまうかもしれない。
今のオスカーからは、そういった気迫が十分に感じられた。
「そ、そうだよ。なにも命まで取らなくても――」
フェルディックは焦って、彼らの間に割って入ろうとする。
「お前達、もとは賊ではないな」
「……え?」
どういうこと……?
一瞬、フェルディックの思考が停止する。
オスカーの視線が、彼らの武器に向けられた。
「斧を持つお前は木こりだな。それに、その鎌は稲刈りをするためのものだろう。お前は農家だな。それから弓矢を持つお前、もとは狩人だな。……それがどうして、今は賊などやっている」
フェルディックは、オスカーの言葉に驚いて、思わずアザレアを見た。
アザレアは、フェルディックに微笑んでみせる。
まあ見ていなさい。ということだろうか。
「そ……それは……」
オスカーに問われて、男達が、きまづそうにお互いの顔を交互に見やった。
「答えろ!」
オスカーは語気を強め、剣の切っ先を、ぐいと大男の額に近づけた。
「ヒィィッ! わ、わかりました! だから、その物騒なものをおろしてくだせぇ!」
オスカーが剣をおろすと、大男はほっと息を撫で下ろした。
男達が、語り始める。
「おれらは、元々、フーズベリの町で暮らしていたんだ」
大男の言葉に、少女の瞳がかすかに揺れた。
「けども、三年前に疫病が流行って、畑は荒れ放題……。ついには『死の村』だ噂されるようになっちまった」
細身の男が、奥歯を噛み締め、舌打ちする。
「それで、オラ達は村を捨てたんだども、ずっと田舎で暮らしてたもんだから、街に行っても、失敗続きで、うまくなじめなくてさぁ……」
「それで、賊になったというわけか」
オスカーが、弓矢を持った男の言葉を引き継いだ。
「へ、へい……」
「お前達のしたことは許されることではない。だが、心を入れ替え、また正しき人の道に戻り、やり直すというのなら、命だけは取らないでやろう」
告げるオスカーの口調は、淡々と冷たいものだったが、男達にとってはそれで十分だったのだろう。
「あ、ありがとうごぜぇますだ!」
男達が、一斉に感謝の言葉を述べる。
「いくら自分達が困ったからといって、それを理由に人を襲うなど、もってのほかだ。こんなことをする前に、一からやり直すつもりで人に頭を下げていれば良かったのだ。……では行け。ローデンハイムに行って、騎士団に事情を話し、オスカーという名前を伝えれば、雑用くらいは与えてくれるだろう」
「ありがとうごぜぇますだ!」
男達が、深々と頭を垂れた。
そして、彼らは立ち上がると、何度も振り返っては頭を下げて、その場を去ってゆく。
「さすがは騎士殿、慈悲深いわね」
消え行く彼らの背中を見送りながら、アザレアが言った。
「からかわないでください」
アザレアを尻目に、オスカーは剣を鞘に収める。そして、少女の前に跪いた。
「申し訳ありません。襲ってきた賊をあなた様の目の前でみすみす見逃すなど……。しかし、ここは私に免じて、どうか彼らを許してやっては下さいませぬか」
オスカーは、深々と少女に頭を垂れた。
「い、いえ! もう、いいんです!」
少女は赤面しながら、ばたばたと手を振って、オスカーに頭を上げるよう、促す。
「あら、赤くなっちゃって、かわいいわね」
アザレアがくすくすと笑った。
ふと、フェルディックと少女の目が合う。
彼女はフェルディックのところへやってくると、
「あの……。さっきはありがとう。かばってくれて……」
と、恥ずかしそうに俯き、上目遣いに感謝の言葉を述べた。
「あ、いや……、僕はなにも……」
フェルディックは、ばつが悪そうに頭の後ろをかいた。
一瞬、少女を庇ったときの記憶が蘇る。
――そう、僕はあのとき、なにもできなかった……なにも……。
無力な自分に、思わず溜め息が出た。
「――クンクン! クンクン! ――おや、これは……女のニオイがするでやス!」
「……え?」
胸元から声がしたかと思うと、胸ポケットから飛び出したチゲが、少女の眼前をシュッと通り過ぎた。
「わっ! バカ! 出てくるな!」
フェルディックはチゲを捕まえると、慌てて少女の顔を見た。
「……」
彼女は、笑顔のまま硬直していた。
「あ、あの、これは、その……」
「あ……アクマ……?」
少女が震えた声で、チゲを指差した。その表情は、まだ笑顔で硬直したままだ。
「ち、ちが、これは――」
「そうでやス! なにを隠そう、あっしはインプのチゲでやス!」
「おい!」
名乗ってどうする!
「キ……」
……あ。
まずい。と思った時はもう遅かった。
少女は大きく息を吸い込んで、
「キャアアアアー!」
と、力一杯叫ぶ。それから、青ざめた表情で、ふらふらと倒れて失神してしまった。
……最悪だ……。
「あらまぁ」
その光景を楽しそうに眺めているアザレアと、オスカーの突き刺すような視線が、痛かった。
すごく……痛かった……。
※ ※ ※
フェルディックの渇いた笑い声がするその上空で、彼らを見下ろす存在があった。
翼を動かし、宙に留まるコウモリのような生き物。
その視線の先には、チゲの姿があった。